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近江の山奥から始める近代国家建設 〜転生田舎領主は戦国そのものを終わらせたい〜  作者: 近江もののふ


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第3話 若様、領内を視察する・後

【第3話 若様、領内を視察する・後】


あれから、いくらか月日が流れた。

季節は、秋になっていた。


あの後も、俺は村のことを考え続けていた。


そんなある日、俺はまた屋敷の外へ連れ出されることになった。


「小徳丸にも、村の仕事を見せてやろう」


頼政はそう言って、俺を腕に抱いた。


その後ろには、政虎が控えている。


「本日は、作兵衛(さくべえ)のところへ参ります」


作兵衛。


聞き覚えのない名だ。

いや、耳にしたことはあるのかもしれないが、俺にはまだ、村人の名までは分からない。


頼政の腕の中で揺られながら、俺は屋敷の外へ出た。


秋とはいえ、朝の空気は冷たい。

前世で知っている秋よりも、いくぶん冷える。


山から降りてきた霧が、村の端に薄く残っている。


道は狭く、足もとは人の足で踏み固められた土だった。


左右には茅葺き(かやぶき)屋根の低い家が建ち並び、軒先には薪が積まれている。

開いた戸口の奥には、土間(どま)の暗がりが見えた。


女が水を運ぶ。

子供が裸足で走る。

男が背負子(しょいこ)を担いで山の方へ歩いていく。


前に見たのは、田と山だった。

今日は、人の動きが目に入った。


田と山だけを見ても、村は分からない。


そこに住む者がいる。

動く者がいる。

だから、村になる。


そんな当たり前のことを、俺は頼政の腕の中で見ていた。


---


しばらく進むと、乾いた音が聞こえてきた。


カン。

カン。

カン。


一定の間を置いて、鉄を叩くような音が響いている。


俺は思わず、音の方へ顔を向けた。


「おお、小徳丸も気づいたか」


頼政が笑った。


この音は、鍛冶の音だ。


土壁の小屋の前で、頼政は足を止めた。


中は薄暗かった。

だが、奥に赤い火が見える。


火床の前に、日に焼けた男が一人いた。

背は高くない。

肩と腕だけが妙に太い。

手には(つち)を持ち、赤く焼けた鉄を叩いている。


カン、と最後に一つ音が鳴ったところで、男は頼政に気づいた。


「こ、これはお館様」


男は慌てて槌を置き、土間に膝をついた。


「よい。仕事の邪魔をしたな、作兵衛」


「めっそうもございませぬ」


この男が作兵衛か。


顔は(すす)で汚れていた。

髪も乱れている。

だが、その目は思ったより鋭い。


土を耕す目ではない。

火と鉄を見る、職人の目だ。


頼政は俺を抱いたまま、火床の方を見た。


「今日は何を直しておる」


(かま)でございます。刃が欠けておりましたので、少し打ち直しております」


鎌。


稲を刈るにも、畑の手入れをするにも使う道具だ。


作兵衛は火箸(ひばし)で鎌の刃をつまみ、赤くなった部分をじっと見た。


「これも、だいぶ身が減っておりますな」


「直らぬのか」


頼政が尋ねる。


「直せぬことはございませぬ。ただ、何度も打てば鉄も減ります。古釘や折れた刃を集めて打ち足してはおりますが、足りるほどではございませぬ」


作兵衛は、火床の脇に積まれた古釘をちらりと見た。


「買うにも銭が要りますゆえ」


それから、火床へ目を戻す。


「それに、火を保つ炭も要ります。鉄があっても、炭がなければ打てませぬ」


「鉄代に炭か。この時期に鎌や(くわ)が止まっては困る」


頼政が苦笑した。


「彦九郎、蔵の銭を見ておけ」


「はっ」


政虎が短く答えた。


それは、たぶん正しい。


鍬や鎌が止まれば、田も畑も止まる。


だが、俺はあの小さな蔵を思い出していた。


出す銭はある。

では、入る銭はどこにある。


作兵衛は、申し訳なさそうに頭をかいた。


「山の沢に黒い砂が溜まるところもございますが、砂は砂でございます。あれが鉄にでも化けてくれれば、少しは楽なのですがな」


