第31話 仲立ち
天文十七年(1548年)、秋。
「篠原右近殿がお見えにございます」
志野原の刈り入れから五日目、重尚は宮田を抜け、約束どおり自ら朝霧へ来た。
供は三人。篠原の家人が一人と、志野原の名主、組頭が一人ずつだった。引いてきた馬には、新米と酒樽が載せられていた。
広間へ通された重尚は頼政の前で両手をつき、脇に置いた太刀を鞘ごと持ち上げた。
「篠原の家より、橘殿へお納めいたします。また、志野原からは新米と酒をお持ちいたしました」
政虎が太刀を受け取り、頼政の前へ置いた。続いて、重尚が折り畳んだ起請文を差し出す。
「篠原の家中、ならびに志野原の名主、組頭の誓いにございます」
起請文を受け取った頼政は、書かれている内容を確かめた。
笠松へ兵も人足も出さず、朝霧を攻める者へ荷も道案内も出さない。笠松から求めがあれば朝霧へ知らせ、橘の命に従う。
最後には、重尚と家中の主だった者、名主、組頭の名と血判が並んでいた。
「家中はまとまったか」
「夏のうちに、皆から返答を取りました。笠松へ心を残す者はおります。長年の付き合いまで、すぐには忘れられません」
「それはよい。だが、笠松から兵や人足を求められた時に迷うようでは、この起請文は受け取れん」
「兵も人足も出しませぬ。そのことにも、橘殿の命に従うことにも、誰一人異を唱えておりません」
夏の間、重尚が笠松の求めを退け、朝霧との約束を守ったことは、新九郎たちの報告で分かっている。
頼政は起請文を畳んだ。
「ならばよい」
政虎が用意していたもう一通の文を、重尚の前へ置いた。頼政の花押が入った安堵状だった。
「篠原の家と志野原の差配は、これまでどおりそなたに預ける。年貢の取りまとめも、村内の裁きもだ」
「ありがたく存じます」
「笠松が兵を向ければ、橘が守る。兵をまとめるのもそなたでよいが、動かす時は橘の命を待て。他村や領外との争いを勝手に決めるな」
「承知しました」
「道と荷も同じだ。志野原だけの都合で止めたり、通したりするな」
「心得ました」
重尚は安堵状を両手で受け取り、深く頭を下げた。
「篠原の家と志野原を、お預けいたします」
「受けた。これで志野原は橘の内だ。右近、顔を上げろ」
「はっ」
重尚が身を起こすのを待ち、俺は菜種と油の話を切り出した。
「菜種と油は、先に伝えたとおり宮田と同じ扱いにする」
「志野原の菜種も、朝霧で引き受けていただけるのでございますな」
「ああ。量と値も宮田に合わせる。ただし、笠松との商いは、すぐにすべて切らなくていい」
「よろしいので」
「笠松へ兵糧として入る荷は止める。だが、これまで売っていた物まで急に止めれば、困る家も出るだろう」
「では、笠松へ出す荷は先に朝霧へ知らせます」
「そうしてくれ」
頼政は、志野原の警固についても政虎へ命じた。
「彦九郎、志野原の番には、これまでどおり朝霧から二人つけよ。今の者とは明日交代させ、右近から急ぎの報せがあれば、その者を朝霧へ走らせろ」
「承知いたしました」
話がまとまったところで、廊下から声がかかった。
「宮田より、茂兵衛殿がお見えにございます」
「ちょうどよい。通せ」
間もなく、高晴が広間へ入ってきた。重尚の姿に足を止めたが、二人はすぐに互いへ頭を下げた。
「右近殿」
「茂兵衛殿」
高晴は頼政の前へ進み、懐から文を取り出した。
「笠松より、また使いが参りました。今度は米を三十俵、笠松へ入れよとのことにございます」
「何と返した」
「宮田の米は、宮田と橘のために使うと申し渡しました。使いは何も申さずに帰っております」
頼政は文を受け取り、政虎へ回した。
「村ではどうだ」
「古くから笠松へ米を出してきた家が二軒あり、少しだけでも入れた方がよいと申しました。ですが、米は一俵も出させておりません。口にしたことまで咎めることもしておりません」
「それでよい。勝手に運び出そうとした時だけ止めろ」
「承知しました」
「右近も、志野原では同じように扱え」
「心得ました」
重尚は、志野原へ来る使いへの対処も確かめた。
「宮田から取れなければ、次は志野原へ求めるでしょう」
高晴は、笠松に近い酒井の名を挙げた。
「その前に、酒井へ求めるかもしれませぬ。笠松から南へ下りれば、まず酒井です」
「右近、志野原へ来たら、朝霧へ知らせた上で断れ」
「はい」
重尚は、志野原から朝霧へ荷を運ぶ道について、高晴と話を詰めた。
「茂兵衛殿。志野原から朝霧へ荷を出すには、宮田を抜けて東の峠道へ入ることになります。宮田の道を使わせていただけますか」
「構いません。ただ、笠松の者が宮田の北まで下り、荷の出入りを見張るようになりました。運ぶ日は先に知らせてください」
「橘殿。朝霧へも知らせた上で、宮田の番へ運ぶ日を伝えればよろしいでしょうか」
「それでよい。志野原から朝霧へ出す荷は宮田を通せ。運ぶ日は宮田と朝霧の双方へ知らせろ」
