第33話 夜が明ける前に
頼政は、しばらく火鉢の炭を見ていた。やがて盃を置き、政虎へ命じた。
「茂兵衛と右近を呼べ」
政虎が一礼して広間を出ていく。ほどなく、高晴と重尚が戻ってきた。
「長次郎と左近は、たった今、小徳丸が討たせた。ならば、この機を逃さず、今夜のうちに笠松と酒井を押さえる」
高晴は息をのみ、重尚は膝の上で手を握った。
「彦九郎。宮田と志野原へ使いを出せ。両村の兵は、右近のもとへ集めろ」
「はっ」
「茂兵衛、右近。そなたらもすぐに戻れ。支度を急がせよ」
高晴が頭を下げた。
「承知いたしました」
重尚も続いた。
「すぐに集めます」
二人が広間を出ると、頼政は俺を呼んだ。
「わしは酒井へ向かう。小徳丸、そなたは笠松だ」
「はい」
「朝霧の守りに必要な者だけ残し、橘兵を率いて向かえ。新九郎には笠松から出る道を塞がせろ」
「承知しました」
「先に入るな。竹田と篠原の兵が揃えば、志野原から使いを出す。その知らせを待って、酒井と同時に動け」
「はい」
「抵抗する者以外は斬るな。長次郎と左近の一族は、室も子も捕らえよ。処分は後で決める」
「分かりました」
政虎が出した使いは、高晴と重尚に先んじて宮田と志野原へ走った。
俺も広間を出た。外では、雪が降り続いていた。
夜番の兵が屋敷の者を起こし、出立の支度を進めている。眠りから起こされた橘兵も、武具を手にすれば動きは早かった。蓑を着込み、槍を持ち、普段の組ごとに列を整えていく。
朝霧の守りに必要な兵を残し、俺は出立する者たちへ命じた。
「正綱の屋敷を中心に押さえる。村の家へ勝手に入るな。武器を捨てた者にも手を出すな」
兵たちの返事が揃った。
弦十郎は俺の側に立ち、兵の列を見ていた。久助は先に屋敷へ入る者を選び、門前へ並ばせている。
新九郎の姿は、すでになかった。甲賀の者を連れ、笠松へ続く道と屋敷の裏手を押さえに向かっていた。
「参りましょう」
「ああ」
松明が掲げられ、橘兵の列が雪の中を動き始めた。
---
笠松へ続く道は、降り積もった雪に覆われていた。踏み固められたところでも足を取られる。兵たちは声を出さず、前を行く者がつけた跡を踏んで進んだ。
笠松の手前で列を止めた。ここから先へ進めば、屋敷の夜番に見つかるおそれがある。
ほどなく、新九郎の使いが道脇の闇から現れた。
「村口と、屋敷の裏へ抜ける道は押さえました」
「村の外へ出た者はいるか」
「おりません。ただ、屋敷からは幾度か、道の様子を見に出ております」
「酒井へ走ろうとする者が出たら、村を離れる前に捕らえろ」
「承知いたしました」
使いは再び闇へ消えた。
橘兵は雪の中に伏せた。蓑の肩へ雪が積もっていく。
遠くに見える笠松の屋敷には、いくつもの灯りが残っていた。門と母屋の間を人影が行き来している。
しばらくして、南の道から兵が一人走ってきた。志野原からの使いだった。
「竹田と篠原の兵は、志野原に揃いました。弥三郎様は、すでに酒井へ向かわれております」
「分かった」
俺は弦十郎と久助を見た。
「行くぞ」
「はっ」
「承知しました」
伏せていた橘兵が立ち上がり、笠松の屋敷へ向かった。
---
屋敷の表には、二人の番が立っていた。軒下で、松明の火を雪からかばっている。
「長次郎様は、まだお戻りにならぬか」
「まだだ。火を絶やすな」
少し離れた闇の中で、二人の弓兵が矢をつがえた。門脇には、新九郎の手の者が潜んでいた。
久助が片手を上げる。
二つの弦が鳴り、番の男たちは声を上げる間もなく倒れた。一人は喉に矢を受け、もう一人は胸を射抜かれて雪の上へ崩れた。
門脇に潜んでいた甲賀の者が駆け寄り、門を乗り越えた。ほどなく、内側から閂が外される。
