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近江の山奥から始める近代国家建設 〜転生田舎領主は戦国そのものを終わらせたい〜  作者: 近江もののふ
第二章 橘の礎

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第34話 区長制

天文十八年てんぶんじゅうはちねん(1549年)、正月。


笠松(かさまつ)酒井(さかい)を押さえてから、数日が経った。


朝霧(あさぎり)の仮小屋には、正月になっても兵が立っていた。笠松と酒井の者は小屋を分け、郎党と下人の縄は解いていない。室と子らも、男たちとは別の小屋へ入れていた。


年始の膳も出したが、自由に外へ出すわけにはいかない。笠松と酒井の屋敷にも橘兵を残し、蔵や馬屋、武具の置き場を見張らせている。


残った一族と村の扱いは、まだ決まっていなかった。


広間には頼政(よりまさ)政虎(まさとら)久助(きゅうすけ)新九郎(しんくろう)が揃っていた。弦十郎(げんじゅうろう)は俺の側に控え、高晴(たかはる)重尚(しげなお)も下座に座っている。


俺が席に着くと、頼政が久助へ尋ねた。


百済寺(ひゃくさいじ)には、どう報せる」

「正綱が朝霧への襲撃に関わり、吉規もそれに与したため討ったこと。笠松と酒井は橘が押さえたことを伝えます」

「帰り道で討ったことは伏せるのか」

「問われれば隠しませぬ。ただ、討った手立てまで、こちらから明かす必要はないかと存じます」

「ああ。寺へ報告はする。だが、仕置きを委ねる話にはするな」


頼政が俺を見た。


「小徳丸。百済寺へは、お前が行け。弦十郎と久助を連れていけ」

「承知しました」

「久助、先に使いを出せ。いつ伺えばよいか、返事をもらえ」

「はっ」


久助が一礼すると、頼政は新九郎へ向き直った。


「六角へ出向くのは、雪が落ち着いてからだ。その前に、酒井の後を決める」

「酒井の村は静かにございます。屋敷へ近づこうとする者はおりますが、見張りが追い返しております。笠松も同じで、他村へ使いを走らせた者はおりません」

「朝霧へ移した者たちはどうだ」

「笠松の者は口を閉ざしております。酒井では、開門を勧めた分家の若者が話せば、若い者たちは耳を貸します」

「家中をまとめられるか」

「どこまで従うかは、本人に聞かねば分かりません。ただ、あの男が止めなければ、酒井でも刃を交えておりました」


頼政はすぐには答えず、新九郎の報告を聞き終えてから命じた。


「その若者を呼べ」

「はっ」


新九郎が広間を出て、ほどなく一人の若い男を連れて戻った。男は下座まで進み、両手をついて頭を下げた。


「面を上げよ。名は何という」

新次郎(しんじろう)と申します」

「酒井の分家だな」

「はい。父はすでに亡く、家中の若い者を預かっておりました」


頼政は新次郎の顔を見ながら、問いを重ねた。


「屋敷を囲まれた時、なぜ皆を止めた」

「勝てぬと見たからにございます」

「それだけか」

「左近様がお戻りにならぬうちに、門も道も押さえられておりました。あそこで槍を取れば、室も子も巻き添えになります」

「吉規を討った相手だぞ」

「承知しております。ですが、槍を取っても左近様をお救いできるわけではございません。酒井の者まで死なせるだけにございます」


新次郎は目を伏せず、頼政の返事を待った。


「酒井の家が残るなら、橘に従えるか」

「残った者を守れるのであれば、従います」

「吉規の直系には、酒井を継がせぬ」


新次郎の表情がわずかに強張った。


「では、酒井の家は……」

「残す。新次郎、そなたが継げ」

「私が、でございますか」

「あの場で家中を止めたのは、そなただ。分家かどうかは問わぬ」

