表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
近江の山奥から始める近代国家建設 〜転生田舎領主は戦国そのものを終わらせたい〜  作者: 近江もののふ
第二章 橘の礎

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/52

第41話 動く朝霧

天文十八年てんぶんじゅうはちねん(1549年)、六月。


頼政(よりまさ)政虎(まさとら)政澄(まさずみ)は、江口(えぐち)へ向かう六角勢に加わるため、兵を連れて朝霧(あさぎり)を発った。


男手と馬が減った屋敷は、いつもより静かだった。人が抜けた分だけ、庭まで広くなったように見える。


それでも、台所では(おけ)が鳴り、女中たちは廊下を行き来していた。


朝飯を済ませた俺は、日吉丸(ひよしまる)を呼んだ。


「朝霧の内を見て回る。ついて来い」

「はい」


庭へ下りようとしたところで、金堀衆(かなほりしゅう)を探しに出していた新九郎(しんくろう)が戻ってきた。


「見つかったか」

「二組に当たりをつけました。一組には、石を見られる頭がおります。もう一組は人数こそ揃っておりますが、口が軽うございます」

「口の軽い方は外せ。人数だけ揃っても意味がない」

「承知しました。向山(むかいやま)古穴(ふるあな)へ入れるわけにはまいりませぬ」

「残る一組は」

「まだ素性(すじょう)を洗っております。殿がお戻りになるまでには、向山へ入れて差し支えない者か見極めます」

「急がなくていい。石を見る前に、こちらから穴のことを漏らしたら意味がない」

「承知しました」


新九郎が下がると、日吉丸が草履(ぞうり)を両手で差し出した。


「若様、温めておきました」

「六月だぞ」

「……はい」

「今は温めなくていい。すぐ履けるよう、向きを揃えて置け」

「はい」


日吉丸は草履を置き直し、俺が足を入れるまで、その横にしゃがんでいた。


庭では、弦十郎(げんじゅうろう)が番の者から朝の報告を受けている。


村口(むらぐち)を通った荷、山へ入った男、油場(あぶらば)へ回した人足(にんそく)。一つずつ聞きながら、時折、門の外へ目をやっていた。


「若様、お出になりますか」

「朝霧の内を見てくる」


弦十郎は、俺の後ろに立つ日吉丸を見た。


「若様の背中ばかり追うな。横と後ろにも目を配れ」

「はい」


日吉丸の背筋が伸びた。


屋敷を出ると、道にはまだ朝の湿りが残っていた。


道脇では、男が箱罠(はこわな)の板を直している。板の端には(けもの)が噛んだ跡があり、そばには(なわ)が二つに分けて置かれていた。


「また餌だけ取られたのか」

(きつね)(たぬき)ですな。板には触れず、うまいところだけ持っていきよった」


男は苦笑しながら、湿った縄を持ち上げた。


「その縄はまだ使えるか」

「荷を(くく)るくらいなら持ちます。罠へ戻すには、少し心許ありませんな」

「油場で使った縄は」

「外してあります。油の匂いが残っておりますので」


日吉丸が、分けられた縄を覗き込んだ。


「匂いがすれば、獣は逃げるのですか」

「逃げるものもおるし、寄るものもおる。どちらにせよ、いつもと違う匂いは嫌いますな」


俺は板の横へ積まれた古縄を見た。


「今足りないのは、縄か、人か」

「縄です。人手は足りております。古い縄を荷へ回せるなら、罠へ使う分だけ新しい縄が欲しいところで」

孫兵衛(まごべえ)と数を確かめろ。足りない分は出させる」

「分かりました」


油場へ近づくと、女衆の声が飛んだ。


「そこを踏むな。滑るぞ」


年嵩の女が若い女の袖を引き、油のこぼれた場所から遠ざけている。


軒下には、以前より(つぼ)と桶が増えていた。


だが、並んでいる数が、そのまま使える数ではないらしい。


「ずいぶん増えたな」

「増えたように見えるだけでございます。すぐに使える物は、それほどありませぬ」


年嵩の女は、軒下に伏せられた壺を示した。


「雨が続くと、乾かす場所がすぐに埋まります。中が湿ったまま油を入れれば悪くなりますし、地べたへ置けば下から湿気が上がります」

「棚が要るな」

「板を渡しただけでは、壺の重みで落ちます。木地師(きじし)に見てもらえれば助かります」

「後で回す」


日吉丸が軒下へ入ろうとしたが、濡れた土に気づき、足を止めた。少し戻り、乾いた場所を選んで女たちの後ろへ回る。


(おり)は混じっていないか」

「分けております。菜種(なたね)とエゴマも別でございます。ただ、新しく来た者には、壺の字が読めぬ者もおりますので」

「置き場も分けよう。入口側を菜種、奥をエゴマにする。口を縛る縄は、菜種なら一つ結び、エゴマなら二つ結びにしろ」

「触れば分かりますな」

「ああ。今日からそうしろ」


女はすぐに近くの者を呼び、並んだ壺を動かし始めた。


水車場(すいしゃば)へ回ると、作兵衛(さくべえ)(とい)の差し込み口を外していた。足元の桶には、泥と葉が溜まっている。


「止めていたのか」