門が開くと、久助を先頭に橘兵が次々と屋敷へ入った。弦十郎は俺の前を離れず、二人の槍兵が左右を固めている。
庭が押さえられたのを確かめてから、俺も門をくぐった。
「馬屋と蔵を押さえろ。武具を持ち出させるな」
命を受けた兵が、表と裏へ分かれた。
母屋の戸が開き、小袖姿の男が顔を出した。庭へ入った橘兵を見ると、その場で動きを止めた。
「動くな。武器を持たなければ斬らない」
男は両手を見えるところへ出し、その場に膝をついた。
屋敷の奥から、人の駆ける足音と女の声が聞こえてきた。
「何者だ!」
若い男が槍を手に庭へ飛び出してきた。羽織を引っかけただけで、具足は着けていない。後ろには、屋敷に詰めていた手勢が数人続いていた。
「若殿!」
手勢の一人が叫んだ。
正綱の嫡男か。
男は庭へ入り込んだ橘兵を見回し、俺へ槍先を向けた。
「何者だ。ここを笠松の屋敷と知ってのことか」
「橘だ。槍を置け」
「父上はどこだ」
「正綱は戻らない。武器を捨てれば、そなたたちの命は取らない」
「父上を討ったのか」
「武器を置け」
「答えよ!」
男が雪を蹴り、俺へ突っ込んできた。
届く前に、弦十郎の槍が横から男の槍を打ち上げた。弦十郎はそのまま間を詰め、男の胸を突いた。
男は声もなく雪の上へ崩れた。
「若殿!」
後ろの手勢が動こうとしたが、橘兵の槍が一斉に向けられた。
「武器を捨てろ」
二人が槍を落とした。それでも一人は刀へ手をかけた。
久助が間合いを詰め、刀を抜ききる前に斬り伏せた。
残った者たちは、持っていた武器を雪の上へ置いた。橘兵が近づき、生きている者へ縄をかける。
「屋敷の奥を押さえろ。室と子には手を出すな。一か所へ集めて見張れ」
「はっ」
久助が兵を連れ、母屋へ入っていった。
正綱の室と子らは、奥の一室へ集められた。泣く者もいれば、黙ったまま橘兵を睨む者もいた。
一人の少年が庭へ出ようとして、戸口の兵に止められた。
「兄上はどうした」
「中へお戻りください」
「離せ!」
少年が腕を振りほどこうとしたが、兵はそのまま部屋へ押し戻した。
新九郎が裏手から戻ってきた。
「村の外へ出た者はおりません。屋敷から逃げようとした者も捕らえました」
「村の者は」
「騒ぎを聞いて戸を開けておりますが、家からは出ておりません」
「村へ兵を入れるな。屋敷の周りだけ押さえろ」
「承知いたしました」
弦十郎も、屋敷の表と裏を確かめて戻ってきた。
「若様。馬屋と米蔵、武具を置いた納屋は押さえました」
「捕らえた一族と郎党は、分けて見張れ。庭の骸は一か所へ移しておけ」
「承知しました」
空が白み始める前に、屋敷の門は再び閉ざされ、内と外に橘兵が立った。
---
同じ頃、頼政たちは酒井の屋敷を囲んでいた。
「彦九郎は裏手へ回れ。茂兵衛と右近は、左右から屋敷へ続く道を塞げ」
「はっ」
政虎が先に回した者たちは、門前の番を背後から組み伏せ、口を塞いで縄をかけた。
酒井の者が異変に気づいた時には、門前だけでなく、屋敷の裏手にも兵が回っていた。
頼政は閉じた門の前へ進んだ。
「門を開けよ」
屋敷の中から、慌ただしく人の動く音が返ってきた。
「何者だ!」
「橘弥三郎だ。酒井の屋敷と一族を預かる。武器を捨て、門を開けよ」
「預かるとは、どういうことだ」
「左近様に何があった!」
内側が騒がしくなり、槍を取りに走ろうとする者もいた。
その中で、一人の若い男が声を上げた。
「待て」
若い男は門の隙間から外を確かめた。門前には槍を持った兵が並んでいる。
裏手を見ていた家臣が駆けてきた。
「裏手にも兵が回っております!」
「左近様は、まだ朝霧から戻られておらぬ。それなのに、橘の兵が先に来て、門前も裏手も塞いでいる」
「討たれたと申すのか」
