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近江の山奥から始める近代国家建設 〜転生田舎領主は戦国そのものを終わらせたい〜  作者: 近江もののふ
第一章 朝霧村のはじまり

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第16話 油が人を呼ぶ

天文十六年てんぶんじゅうろくねん、夏。


ぜにはいい。


俺は膝の上に並べた銭を、指で弾いた。


ちゃり、と乾いた音がする。


くらの端には、油を詰めたつぼが一つ残っている。


今朝、近隣を回る商人が二つ持っていった。


壺の口を確かめながら、商人は言った。


「次も、これだけ出せますか」


「すぐには無理だ」


俺は答えた。


「だが、途切れさせるつもりはない」


商人は壺の重さを確かめ、銭袋ぜにぶくろひもを解いた。


「それなら、また参ります」


そう言って、商人は銭を置いていった。


それが、今、俺の膝の上にある。


エゴマも菜種なたねも、初めの頃とは違う。


畑を増やし、種を集め、しぼる手順を揃えたことで、油は安定して取れるようになっていた。


大商人がまとめて買い付けるほどではない。


だが、少量でも途切れずに出せるなら、近隣を回る商人は向こうから買い付けに来る。


朝霧村あさぎりむらは、油を銭に替える村になりつつあった。


「若様」


弦十郎げんじゅうろうの声で、俺は顔を上げた。


「顔が緩んでおります」

「……物が銭になるのは良いことだ」


俺は咳払いを一つして、銭袋の紐を結んだ。


弦十郎は、蔵の端に残った油壺あぶらつぼを見た。


「今朝の商人は、次も寄る気でございましたな」

「来るだろうな」

「なら、水車場すいしゃばも空けておかねばなりませぬ」

「何かあったか」

「水車場の番が困っております。子供らが前で棒を振り、荷を通すたびに散っては、また戻るとか」

勘次かんじらか」

「おそらくは」


またか。


俺は銭袋をふところへ入れた。


油が売れたのはいい。


だが、種を運び、搾り、壺へ詰める場所を塞がれては、次の油が出せない。


「行くぞ」

「水車場でございますな」

「ああ。まず、あれを止める」

「承知いたしました」


弦十郎を伴い、俺は水車場へ向かった。


水車場へ続く道は、以前より騒がしかった。


---


水車場へ近づくと、子供たちの声が聞こえた。


「退け、荷が通るぞ」


荷を担いだ男が声を上げる。


子供たちは、ばらばらと脇へ散った。


だが、荷が過ぎると、すぐにまた輪が戻る。


「勘次の勝ちだ」


水車小屋の脇で、子供が尻餅しりもちをついていた。


勘次は棒を肩に担ぎ、勝ち慣れた顔で立っている。


虎松とらまつがその横で、棒を振り上げた。


「次、誰がやる。勝てば代われるぞ」

「誰が勝てるんだよ」


輪の外で、平助へいすけがぼそりと言った。


「また荷が止まってる」


見ると、種袋を担いだ男が、水車小屋の前で足を止めていた。


おはつは腕を組み、呆れた顔で言った。


「また怒られるよ」

「荷が通る時は退いてるだろ」


虎松が言い返す。


その脇で、おたまは水車小屋の陰から顔だけ出していた。


騒ぎに混ざる気はないらしい。


だが、水車小屋の前から目は離していなかった。


弦十郎が一歩前へ出た。


「そこまでだ」


虎松が振り上げていた棒を下ろした。


周りの子供たちも口を閉じる。


勘次だけが、棒を肩に担いだまま弦十郎を見た。


「大人が出るのかよ」


弦十郎は答えず、勘次の前へ出ようとした。


俺は横から言った。


「いや、俺がやる」


弦十郎が足を止める。


「若様」

「よい」


俺は空き地へ入った。


勘次が俺を見る。


「お前が?」

「勝ったやつが仕切るんだろ」


勘次の口元が歪んだ。


「そうだ。勝ったやつが上だ」

「なら、俺が勝ったら終わりだ」

「勝てたらな」


勘次は棒を握り直した。


周りの子供たちが息を呑む。


「来い」


勘次が地を蹴った。


棒が真っ直ぐ伸びる。


速い。


だが、俺は半歩、外へずれた。


棒の先が脇を抜ける。


そのまま、棒を持つ手首を押さえる。


勘次が引こうとした。


俺は一歩踏み込み、勘次の脇へ入った。


腕を抱え、腰を当てる。


勘次の足が浮いた。


「え」


声にならない声が漏れる。


次の瞬間、勘次の体は土へ落ちた。


鈍い音がした。


勘次はすぐに起きようとした。


その前に、俺は膝を落とす。


腹へ拳を入れた。


「ぐっ」


勘次の体が折れる。


息が詰まり、声が出ない。


虎松は棒を握ったまま、動けなくなっていた。


勘次は土を掴んだ。


立とうとして、また崩れる。


「勝負は終わりだ」


俺が言うと、勘次は顔を上げた。


息は乱れている。


だが、まだ折れてはいない。


