第43話 八風峠を越えて
風の音が変わってきた。
政所も黄和田も、もう後ろだ。道は狭くなったが、消えてはいない。踏み固められた土が続き、ところどころに馬の蹄や荷を引いた跡が残っている。
楽な道ではない。それでも、人も馬も荷も通る道だ。
弦十郎が先を歩き、俺がその後ろにつく。日吉丸は少し遅れて、俺の背を追っていた。
「足はどうだ」
「まだ動きます」
「休む時はこちらから言う」
「はい」
息は荒いが、足は止めていない。
尾張から近江へ連れてこられ、今度は近江から尾張へ戻る。来た時と同じ道でもないのだろう。日吉丸の顔に出ているのは、懐かしさより目の前の坂のきつさだった。
前を歩いていた弦十郎が足を止めた。
「若様、少し詰めてください」
「何かあるか」
「曲がった先で道が細くなります。右は足元が崩れておりますので、左へ寄ってください」
それだけ言うと、弦十郎はまた歩き出した。
道の脇の木は低くなり、枝が風に押されて同じ方へ傾いている。湿った土の匂いに、冷たい風が混じった。
日吉丸が鼻をすすった。
「風が強うなってきました」
「峠が近い」
弦十郎の肩越しに、空が少し明るくなっている。
八風峠は、すぐそこだった。
* * *
峠へ出ると、風が横から叩きつけてきた。
山の中に押し込められていた視界が一気に開け、背の低い木の向こうに伊勢側の山並みが重なっている。
日吉丸が風に顔をしかめた。
「うわ……」
「口を閉じろ。土が入るぞ」
日吉丸は慌てて口を閉じた。
弦十郎は周囲を一度確かめ、少しだけ足を緩めた。俺も日吉丸を促し、風の中を進んだ。
岩の陰から男が出てきた。
一人ではない。三人だ。
痩せた身体に、汚れた着物。手には短い棒や、古びた脇差を持っている。荷もなく、旅人にも商人にも見えない。
先頭の男が、汚れた歯を見せて笑った。
「やいやい、そこのガキども」
弦十郎が足を止めた。
「命が惜しけりゃ、銭と荷を置いてけや」
残る二人が左右へ広がる。
日吉丸の足が止まりかけた。
「先生方、お願いします」
「下がれ」
弦十郎の声は短かった。
俺は日吉丸の腕を掴み、後ろへ押した。
「道の端にいろ」
「はい」
先頭の男が棒を振り上げた。
「さっさと置かねえと――」
男が踏み込んだ。
棒が振り下ろされる前に、弦十郎が半歩横へ動いた。刀の柄頭が男の腹へ入り、身体が折れた。
「ぐっ」
二人目が脇差を抜こうとする。
俺は一歩踏み込み、その手首を掴んだ。
「何を――」
腕を外へ捻ると、男の身体が崩れた。足を掛けて投げ、そのまま土へ落とす。
男の手から脇差を奪い、半ばまで抜いた刃を首筋へ当てた。
「動くな」
男の目が見開かれ、身体が固まった。
三人目が身を翻した。
「日吉丸、足を払え」
「えっ」
「今だ」
日吉丸は一瞬迷ったが、逃げる男の足元へ飛び込んだ。
「うおっ」
男が驚いて足を乱す。
そこへ弦十郎が踏み込み、襟首を掴んで地面へ叩きつけた。
風の音の中に、三人のうめき声が残った。
「縄はありますか」
「ある」
俺が荷から縄を出すと、弦十郎は三人の腕を後ろへ回して縛った。俺も一人の足をまとめる。
日吉丸は落ちた短い棒を拾い、困った顔でこちらを見た。
「これは」
「藪へ捨てておけ」
「はい」
日吉丸は棒を道脇の藪へ放った。
弦十郎が縛った男たちを見下ろす。
「いかがいたします」
「道を塞がない場所へ退けておけ」
「殺さぬのですか」
日吉丸が聞いた。
俺は男たちを見た。
三人とも痩せている。まともな刀も持っていない。銭目当てで出てきたのだろうが、相手を見る目もなかった。
