表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
近江の山奥から始める近代国家建設 〜転生田舎領主は戦国そのものを終わらせたい〜  作者: 近江もののふ
第二章 橘の礎

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
47/54

第42話 尾張への旅支度

天文十八年てんぶんじゅうはちねん(1549年)、夏。


ここのところ、日吉丸(ひよしまる)が妙に静かだった。


飯は食う。(おけ)も運ぶ。庭も掃く。だが、いつもなら余計なことを二つ三つ言うところで、何も言わない。


縁側の端にいた弦十郎(げんじゅうろう)も、その様子を見ていた。


日吉丸は水の入った桶を提げ、屋敷前の道を横切った。道端には、両手を広げた飛び出し坊やが立っている。


普段なら、似ていないと言い張る俺へ、一言くらい文句を言う。今日は板の向こうを見たまま歩き、桶から水をこぼしていた。


「日吉丸」

「はい、若様」

「水が減っているぞ」

「あっ」


日吉丸は慌てて桶を下ろした。中の水は、半分近くまで減っている。


弦十郎が縁側から声を掛けた。


「謝る前に、汲み直してこい」

「はい」


日吉丸は桶を抱え、井戸へ駆けていった。


いつもなら、走りながらでも何か言い返す。今日は振り返りもしなかった。


水を汲み直して戻った日吉丸は、桶を置かずに俺の前へ立った。


「若様。お願いがございます」

「銭か、飯か」

「飯は欲しゅうございますが、今は違います」

「なら言え」


日吉丸は桶の縁を握ったまま、しばらく俯いていた。


尾張(おわり)に、おっかあと姉、弟、妹がおります」

「ああ」

「皆を朝霧(あさぎり)へ呼ばせていただけませぬか」


桶の縁から水が落ち、足元の土へ染み込んだ。


日吉丸を朝霧へ連れてきたのは、俺だ。


尾張の中村(なかむら)に、後の秀吉がいると踏み、新九郎(しんくろう)へ探させた。従わなければ(さら)ってこいとまで命じている。


日吉丸は、俺の命令で家族と引き離された。


ここで知らぬ顔をすれば、俺は日吉丸を攫い、都合よく働かせているだけになる。


それに、弟がいる。


日吉丸の弟なら、後の世で豊臣秀長(とよとみひでなが)となる男かもしれない。


日吉丸一人でも、朝霧には過ぎるほどの人材だ。その弟まで来る可能性がある。


欲しくないはずがなかった。


日吉丸への負い目と、弟まで手に入れたいという欲が、同じ結論へ向いている。


断る理由はなかった。


「呼ぶことには反対しない」

「本当でございますか」


日吉丸が顔を上げた。


「ただし、俺一人では決められない。人が増えれば、住む場所と食わせる分が要る。父上が戻ってから話す」

「はい」

「家族が朝霧へ来るかも分からない。嫌だと言われたら、無理には連れてこないぞ」

「おっかあは……」


日吉丸は言いかけて、口を閉じた。


突然いなくなった日吉丸が戻り、今度は知らない土地へ来いと言う。家族がどう答えるかなど、日吉丸にも分からない。


「そこも話さなければならない」

「わしが話します」

「お前一人で尾張へ帰すわけにはいかない」

「若様も来てくださるのでございますか」

「そこまで決まったとは言っていない」


日吉丸は桶を抱えたまま、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」

「まだ父上に話してもいない。先に水を置いてこい」

「はい」


今度の日吉丸は、少しだけ足取りが軽かった。


* * *


昼を過ぎた頃、先触れが戻った。


頼政(よりまさ)たちが帰ってくる。


(はる)は奥の女中へ湯と食事の支度を命じ、弦十郎は門と庭へ人を回した。


ほどなくして、馬の蹄が道を叩く音が聞こえてきた。


門を入った頼政は、馬を下りる時、(くら)へ置いた手に力を込めた。


(よろい)にも槍にも、戦った跡はない。それでも、顔には疲れが残っていた。


後ろに続く政虎(まさとら)政澄(まさずみ)、兵や人足も同じだった。列は崩れていないが、誰も余計な声を出さない。


春が縁側から庭へ下りた。


「お帰りなさいませ」

「ああ。戻った」


頼政は春に答え、俺へ目を向けた。


小徳丸(しょうとくまる)。留守はどうだった」

