第47話 木曽川の川並衆
天文十八年(1549年)、夏。
尾張国、木曽川沿い。
中村を離れた俺たちは、蜂須賀小六正勝を訪ねて木曽川へ向かった。
正勝の名は知っていても、川並衆がどこにいるのかまでは分からない。木曽川沿いの村で尋ねれば済むと思っていたが、正勝の名を出した途端、村人たちの口が重くなった。知らないと言う者もいれば、急に用事を思い出したように、その場を離れる者もいる。
本当に知らないわけではない。余所者へ、川並衆の居所を教える気がないのだ。
「ずいぶん警戒されておりますな」
「それだけ、この辺りでは顔が利くんだろう」
「そのような方を、また面識もなく訪ねるので?」
「今さらだな」
「慣れたくはございません」
何人かに尋ねた末、川沿いの渡し場へ行けと言われた。
木曽川の岸には、小舟が何艘も並んでいた。人足たちが俵や木箱を担ぎ、舟と荷車の間を行き来している。尾張と美濃を往来する荷が、ここで積み替えられているらしい。
俺たちが近づくと、人足の一人が作業の手を止めた。腰には刀を差している。ただ舟を扱うだけの男ではなさそうだ。
「何の用だ」
「蜂須賀小六に会いたい」
「小六殿に?」
「商いの話だ」
男は俺たちを順に見た。俺と弦十郎、可成、犬千代。どう見ても、商人の一行ではない。
「商いをしに来た者には見えんが」
「俺は商人じゃない。商人が使う道を作りに来た」
「道なら、そこにあるだろう」
男が足元を指した。
「そういう道ではない」
男はしばらく俺を見ていたが、近くにいた人足へ短く何かを告げた。人足が渡し場の奥へ走っていく。
待っている間に、周囲の男たちが少しずつ集まってきた。刀を差している者は少ないが、手には棒や鉤がある。荷を扱う道具でも、囲まれて振り回されれば厄介だ。
可成が俺の前へ半歩出た。弦十郎も周囲へ目を配っている。犬千代だけは、集まってきた男たちを楽しそうに見回していた。
「こいつらとやるんか」
「やらない」
「まだ何もしとらんがね」
「お前は始めそうだから言っている」
「向こうから来たら、やってもええだろ」
「よくない」
犬千代が不満そうに口を曲げたところで、奥から二人の男がやって来た。一人は二十歳ほど。もう一人は、それよりいくらか年上に見えた。
年上の男は小袖の袖をまくり、腰に太刀を差していた。大柄ではない。それでも、その男が近づくと、人足たちは自然に道を空けた。
「俺が蜂須賀小六だ」
男は俺たちの前で足を止めた。
「商いの話があるそうだな」
「ああ」
「先に、お前の名を聞こうか」
「橘小徳丸だ」
「橘?」
正勝は隣の若い男へ目を向けた。
「知っとるか、小右衛門」
「いえ。聞いたことはありません」
当然だ。この辺りまで名が広まるようなことは、まだ何もしていない。
「近江の朝霧を治めている。六角方だ」
「六角の者が、木曽川まで何をしに来た」
「だから、商いの話だと言った」
正勝は俺の服と、供の顔ぶれを改めて見た。それから隣の男を示す。
「こいつは前野小右衛門だ」
「前野小右衛門と申します」
若い男が頭を下げた。
前野小右衛門長康。やはり正勝の近くにいた。
「それで、近江の者が何を運びたい」
「油と木の品だ。今後は、ほかの品も増やす」
「近江の荷なら、保内や小幡の商人に任せれば済むだろう」
「すでに橘の御用商人や、保内、小幡の者へ卸している。だが、一人の商人や一つの道へ寄せる気はない」
「尾張や美濃へ流す道を、別に持ちたいということか」
「ああ。桑名までは八風街道を使う。その先を小六に任せたい」
「木曽川から先へ、橘の荷を流す道を作れと」
「小六ならできると思った」
正勝が鼻で笑った。
「初めて会った相手へ、ずいぶん大きな話を持ってきたな」
「できないなら、ほかを探す」
「できんとは言っておらん。先に品を見せろ。道の話は、それからだ」
俺は荷から小さな壺と木箱を取り出した。朝霧から持ってきた見本だ。
正勝は壺を受け取り、蓋を開けた。油を指先へ少し取り、匂いを確かめてから、日の光へ透かして見る。蓋を戻すと、今度は木箱を手に取った。角をなぞり、蓋を何度か開け閉めする。
「油は濁りが少ない。箱も悪くない。これなら尾張では売れるだろう」
「美濃では」
「売れはする。ただ、尾張と同じ大きさ、同じ値で出せるとは限らん。土地が変われば、買う者も使い方も変わる」