「殺すほどの価値もない。簀巻きにして、谷側へ転がしておけ」
日吉丸が目を丸くした。
「それ、死にませぬか」
「谷底とは言っていない」
「似たようなものでは」
「なら、藪で止まるように転がせ」
日吉丸は男たちと谷側の斜面を見比べ、顔を引きつらせた。
「……先生方は、山賊より怖いです」
「相手が悪かっただけだ」
先頭の男が何か言いかけた。
弦十郎が一歩寄ると、男はすぐに口を閉じた。
縄を足して三人をまとめ、道端から谷側の藪へ転がした。谷底へ落ちるほどではないが、自力で道へ戻るには骨が折れる場所だ。
「行くぞ」
俺が声を掛けると、日吉丸は藪をもう一度見た。
「ひぇ……はい」
俺たちは八風峠を越えた。
* * *
伊勢側へ下る道は、近江側より少し明るかった。
山はまだ深く、足元の石も湿っている。だが、峠を背にしただけで、息の詰まり方が違う。
日吉丸はしばらく黙って歩いていた。
「足は大丈夫か」
「はい。まだ動きます」
「下りの方が足にくる。無理なら言え」
「はい」
弦十郎が前で歩調を緩めた。俺たちとの間が開きすぎないようにしていた。
下りは楽に見えるが、膝へ負担がかかる。俺も途中から口数が減った。日吉丸も足元ばかり見ている。
道の脇には枝を払った跡があり、荷を置けそうな平らな場所もあった。峠を越えた者たちが、そこで息を整えるのだろう。
国境を越えたからといって、景色が急に変わるわけではない。木も土も風も、別物にはならない。
それでも、近江が後ろになり、伊勢が前にある。
足は重いが、峠を越えたという実感はあった。
「若様」
弦十郎が空を見た。
「日が傾きます。田光まで急ぎましょう」
「分かった」
そこからは余計な話をせず、足を進めた。
田光へ着いた頃には、足の裏が熱を持っていた。
宿は大きくない。だが、火があり、湯があり、屋根がある。それだけで十分だった。
日吉丸は受け取った湯を両手で抱えた。
「熱いです」
「冷まして飲め」
「ですが、ありがたいです」
俺も草鞋を脱ぎ、足を伸ばした。足の裏だけでなく、ふくらはぎまで張っている。
明日の筋肉痛が、少し怖い。
弦十郎は入口に近い場所へ座り、刀を手元へ置いた。
「明日は桑名だな」
俺が言うと、日吉丸が顔を上げた。
「桑名」
「知っているか」
「名だけは。行ったことはありませぬ」
「なら、明日はよく見ておけ」
「はい」
弦十郎は外の音へ耳を向けたまま言った。
「水辺です。人も荷も増えます」
「分かった」
「明日も早うございます。お二人とも、お休みください」
俺は横になり、目を閉じた。
桑名。
山を越えた先にある、水と荷の集まる場所。
明日は、それを見る。
* * *
翌朝、足は予想どおり重かった。
草鞋を履いた瞬間、ふくらはぎが張る。昨日の下りで傷めつけられた筋肉が、一晩遅れて本気を出してきた。
日吉丸も宿の前で、何度か足を踏み直していた。
「歩けるか」
「歩けます」
「無理なら早めに言え。桑名まではまだある」
「はい」
弦十郎を先頭に、田光を出た。
山の気配は少しずつ薄くなり、道を行く人が増えていく。
荷を担ぐ者、馬を引く者、俵を積んだ車を押す者――脇道から合流してくる者たちが、皆同じ方角へ進んでいる。
「人が多いですね」
「ああ」
「桑名が近いからでしょうか」
「たぶんな」
俺も、この時代の桑名はまだ見ていない。
だが、空気が変わっているのは分かる。風に湿り気が混じり、水と泥の匂いが強くなった。
山の沢とは違う。大きな水辺が近い。
桑名へ入る頃には、その気配がはっきりした。
