第24話 見られる村
天文十六年(1547年)、春。
朝霧は、前より騒がしくなっていた。
畑へ向かう者が道を歩き、川辺へ材を運ぶ者がその横を通る。油場の方では女衆の声がして、山際では小屋地を広げる槌音が続いていた。
政虎が、道を行く者たちを見ながら言った。
「人が増えましたな」
頼政も、同じ方へ目を向けた。
「増えたな」
俺は村口の方を見た。三つの首を晒した場所は、もう片づけられていた。だが、あの話まで消えたわけではない。
朝霧へ移る者は受け入れる。朝霧を探る者は斬る。そのことは、近隣の村にも伝わっていた。
「父上。笠松の名は、どう見ますか」
頼政は、すぐには答えなかった。
あの時、捕らえた男は笠松長次郎正綱の名を吐いた。笠松村を治める男で、頼政とは昔からの知り合いだという。
「まだ、証拠にはならぬ。死を前にした者が吐いた名だ」
「嘘かもしれない、と」
「嘘かもしれぬ。下の者が勝手に動いたか、誰かが長次郎の名を使ったか。まだ決めるには早い」
「長次郎殿が、関わっていないとも限りません」
「それもある。だが、疑いだけでは長次郎の罪は問えぬ。問うなら、言い逃れのできぬ証拠が要る」
政虎が低く言った。
「百済寺道の祠へ回した者は、何も捕らえられませなんだ」
「待つ者は現れなかったのか」
「はい。日暮れまで見張らせましたが、誰も参りませなんだ。ただ、祠の裏には新しい踏み跡があり、土を均した跡もございました」
「こちらの動きを見て、近づかなかったか」
「その可能性はございます」
誰かが祠を使った形跡はある。だが、それを笠松へ結びつけるものはなかった。
その時、村口の方から男が走ってきた。
「殿! 笠松村より、使いにございます」
頼政の顔は変わらなかった。
「何と言っている」
男は膝をついたまま答えた。
「百済寺郷の者同士、百済寺道の普請と荷駄の往来について、顔を合わせて話したいとのことにございます」
「ほかには」
「ございませぬ」
頼政は少しだけ黙った。
「そうか。受ける」
知らぬ顔で来た。なら、こちらも知らぬ顔で受けるしかない。
俺は頼政を見上げた。
「寄合で、長次郎殿の名は」
「出さぬ。こちらが長次郎の名を掴んだと見せれば、向こうは身構える」
俺は頷いた。
正綱の名は、まだ証拠ではない。だが、朝霧へ目を向ける者として、警戒はしておくべきだった。
俺たちは、その目を見返さなければならない。
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翌日、俺たちは百済寺郷の寄合場へ向かった。
朝霧からは、頼政、政虎、弦十郎、それに俺が出た。久助は、堂の戸口近くに控えた。
寄合場は、百済寺道から少し入った堂の脇にあった。
古びた板敷きの間に通されると、正綱はすでに座っていた。その近くには、宮田村の竹田茂兵衛高晴、酒井村の酒井左近吉規、志野原村の篠原右近重尚がいる。
いずれも、百済寺郷の村を治める領主たちだった。
正綱は、俺たちが入ってもすぐには声をかけなかった。頼政が静かに座るのを待って、ようやく口を開いた。
「弥三郎。来たか」
「長次郎。呼ばれたのでな」
正綱は、頼政より少し年上に見えた。頬骨が張り、目つきが鋭い。俺の座る位置を一度だけ確かめ、口元を固く結んだ。
「弥三郎。今日は百済寺道の話だ」
「聞こう」
「朝霧へ向かう荷が増えた。荷馬が道端を削り、雨のあとは田の際まで崩れる」
吉規が続けた。
「酒井の方でも、道端が削れておる。朝霧へ向かう荷であるなら、酒井の者だけが汗をかく道理はござらん」
頼政は頷いた。
「朝霧の荷で道が傷んだなら、人足は出す」
「なら、材も出していただきたい。道を直すには、人だけでは足りませぬ。銭の手当ても要りましょう」
「材も出す。銭が要るなら、それも出す」
吉規は頭を下げた。
「それなら、酒井としてはまず承った」
重尚が口を開いた。
「志野原は、人足を出す時期を見ていただきたい。春の普請と田の支度が重なる。朝霧へ人が寄りすぎれば、村の手が空かぬ」