「それを見てほしい」
「俺に、運ぶ先だけでなく、売れる品まで見ろということか」
「売り先を知る者につなぎ、どこへ何を出すか判断してほしい」
「そこまで任せるなら、舟賃とは別に取り分をもらうぞ」
「働いた分は払う」
「それなら構わん」
正勝は木箱を長康へ渡した。長康も底と蓋を確かめ、壺と一緒に脇へ置いた。
「桑名までは、こちらで運ぶ」
俺は正勝へ向き直った。
「そこから先を任せたい。尾張と美濃へ荷を分け、その先へ運ぶ道も作ってほしい」
「舟と人足を揃えるだけならできる。だが、荷を止めず、盗ませず、日を違えず届けろとなれば、見張りにも関にも銭が要るぞ」
「銭は出す」
「銭を出せば済むところばかりではない」
正勝は川と、岸へ並ぶ舟を見た。
「桑名から入れるなら、川も陸も使える。だが、渡しごとに決まりが違う。陸へ上げれば関もある。銭で通すところもあれば、荷主の名を見て値を変えるところもある」
「だから小六に頼みに来た」
「それを承知で、俺に任せるのか」
「ああ」
「俺なら押し通せると思ったか」
「舟も人足もいる。村の者は、お前の居場所を簡単には話さない。それで十分だろう」
正勝が周囲を見回した。集まっていた男たちは、話が商いへ移っても持ち場へ戻らず、こちらを見ている。
「誰から俺の名を聞いた」
「名のある者なら、聞いたことくらいある」
「若様の『聞いたことがある』は、ずいぶん広いですな」
弦十郎が横から口を挟んだ。
「役に立っているなら問題ないだろう」
「毎度、それで済ませるおつもりですか」
正勝が俺と弦十郎を見比べた。
「面白い主従だな」
「振り回されております」
「見れば分かる」
余計な話をするな。
正勝は長康の脇に置かれた壺と木箱へ目をやった。
「先に、荷を失った時の話を決めておこう」
「舟と人足にかかる銭は別に出す。小六には、無事に届いた荷に応じて払う」
「売れ残った時は、誰が損をかぶる」
「こちらだ」
「途中で盗まれた時は」
「小六だ」
「川が荒れて舟が沈んでもか」
「天候まで背負わせる気はない。だが、見張りを怠って盗まれたなら別だ」
「盗まれても、取り返して日を違えず届ければ」
「問題ない」
「荷が傷んでいたら」
「売り物にならないほどなら、届いたことにはしない」
正勝は壺と木箱を見比べた。
「厳しいな」
「油の壺だけ届いて、中身が半分では困る」
「それなら、積む前に互いで数と中身を改める。受け取る側にも同じ控えを渡せ。違いがあれば、その場で分かる」
「それでいい」
「人足を動かす銭まで、こちらで立て替えろというのか」
「半分は、舟と人を動かす前に出す。残りは荷が届いてからだ」
「先にすべては出さんと」
「初めて組む相手へ、そこまで信用は置けない」
「それはこちらも同じだ。半分あれば舟は動かせる」
正勝が口元を緩めた。話が早い。こちらが負わせる責任と、正勝が動くために必要な銭を分けて考えている。
「最初は一度だけにしておけ」
正勝は、見本を包み直す長康へ目を向けた。
「油と木の品を、尾張と美濃へ分けて運ぶ。量は、今いる舟と人足で運べる分までだ」
「少ないな」
「売れると分かっておらん品を、初めから山ほど持ち込めば、売り先にも舟にも迷惑がかかる」
「売れたら増やす」
「次の舟と人足を決めてからだ。桑名へ荷だけ積まれても、こちらでは動かせん」
「分かった」
「分かった顔ではないな」
「一度に十倍にはしない」
「五倍でも多い」
弦十郎が正勝の言葉にうなずいた。俺の供なのだから、少しくらいこちらへ味方してもいいはずだ。
「売り先は」
「商人へはつなぐ。だが、値はお前のところから来た者と商人で決めろ。俺が勝手に値を決めれば、あとで揉める」
「それでいい」
「桑名へ荷が着いたら、小右衛門をやる」
「小右衛門が?」
「最初の一度は、荷の数と道を見させる。次を増やすのは、その後だ」
長康が短く頭を下げた。
「承知しました」
俺も長康へ目を向ける。
「頼む」
「まず、品の数と大きさを揃えておいてください。箱ごとに中身が違えば、積む時にも売る時にも手間が増えます」
「分かった」
木地師へ頼む品も、売り先によって分ける必要がある。それを決めるには、最初の荷がどう売れるかを見なければならない。
「連絡はどうする」
