第40話 目出し帽
向山から戻った翌朝、俺は頼政へ古穴のことを報告した。
人が掘った跡は残っていた。道は狭く、馬へ荷を積んだまま通すのは難しい。少し手前には人と荷を置ける平場があり、沢から水も取れる。
ただ、岩肌に走る白い筋が、本当に鉱なのかは分からなかった。
「新九郎は」
頼政は話を聞き終えると、膝の前に置いた椀へ手を伸ばした。
「金堀衆への伝手を探らせています」
「もう動かしたのか」
「掘るかどうかは別です。石を見られる者は、先に押さえておきます」
「小倉へ聞こえれば面倒になるぞ」
「はい。だから、人を入れる前に支度をします」
「何の支度だ」
「向山へ入る者の顔と荷を隠します」
頼政が椀から顔を上げた。
「顔を隠した者が山を歩けば、かえって怪しまれる」
「人目のある道から被せるつもりはありません。古穴へ近づく時や、山で待つ時だけです」
「見つかった時に、橘の者と分からぬようにするのか」
「はい。槍や揃いの武具も持たせません。山へ入る者の姿に紛れさせます」
「顔だけ隠しても、荷で分かるぞ」
「荷にも覆いを掛けます。遠目に、人や荷の輪郭が分かりにくくなれば十分です」
頼政は椀を指先で回した。
「そこまで支度をして、すぐには掘らぬのか」
「金堀衆が石を見るまでは掘りません。慣れぬ者が穴を広げれば、落盤を起こす恐れもあります」
「支度だけなら許す。だが、騒ぎにするな。わしと彦九郎は出陣の支度で手が塞がる」
「お手は取らせません。まずは布と覆いを試します」
「お前の『まず』は、後で増える」
「増やす時は、先に申します」
「ならば弦十郎を使え。屋敷を薄くするな」
「はい。山へ入れる者も絞ります」
向山は、まだ掘らない。
だが、金堀衆を連れていくことになれば、古穴へ出入りする者の顔を隠す物が要る。荷を覆い、遠目には人の輪郭も分かりにくくする物があった方がいい。
前世の店で見慣れた物なら、幾つもあった。
目だけを出して顔から首までを覆う目出し帽、荷や車を隠す網、細長い布や草木を付けて人の輪郭を分かりにくくする偽装具――ただ、この時代に伸びる布はない。軽く丈夫な網もなかった。
顔を覆うなら、麻布や古布、買い入れた木綿布を使う。荷には菰や筵をほどいて作った覆いを掛け、縄の間へ草や葛を差す。
同じ物にはならなくても、隠す役には立つ。
* * *
作兵衛の仕事場には、弦十郎と孫兵衛も呼んだ。
板の上へ布と縄を広げると、作兵衛は槌を置き、こちらを見た。
「若様。鍛冶場へ布を持ち込まれても、わしには縫えません」
「縫わせる気はない。袋の留め金と、覆いを木へ掛ける鉤を見てほしい」
「布の端へ鉄を付ければ、そこから裂けますな」
「なら、どうする」
「革を挟んで穴を開け、そこへ紐を通します。重いところだけ金具にすればよいでしょう」
「それなら作れるか」
「へえ。それくらいなら」
作兵衛は布を摘まみ、左右へ引いた。
「こいつは伸びませんな」
「袋のように縫って、頭から被る。後ろに切れ目を入れ、紐で締める」
「きつければ頭が入らず、緩ければ目の穴がずれます」
「そこは、おせんに聞く」
「そうしてください。わしが縫えば、目を出すつもりで耳が出ます」
孫兵衛は布の色を見比べていた。
「黒は、昼の山では使わぬ方がよろしいでしょうな」
「夜襲には使えそうだな」
「はい。闇へ紛れるには向いております。ですが、昼では黒い塊に見えます。土の色、枯れ葉の色、草の色を混ぜた方が山には紛れましょう」
「なら、黒は夜に使う。昼の物は同じ色で揃えない方がいいか」
「はい。山の色は一つではございません」
作兵衛は土色の古布を板へ戻した。
「布を切る話は、おせんに任せてください。わしは留め金と鉤を作ります」
「呼べるか」
「すぐそこにおります。呼べば来ます」