「時期が重なるなら話は聞く。朝霧が人を抱えた分、こちらからも出せる者は出す」
「それなら、志野原は飲める」
高晴は、正綱と頼政の顔を見比べてから言った。
「荷が通れば道は傷みます。されど、通る荷をただ迷惑と見るのも惜しゅうございます」
正綱が高晴を見た。
「茂兵衛殿。もう朝霧の油の匂いに釣られたか」
「釣られたとは申しておりませぬ。宮田として、利になるか損になるかを見ておるだけにございます」
「利、か」
正綱は短く笑った。
「銭と油で、昔からある村の面目まで買えると思うな」
頼政が言った。
「長次郎。道のことなら、朝霧は逃げぬ」
「それだけでは足りぬ」
「なら、何が足りぬ」
「荷駄の往来、人足の割り、普請の段取り。朝霧だけで勝手に決められては困る」
「道と普請を、朝霧だけで決めておるつもりはない」
「だが、荷は朝霧へ寄っておる」
俺は口を挟んだ。
「朝霧が道を痛めたなら直します。人足が要るなら出します。ですが、荷が朝霧へ向かうことまで寄合で決めるのですか」
「郷の道を通る荷だ」
「では、百済寺へ向かう荷も、寄合で行き先を決めるのですか」
正綱は、すぐには返さなかった。
「同じ道を荷馬が通り、同じように道を痛めます。それでも、百済寺へ入る荷まで寄合で差配するとは言えますまい」
「朝霧と百済寺を同じにするな」
「同じにしておりませぬ。道の負担と、荷の行き先を分けております」
「知った口を利くな、小童」
正綱の声が低くなった。
「弥三郎。子に場を預けるのか」
「長次郎。小童であろうと、これは橘の嫡子だ。言葉を軽く見るなら、俺の言葉として聞け」
吉規が口を挟んだ。
「長次郎殿。人足と材、銭の話まで出ました。酒井としては、まずそこを確かにしていただきとうござる。荷が通るたびの負担は、その後でも詰められましょう」
「左近殿。それでよいのか」
「よいとは申さぬ。ただ、酒井が損を抱える話では困る。取れる約束は、今ここで取っておきとうござる」
正綱は薄く笑った。
「左近殿は、ずいぶん抜け目がない」
「村を預かる身でござる。損だけを抱えるわけには参らん」
重尚も頷いた。
「志野原は、人足の時期が合えばそれでよい。それ以上を今ここで決めるのは難しい」
正綱は三人を見回した。
「そなたらは、朝霧だけが大きくなることを気にせぬのか」
俺は答えた。
「道の負担は受けます。ですが、朝霧が大きくなることまで咎めるなら、それは道の話ではございません」
高晴が場の空気を見てから口を開いた。
「道の負担なら、朝霧に出させれば済みましょう。されど、朝霧の荷まで止めるとなれば、こちらへ落ちるものまで減りかねませぬ」
「茂兵衛殿は、ずいぶん朝霧に優しいな」
「宮田は、宮田の利を見ております」
正綱は鼻を鳴らした。
「利ばかりか」
俺は正綱を見た。
「長次郎殿が言われるのは、面目の話ですか」
「何だと」
「面目の話なら、朝霧が何を出せばよいのですか」
正綱は頼政を見た。
「弥三郎。そなたの子は、ずいぶん口が立つな」
頼政は答えた。
「俺の子だ」
正綱は口元を歪めた。
「百済寺郷の中にありながら、朝霧だけは別だと言うつもりか」
「別とは言わぬ。道が傷めば直す。普請にも出る。人足の時期も合わせる」
「ならば、朝霧だけで何もかも抱えるつもりか」
「朝霧へ来る者を誰が雇うかは、朝霧が決める」
「弥三郎。そなたは、どこまでを朝霧の差配だと言う」
「人の出入り、番、油場、水車。そこへ口を出すことは許さぬ」
「甲賀者まで抱え、その者らに人の出入りを改めさせておいて、それも朝霧で決めると言うか」
頼政の目が細くなった。
「長次郎。ずいぶん朝霧の内に詳しいな」
「噂は流れる」
「そうか。なら、その噂の出どころも、いずれ聞きたいものだ」
正綱は答えなかった。
重尚が口を挟んだ。
「見慣れぬ者が増えれば、郷の者が不安に思うのは確かだ」
「右近殿。不安を口にすることは止めぬ。だが、不安を理由に朝霧を探らせることは許さぬ」