「桑名へ出入りする商人を一人決めておけ。普段はそいつを通せ」
「急ぎなら、甲賀の者を使う」
「甲賀者でも構わん。ただ、先に顔を知らせろ。知らずに捕らえては面倒だ」
「ああ」
正勝は長康へ顔を向けた。
「小右衛門、渡しを預かる者たちへ伝えておけ」
「承知しました」
最初の一便を試す話はまとまった。
俺は正勝を見上げた。
「ところで、小六」
「何だ」
「俺の下へ来る気はないか」
渡し場の声が止まった。長康も正勝を見る。
「会ったその日に家来になれとは、気が早いな」
「使える者なら、先に聞いておいた方がいい」
「俺が使えるかどうかも、まだ見ておらんだろう」
「この渡し場を見れば、おおよそは分かる」
「悪いが、今の暮らしを捨ててまで、お前についていく理由はまだない」
「そうか」
「それだけか」
「嫌がる者を無理に連れていっても働かない。今は荷を運んでくれればいい」
「今は、か。ずいぶん諦めが悪いな」
「気が変わったら朝霧へ来い」
「まずは、お前の荷が本当に銭になるか見せろ。橘が仕事を続けられる家かどうかもな。話の続きは、それからだ」
「構わない」
正勝が今の立場を捨てて、俺へ従う理由はない。こちらの力も、任せる仕事も見せていない。断られるのは当然だ。
長康が見本の壺と木箱を包み直した。
「こちらは、お預かりしても?」
「ああ。商人に見せてくれ」
「承知しました」
「小右衛門」
「はい」
「いずれ、別の仕事も頼むかもしれない」
「その時は、小六殿を通してください」
今回は、それでいい。
俺たちは正勝たちと別れ、渡し場を後にした。
犬千代が何度も後ろを振り返る。
「小六とやりたかったのか」
「違う。あれだけ人がおるなら、槍の強い者もおるかと思っただけだがね」
「荷を運ぶ者を相手に槍を振るうな」
「向こうも刀を持っとったがね」
「持っている者が全員、お前と戦いたいわけではない」
「つまらんな」
可成が犬千代の足元を見た。
「まだ歩き方が直っておらん。人と戦う前に、自分の足を何とかしろ」
「またそれか!」
「直っておらんからな」
「なら、今ここで見せたる」
「街道で槍を振るうな」
犬千代が可成へ詰め寄ろうとしたので、弦十郎が襟をつかんだ。
「離せ!」
「若様から離れすぎます」
「三左殿に歩き方を見せるだけだがね!」
「朝霧へ帰ってからにしてください」
これからは、可成にも犬千代の面倒を見てもらえそうだ。
* * *
木曽川を越えた俺たちは、そのまま美濃へ入り、井口へ向かった。
町へ近づくにつれ、荷車と人の数が増えていく。米や薪を運ぶ者、布を背負う商人、牛を引く百姓。道の脇には店が並び、宿の前では旅人が馬から荷を下ろしていた。町へ入る道には兵が立ち、旅人の荷と用向きを確かめている。俺たちも、朝霧へ戻る途中の旅人として井口の町へ入った。
通りには、灯明油を扱う店がいくつもあった。宿や寺も多い。日が落ちれば、それだけ使う油の量も増える。木の品を並べる店では、椀や盆だけでなく、小箱、桶、農具の柄まで売られていた。飾るための品だけではない。数を揃えて出せる日用品にも、売り先はある。
「朝霧の品も売れそうですか」
可成が店先を見ながら尋ねた。
「油は売れる。木の品もいけそうだ」
「小六へ頼んだ甲斐はありそうですな」
「ああ。だが、何がどれだけ売れるかは、実際に運んでみなければ分からない」
「売れれば、さらに作らせますか」
「人と材料が足りる範囲でな。朝霧で使う分まで売る気はない」
通りには兵が立ち、騒ぎが起きればすぐに誰かが寄ってくる。商人は自由に声を張っているが、町の中で何をしてもいいわけではない。
「蝮の町にしては、落ち着いておりますな」
弦十郎が声を落として言った。
「毒蛇でも、巣の中を荒らされるのは嫌なんだろう」
「聞かれれば、捕らえられかねませぬ」
「聞こえないように言った」
「私には聞こえております」
犬千代は話を聞かず、道端で焼かれている餅を見ていた。
「買わないぞ」
「まだ何も言っとらん」
「顔に書いてある」
「字は読めんのに、顔の字は読めるんか」
「誰でも読める」
一つだけ買ってやると、ようやく静かになった。
町の向こうには山がそびえ、その頂に稲葉山城が見えた。下から見ても、正面から登りたい城ではない。細い山道で矢や石を受ければ、城へ取りつく前に兵が減る。攻めるなら、別の道が要る。