「大きな騒ぎはありません。父上も皆も、御無事で何よりです」

「槍を振るう場もなかったからな」


頼政は肩を回した。


大山崎(おおやまざき)へ着いた時には、もう江口(えぐち)へ入れる様子ではなかった。並ばされ、待たされ、動くと言われて支度をし、また待たされた」

「戦わなくても、疲れるのですね」

「戦わぬまま待つ方が、身体を休める時を決められん」


政虎が兵の列へ目を向けた。


「若い者には、槍を交えぬまま戻る方が(こた)えたようでございますな」

「倒れた者はいるか」

「おりませぬ」

「ならいい。まず兵と馬を休ませろ」


俺は屋敷へ入ろうとする頼政を呼び止めた。


「父上。日吉丸のことで、後ほどお話があります」

「分かった。話は湯の後だ」


春と弦十郎が人を動かした。


庭では荷が下ろされ、馬が引かれ、外した具足が並べられていく。


帰ってきた者だけでなく、持ち帰った武具や荷まで数えなければならない。


日吉丸の話ができるようになったのは、夜に入ってからだった。


* * *


頼政は湯を使い、着替えを済ませて座敷へ入った。


政虎も残っている。弦十郎は柱際に座り、日吉丸は廊下で待たせてあった。


「それで、日吉丸の話とは何だ」

「家族を朝霧へ呼びたいそうです」

「入れろ」


弦十郎が声を掛けると、日吉丸が座敷へ入り、畳に手をついた。


頼政が先を促した。


「申せ」

「尾張に、おっかあと姉、弟、妹がおります。皆を朝霧へ呼ばせていただきとうございます」


頼政はすぐには答えなかった。


「お前を朝霧へ連れてこさせたのは、小徳丸だ。新九郎に探させてな」

「はい」


日吉丸の肩が、わずかに硬くなった。


「そのために家族と離れたのなら、こちらにも責任がある。呼び寄せることは許す」

「ありがとうございます」

「まだ礼を言うな。家族が来ると決めるかは別の話だ。母御や姉弟が嫌がるなら、無理に連れてくるな」

「はい」


頼政は俺へ目を移した。


「中村まで、誰を出すつもりだ」

「新九郎に頼むことも考えていました」

「新九郎は出すな」

「なぜです」

甲賀(こうか)から来た者たちを、今は朝霧へ馴染ませねばならん。探し人の次は尾張、その次は山では、新九郎たちを都合のいい足として使い潰す家に見える」


新九郎自身は、命じれば尾張まで走るだろう。だが、朝霧へ移った甲賀の者たちまで、同じように考えるとは限らない。


金堀衆(かなほりしゅう)の件も、しばらく置け。江口へ人を出したばかりだ。山も穴も逃げはせん」

「後回しにして、いいのですか」

「今は、急ぎすぎる方が危うい。動かす者にも休ませる時は要る」

「分かりました」


金堀衆の話を先へ送りたくはない。それでも、今は頼政の言う通りにするしかなかった。


頼政は日吉丸へ向き直った。


「家族は、中村の同じ家にいるのだな」

「はい。おっかあと姉、弟、妹がおります」

「父は」

「おりませぬ」


日吉丸が俯いた。


頼政はそれ以上聞かず、俺へ顔を向けた。


「なら、小徳丸が行け」

「俺が、ですか」

「連れてこさせたのは、お前だ。母御へも、自分の口で話せ」

「父上は」

「わしは行かぬ。槍は振っておらぬが、江口は江口だ。戻れば戻ったで、兵も荷も改めねばならん。彦九郎も兵庫助も、こちらに置く」

「では、供は」

「弦十郎。小徳丸と日吉丸を連れていけ」


弦十郎の眉が、ほんの少し動いた。


「私一人でございますか」

「人数を連ねて尾張へ入れば目立つ。日吉丸の家族へ話をしに行くのだ」

「帰りには、人数が増えるかもしれませぬ」

「道中で人手が要るなら、宿場で雇え」

久助(きゅうすけ)は、いかがいたしますか」

「残せ。久助も小徳丸の近くで二年目だ。お前が留守の間くらい、代わりを務めさせろ」

「承知しました」


八風街道(はっぷうかいどう)を越えて田光(たびか)へ下り、桑名(くわな)から川を渡って佐屋(さや)へ入る。


そこから東へ向かえば中村だ。


行きは三人でも、帰りには日吉丸の家族が増えるかもしれない。


頼政は俺と日吉丸を順に見た。


「それと、尾張で騒ぎを起こすな」

「起こしません」

「お前にそのつもりがなくとも、揉め事は向こうから来る。何かあっても、すぐ刀へ手を掛けるな」

「はい」

「日吉丸の家族へ話をし、来る者を連れて帰る。それだけだ」

「承知しました」


頼政は日吉丸へ向き直った。