作兵衛が立つと、弦十郎が布を手に取った。
「若様。皆が顔を隠せば、味方の見分けがつきませぬ」
「目出し帽だけを印にはしない。紐の結び方、袖の印、合言葉も使う」
「敵が一つを真似ても、残りで見分けるのでございますな」
「ああ。どれか一つが漏れたら、すぐ変える」
「結び方を難しくすれば、暗い山で味方が迷います」
「簡単なものにする。触れば分かるようにな」
「それなら、試す時は私も立ち会います」
弦十郎は布を板へ戻した。
「江口へ持たせる物ではございませぬな」
「本隊の戦支度ではない。山を探る者と、山道で待つ者に使わせる」
「甲賀の者からでございますか」
「まずは甲賀衆と山番だ。顔を覚えられて困る者だけに渡す」
「道を歩く時は外させた方がよろしいでしょう」
「ああ。必要な場所でだけ使わせる」
顔を隠したまま村や街道を歩けば、それだけで人目を引く。
使う場所を誤れば、隠れるための物が、かえって目印になる。
ほどなく、おせんが仕事場へ入ってきた。
布を見るなり、作兵衛へ目を向ける。
「また、こちらへ回す物が増えたのですか」
「布を見ろと言われても、わしには無理だ」
「頼む時だけは早いですね」
「分からん者が手を出すよりましだろう」
「それで失敗した物を直すのは、いつもこちらです」
おせんは作兵衛の隣へ腰を下ろし、板の上の布を膝へ引き寄せた。
「頭から首まで、これ一枚で覆うのでございますね」
「ああ。袋のように縫い、目のところだけを開ける。鼻も口も隠す」
「伸びぬ布ですから、頭にぴたりとは沿いませぬ」
「後ろに切れ目を入れ、紐で締められるようにできないか」
「できます。ただし、目の位置がずれぬよう、頭の大きさを幾つか測ります」
「十枚作れるか」
「最初から十枚は切りませぬ。一つ縫って、被せてみてから直します」
おせんは布を二つに折り、頭から首までを包む長さを指で測った。
「目の穴を狭くすれば、藪で横が見えませぬ」
「広げれば顔が見える」
「目尻へ向けて横長に開けます。鼻や頬は布の下へ残せます」
「口元は息で湿る」
「そこは避けられませぬ。薄い布を使うか、小さな穴を開けます」
「顔が見えないことを優先してくれ」
「承知しました」
おせんは布の端を折り返した。
「これを何に使わせるのでございますか」
「向山へ入る者の顔を隠すためだ」
「また仕事を増やすのですね」
「増やす」
「若様は、増やすと決めた時だけ返事が早うございます」
作兵衛が横から口を挟んだ。
「布のことは、おせんに任せた方がいい」
「あなたは面倒になると、すぐそう言いますね」
「わしが縫うよりはましだろう」
「比べる相手が悪すぎます」
おせんは作兵衛を一度見て、俺へ向き直った。
「女衆を使うなら、台所の片手間では回りませぬ。切る者、縫う者、直す者を分けます」
「針仕事をする場所を置く」
「この目出し帽だけのために、でございますか」
「目出し帽だけではない。荷袋や手甲も縫う。弩の弦をしまう袋も要る」
「布は、これからも買うのでございますか」
「当分はな。ただ、木綿も朝霧で作れるか試す」
「木綿を育てるのでございますか」
「ああ。まず小さな畑へ植える。育てば、綿から種を外し、糸にして布を織る」
「縫う前に、糸と布を作る仕事まで増えるのですね」
「すぐには増やさない。今年は育つかを見るだけだ」
「育たなければ」
「畑を広げない。朝霧で育つと分かってから、次を考える」
おせんは膝の布へ目を落とした。
「木綿を育てるにしても、今年使う布には間に合いませぬ」
「分かっている。今は買った木綿と古布を使う」
「では、針仕事場は先に始め、木綿は別に試すのでございますね」
「ああ」
おせんは布を畳んだ。
「手間賃は出ますか」
「出す」
「仕上げた物を売った時は」