山城を眺めていると、一つ思い出した。
「幻魔でも出てきそうだな」
「げんま、ですか?」
「何でもない」
弦十郎も山を見上げた。
「何かの化け物でしょうか」
「忘れろ」
「若様が言い出されたのですが」
「聞かなかったことにしろ」
犬千代が餅を飲み込んだ。
「化け物が出るなら、わしが槍で倒したる」
「いない」
「出たらだがね」
「出ても、お前では無理だ」
「なんだと!」
可成が犬千代の肩をつかんだ。
「町中で騒ぐな」
「若様が先に化け物の話をしたんだわ」
「俺のせいにするな」
「若様のせいでしょう」
弦十郎まで加わった。
井口は、朝霧の品を売る先の一つにはなる。だが、一つの町、一人の商人、一つの道だけへ頼る気はない。川が止まれば陸へ回し、尾張で値が崩れれば美濃へ出す。そのためにも、まずは正勝へ任せる一便が必要だった。
* * *
井口で一晩を過ごし、翌朝には西へ向かった。関ヶ原を越えれば近江だ。そのまま朝霧へ帰ることもできたが、途中で北へ向かう道を選んだ。
「若様」
弦十郎が呼び止めた。
「朝霧へ戻るのであれば、道が違います」
「少し小谷へ寄る」
「何のために?」
「近くまで来たついでだ」
「小谷は、ついでに寄る場所ではないと思いますが」
「一日か二日増えるだけだ」
「殿へお送りした書状には、美濃へ寄るとしか書いておりませぬ」
「小谷も美濃からの帰り道だ」
「かなり北へ外れますが」
「帰ってから説明する」
可成は、俺が道を変えても驚かなくなっている。犬千代は、行き先がどこでも構わないらしい。
「小谷にも、強い槍使いがおるんか」
「一人か二人、いたような気がする」
「なら行こう」
「お前はもう少し疑え」
北近江へ入ると、山と湖に挟まれた土地に田畑が広がっていた。街道には北へ向かう商人が行き交い、村々から米や薪が運ばれている。
小谷城は山の上にあった。稲葉山とは形が違うが、こちらも正面から攻めたい城ではない。山麓には家臣や商人の屋敷が集まり、周囲から人と物が運び込まれていた。
浅井は、まだ六角へ正面から逆らえるほど強くはない。それでも、北近江で力を増していることは、山麓を見れば分かる。
俺は山上の城を見上げた。
「ここも正面から攻めるのは厄介そうだな」
可成が城へ続く山道を目で追う。
「はい。道も狭く、上から射られれば、近づくまでに兵を減らしましょう」
弦十郎がすぐに尋ねた。
「攻めるおつもりですか」
「今はない」
「今は、ですか」
「城を見れば、攻め方を考えるのは普通だろう」
「普通ではございません」
山麓の道を歩き、城へ続く道と屋敷の位置を見ていく。今ここで浅井へ手を出す必要はない。小谷がどんな場所か分かれば、それで十分だ。
館に近い道を通った時、乳母に手を引かれた幼子が門から出てきた。寺へ参るところらしく、後ろには供の男が二人ついている。
「猿夜叉丸様、足元にお気をつけください」
その名を聞き、俺は足を止めた。
幼子は乳母の手を振りほどこうとして、何度かよろけている。まだ三つか四つほどだ。
あの幼子が、後の浅井長政だ。今は小谷も、北近江も、何一つ持っていない。だが、いずれ浅井を継ぎ、六角を破り、織田と縁を結ぶ。もっとも、その未来をそのまま渡すつもりはない。
俺はいずれ、お前から何もかも奪ってやる。その日まで、待っていろ。
「若様。何をにやにやしておられるのです」
弦十郎の声で、幼子から顔を離した。
「別に」
「幼子を見ながらする顔ではございませんでしたが」
「将来のことを考えていただけだ」
「ますます聞きたくありませんな」
猿夜叉丸は俺たちに気づかないまま、乳母に連れられて去っていった。
今はそれでいい。俺たちは小谷を離れ、南へ向かった。
数日ぶりに、見慣れた山々が近づいてくる。
「帰れば、殿からお叱りを受けますな」
「三左衛門と犬千代を連れて帰るんだ。少しくらい褒められてもいいだろう」
「小六との商いも、勝手に決められました」
「朝霧の品を売るためだ」
「小谷へ寄ったことは」
「まだ何もしていない」
「何かするおつもりなのですか」
「いずれな」
弦十郎は、それ以上聞かなかった。
やがて道は、朝霧へ続く百済寺道へ入った。帰れば、まず頼政への説明が待っている。俺たちは見慣れた山を前に、百済寺道を進んだ。