「お前もだ。家族の前で、小徳丸に無理やり言わされたような顔をするな。来てほしいなら、自分の口で話せ」

「話します」

「尾張へ戻って、朝霧へ戻りたくないと思ったなら、それも申せ」


日吉丸が顔を上げた。


「逃げてもよいのでございますか」

「逃げる話ではない。家族に会ったうえで、朝霧へ戻るか、尾張に残るかを自分で決めろ」

「わしは戻ります」

「まだ尾張へ着いてもおらぬ」

「それでも戻ります。家族を呼べるなら、朝霧で働きます」


日吉丸は畳へ両手をついた。


「若様のところで、働かせてください」


頼政は日吉丸を見たまま、少し間を置いた。


「なら、働け」


日吉丸は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」

「礼は、家族へ話してからにしろ」


頼政は俺へ目を戻した。


「急いで戻れとは言わん。だが、尾張へ長く留まるな」

「承知しました」

「日吉丸の家族へ、都合のいい話だけをするな」

「分かっています」

「日吉丸が、どうして朝霧へ来たのかも隠すな」

「はい」

「分かったなら、余計な者を連れて帰るな」

「日吉丸の家族だけです」

「今は、そう言っておけ」


弦十郎が小さく息を吐いた。


* * *


翌朝、門の前へ荷を並べた。


人数は、俺と日吉丸と弦十郎の三人だけだ。


米と干し飯、替えの草鞋(わらじ)、手拭い、小さな薬。旅の途中で使う銭も、目立たないだけに抑えた。


弦十郎は刀と短い槍を持つ。


俺は定頼(さだより)から拝領(はいりょう)した太刀を()き、腰刀も添えた。


日吉丸が太刀を見た。


「若様。尾張では、その太刀を抜かぬでください」

「抜くつもりはない」

「若様は、そう申されても抜きそうでございます」

「俺を何だと思っている」

「若様でございます」


日吉丸の声に、いつもの調子が少し戻っていた。


春は門の内側に立ち、俺たちの支度を見ている。


「小徳丸。無理に急いではなりませんよ」

「分かっております、母上」

「弦十郎。二人を頼みます」

「はっ」


春は日吉丸へ向き直った。


「日吉丸。家族に会ったら、まず無事な顔を見せなさい。言い訳は、その後でいいのです」

「はい」


日吉丸は深く頭を下げた。


頼政は縁側からこちらを見ていた。


「小徳丸」

「はい」

「戻りを急いで、道を誤るな」

「承知しました」

「尾張を見てこい。だが、見た物を何でも朝霧へ持ち帰ろうとするな」

「……はい」

「今の間は何だ」

「何もありません」


弦十郎が、俺より先に頭を下げた。


「私が見ております」

「頼んだ」


俺たちは門を出た。


屋敷の庭には、江口から戻った具足がまだ並んでいる。


頼政たちが帰ったばかりだというのに、今度は俺たちが尾張へ向かう。


山へ入る道には、朝の湿りが残っていた。


日吉丸は俺たちより半歩先を歩いている。


普段なら道の脇へ目をやり、見つけたものを片端から口にするが、今日は前だけを見ていた。


「日吉丸」

「はい」

「家へ戻るのが怖いか」

「少し」

「母親に叱られるからか」

「それもございます」


日吉丸は足元へ目を落とした。


「わしだけ飯を食って、着る物も頂いております。おっかあたちが、どうしているかも分からぬまま」

「なら、会って話せ」

「はい」


前を歩く弦十郎が、そのまま口を開いた。


「若様」

「何だ」

「尾張で、日吉丸の家族以外に目をつけても、勝手に連れ帰らないでください」

「まだ何も見ていない」

「見る前に申し上げております」

「見てからでなければ、連れて帰るかも決められないだろう」

「その返事が一番困ります」


日吉丸が振り返り、俺と弦十郎を見比べた。


「わしも、そう思います」

「お前は、どちらの側だ」

「今は弦十郎殿の側でございます」


山道の先で、風が木々を揺らした。


その向こうに、まだ尾張は見えない。


日吉丸は前へ向き直り、歩みを速めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
人財収集欲w ゲーマーのサガとも言いますな しかし秀長は欲しい 局面によっては秀吉本人よりお役立ちの傑物です
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