「されど、左近様の一族にも、年嵩の者がおります。酒井の者がすべて、私に従うとは限りませぬ」

「分かっている。だが、残った者をまとめる者は要る。そなたが引き受けるかどうかを聞いている」


新次郎はしばらく畳へ目を落としていた。やがて両手をつき、深く頭を下げた。


「謹んで、お受けいたします」

「左近の名も継がせる」

「はっ」

「それと、わしの政の字を与える。下の字は忠とせよ」

「忠、でございますか」

「酒井の家は残す。これからは橘へ忠を尽くせ」


新次郎はもう一度、深く頭を下げた。


「今より、酒井左近政忠(さかいさこんまさただ)と名乗れ」

「ありがたき幸せにございます」


頼政は政虎へ命じた。


「彦九郎。書付を改めよ」

「承知いたしました」


頼政は政忠へ向き直った。


「左近。吉規に近かったというだけで、家中から外すな。これから橘に従えるかで見ろ」

「承知しました」

「新九郎、手を貸せ」

「はっ」


政忠が頭を下げると、重尚が頼政へ尋ねた。


「酒井を分家へ継がせるのであれば、笠松も次男を立てられるのでしょうか」

「笠松は立てない」


頼政に代わり、俺が答えた。


「正綱の嫡男は、屋敷で抵抗して討ち取った。次男を立てれば、正綱の仇を討てと担ぎ出す者が出る」

「酒井は、家を残すために武器を置いた。笠松はそうではない、ということですか」

「ああ。正綱の家をそのまま残せば、また争いの種になる」

「残った子らは、いかがなさいます」

「寺へ入れるか、領外へ出す」


今度は高晴が口を開いた。


「笠松の郎党まで、すべて村から外されますか」

「田畑や山仕事から離せない者は、武器を置かせて村へ戻す。だが、笠松の武士としては使わない。残る郎党は、当分こちらで預かる」

「村へ戻した者は、村の仕事に戻すと」

「ああ」


頼政は二人の問いが途切れるのを待ち、高晴と重尚を見た。


「次は、そなたらだ。小徳丸、話せ」

「はい」


俺は二人へ向き直った。


「春までに、家族と主だった郎党を朝霧へ移してもらう。屋敷はこちらで用意する」

宮田(みやた)志野原(しのはら)を離れよ、ということでございますか」


高晴の問いに、俺は頷いた。


「ああ。これまでのように、自分の屋敷から村を治めることは認めない」

「竹田と篠原も、笠松と同じように取り潰されるのでしょうか」

「家は残す。だが、家に村を持たせたままにはしない」


重尚が俺へ問う。


「朝霧へ移った後、我らは何を務めることになりますか」

「宮田と志野原だけを見るのではない。五村の中で役を務めてもらう。役目と知行は、改めて定める」

「知行地となった村は、我らが差配するのでしょうか」

「いや。年貢も人足も橘が差配する」

「知行を受けても、村へ直接命じることはできぬと」

「ああ。そなたらは村を治めるのではなく、役を務めて知行を受ける」


高晴は腕を組み、重尚と短く目を合わせた。


「では、宮田と志野原の名主は、どうされます」

「名主は廃する。代わりに区長(くちょう)を置く。笠松と酒井も同じだ」

「名主の家から、区長を出すのでございますか」

「そうとは限らない」


頼政が俺へ尋ねた。


「朝霧にも置くのか」

「はい。人が増え、皆で声を掛け合うだけでは回らなくなっています。五村とも同じにします」

「区長は誰が選ぶ」

「村に候補を出させ、寄り合いで選ばせます。最後に認めるのは橘です」


重尚が確かめる。


「我らが候補を薦めることは」

「構わない。ただし、置く者を決めることはできない」

「薦めた者が選ばれぬこともある」

「ああ」

「区長の家を、そのまま代々継がせることも認めないのですな」

「任期が来れば選び直す。不正があれば、その前でも外す」


高晴は腕を解き、俺を見た。


「随分と変わりますな」