荷を下ろせ、船を寄せろ、その値では合わぬ――そんな声が、水辺から重なって飛んでくる。
俵を担いだ男が走り、荷車の車輪が湿った土を削っていた。
俺は思わず足を止めた。
「若様」
「分かっている」
道の真ん中で止まる場所ではない。日吉丸を連れ、道の脇へ寄る。
水面が広かった。
川の終わりとも、海の始まりとも言い切れない。潮の混じる風の中を、荷船が岸へ寄り、また外の水へ出ていく。
岸では男たちが俵を肩へ担ぎ上げていた。別の男が縄を引き、荷を船から下ろす。板が鳴り、縄が軋み、怒鳴り声が水の上を渡った。
朝霧なら、一つの荷を外へ出すだけでも人と日数が要る。
ここでは、船から下ろされた荷が、すぐに次の手へ渡る。俵が積まれ、箱が運ばれ、空いた船へ別の荷が載せられる。
止まらない。
「荷が銭に変わるのが早いな」
口から勝手に出た。
日吉丸が俺を見上げる。
「銭に、ですか」
「ああ。山では、品を作っても外へ出すまでに手間がかかる。ここでは、荷が着けばすぐ次へ動く」
山で品を作るだけでは足りない。
買う者の手元まで運び、そこで初めて銭になる。
「若様、あれは何ですか」
「知らん。聞けば分かる」
日吉丸が指した先で、男たちが小さな箱をいくつも運んでいた。
近くにいた荷運びの男が、こちらをちらりと見た。
「干物や。向こうの船へ積むんや」
「干物か」
「米も塩も布もある。銭になるもんは、何でも動いとるわ」
男はそれだけ言うと、箱を担いで行った。
日吉丸がぽかんとした顔で見送る。
「忙しい人でした」
「忙しい場所だからな」
前世で来た桑名は、どこにでもある地方都市に見えた。
駅があり、道があり、店があり、車が走っている。水辺には昔の名残があったが、船が町を動かしているわけではなかった。
水の向こうには長島があり、遊園地があり、観覧車があった。
だが、目の前の桑名とはうまく重ならない。
ここにあるのは、潮の匂いを含んだ風と、広い水面と、荷を動かす者たちの声だ。
俺が知っていた桑名は、水運の跡を残した町だった。
今の桑名は、水で生きている。
「若様」
弦十郎が声を掛けた。
「先に宿を押さえます。日が落ちる前に動いた方がよろしいかと」
「分かった。だが、その前に少しだけ湊を見たい」
「遠くへは行かれませぬように」
「分かっている」
人の流れを避けながら、岸に沿って歩いた。
道の脇では、商人らしい男が帳面を開いていた。荷運びへ銭を渡し、受け取った男がすぐ次の荷へ走る。
別の場所では、馬の手綱を引いた男が船頭と言い合っていた。
「これでは合わんわ!」
「ほんなら次の船を待て!」
「待っとったら飯代が増えるやろ!」
日吉丸が小声で言った。
「喧嘩ですか」
「いや、商いだ」
「怒鳴っております」
「怒鳴る商いもある」
二人はしばらく言い合った後、馬の荷を船へ運ばせ始めた。
怒鳴り合っていても、荷は止まらない。値が決まり、人が走り、銭が渡る。
朝霧でも、いずれ外へ出す物は増える。
油を搾り、木地師の品を作り、茶や炭も売れるようになるかもしれない。
だが、山で作った物を山の中へ積んでいても銭にはならない。
ここまで流れへ乗せて、ようやく値がつく。
宿へ入った後も、桑名は静かにならなかった。
荷車が通る音がする。誰かの足音が板を鳴らす。遠くで船の板を打つような音も聞こえた。
田光なら、火が落ちれば人の声も沈んだ。
朝霧なら、夜には虫の声や木の鳴る音が残る。
だが桑名では、夜になっても荷車の軋む音や、人を呼ぶ声が外に残っていた。
日吉丸は布団の上に座り、外へ耳を向けていた。
「眠れないのか」
「いえ。ただ、夜でも人が動いております」