黒い砂。


俺は、その言葉に反応した。


まさか、砂鉄(さてつ)か。


いや、今はまだ分からない。

黒い砂が本当に使えるものかどうかも、今の俺には確かめようがない。


ただ、この村には鍛冶場がある。

そして、鉄を扱える作兵衛がいる。


今後、何かに使えるかもしれない。


それだけは覚えておくことにした。


---


作兵衛の鍛冶場を出ると、火の熱がすっと遠のいた。


外の空気は、やはり冷たい。


頼政は作兵衛に二、三言声をかけると、俺を抱いたまま、村の中をゆっくり歩き始めた。


鍛冶場の音は、まだ背中の方から聞こえている。


カン。

カン。

カン。


鉄を叩く音が遠ざかるにつれて、今度は別の声が耳に入ってきた。


女たちの声だ。


井戸のそばに、数人の女房衆(にょうぼうしゅう)が集まっていた。

水桶を置いている者。

洗い物をしている者。

子を背負っている者。

濡れた手を前掛けで拭っている者。


その中で、ひときわ声のよく通る女が、こちらに気づいた。


「まあ、お館様。若様もご一緒でございますか」


女は慌てて手を拭い、腰を折った。

周りの女たちも、それに続いて頭を下げる。


「よい。邪魔をしたな」


頼政がそう言うと、女は顔を上げ、にこりと笑った。


「邪魔など、とんでもございませぬ。ちょうど一息ついていたところでございます」


「一息と言いながら、手は止まっておらぬな、おせん」


頼政が言う。


女は、桶の縁についた水をぱっぱっと払った。


「止めれば、その分だけ後が詰まりますゆえ。村の女は、休む時も手だけは動かしておかねばなりませぬ」


この女が、おせんか。


日に焼けた顔。

荒れた手で桶を扱う動きに、無駄がない。


井戸端に立つ姿だけで、ここにいる女房衆の中でも頼られている者なのだと分かった。


俺がじっと見ていると、おせんは表情を明るくした。


「まあ、若様がこちらを見ておられます」


「気になるのだろう」


頼政が笑った。


気になる。


前世なら、水道もガスも電気もあった。

だが、この村では、水も火も人の手で支えられている。


女たちは井戸端に集まりながらも、手を休めていない。

水を汲み、洗い物をし、背の子をあやしている。


「その桶は、先に奥の家へ持っておやり」


おせんが、隣の女に声をかけた。


「はい」


「そちらの薪は、今日は軒下で乾かしておくとよいでしょう。昨日の雨で湿っておりますから」


「分かりました」


おせんは話しながらも、手を止めない。

周りの女たちも、笑いながら、それぞれの仕事を続けている。


ただの世間話ではない。

井戸端は、村の暮らしが集まる場所だった。


俺はその様子を見ながら、さっきの鍛冶場を思い出していた。


鍛冶場では、鉄と炭の話を聞いた。

ここでは、水と薪と人手の話が出ている。


別々に見えたものが、少しずつ繋がって見えてきた。


この村は豊かではない。


だが、止まっているわけでもない。


ただ、何をするにも人の手が要る。


水を運ぶにも、薪を集めるにも、人が動く。

それを少しでも楽にできれば、村は変わるのではないか。


水は流れている。

山には木がある。

作兵衛のように、鉄を扱える者もいる。


なら、何か作れるものがあるかもしれない。


そう思ったときだった。


小走りに近づいてくる足音がした。


頼政が顔を上げる。

政虎もまた、女房衆から視線を外した。


現れたのは、まだ若い家臣だった。

息を整えると、片膝をついて頭を下げる。


「お館様」


「どうした」


頼政が穏やかに問う。


「上田の久方様が、お見えにございます」


久方。


その名に、頼政は少しだけ目を細めた。


驚いた、というほどではない。

だが、ただの村人相手とは違う顔になった。


「そうか。もう着かれたか」


頼政は短くそう言うと、俺を抱き直した。


政虎も黙って頷く。


村の仕事を見ていた時間は、そこで終わった。


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