第34話 区長制
天文十八年(1549年)、正月。
笠松と酒井を押さえてから、数日が経った。
朝霧の仮小屋には、正月になっても兵が立っていた。笠松と酒井の者は小屋を分け、郎党と下人の縄は解いていない。室と子らも、男たちとは別の小屋へ入れていた。
年始の膳も出したが、自由に外へ出すわけにはいかない。笠松と酒井の屋敷にも橘兵を残し、蔵や馬屋、武具の置き場を見張らせている。
残った一族と村の扱いは、まだ決まっていなかった。
広間には頼政と政虎、久助、新九郎が揃っていた。弦十郎は俺の側に控え、高晴と重尚も下座に座っている。
俺が席に着くと、頼政が久助へ尋ねた。
「百済寺には、どう報せる」
「正綱が朝霧への襲撃に関わり、吉規もそれに与したため討ったこと。笠松と酒井は橘が押さえたことを伝えます」
「帰り道で討ったことは伏せるのか」
「問われれば隠しませぬ。ただ、討った手立てまで、こちらから明かす必要はないかと存じます」
「ああ。寺へ報告はする。だが、仕置きを委ねる話にはするな」
頼政が俺を見た。
「小徳丸。百済寺へは、お前が行け。弦十郎と久助を連れていけ」
「承知しました」
「久助、先に使いを出せ。いつ伺えばよいか、返事をもらえ」
「はっ」
久助が一礼すると、頼政は新九郎へ向き直った。
「六角へ出向くのは、雪が落ち着いてからだ。その前に、酒井の後を決める」
「酒井の村は静かにございます。屋敷へ近づこうとする者はおりますが、見張りが追い返しております。笠松も同じで、他村へ使いを走らせた者はおりません」
「朝霧へ移した者たちはどうだ」
「笠松の者は口を閉ざしております。酒井では、開門を勧めた分家の若者が話せば、若い者たちは耳を貸します」
「家中をまとめられるか」
「どこまで従うかは、本人に聞かねば分かりません。ただ、あの男が止めなければ、酒井でも刃を交えておりました」
頼政はすぐには答えず、新九郎の報告を聞き終えてから命じた。
「その若者を呼べ」
「はっ」
新九郎が広間を出て、ほどなく一人の若い男を連れて戻った。男は下座まで進み、両手をついて頭を下げた。
「面を上げよ。名は何という」
「新次郎と申します」
「酒井の分家だな」
「はい。父はすでに亡く、家中の若い者を預かっておりました」
頼政は新次郎の顔を見ながら、問いを重ねた。
「屋敷を囲まれた時、なぜ皆を止めた」
「勝てぬと見たからにございます」
「それだけか」
「左近様がお戻りにならぬうちに、門も道も押さえられておりました。あそこで槍を取れば、室も子も巻き添えになります」
「吉規を討った相手だぞ」
「承知しております。ですが、槍を取っても左近様をお救いできるわけではございません。酒井の者まで死なせるだけにございます」
新次郎は目を伏せず、頼政の返事を待った。
「酒井の家が残るなら、橘に従えるか」
「残った者を守れるのであれば、従います」
「吉規の直系には、酒井を継がせぬ」
新次郎の表情がわずかに強張った。
「では、酒井の家は……」
「残す。新次郎、そなたが継げ」
「私が、でございますか」
「あの場で家中を止めたのは、そなただ。分家かどうかは問わぬ」
「されど、左近様の一族にも、年嵩の者がおります。酒井の者がすべて、私に従うとは限りませぬ」
「分かっている。だが、残った者をまとめる者は要る。そなたが引き受けるかどうかを聞いている」
新次郎はしばらく畳へ目を落としていた。やがて両手をつき、深く頭を下げた。
「謹んで、お受けいたします」
「左近の名も継がせる」
「はっ」
「それと、わしの政の字を与える。下の字は忠とせよ」
「忠、でございますか」
「酒井の家は残す。これからは橘へ忠を尽くせ」
新次郎はもう一度、深く頭を下げた。
「今より、酒井左近政忠と名乗れ」
「ありがたき幸せにございます」
頼政は政虎へ命じた。
「彦九郎。書付を改めよ」
「承知いたしました」
頼政は政忠へ向き直った。
「左近。吉規に近かったというだけで、家中から外すな。これから橘に従えるかで見ろ」
「承知しました」
「新九郎、手を貸せ」
「はっ」
政忠が頭を下げると、重尚が頼政へ尋ねた。
「酒井を分家へ継がせるのであれば、笠松も次男を立てられるのでしょうか」
「笠松は立てない」
頼政に代わり、俺が答えた。
「正綱の嫡男は、屋敷で抵抗して討ち取った。次男を立てれば、正綱の仇を討てと担ぎ出す者が出る」
「酒井は、家を残すために武器を置いた。笠松はそうではない、ということですか」
「ああ。正綱の家をそのまま残せば、また争いの種になる」
「残った子らは、いかがなさいます」
「寺へ入れるか、領外へ出す」
今度は高晴が口を開いた。
「笠松の郎党まで、すべて村から外されますか」
「田畑や山仕事から離せない者は、武器を置かせて村へ戻す。だが、笠松の武士としては使わない。残る郎党は、当分こちらで預かる」
「村へ戻した者は、村の仕事に戻すと」
「ああ」
頼政は二人の問いが途切れるのを待ち、高晴と重尚を見た。
「次は、そなたらだ。小徳丸、話せ」
「はい」
俺は二人へ向き直った。
「春までに、家族と主だった郎党を朝霧へ移してもらう。屋敷はこちらで用意する」
