第37話 五村の沙汰と気の長い銭
雪の朝、政澄が笠松の者を入れた仮小屋から戻ってきた。
玄恵は政所から朝霧へ戻った後に還俗し、今では橘兵庫助政澄と名乗っている。
俺と頼政が火鉢の前で待っていると、政澄は肩の雪を払い、濡れた草履を脱いで部屋へ入った。
「遅かったな」
頼政に言われ、政澄は火鉢へ手をかざした。
「朝から、いつ村へ戻れるのかと詰め寄られておりました」
「まだ戻すな」
「そう伝えております。ただ、いつまでも仮小屋へ置いておけるものでもありません」
「分けられそうか」
「難しいですな」
政澄は冷えた指を火へ向けたまま続けた。
「誰に聞いても、自ら進んで加わったとは申しません。長次郎殿に命じられた、周りが動いたので従っただけだと答えます」
「互いに庇っているのか」
「それもありましょう。誰が先に動いたのか尋ねれば、皆が別の者の名を出します。本人の話だけでは分けられませぬ」
「こちらで調べたこととは照らしたか」
「まだ半分ほどです。話の食い違う者から、もう一度聞いております」
頼政は火鉢の炭を見た。
「急いで答えを出す必要はない。分からぬ者は、分からぬまま残せ」
「村へ戻せと急かされても、でございますか」
「間違えて戻すよりはよい」
「承知しました」
政澄は両手を擦り合わせた。
「されど、六角の御沙汰が出なければ、あの者たちへ先の見通しも話せませぬ」
「観音寺まで道が通れば、わしが出向く。人と家の処置は始めたが、五村を橘のものと決めて終われる話ではない」
「それまでは、聞き取りを続けます」
「ああ。戻す者を決めるなとは言ったが、調べる手を止めろとは言っていない」
「分かっております。兄上が戻るまでに、できるだけ詰めておきます」
頼政は短く頷いた。
* * *
それから幾日かして、観音寺まで道が通ったとの知らせが届いた。
頼政は供を整え、六角への報告に向かった。
* * *
観音寺の座敷には、定頼と義賢がいた。
頼政は二人の前へ進み、頭を下げた。
「先に寄越した使いから、笠松長次郎と酒井左近を討ったとは聞いておる」
「はっ」
定頼は扇の先を膝へ置いた。
「笠松が兵を集め、朝霧へ向けたことも聞いた。なぜ、手打ちを結んだ後に長次郎を討った」
「討つよう命じたのは、倅にございます」
「小徳丸が、そなたに諮らず命じたのか」
「はい。某が知った時には、長次郎も左近も討たれた後でした」
義賢が頼政を見据えた。
「ならば、橘の沙汰ではないと申すか」
「申しません。討った者は、いずれも小徳丸直属の家臣にございます。命じたのも小徳丸です。されど、橘家の内で行われたことに変わりはありません。当主として、某も責を負います」
定頼は続けて左近について尋ねた。
「酒井の者が二人、朝霧への襲撃に加わっていたそうだな」
「はい」
「左近が命じた証は」
「ございません」
「証もなく討ったか」
「倅は、左近を残せば酒井の利を守るため、笠松と橘の間を動き続けると判断しました」
「疑う理由にはなろう。だが、討つに足る証とは別だ」
「承知しております」
定頼の問いは、手打ちそのものへ戻った。
「弥三郎。手打ちとは何だ」
「互いに争いを収め、それ以上を求めぬと定めるものにございます」
「そなたは長次郎と盃を交わした。その日のうちに、倅が長次郎を討たせた」
「はい」
「倅が勝手にしたと言えば、そなたが結んだ手打ちを違えずに済むと思うか」
「思いませぬ。長次郎を朝霧へ招き、手打ちを結んだのは某にございます」
「ならば、その重さは忘れるな」
頼政は頭を下げた。
「言い逃れはいたしません」
義賢が定頼へ向き直った。
「父上。このまま五村を橘へ任せれば、手打ちを違えたことまで認めたと思われます」
「二人を討ったことと、その後の始末は分けて見ねばならぬ」
定頼は頼政へ尋ねた。
「酒井は残し、笠松は立てぬ。先触れの通りだな」
「はい」
「扱いを分けた理由は」
「酒井には、家中を止めて武器を置かせた者がおります。笠松は直系を立てれば、長次郎の仇を討つ旗にされる恐れがございます」
「残った笠松の者は、すべて外すのか」
「いいえ。弟の兵庫助に預け、本人が何をしたかを見させております」
定頼は一度頷いた。
「家を立てぬことと、家中をすべて捨てることは別だ。そこを違えるな」
「承知しております」
義賢が口を開いた。
「五村を百済寺へ返すこともできます」
「返した後は、誰が笠松と酒井の残った者を押さえる」
定頼は扇を閉じた。
「百済寺が受けきれねば、また郷内で争いが起こる。弥三郎を退けるだけでは、始末にはならぬ」
