第22話 土に線、人に道
新九郎を甲賀へ送り出して六日目。
俺は、先日、木地師と見た山裾へ出ていた。
草は刈られている。大きな石と根は脇へ寄せられ、斜面には浅い水筋が一本、横へ逃げるように切ってあった。
孫兵衛は、留守の間に志野原村の茂七を連れてきている。
「若様。こちらが茂七にございます」
孫兵衛の隣で、丸い腹の男が頭を下げた。
「茂七にございます」
「話は聞いた。木地師の見立てと違うところはあるか」
「大きくはございませぬ。苗を入れるなら、この斜面でよろしいですな」
「水筋は」
「浅く切ってあります。雨が続けば、水はこちらへ寄りますからな」
「畝は」
「低く通すのがよろしいです。高く盛ると、雨で割れますので、まずは二本ほどで様子を見るのがよろしいかと」
茂七は足元の土をつまみ、指の腹で擦った。
「水筋とは離しすぎず、近づけすぎず。そのあたりを見ながら通します」
俺は孫兵衛を見た。
「茶は、この者に見させる」
「はっ」
俺は茂七へ向き直った。
「木地師のところから茶の苗が来るが、広くはやらん。まずは根付くかを試してからだ」
「ええ、それがよいかと」
「それと、油場や水車場へは近付くな。お前が見るのはここだけだ」
「心得ました」
「朝霧の者にも覚えさせろ」
「そうですな。私一人では手が足りません」
「孫兵衛」
「はっ」
「毎日通えて、土を嫌がらぬ者を二、三人つけろ」
「見繕います」
少し離れたところで、勘次が片手を上げた。平助、虎松、おはつ、おたまも一緒である。
「若様。今日も手伝っていい?」
「手を出すなら、茂七の言う通りに動けよ」
「俺たちも畝を作るのか」
「鍬は大人が入れる。お前たちは作業を手伝え」
「分かった」
茂七は縄を手に取った。
「勘次は、そっちの端を持ってくれ」
「引くだけならできる」
「強く引かんでいい。たるませずに持ってくれ」
「分かったって」
平助が反対側へ回り、縄の端を受け取った。
「平助は、こっちだ。少し上げる。いや、そこまで上げんでいい。そう、その辺りだ」
「ここ?」
「そこでいい」
虎松が杭を抱えて立っている。
「虎松は、その杭を一本ずつ渡してくれ。畝の内へは入らんようにな」
「分かった」
「おはつとおたまは、刈った草を水筋の外へ寄せてくれ。土と一緒に入ると詰まる」
「うん」
「はい」
茂七は縄の線を見て、村の者へ頷いた。
「その筋でよろしいです。深く起こさんで、土を寄せるだけで」
村人が鍬を入れた。
斜面を削るのではない。低く、細く、横へ土を寄せていく。
俺は黙って見ていた。茶を植えたいと言ったのは俺だが、土の寄せ方まで知っているわけではない。
「勘次、動くな」
「動いてない」
「足が動いとる」
「少しだけだろ」
「少しでも曲がる」
勘次は黙って、縄を持ち直した。
一本目の畝が通ると、茂七は少し間を空けて、二本目の位置を見た。
「若様。今日は、この二本でよろしいですな。苗が来る前に広げても、見る手が追いつきません」
「二本でいい。多く植えて枯らすより、少なく植えて覚えろ」
「ええ、その方がよろしいですな」
山裾に、低い畝が二本できた。
山道の下から、政虎が上がってくる。
「若様。甲賀より、新九郎が戻りましてございます」
鍬の音が止まった。
「人数は」
「十余名ほど。村口で止めております」
新九郎が戻った。五十人すべてではないだろう。いきなりそれだけ来られても、住まいも畑も足りない。だが、第一陣としては十分だ。
「行く」
俺は子供たちへ向き直った。
「ここは孫兵衛と茂七の言う通りに進めろ。畝には入るな」
「甲賀の人、見に行っちゃ駄目?」
「駄目だ」
「ちょっとだけ」
「駄目だ。ここを任せた」
「……はい」
俺は山裾を離れ、村口へ向かった。
茶の次は、人だ。
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村口には、新九郎が立っていた。頼政も、先に報せを受けて出てきていた。その後ろに、旅装の者たちが並んでいる。
数は十三。五十ではないが、ただの使いでもない。
第一陣。
そんな言葉が、頭に浮かんだ。
「戻ったか、新九郎」
「話は通しました。五十ほど、段階を踏めば移せます」
頼政が口を開いた。
「全員ではないのだな」
「はい。まずは、使える者から連れて参りました」
「忍び働きに耐える者は」
「十から十五ほど。残りは村の仕事に回せます」
「五十を食わせるとは、口で言うほど軽くないぞ」
「承知の上で、段階を踏みます」
頼政はうなずいた。
「名を聞く」
新九郎が一歩退いた。
「この二人は山に慣れております。荷も担げます」
二人の男が頭を下げた。
「こちらは番に立てます。槍も少しは扱えます」
頼政が言った。
「少しでよい。逃げずに立てるか」
「立てます」
「よい」
新九郎は、女衆の方へ顔を向けた。