「変えるために、名主を廃する」

「我らを朝霧へ移すのも、そのためですか」

「それだけではない」


頼政が答えを引き取った。


「そなたらが宮田と志野原に残れば、村の者はこれまでどおり、そなたらの屋敷へ話を持ち込む。それでは橘が治める形にならぬ」

「家族まで移すのは、我らが背いた時の備えでもありましょうな」

「ああ。それも否定せぬ」


高晴は小さく息を吐いた。


「そこまで言われれば、かえって分かりやすい」

「茂兵衛殿」


重尚が咎めたが、高晴は視線を外さなかった。


「右近殿とて、同じことを思っておられよう」

「思っていても、口に出す必要はありますまい」

「口に出さねば、どこまで承知して従うのか、若様には伝わらぬ」


頼政は二人を止めなかった。しばらくして、高晴が先に頭を下げた。


「承知しました。竹田は、橘の下で役を務めます」


重尚も続いて両手をついた。


「篠原も従います。朝霧へ移る支度を進めます」


頼政が二人へ命じる。


「宮田と志野原へ戻ったら、村の者を集めろ。今まで村をまとめていた家だけで、区長を決めるな」

「名主の家だけで話をまとめず、寄り合いを開かせます」

「そうしろ」


久助が口を開いた。


「笠松と酒井も、同じように進めますか」

「酒井は、左近が屋敷へ戻す者を決めてからだ。笠松は、こちらから人を出す。旧家中だけに任せるな」

「朝霧は、こちらで寄り合いを開かせます」


俺が答えると、頼政は政虎へ目を向けた。


「彦九郎。この後、上田へ向かえ」

「又次郎様へ、でございますか」

「ああ。正綱と吉規を討ったこと、笠松家は立てぬこと、酒井家は分家に継がせたことを伝えろ。他から聞かせるな」

「政忠の名も、お伝えしますか」

「わしの字を与え、左近を継がせたことまで伝えよ」

「承知いたしました」

「叔父上が何を仰ったか、戻ったらそのまま聞かせろ」

「はっ」


続けて、頼政は久助へ命じた。


「六角へも先に知らせろ。詳しくは、雪が落ち着き次第、わしが出向いて話すと添えよ」

「承知しました」


頼政は(ふすま)の向こうへ声を掛けた。


「春」

「はい」

「笠松と酒井の室と子らは、変わりないか」

「騒ぐ者はおりますが、食事は取らせています。病の者もおりません」

「行き先が決まるまで、もうしばらく見てくれ」

「承知しました」


襖の向こうが静かになると、頼政が俺を呼んだ。


「小徳丸」

「はい」

「左近とも話しておけ」

「俺が、ですか」

「これから、お前の下で働く男だ」

「何を聞けばいいのでしょうか」

「酒井をどうまとめるつもりかだ。わしが決めたからと従うだけでは、長くは続かぬ」

「承知しました」


話が終わると、高晴と重尚が一礼して広間を出た。新九郎と政忠も、その後に続いた。


政虎が立ち上がった。


「では、上田へ行ってまいります」

「ああ。頼んだ」


政虎が退出すると、久助も使いを出すために広間を後にした。


* * *


頼政は火箸(ひばし)を取り、火鉢(ひばち)の炭を寄せた。


「百済寺で、余計なことを言うな」

「どこまでが余計でしょうか」

「聞かれぬことまで、先に話すなということだ」

「分かっています」

「本当か」


頼政がこちらを見る。


「御前でも、聞かれもせぬことまで話した者がおったな」

「あれは必要なことでした」

「お前の必要は、時々広すぎる」


俺は答えなかった。


廊下の向こうでは、上田へ向かう馬の支度を急がせる声がしていた。頼政は火箸を置き、炭の間から立つ火を見た。


「さて、笠松の家中は……奴に頼むとするか」


俺が顔を上げても、頼政は火鉢へ目を戻した。

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