「縫った者にも分ける。橘家がすべて取れば続かない」
「女衆に銭を持たせるのでございますか」
「働かせるなら、その分は返す」
おせんの指が止まった。
「それなら、帳面が要ります。誰が何を縫い、布と糸をどれだけ使ったか。曖昧にすれば、必ず揉めます」
「おせんが見てくれ」
「布を切る数も、私が決めてよろしいので」
「ああ。分からん者が口を出せば、布を無駄にする」
「では、試しの一枚から始めます。使える形になってから十枚です」
「それでいい」
作兵衛が小さく笑った。
「布も鉄も、切れば戻らんからな」
「あなたは鉄を叩いていてください」
おせんは顔も向けずに返した。
* * *
昼過ぎには、布と道具を屋敷の縁側へ移した。
鍛冶場では煤と火の粉が飛ぶ。作兵衛が見るのは、紐を通す穴や留め具まででいい。布を切り、縫い合わせるのは、おせんの仕事だった。
それからしばらくして、試しの目出し帽が一つ形になった。
頭から首までを一枚の袋状に縫った布で覆う。目の位置だけを横長に切り開き、後頭部には短い切れ目を入れて、紐で締まり具合を変えられるようにした。首元の布は長めに残し、襟の内側へ差し込める。
現代の目出し帽のように顔へ密着はしない。それでも正面から見えるのは目元だけで、鼻も口も布の下へ隠れていた。
使ったのは、煤で薄く汚した灰色の布と、土色に近い古布だった。黒布は使っていない。
おりんは目出し帽を受け取り、裏返して縫い目と目の穴を確かめた。
「被れ」
「はい」
おりんが頭から被ると、布が顔から首までを覆った。おせんが後頭部の紐を締める。
おりんは顎を引き、左右を見た。
「どうだ」
「目の横が狭うございます」
「広げれば、顔が見えないか」
「目尻の方だけ広げれば、頬は隠せます。正面だけ見えても、藪では歩けませぬ」
「息は」
「できます。ただ、口元がすぐ湿ります」
おせんが目の穴へ指を当てた。
「目尻へ向けて少し広げます。口元には、細い穴を幾つか開けましょう」
「顔は見えないか」
「近くから覗かれぬ限り、穴だけでは分かりませぬ」
弦十郎がおりんの前に立った。
「走ればどうなる」
「布が顔へ張りつきます。汗をかけば、もっと息苦しくなりましょう」
「紐は邪魔か」
「外へ垂れれば枝に掛かります」
「おせん」
「紐の端は内側へ入れます。長さも詰めます」
おせんは、すでに直す場所へ墨を付けていた。
孫兵衛は庭先の草を見た。
「少し取って参ります」
戻ってきた手には、草と葛が握られていた。
「目出し帽へ差せるか」
「布へ短い紐を付ければ。ただし、草の色は場所と時期で変わります」
「藁は」
「田の近くなら紛れます。今の青い山では、かえって浮きましょうな」
「藤蔓は」
「使えますが、乾けば色が変わります。伏せて待つ時だけ使う物でしょう」
孫兵衛が、おりんの肩と頭へ草を少し差した。
「庭の端まで歩け」
おりんは植え込みまで進み、その陰へ身を落とした。
動かなければ、頭と肩の輪郭が草木の間へ紛れる。立ち上がれば、草を被った人間に戻った。
「歩く者には使えないな」
「はい。枝へ掛かり、音も出ます」
「伏せて待つ者なら」
「何も付けぬよりは見つけにくうございます」
孫兵衛は残った葛を手にして続けた。
「人の目はごまかせても、獣の鼻はごまかせませぬ。風下へ立てば、鹿は寄りません」
「人に見つかりにくくする物だな」
「それで十分かと」
弦十郎も植え込みの陰を見た。
「弩持ちが山道で待つ時には使えましょう。ただ、追う者や走る者へ渡せば邪魔になります」
「山を探る者と、伏せて待つ者だけに使わせる」
「それがよろしいかと」
おりんは庭へ戻り、草を外した。
「甲賀の者へ渡せるか」
「使う場所を限れば。ただし、形も色も揃えすぎぬ方がよろしゅうございます」