「承知しました」
「志野原の荷を通すことは、私から宮田の番へ伝えておきます」
「それなら助かります」
高晴は、笠松そのものへ話を戻した。
「笠松は、このままにしておかれるのでございますか」
頼政はすぐに答えなかった。
笠松の正綱と頼政の付き合いは、俺が生まれる前から続いている。頼政は、笠松を討つとはまだ口にしていなかった。
「父上。一度、長次郎殿と話す席を設けては」
「笠松へ出向くのか」
「いえ。長次郎殿に朝霧へ来てもらいます」
「長次郎が来ると思うか」
「一人では来ないでしょう。ですが、仲立ちがいれば話は別です」
「右近、長次郎殿との仲立ちを頼める者はいるか」
「酒井左近殿なら」
「左近殿は、まだ笠松と行き来があるのか」
「はい。酒井が先に笠松を捨てたと思われることを嫌っております」
頼政も、吉規を仲立ちに立てることに異はなかった。
「左近殿なら、長次郎も耳を貸すかもしれんな」
「某から話してみます」
「右近だけでは、志野原からの頼みに見える。橘からも使いを出そう」
俺は、酒井へ出す使者を決めた。
「久助を使いに出しましょう」
「久助をか」
「はい。橘からの使いとして、手打ちの意を伝えさせます」
「それがよい。彦九郎、久助を呼べ」
「はっ」
間もなく、久助が広間へ入ってきた。
「お呼びにございますか」
「右近とともに酒井へ行け。左近殿に、長次郎との仲立ちを頼んでくれ。長次郎に話す気が残っているなら、橘も争いを収めたいと伝えよ」
「承知いたしました」
「供は増やすな。武威を見せに行くのではない」
「心得ました」
俺は、吉規が正綱へ伝える条件も久助に預けた。
「席へ出る供は、長次郎殿も左近殿も五人まで。槍と弓は持ち込ませず、刀は差していい。橘から席へ出る者も絞る」
「承知しました。左近殿から条件を問われても、そのとおりお伝えいたします」
「右近、頼めるか」
「左近殿との付き合いは残っております」
「ならば、久助を助けてやってくれ」
「承知いたしました」
「彦九郎、二人に膳を出せ。酒井へは、それから向かわせろ」
「はっ」
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日が傾く頃、久助と重尚が朝霧へ戻り、そのまま広間へ通された。
二人が戻ったのとほぼ同じ頃、新九郎からの言伝を預かった家人が俺のそばへ来た。
「新九郎殿より、若様へお伝えしたいことがあるとのことにございます」
「分かった。夜に部屋へ来るよう伝えてくれ」
頼政は、新九郎の言伝より先に酒井の返答を求めた。
「左近殿は、何と」
久助は、酒井で交わした話から順に報告した。
「仲立ちを引き受けるとのことにございます。初めは、なぜ長次郎殿を朝霧へ招くのかと問われました。殿は旧交を捨てるおつもりではなく、話せる余地があるなら争いを収めたいとお伝えしたところ、明日までに長次郎殿の返事を届けると」
「そうか」
頼政の表情がわずかに緩んだ。重尚は、酒井が置かれている事情も伝えた。
「酒井には、笠松から米五十俵を入れよとの使いが来ておりました。年寄の一人は、出せば冬支度に響くと。もう一人は、断れば笠松との仲が切れると申しておりました」
「左近殿は、まだ返事をしていないのか」
「はい」
久助は、吉規から直接聞いた言葉も報告した。
「左近殿は、笠松との義理は捨てたくない。されど、米や兵を出し続けることもできず、朝霧と争いたくもないと申されました」
「仲立ちなら、左近殿にも悪い話ではないな」
「某も、そのように申し上げました」
「久助、供と武具の条件は」
「お伝えしております。左近殿も異はないとのことでした」
「右近、左近殿の様子はどうだった」
「笠松を捨てる気はないでしょう。ですが、このまま従い続ける気もないように見えました」
「なら、話を収める役には向いている」
頼政は小さく息を吐いた。
「長次郎も、左近殿の話なら無下にはすまい」
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翌日の昼過ぎ、酒井から使いが来た。
頼政の前で、使いの男が両手をついた。
「笠松長次郎殿は、手打ちの席へ出るとのことにございます。左近様も仲立ちとして同席し、供はお約束どおりそれぞれ五人まで。日取りは年の暮れではいかがかと」
「分かった。そのように返せ」
「はっ」
使いが下がると、頼政が小さく息を吐いた。
「長次郎も、まだ話す気は残していたか」
政虎は、迎える支度へ話を進めた。
「席は、広間でよろしいでしょうか」
「ああ。酒と膳を用意しろ。長次郎が来るなら、粗末にはできん」
「承知いたしました」
その夜、俺は久助と新九郎を部屋へ呼んだ。
新九郎の話を聞いた上で、正綱が朝霧へ来る前に二人へ伝えておくことがあった。