「この二人は、人の顔と話を覚えるのが早い」
「忍びか」
「本格的な忍びではございません。ですが、村や宿で顔と話を覚え、噂を確かめるには使えます」
「それでよい」
頼政は短く答えた。
その中で、一人の若者が前へ出た。若いが、腰が据わっている。
「滝川久助にございます」
滝川。
俺は、その姓を頭の中で転がした。どこかで聞いた。そうだ。愛知川の宿だ。
観音寺へ向かう道中、土間の方で宿の者がそう呼んでいた。
滝川の久助殿。包みをどこへ置くか。そんな短いやり取りだった。
その名が、今ここにある。甲賀に縁がある滝川。若く、武働きもできる。
そこまで揃えば、思い当たる名は一つしかない。
滝川一益。
後に織田家で重く用いられる男。違う可能性もあるが、見逃すには惜しすぎる。
この男は、本来なら尾張へ流れる。織田家に仕え、戦場を駆け、関東まで任される。そんな男が、今、朝霧の村口に立っている。
……尾張に渡すわけにはいかない。
「よい!」
思わず声が出た。
頼政がこちらを見る。新九郎も見る。久助は、頭を下げたまま止まっている。
……しまった。
まだ何も聞いていない。
「父上。久助を、俺付きにいただけませんか」
「まだ何ができるかも聞いておらぬ」
「山歩きと荷運びならば、多少は。荒事も、少しは心得ております」
久助が短く答えた。
頼政は久助を見る。
「忍びは」
「新九郎殿ほどにはできませぬ」
「構いません」
俺はすぐに言った。
頼政が、俺を見る。
「どうしても欲しいか」
「はい」
「理由は」
「俺の側に置きたいからです」
「答えになっておらぬ」
「それでも、欲しいです」
頼政はしばらく黙った。
「……よい。今日より小徳丸に預ける。ただし、重く用いるのは働きを見てからだ」
「承知仕りました」
久助が深く頭を下げた。
「久助。当面は俺の側に付け。弦十郎と同じく、近くで朝霧を知れ」
「はっ」
「彦九郎。村口と油場を案内しろ。あとは山道と、茶を試す場所もだ」
「承知しました」
政虎がうなずく。久助はもう一度頭を下げ、政虎の後ろへついた。
俺は新九郎へ向き直った。
「新九郎。もう一つ、探させたい者がいる」
「どちらでございますか」
「尾張だ。中村を探れ」
「尾張、でございますか」
「ああ。貧しい農民の、よく喋る猿だ」
新九郎は、少し黙った。
「……猿、でございますか」
「猿だ。名は、日吉丸か、藤吉郎か。そのあたりだ」
「見つければ」
「朝霧へ引き入れろ」
「従わぬ時は」
「攫ってこい」
新九郎は、そこで初めて間を置いた。
「力ずくでも」
「尾張にとられるよりはましだ」
頼政が低く言った。
「小徳丸。その小僧は、それほどか」
「それほどです」
「名も定かではないのにか」
「名は定かでなくとも、探す価値はあります」
「尾張に取られる、と申したな」
「はい」
「何に、とは聞かぬ」
頼政の声は静かだった。
「だが、そなたがそこまで言うなら、ただの小僧ではあるまい」
「はい」
頼政は新九郎へ顔を向けた。
「新九郎。見つけたら逃がすな」
「承知仕りました」
俺は新九郎の後ろに控える者たちへ向き直った。
「それと、この近くの山も調べたい」
「金や銀でなくてもいい。銅、鉛、石灰石、道や石垣に使える石。そういうものがないか探れ」
「鉱山を探す、ということで」
「そこまで大げさでなくていい。まずは、使える山を探す」
新九郎は短くうなずいた。
「近場を調べる者を一人置きます」
「残りは」
「愛知川、観音寺、百済寺の周りを聞いて回らせます。人の出入り、荷の流れ、噂、怪しい者。分かるものを確かめましょう」
「頼む」
頼政が腕を組んだ。
「茶を植え、甲賀を入れ、山を探り、尾張へ人を探しに行かせるか」
「はい」
「忙しないことだ」
「戦国ですので」
「それを言えば何でも通ると思うな」
「思ってはおりません」
少しだけ思っている。だが、口には出さない。
頼政は俺を見て、呆れたように息を吐いた。
「新九郎。小徳丸は先へ先へと手を伸ばす。行き過ぎた時は止めろ」
「心得ました」
頼政は最後に俺を見た。
「小徳丸」
「はい」
「人を引き入れるのはよい。だが、引き入れた後に食わせ、使い、守らねばならぬ」
「承知しております」
「ならば、間違えるな」
「はい」
それでも、始めなければ始まらない。
「新九郎。尾張の件は急げ。ただし、目立つな。山の件は急がなくていいが、忘れるな」
「心得ました」
「彦九郎。まず村口から案内しろ」
「承知しました」
久助はもう一度頭を下げ、政虎の後ろについた。新九郎が甲賀の者たちへ声をかける。
朝霧に、新しい風が入った。
滝川久助は、まだ滝川一益ではない。尾張の猿も、まだ見つかっていない。茶の畑も、低い畝を二本通しただけだ。
それでも、村は動いた。
小さな朝霧は、もうただ山奥に籠もる村ではなくなっていた。