「それは承知した」
高晴も続けた。
「不安なら、宮田は宮田で番を置きます。されど、それを口実に朝霧の人の出入りまで、ここで改める話ではございますまい」
頼政が正綱を見た。
「長次郎。話を戻すぞ」
「まだある」
「何だ」
「朝霧では、首を晒したそうだな」
吉規が眉を寄せた。
「その話まで出されるか」
「左近殿は気にならぬか」
「気にはなる。されど、朝霧を探った者と聞いておる」
重尚も続けた。
「村の者は怯える。されど、探りを入れた者を斬るなとも言えぬ」
「そなたらまで、朝霧の肩を持つか」
高晴が答えた。
「肩を持っているのではございませぬ。話を分けているだけにございます」
頼政は正綱を見たまま言った。
「晒した」
「村口に三つ」
「そうだ」
「周りの村が怯えぬと思うか」
「朝霧を探らねば、怯える必要はない」
「弥三郎。言葉を選べ」
「選んでいる」
頼政は、わずかに身を前へ出した。
「朝霧を探った者を斬った。それだけだ」
「誰の者かも分からぬうちにか」
「誰の者であろうと同じだ。朝霧を探った者は容赦せぬ」
正綱は、そこで立ち上がった。
「弥三郎。朝霧だけで済むと思うな」
「済まぬだろうな。だから、迷惑の話は聞くと言っている」
「そうではない」
正綱の声が落ちた。
「人を入れ、荷を集め、油を売り、甲賀者まで抱える。百済寺郷の中で、そなたらだけが勝手に力をつけられると思うな」
やはり、正綱が見ているのは道ではなかった。
「今日は、これまでだ」
「こちらも、長次郎の腹は少し見えた」
正綱は俺を見下ろした。
「小童。村を動かすということを、軽く見るな」
俺は答えなかった。
正綱はそれ以上言わず、背を向けた。
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寄合場を出て百済寺道へ戻ったところで、久助が近づいてきた。
「若様。笠松の供の者が、甲賀の話が出たところで、こちらの供を数えておりました」
頼政が振り返った。
「誰を見ていた」
「彦九郎様、弦十郎殿、それに某でございます。顔を覚えようとしておりました」
「覚え返したか」
「はい」
久助は短く頭を下げた。
「酒井の供は荷の話で、志野原の者は人足の話で、宮田の者は油の話で、こちらを見ておりました」
「皆、見ていたか」
「はい」
甲賀の者について回るうちに、久助は人の目を見ることを覚え始めていた。
正綱だけではない。誰もが朝霧を見ている。
帰り道の途中、頼政はしばらく黙っていた。
「小徳丸。どう見る」
俺は少し考えた。
「笠松とは、いずれぶつかります」
政虎がこちらを見た。弦十郎も黙っている。
頼政は、すぐには否定しなかった。
「探りを入れさせたのが、長次郎と決まったわけではない」
「分かっています」
「なら、なぜそう見る」
「長次郎殿にとっては、道や普請は口実に見えます」
「道が傷んでおるのは事実だ」
「はい。そこは直します。ですが、長次郎殿が怒っているのは、道ではありません」
「では何だ」
「朝霧が大きくなっていることです」
頼政は目を伏せた。
「長次郎は、昔から面目を重んじる」
「なら、なおさらです。朝霧がこのまま大きくなれば、長次郎殿は退きません」
「急ぐな。だが、備えは要る」
「はい」
頼政は政虎へ向いた。
「彦九郎。木戸の番を見直せ。油場と水車場へ続く道もだ。外から見通せる場所には垣を立て、人の通りも変えよ」
「承知いたしました」
「久助。覚えた顔は新九郎にも伝えよ。次に見た時、すぐ分かるようにしておけ」
「承知いたしました」
頼政は最後に俺を見た。
「小徳丸。見られて困るものを考えよ。隠せぬものと、隠さねばならぬものを分けるのだ」
「承知しました」
朝霧をまるごと隠すことはできない。人が増え、荷が動けば、変わったことは嫌でも外へ伝わる。
なら、隠すべきものだけを隠し、見られても揺らがぬ村にするしかない。
朝霧を、もっと強くする。