「分からぬ。だが、左近様がご無事なら、このようなことにはならぬ」
周囲が静かになった。
「門を開ければ、酒井は橘に降ったことになるぞ」
「ここで抗えば、左近様の室も子も巻き添えになる。家中を死なせて、何を守ったことになる」
「何もせず、武器を置けと申すのか」
「今は武器を置く。左近様の室と子を守り、酒井の家を残す」
やがて、奥から年嵩の家臣が出てきた。門の外を確かめ、若い男へ言った。
「……門を開けよ」
「しかし」
「この者の申す通りだ。ここで抗えば、酒井は今夜で潰える」
若い男が閂を外した。
扉が開くと、年嵩の家臣が門前へ出て、頼政の前で膝をついた。若い男も、その後ろへ膝をつく。
「酒井の者は、武器を置きます」
「承知した。一族と郎党を一か所へ集めよ。逃げる者は捕らえる。刃を向けなければ斬らぬ」
「はっ」
若い男が顔を上げた。
「左近様は」
頼政は少し間を置いた。
「戻らぬ」
「……さようにございますか」
若い男は目を伏せ、それ以上は聞かなかった。
年嵩の家臣が立ち上がり、屋敷の者たちへ振り返った。
「聞いたな。武器を置け。室と子は奥へ集めよ」
酒井の者たちは、槍と刀を地面へ置いた。
竹田兵と篠原兵が屋敷へ入ると、政虎が人を分けた。
「馬屋と蔵を押さえろ。武具を置いた場所にも兵を立てよ」
「はっ」
「左近殿の室と子は一室へ集め、見張りを置け。郎党と下人は別にして縄をかけろ」
「承知しました」
抵抗する者はいなかった。
先ほどの若い男は、武器を置いた者たちへ声をかけた。
「ここへ並べ。人数を確かめる」
夜が明ける頃には、酒井の屋敷と周りの道はすべて押さえられていた。
---
笠松の一族と郎党を朝霧へ移したのは、日が昇ってからだった。
縄を打った男たちは、橘兵に囲まれて歩いた。正綱の室と子らは、荷車へ乗せて運んだ。
酒井で捕らえた者たちも、竹田兵と篠原兵に囲まれて朝霧へ連れてこられた。
俺は空いている仮小屋を指した。
「笠松と酒井の者は、別の小屋へ入れろ。郎党と下人の縄は解くな」
「室と子らは、いかがいたしますか」
「男たちとは別にしろ。周りに兵を置き、互いの小屋を行き来させるな」
「はっ」
「飯と水は与えろ。ただし、小屋の外へは出すな」
「承知しました」
兵たちは捕らえた者を分け、それぞれの仮小屋へ入れた。
昼前になり、頼政たちも朝霧へ戻った。
広間には頼政、政虎、高晴、重尚が揃っていた。俺も笠松から戻り、席へ着いた。
「笠松の屋敷と周りの道は押さえました。正綱の嫡男と、抵抗した者は討ち取りました。一族と郎党は朝霧へ移しています」
「村の者は」
「家から出ていません。屋敷のほかへは、兵を入れておりません」
「そうか」
「酒井はいかがでしたか」
「刃を交えずに済んだ。若い男が抗戦を諫め、年嵩の家臣が門を開けた」
「あの若者は、何者ですか」
政虎が、捕らえた者から聞き取ったことを伝えた。
「酒井の分家の者にございます。若い者のまとめ役を任されていたとのことです」
「彦九郎。あの男を見ておけ」
「はっ」
頼政は高晴と重尚へ、兵を戻す刻限を示した。
「竹田と篠原の兵は、昼までに村へ戻せ」
高晴が頭を下げた。
「宮田の兵は、すぐに戻します」
重尚も続いた。
「志野原の兵も、すぐに発たせます」
頼政が俺を呼んだ。
「小徳丸」
「はい」
「捕らえた者の処分は、六角へ報せてから決める」
「はい」
「笠松と酒井に残した兵へも伝えろ。田畑へ勝手に入り、村の者から物を取ることは許さぬ。蔵の米も銭も、わしの許しなく動かすな」
「承知しました」
広間を出ると、雪はやんでいた。
笠松と酒井へ戻る使いが門を出ていく。仮小屋の戸は閉ざされ、軒下には槍を持った橘兵が立っていた。