定頼は頼政へ向き直った。
「手打ちを違えた責は消えぬ。だが、今ここで橘を退ければ、五村は再び乱れる」
「はっ」
「百済寺郷の五村は、橘に任せる」
「ありがたき御沙汰にございます」
「預ける相手は、当主であるそなただ。小徳丸が動かすにしても、責を負う者を曖昧にするな」
「承知しております」
「百済寺との取り決めは、そのまま守れ」
「はっ」
義賢が頼政へ問いかけた。
「今後も、小徳丸の意見を家の沙汰へ入れるのか」
「意見は聞きます」
「此度のように、そなたへ隠して動いたとしてもか」
「それを理由に遠ざければ、次に討たれるのは某でしょう」
義賢の眉が動いた。
「倅を恐れて、そばへ置くと申すか」
「恐れているのではありません。倅が何を考え、どう動くのか、某には測りきれませぬ。ゆえに、遠ざけるわけにはまいりません」
定頼が頼政を見た。
「そなたにも、分からぬか」
「はい。考えを聞いても、すべてを話すとは限りませぬ。此度も、長次郎と左近を討つとは、某には話しませんでした」
「それでも、意見を聞くと申すのだな」
「聞かずに遠ざければ、さらに分からなくなります」
義賢が口を開いた。
「ならば廃嫡し、次男を立てればよかろう」
「親として、それはできかねます」
「家よりも、倅を取るか」
「家から外したところで、小徳丸が止まるとは思えませぬ。それに、親として我が子を捨てることはできません」
定頼はしばらく頼政を見ていた。
「ならば、そばへ置け。目を離すな」
「はっ」
「小徳丸の考えには使えるところもある。だが、やり方を誤れば、敵だけでなく味方まで失う。そのことは分からせよ」
「承知いたしました」
定頼は義賢へ視線を移した。
「いずれ、お主もあれを使うことがあるやもしれぬ。使えるかどうかは、その時に見極めよ」
「はっ」
定頼は再び頼政を見た。
「もう一つある。呼び出しがあれば、すぐ動けるようにしておけ」
「橘から兵を出すこともございますか」
「まだ決まっておらぬ。今の橘で何人出せるか、兵糧と合わせて確かめよ」
「五村の守りを残した上で、見積もります」
「村を空にして兵を出すなよ」
「心得ております」
頼政は深く頭を下げた。
* * *
朝霧へ戻った頼政は、政虎と政澄を広間へ呼んだ。俺もその場に残った。
「五村は、橘に任された」
政澄が頼政へ確かめる。
「笠松の者へも、そのように伝えてよろしいのですな」
「ああ。ただし、誰を戻すかまで決まったとは言うな。見極めは続けろ」
「承知しました。聞き取りの済んだ者から、改めて兄上へ上げます」
頼政は政虎へ向き直った。
「彦九郎。六角から、呼び出しがあればすぐ動けるようにしておけと言われた」
「出兵でございますか」
「まだ決まっていない。今の兵で、守りを残して何人出せるか確かめろ」
「兵糧も合わせて見ます」
「五村から無理に集めるな。今ある兵と蓄えで、どこまで動けるかを出せ」
「承知いたしました」
政虎が頭を下げると、頼政は俺を見た。
「小徳丸」
「はい」
「五村を任されたからといって、此度のやり方まで認められたわけではない」
「分かっています」
「御屋形様は、わしのそばへ置いて目を離すなと仰った」
「そこまで言われたのですか」
「言われた。わしも、そのつもりだ」
俺は返事をせず、火鉢の炭を見た。
* * *
雪が消え、春も深まった。
山の緑が濃くなり、田では苗代に水が入っている。屋敷へ持ち込まれる話も、雪道や薪から、田植えや水の順番へ変わっていた。
そんな折、茂七が小さな包みを抱えてやってきた。
「若様。今年最初の茶の葉を、少し摘めましたわ」
「朝霧の苗からか」
「いいえ。朝霧の苗は、まだ葉を摘めるほど育っておりません」
茂七が包みを開くと、柔らかな葉が少しだけ入っていた。
「志野原に、昔から残っていた木の葉です」
「志野原に茶の木があるのか」
「畑と呼べるものではありません。家の脇や山裾に、何本かずつ残っております。家で飲む分を摘むだけで、売るほど集めたことはないそうです」
「まだ葉は残っているか」
「少しはございます」
「なら、木を見に行こう」
「今からですか」
「残っているうちに、どんな木か見ておきたい」
「そう申されれば、後へ延ばすわけにもいきませんな」
春のそばにいた惟丸が、俺の袖を掴んだ。
「あにうえ」
「茶の木を見に行く」
「ちゃ」
「惟丸も行くか」
「いく」
近くに控えていた弦十郎が、惟丸と俺を見比べた。
「惟丸様もお連れになるのですか」