「朝方だけです。差し込み口に溜まったものを除けておりました」


作兵衛は桶の中を見せた。


「樋の奥までは入っておりませぬ。ここで止まっております」

「ならいい」


水は落ち、羽根はいつもの速さで回っていた。軸の音にも乱れはない。


「油場で、壺を乾かす棚が要る。木地師を回すが、金具が必要か見てやってくれ」

「へえ。この掃除が済んだら、昼から見ておきます」

「木や鉄が要るなら、先に言え」

「へえ」


作兵衛は樋の口を戻し、桶の水で手についた泥を洗った。


日吉丸は、作兵衛の手元と回る羽根を交互に見ている。


「まだ回っておるのに、外して見るのでございますか」

「音が変わってから開けたのでは、もう詰まっておる」


日吉丸は羽根を見たまま、小さく頷いた。


山裾(やますそ)へ回ると、茂七(もしち)が茶の木の前にしゃがんでいた。指先で土を崩し、根元の湿りを確かめている。


「どうだ」

「葉は出てますけど、まだ摘めませんわ」

「なら、触らせるな」

「はい。今摘んだら、木が痩せます」


茂七は根元の草を一本抜き、土を払った。


「風は」

「まともに当たるところだけ、枝を立てて片側を避けます」

「囲わないのか」

「囲うたら、今度は湿りが抜けませんので」

「任せる」

「分かりました」


茂七はもう一度土を指で崩し、そのまま茶の木へ目を戻した。


屋敷へ戻る途中、空桶(からおけ)を提げた若者二人が、油場へ続く道へ曲がりかけた。


一人は甲賀(こうか)から来た者で、もう一人は近頃移ってきた家の若い男だった。


曲がり角にいた村の子が、二人の桶を見て声を上げた。


「そっちは飲む水じゃないよ」

「水場は、こっちではないのか」

「違うよ。飲む水は向こう」


村の子が道の先を指すと、甲賀の若者は桶を持ち直した。


「すまぬ。助かった」


二人が水場へ向かうのを見送り、俺は曲がり角へ目を戻した。


「ここに目印を置く」

「油場の印でございますか」

「違う。桶を持った者が、飲み水へ向かう道を迷わないための印だ」

「油場へ入るなと書くより、早く分かりますな」

「字が読めなくても分かる形にしろ」


日吉丸は、油場へ続く道と水場へ向かう道を見比べた。


村の中心へ戻ると、針仕事場に使っている空き小屋から、おせんの声が聞こえた。


「その糸は、そちらへ使うな。先に袋を仕上げなさい」


日吉丸が足を止めた。


「揉めておりますか」

「糸の使い道で怒っているだけだ」


小屋の中では、おせんが古布を広げ、女たちに色と厚みを分けさせていた。


今入れば、全員の手が止まる。


俺は戸口の前を通り過ぎた。


「聞かなくていいのですか」

「後で、おせん一人に聞く。今入れば、皆がこちらを見る」

「仕事を止めさせぬためでございますか」

「急ぎでなければ、その方が早い」


屋敷へ戻ると、弦十郎はまだ番の者と話していた。


朝に出た者と戻ってきた者の名を合わせているらしい。


俺を見つけると、報告を切り上げて寄ってきた。


「何かございましたか」

「油場の棚は、木地師と作兵衛に見させる。水場への目印を置くまで、曲がり角へ一人立たせろ。罠の縄は孫兵衛に数を出させる。糸は後で、おせんから残りを聞く」

「承知しました。村口では、新しく入った者の出入りも分けて見させます」

「頼む。父上が戻るまでは、屋敷の番も緩めるな」

「はっ」


弦十郎は番の者を呼び戻し、水場へ立たせる者を選び始めた。


その横で、日吉丸が首を傾げている。


「若様、見て回るたびに、何か見つかりますな」

「そう見えたか」

「はい。縄も棚も目印も、少しずつ足りておりませぬ」


俺は、油場へ走る者と、門で荷を確かめる者を見た。


「前は、足りないと困るほど仕事がなかった」

「仕事がなかったのでございますか」

「人も少なかった。道を間違える者もいなかったし、壺を乾かす場所で困るほど油も出ていない。糸を分けて使うほど、縫う物もなかった」

「増えたから、足りなくなったのでございますな」

「ああ。足りない物が分かれば、まだ直せる。縄を足し、棚を組み、目印を置けば、次の仕事が動く」


日吉丸は少し考え、屋敷から持ち場へ散っていく者たちを見た。


「では、足りない物がなくなれば、もっと仕事が増えるのでございますか」

「その時は、また別の物が足りなくなる」

「いつまでも終わりませぬな」

「終わらないから、見て回るんだ」


頼政も政虎もいない屋敷で、弦十郎の指図を受けた者たちが、それぞれの持ち場へ散っていった。


* * *


その頃、大山崎(おおやまざき)では、六角勢の列が街道に残っていた。


馬を下りた者はいても、荷駄(にだ)は列から外されず、兵も槍を抱えたまま待っている。


定頼の本陣には、三好政長(みよしまさなが)討死の報が届いていた。


床几(しょうぎ)に座る定頼の前には、蒲生下野守定秀がもうしもつけのかみさだひで後藤但馬守賢豊ごとうたじまのかみかたとよ進藤山城守貞治しんどうやましろのかみさだはる平井加賀守定武ひらいかがのかみさだたけ目賀田摂津守綱清めがたせっつのかみつなきよらが控えている。