「揃えば、橘の者だと分かるか」
「はい。隠す物が、橘の印になります」
「では、布と紐の位置を幾つかに分ける。味方を見分ける印は別に置く」
「暗い山でも迷わぬよう、簡単な結びにしてくださいませ」
「弦十郎と決めてくれ」
「承知しました」
おせんは、おりんから目出し帽を受け取った。
「これを直してから、残りを縫います」
「一人一枚で足りるか」
「足りませぬ。山へ入れば、汗と土で汚れます。濡れた物を続けて被れば、顔も荒れます」
「まず十枚だ。洗い替えは、使う者を決めてから増やす」
「十枚なら、余計な形を増やされる前に止められます」
「もう止める気か」
「若様が、使わぬ物まで足した時は」
おせんは試作品を持ち、縁側へ戻った。
* * *
針仕事場に使う場所を見に行ったのは、その日の夕方だった。
屋敷の奥なら、布と完成品を管理しやすい。だが、村の女衆が毎日出入りするには不便だった。山際へ置けば目立たないが、商人へ品を見せる場所には向かない。
選んだのは、村の中心に近い空き小屋だった。
「ここを片づける」
弦十郎が道と周囲の家を見た。
「人目につきます」
「隠す物だけを作る場所ではない。荷袋や手甲も縫い、いずれ売る物も作る。女衆と商人が来るなら、隠しすぎる方が困る」
「屋敷からも遠くはございませんな」
「ああ。布と品を運ぶにも、このくらいがいい」
おせんが戸を開けた。
中には古い道具と割れた桶が積まれ、床には埃が溜まっている。おせんは屋根裏を見上げ、壁際を確かめた。
「まず掃除でございますね」
「屋根は使えるか」
「すぐに落ちることはなさそうです。ですが、布を床へ直に置くことはできませぬ」
「棚と箱が要るか」
「針と糸も分けます。そこらへ置けば、すぐに数が合わなくなります」
作兵衛が戸を押し、傾きを確かめた。
「棚と布を掛ける棒なら作れます。釘を使わずに済むところは、木で組みます」
「最初はそれでいい」
「戸も直さにゃなりませんな。今のままでは、風で開きます」
小屋の外から、子供が二人、中を覗いていた。おせんが目を向けると、すぐ道の向こうへ逃げていく。
「女衆が集まれば、子らも寄ります」
「入れない方がいいか」
「針がございます。踏んで泣くのは子で、なくした針を探すのは私らです」
「なら、戸を直して勝手に入れないようにしよう」
「承知しました」
最初は、棚と作業台を置いただけの小屋になる。
それでも、ここで目出し帽を縫い、荷袋を縫い、手甲や足巻を作る。仕事を分け、仕上げた数に応じて銭を払えば、女衆にも村の中で稼ぐ道ができる。
* * *
木綿を試す畑を見に行ったのは、針仕事場に使う小屋を決めた後だった。
広くはない。田畑を大きく潰せば、食う物に響く。まずは朝霧で木綿が育つか、土と水を見るだけでいい。
おせんは畑の端へしゃがみ、土を指先で崩した。
「ここへ植えるのでございますか」
「ああ。最初は狭くていい」
「この土で育つか、分かるのでございますか」
「分からない。だから試す」
「育てば、あの小屋で糸にするのでございますか」
「まず綿を取れるところまでだ。糸にする道具や織る場所は、その後で考える」
弦十郎が畑の広さを見た。
「うまく育てば、来年は他村にも」
「朝霧で育ってからだ。病や虫の出方も分からない」
「では、今年使う布は」
「買った木綿と古布を使う」
おせんは、針仕事場に決めた小屋へ顔を向けた。
「では、畑は畑で見ます。小屋の仕事は先に進めます」
「頼む」
向山に鉱があるかは、まだ分からない。
だが、金堀衆を呼ぶ前にも、作れる物はある。
顔を隠す目出し帽、荷を隠す覆い、それを縫う場所と手を動かす者――俺は畑の土を足元で軽く押した。
山の穴だけが、銭になるわけではない。
針と糸でも、朝霧に仕事は作れる。