「木を見るだけだ。疲れたら抱けばいい」
「抱くのは私でございますな」
「頼んだ」
「やはり、そうなりますか」
春は惟丸の襟を直した。
「あまり長く連れ回してはなりませんよ」
「木を見たら戻ります」
「弦十郎。二人とも頼みます」
「はっ」
俺も頼まれる側に入っているらしい。
* * *
志野原へ向かう道では、畑の畦まで緑が濃くなっていた。
家々の前では女たちが桶を洗い、子供たちは手を止めて俺たちを見ている。すれ違う者は頭を下げたが、朝霧の者ほど気軽には声を掛けてこない。
惟丸は初めだけ自分で歩いた。
しばらくすると弦十郎の袴を掴み、両手を上げる。
「だっこ」
弦十郎は何も言わず、惟丸を抱き上げた。
「早かったな」
「若様も、惟丸様ほどの頃は似たようなものでした」
「俺は、もう少し歩いたはずだ」
「抱かれるまで、声を上げなかっただけでございます」
「覚えていない」
「こちらは覚えております」
茂七が案内した山裾には、低い木が点々と残っていた。
家の裏手や石垣の脇、斜面の際に生えている。畝はなく、枝の高さも揃っていない。
家の陰から、年寄りの女が顔を出した。
「婆さま、話していた茶の木は、これですな」
茂七が石垣の脇の一本を示す。
「ああ、それじゃ。そんな木を見て、どうするんじゃ」
「若様が御覧になりたいそうでな」
女は俺に気づき、慌てて頭を下げた。
「昔から、葉を煮出して飲んでおります」
「毎年摘んでいるのか」
「はい。多く取れた年は、寺へ少し持っていくこともございます」
「ほかの家にも残っているか」
「山裾の家には、何本かずつございます。どれも、似たような木でございます」
茂七は木の前へしゃがみ、根元を覆う枯れ草を分けた。
「まずは、根元の草を払わねばなりませんな」
込み合った枝を持ち上げ、枯れた先を確かめる。
「枯れ枝を落とし、重なりすぎたところだけ空けます」
「かなり茂っている」
「長く手を入れておりませんからな。だからといって、一度に切れば木が弱ります」
「朝霧の苗より、手が掛かるのか」
「育った木には、育った木の手が掛かります。放っておいて、葉だけ取り続けられるものではありません」
茂七は根元の土を指で崩し、湿り具合を確かめた。
「朝霧の苗は、今年も摘まない方がいいか」
「はい。今取れば、枝も根も育ちません」
「志野原の木は」
「家々が飲む分を先に残し、余った葉だけを集めます。急に多く摘ませれば、来年の葉が減りますわ」
「枝を整えれば、来年は増やせるか」
「木を弱らせずに済めば、少しは増えましょう。ただ、急には増えません」
茂七は立ち上がり、手についた土を払った。
「茶は、気の長い銭ですわ」
「なら、急いで枯らすな。残っていた木を育ててくれ」
「承知しました」
弦十郎に抱かれた惟丸が、枝へ手を伸ばした。
「ちゃ」
「そうだ。茶の葉だ」
「とる」
「今日は取らない。取れば減る」
「へる」
惟丸は手を引っ込め、覚えた言葉を繰り返した。
山裾に残る木は少ない。それでも、朝霧の苗が育つまで、まったく葉が取れないわけではなくなった。
「ほかの村にも残っていないか、確かめてくれ」
「承知しました。家の脇や山裾を知る者に聞いてみます」
惟丸が弦十郎の腕の中で身じろぎした。
「ちゃ」
「屋敷へ戻れば、茂七が持ってきた茶を飲める」
「ちゃ」
俺たちは山裾を離れた。
* * *
屋敷へ戻ると、茂七が持ってきた葉を煮出した。
量は少なく、その場にいた者へ分けると、茶碗だけでは足りず、小さな椀まで使うことになった。
女中の一人が、薄く色づいた湯を覗き込む。
「これで、味が出ておりますか」
「初めは、このくらいでよろしいです。濃くすれば、渋くて飲めませんからな」
茂七は惟丸の椀へ、さらに湯を足した。
「惟丸様には、これでも苦いかもしれません」
俺は茶碗を受け取り、一口含んだ。
薄いが、青い香りと渋みが舌に残る。
「いかがですかな」
「渋い。だが、悪くない」
「それなら上々です」
春も一口飲み、茶碗を両手で包んだ。
「春の葉らしい味がしますね」
惟丸は椀へ顔を近づけ、恐る恐る口をつけた。
すぐに顔をしかめる。
「にがい」
茂七が笑い、春も茶碗を持ったまま口元を緩めた。
「朝霧の苗も、志野原の木も育ててくれ」
「来年も葉を取れるよう、木を弱らせぬように見ておきますわ」
惟丸は自分の椀を俺の方へ押し出した。
「いらぬ」
「お前には、まだ早かったな」
「いらぬ」
惟丸は椀から両手を離し、俺の茶碗を見ないように顔を背けた。