「桑名だからだろうな」
「朝霧とは違います」
「ああ。違う」
弦十郎は入口近くに座り、刀を手元へ置いていた。
「明日は、佐屋へ向かう船です」
その一言で、日吉丸の顔が固まった。
「船」
「尾張側へ渡る」
俺が答えると、日吉丸はしばらく黙った。
「……山賊よりは、ましでしょうか」
「たぶんな」
日吉丸は信用していない顔をした。
俺も、正直なところ少し不安だった。水の上を行くのは、山道とは違う。
だが、橋があるわけではない。
尾張側へ渡るなら、船に乗るしかなかった。
* * *
翌朝、桑名の朝は早かった。
まだ日が高くならないうちから、荷を担ぐ者が動いている。宿を出ると、湿った風に潮の匂いが混じっていた。
日吉丸は昨日より口数が少ない。
「足か」
「足は、昨日よりましです」
「なら何だ」
「船です」
正直でいい。
俺も平気な顔をしているが、船に慣れているわけではない。前世でも船に強かった覚えはなかった。
弦十郎を先頭に、渡し場へ向かう。
佐屋へ向かう渡し場は、朝から人と荷で詰まっていた。船頭が声を張り、荷を積む者が怒鳴り返している。
米俵、箱、包み、竹籠。
人だけでなく、荷も一緒に水を渡る。
弦十郎が船頭と話をつけ、俺たちを呼んだ。
「若様、こちらです」
日吉丸が船を見た。
「……これに乗るのですか」
「そうだ」
「沈みませぬか」
「今のところ浮いている」
「今のところ」
「早く乗れ。後ろが詰まる」
日吉丸は顔を固くしたまま、弦十郎に腕を取られて船へ乗った。
船が岸を離れた瞬間、日吉丸の顔色が変わった。
「……水が動いております」
「水だからな」
「船も動いております」
「船だからだ」
日吉丸は両手で頭を押さえた。
「頭の中まで揺れております」
「無理に喋るな」
船は大きく揺れているわけではない。
それでも、足元が地面ではないだけで、身体が勝手に身構える。岸が少しずつ離れ、船板の下では水が当たる音がした。
弦十郎は荷の脇に座り、周囲を見ている。顔色一つ変わらない。
「弦十郎は平気なのか」
「この程度なら」
「この程度」
日吉丸が小さく繰り返した。
船頭が笑った。
「坊主、水を見るな。遠くを見とれ」
日吉丸は言われた通り、顔を上げた。
少し間が空く。
「若様」
「何だ」
「遠くも動いております」
「諦めろ」
日吉丸は目を閉じた。
俺は笑いそうになったが、我慢した。笑えば、こちらまで気分が悪くなりそうだった。
しばらくして、日吉丸がまた口を開いた。
「船は、山賊より手強いです」
「山賊は殴れるが、船は殴れないからな」
「はい」
日吉丸は腹を押さえたまま、深くうなずいた。
その顔が真剣すぎて、船頭まで笑った。
「山賊に勝って、船に負けるか」
「まだ負けておりませぬ」
「ほんなら、佐屋まで吐くんやないぞ」
日吉丸は目を閉じたまま、小さくうなずいた。
佐屋の岸が近づく頃には、すっかり静かになっていた。
船が岸へ寄り、板が渡される。
俺が降りると、地面が少し揺れている気がした。気のせいだと分かっていても、足が一瞬だけ迷う。
日吉丸は岸へ降りた途端、その場にしゃがみ込んだ。
「地面は、ありがたいです」
「そこは邪魔だ」
弦十郎が日吉丸の襟を掴み、道の端へ寄せる。
「はい……」
佐屋も人の出入りが多い。船から降りた者が荷を受け取り、すぐ道へ流れていく。
俺は日吉丸に水を渡した。
「飲めるか」
「少しなら」
「無理に飲むな」
日吉丸は水を口に含み、ようやく息を吐いた。
「船でなければ、歩けます」
「なら、少し休んでから津島へ向かう」
「はい」
* * *