「宮田と志野原を離れよ、ということでございますか」
高晴の問いに、俺は頷いた。
「ああ。これまでのように、自分の屋敷から村を治めることは認めない」
「竹田と篠原も、笠松と同じように取り潰されるのでしょうか」
「家は残す。だが、家に村を持たせたままにはしない」
重尚が俺へ問う。
「朝霧へ移った後、我らは何を務めることになりますか」
「宮田と志野原だけを見るのではない。五村の中で役を務めてもらう。役目と知行は、改めて定める」
「知行地となった村は、我らが差配するのでしょうか」
「いや。年貢も人足も橘が差配する」
「知行を受けても、村へ直接命じることはできぬと」
「ああ。そなたらは村を治めるのではなく、役を務めて知行を受ける」
高晴は腕を組み、重尚と短く目を合わせた。
「では、宮田と志野原の名主は、どうされます」
「名主は廃する。代わりに区長を置く。笠松と酒井も同じだ」
「名主の家から、区長を出すのでございますか」
「そうとは限らない」
頼政が俺へ尋ねた。
「朝霧にも置くのか」
「はい。人が増え、皆で声を掛け合うだけでは回らなくなっています。五村とも同じにします」
「区長は誰が選ぶ」
「村に候補を出させ、寄り合いで選ばせます。最後に認めるのは橘です」
重尚が確かめる。
「我らが候補を薦めることは」
「構わない。ただし、置く者を決めることはできない」
「薦めた者が選ばれぬこともある」
「ああ」
「区長の家を、そのまま代々継がせることも認めないのですな」
「任期が来れば選び直す。不正があれば、その前でも外す」
高晴は腕を解き、俺を見た。
「随分と変わりますな」
「変えるために、名主を廃する」
「我らを朝霧へ移すのも、そのためですか」
「それだけではない」
頼政が答えを引き取った。
「そなたらが宮田と志野原に残れば、村の者はこれまでどおり、そなたらの屋敷へ話を持ち込む。それでは橘が治める形にならぬ」
「家族まで移すのは、我らが背いた時の備えでもありましょうな」
「ああ。それも否定せぬ」
高晴は小さく息を吐いた。
「そこまで言われれば、かえって分かりやすい」
「茂兵衛殿」
重尚が咎めたが、高晴は視線を外さなかった。
「右近殿とて、同じことを思っておられよう」
「思っていても、口に出す必要はありますまい」
「口に出さねば、どこまで承知して従うのか、若様には伝わらぬ」
頼政は二人を止めなかった。しばらくして、高晴が先に頭を下げた。
「承知しました。竹田は、橘の下で役を務めます」
重尚も続いて両手をついた。
「篠原も従います。朝霧へ移る支度を進めます」
頼政が二人へ命じる。
「宮田と志野原へ戻ったら、村の者を集めろ。今まで村をまとめていた家だけで、区長を決めるな」
「名主の家だけで話をまとめず、寄り合いを開かせます」
「そうしろ」
久助が口を開いた。
「笠松と酒井も、同じように進めますか」
「酒井は、左近が屋敷へ戻す者を決めてからだ。笠松は、こちらから人を出す。旧家中だけに任せるな」
「朝霧は、こちらで寄り合いを開かせます」
俺が答えると、頼政は政虎へ目を向けた。
「彦九郎。この後、上田へ向かえ」
「又次郎様へ、でございますか」
「ああ。正綱と吉規を討ったこと、笠松家は立てぬこと、酒井家は分家に継がせたことを伝えろ。他から聞かせるな」
「政忠の名も、お伝えしますか」
「わしの字を与え、左近を継がせたことまで伝えよ」
「承知いたしました」
「叔父上が何を仰ったか、戻ったらそのまま聞かせろ」
「はっ」
続けて、頼政は久助へ命じた。
「六角へも先に知らせろ。詳しくは、雪が落ち着き次第、わしが出向いて話すと添えよ」
「承知しました」
頼政は襖の向こうへ声を掛けた。
「春」
「はい」
「笠松と酒井の室と子らは、変わりないか」
「騒ぐ者はおりますが、食事は取らせています。病の者もおりません」
「行き先が決まるまで、もうしばらく見てくれ」
「承知しました」
襖の向こうが静かになると、頼政が俺を呼んだ。
「小徳丸」
「はい」
「左近とも話しておけ」
「俺が、ですか」
「これから、お前の下で働く男だ」
「何を聞けばいいのでしょうか」
「酒井をどうまとめるつもりかだ。わしが決めたからと従うだけでは、長くは続かぬ」
「承知しました」
話が終わると、高晴と重尚が一礼して広間を出た。新九郎と政忠も、その後に続いた。
政虎が立ち上がった。
「では、上田へ行ってまいります」
「ああ。頼んだ」
政虎が退出すると、久助も使いを出すために広間を後にした。
* * *
頼政は火箸を取り、火鉢の炭を寄せた。
「百済寺で、余計なことを言うな」
「どこまでが余計でしょうか」
「聞かれぬことまで、先に話すなということだ」
「分かっています」
「本当か」
頼政がこちらを見る。
「御前でも、聞かれもせぬことまで話した者がおったな」
「あれは必要なことでした」
「お前の必要は、時々広すぎる」
俺は答えなかった。
廊下の向こうでは、上田へ向かう馬の支度を急がせる声がしていた。頼政は火箸を置き、炭の間から立つ火を見た。
「さて、笠松の家中は……奴に頼むとするか」
俺が顔を上げても、頼政は火鉢へ目を戻した。