頼政は政虎と政澄を連れ、末席に座っていた。橘の兵は、本陣の外に待たせてある。


細川右京大夫晴元ほそかわうきょうのだいぶはるもとの行方を追っていた使番(つかいばん)が戻り、定頼の前へ膝をついた。


「申し上げます。細川右京大夫様は、公方(くぼう)様父子を奉じ、丹波(たんば)を経て坂本(さかもと)へ向かわれる(よし)にございます」

「三好は」

「江口に兵を置いております。大山崎へ向かう動きは、まだ見えませぬ」


定秀が口を開いた。


御屋形様(おやかたさま)。江口へは、もう」

「入れぬ」


定頼の返事は早かった。


「助ける相手は、もうおらぬ。勝った三好の前へ、こちらから出るだけよ」


定秀は頭を下げた。


賢豊が地図へ目を落とす。


諸隊(しょたい)は、まだ江口へ向かう列のままにございます」

「崩すな。大山崎に留める」


定頼は諸将(しょしょう)を見回した。


下野守(しもつけのかみ)は諸隊へ伝えよ。荷は解かせるな」

「はっ」

但馬守(たじまのかみ)物見(ものみ)を出せ。三好が江口を出るか見よ。動けば戻れ。戦うな」

「承知しました」

山城守(やましろのかみ)加賀守(かがのかみ)は各隊へ戻れ。いつでも列を動かせるようにしておけ」

「はっ」

摂津守(せっつのかみ)は本陣の出入りを締めよ。報は使番から取れ」

「承知しました」


定頼の目が末席へ向いた。


弥三郎(やさぶろう)

「はっ」


頼政が膝を進めた。


「そなたの兵は」

「本陣の外に控えております。槍列も荷駄も崩しておりませぬ」

「そのまま待て」

「承知しました」


命を受けた諸将が立ち上がった。


定秀は伝令を呼び、賢豊は物見を出す道を確かめる。貞治と定武は陣幕(じんまく)を出て、綱清は入口へ向かった。


頼政も本陣を出た。政虎と政澄が後ろに続く。


陣幕の外では、小倉右京亮実房おぐらうきょうのすけさねふさが足を止めていた。


「橘殿」

「右京殿。お久しゅうございます」


互いに頭を下げた。


「その節は、朝霧を拝見いたしました」

「右京殿も御出陣でしたか。御父君は」

「父は後ろの隊におります。私は先に本陣へ出てまいりました」


実房の目が、頼政の後ろに並ぶ兵へ移った。


「こちらが、橘殿の兵でございますか」

「左様にございます」

「あの折は、水車と畑を拝見いたしました。今は、これほどの槍まで揃えられた」

「まだ、働きをお見せする場は得ておりませぬ」

「場がなくとも、橘殿の力が増したことは分かります」


実房はもう一度、橘の列を眺めてから、父の隊がいる方へ戻っていった。


頼政はその背を見送り、政虎へ向き直った。


「彦九郎、槍列は崩すな。兵は組ごとに休ませろ」

「承知いたしました」

「兵庫助、人足と馬を見ろ。水は取らせてよい。飯はまだ広げるな」

「はっ」


政澄は荷駄の方へ下がり、政虎は槍列へ向かった。


橘の兵は槍を手元に置き、組ごとに列の位置を崩さず腰を下ろした。荷駄の脇から人足が離れることもない。


若い兵の一人が、遠ざかる実房の背を見て呟いた。


「よく見ておられましたな」


政虎が足を止めた。


「何をだ」

「我らの槍をでございます。せっかくなら、動くところまで見せとうございました」


隣の男が肘で突いたが、政虎は怒鳴らなかった。


「ならば、次に見せればよい。今は命を待て。勝手に動けば、腕を見せるより先に(すき)(さら)すぞ」

「はっ」


頼政は、そのやり取りを聞いていた。


兵たちは肩を落としていない。江口の方を見る目にも、怯えはなかった。


むしろ、槍を振るう場がなくなったことを惜しんでいるように見える。


「小徳丸がここにおれば、何と言うと思う」

「若様でございますか」

「ああ」


政虎は、並んだ槍を見回した。


「せっかくここまで来たのに、城の一つも落とさず帰るのか、と申しましょうな」

「それだけでは済まぬ」

「そのまま御屋形様のもとへ参り、一働きさせてくだされと願い出るやもしれませぬ」

「……やりかねん」


頼政は短く笑った。


馬を引く者が手綱を持ち直し、荷駄の脇では人足が腰を上げた。


まだ、戻れという沙汰(さた)はない。


橘の兵は槍列を崩さず、江口の方を見たまま、次の命を待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
戦雲群雲の如しというやつですな(´・ω・`) 六角と三好はこの時期の日本最強クラス
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