日吉丸の顔色が戻るのを待ち、佐屋を出た。
「本当に歩けるか」
「歩けます。地面の上なら」
「なら行くぞ」
「はい」
弦十郎は先に道を確かめていた。
桑名から船で渡った者たちも、荷を背負い、馬を引き、津島へ向かう道へ流れていく。
佐屋から津島へ向かう道は、山道とはまるで違った。足元は悪くなく、人も多い。船から降ろされた荷が、そのまま背へ移り、車へ積まれ、道を進んでいく。
日吉丸が周囲を見た。
「ここも、人が多いですね」
「ああ。桑名から渡った荷が、そのまま道へ流れている」
桑名では、まず船が目に入った。
佐屋では、船から降りた荷が、そのまま陸へ移っていく。
津島へ近づくにつれ、今度は人の声が増えてきた。
道端で荷を下ろす者がいる。俵の口を確かめる者がいる。問屋らしい家の前では、帳面を持った男が若い者を走らせていた。
さらに進むと、荷の流れへ、社へ向かう者たちが混じり始めた。
飯を売る女が声を張り、俵を担いだ男が道を急ぐ。鈴の音に、値を掛け合う声が重なった。
「そんだけ負けたら、こっちが損だわ!」
「損だ言うても、この濡れようじゃ値が落ちるんだわ!」
「なら半分だけ持ってけ! 残りは乾いてからだで!」
日吉丸が声の方を見た。
「尾張へ戻りました」
「津島は知っているのか」
「いえ。ここは初めてです。ただ、言葉が違います」
「なら、尾張の言葉で話してみろ」
日吉丸は少し困った顔をした。
「急に言われましても」
「出るだろう」
日吉丸は道の先を見て、少しだけ口を曲げた。
「……津島は初めてだで、道なんぞ分からんわ。けど、尾張へ戻ったんは分かるがや。人の声も、値の言い合いも、近江とは違うんだわ」
「出るじゃないか」
「出せ言うたのは若様だがや」
そこで日吉丸は、はっとした顔になった。
「……でございます」
「今のも直されるのか」
「直されます。皆に、でございます」
少し笑いそうになった。
尾張の言葉は残っている。ただ、朝霧で覚えた話し方が、その上へ被さっているだけだ。
道の脇では、布を広げる者や干物を並べる者がいた。奥の問屋では、帳面を持った男が荷を指し、若い者へ声を飛ばしている。
桑名では船が目立った。
津島では、荷を受ける者、値を決める者、社へ向かう者の声が、道の上で混じっている。
朝霧には山の強さがある。木も水もあり、隠す場所も守る場所もある。
だが、人を集め、荷に値をつけ、銭を次の荷へ回す流れはない。
品を作るだけでは足りない。
それを外へ運び、人と銭が動く場所へつなげなければならない。
「若様」
弦十郎が振り返った。
「宿を取ります」
「ああ」
津島の宿は、桑名とはまた違っていた。
水辺の音より、人の声が近い。問屋の者らしい男が遅くまで誰かと話し、遠くで鈴の音が鳴る。その間を縫うように、荷車が通り過ぎた。
日吉丸は座るなり、足を伸ばした。
「今日は、船より歩く方が楽でした」
「それはよかったな」
「船がなければ、世はもっと穏やかです」
「荷が困る」
「荷は酔いませぬ」
「人より強いな」
「はい。少なくとも、わしよりは強いです」
俺は少し笑った。
弦十郎は入口近くに座り、いつものように刀を手元へ置いていた。外の声が大きくなるたび、目だけをそちらへ向けた。
「津島も、夜まで動いているな」
「人が集まる場所です」
桑名。
佐屋。
津島。
水を渡った荷が道へ上がり、人の中へ入っていく。
水と道がつながる場所では、荷も銭も止まらない。
なら、その先にある城も見ておきたい。
那古野。
その名を思い浮かべながら、夜の津島のざわめきへ耳を傾けた。