「……何でだ」

「突きは速かった」


勘次は俺を見る。


「なら、何で」

「外れた後が遅い」


勘次は黙った。


「腕が伸びて、足も止まった。そこを取った」


勘次は土を握った。


「……それだけで、投げられたのか」

「そうだ」


俺は続けた。


「倒れてからもだ。起きることしか頭になかった」


勘次は何も言い返せなかった。


「俺は、弱いのか」

「弱い」


勘次の顔が歪んだ。


「だが、棒が遅いわけじゃない。勝てる相手に勝って、強くなった気でいただけだ」


勘次は土を握った。


やがて、絞り出すように言った。


「……どうすりゃいい」

「頼むなら、言い方があるだろ」


勘次は唇を噛んだ。


しばらく俺を睨んでいたが、やがて視線を落とした。


「……教えてください」

「誰にだ」


勘次は土を握ったまま、頭を下げた。


「教えてください、若」


おはつが、小さく息を呑んだ。


勘次は頭を下げたまま、動かなかった。


「なら、まず片づけろ」

「……何を」

「お前が集めた子らだ」


勘次は子供たちを見た。


さっきまで騒いでいた子らが、今は黙って勘次を見ている。


「ほら、あの人が待ってる。邪魔したんだ。謝れ」


俺は水車小屋の前で足を止めている荷運びの男を見た。


勘次も、そちらを見る。


唇を噛み、それから子供たちの方を向いた。


「……今日は終わりだ」


誰も動かない。


虎松が勘次を見る。


勘次はもう一度言った。


「終わりだ。棒を拾え。解散しろ」


ようやく、子供たちが動いた。


落ちた棒を拾い、空き地の端へ下がっていく。


勘次は荷運びの男の方を向いた。


少し黙ってから、頭を下げる。


「……邪魔して、すまなかった」


荷運びの男は慌てて頭を下げ返した。


「へ、へえ」


俺は男に言った。


「次から通れなければ、すぐ番に言え」

「へえ」


俺は勘次に目を戻した。


「俺に教わりたいなら、勝手に仕切るな」


勘次は黙って俺を見ていた。


「集めたのはお前だ。止めるのも、お前がやれ。邪魔をしたなら謝れ。それができないなら教えない」


勘次は歯を食いしばった。


「……分かった、若」


勘次は、俺に頭を下げた。


---


輪が解けると、水車小屋すいしゃごやの前が急に広くなった。


荷を担いだ男たちが、ようやく動き出す。


勘次かんじは子供たちの前に立っている。


その時、平助へいすけが水車小屋へ続く道を見た。


「若」

「どうした」

「あの人、まだいる」

「まだ?」


おたまが、平助の後ろから顔を出した。


「昨日もいた」

「昨日も?」


おたまは頷いた。


「昨日は、水車の裏。今日は、搾り仕掛け《しぼりじかけ》の影」


俺は道の先を見た。


見慣れぬ男が、水車小屋の前で足を止めていた。


商人のような格好をしている。


だが、荷は小さい。


子供たちの輪が解けたせいで、かえって目立っていた。


男は、こちらの視線に気づいた。


一度だけ油壺あぶらつぼの方を見てから、思い出したように近くの人足にんそくへ歩く。


「油は、まだあるか」


男が人足に声をかけた。


人足は首を傾げる。


「買うならくらの方で聞け」

「そうか」


男は短く答えた。


だが、蔵へは向かわない。


水路すいろの落ち口を見ている。


虎松とらまつが水車小屋の裏へあごをしゃくった。


「あいつ、裏板を触ってた」

「見たのか」

「見た。戻し方が違う」

「なぜ分かる」

作兵衛さくべえなら、ああは戻さねえ」


平助が男の背を見たまま言った。


「あの男、商人だって言ってた」

「何を買いに来た」

「知らない。油の値も聞いてない」


平助は声を少し落とした。


百済寺ひゃくさいじの裾から来たって言ってた。でも、買いに来た感じじゃなかった」


男が、こちらを見た。


聞こえたか。


男はすぐに視線を外し、肩の荷を直した。


「今日はよい。また来る」


誰に言うでもなく、そうつぶやく。


そのまま、水車小屋の脇から離れようとした。


勘次が一歩出かけた。


俺は手を上げて止めた。


勘次は、黙って足を止めた。


男は歩きながら、もう一度だけ水車小屋を見た。


油壺ではない。


じくの通った壁板を見ていた。


弦十郎げんじゅうろう

「はっ」

「あの男を逃がすな。先回りしろ」

「承知」


弦十郎は男の後をそのまま追わなかった。


荷を下ろしに来た男たちの脇を抜け、別の道へ入る。


男は村の外へ出る道へ向かった。


足は速くない。


だが、振り返らない。


その先に、弦十郎が立っていた。


「止まれ」

「油を買いに来ただけだ」

「なら、名を申せ」


男は答えない。


前には弦十郎。


来た道には、俺たちがいる。


肩の荷が、少し下がった。


次の瞬間、手が懐へ入る。


小刀こがたなが光った。


男は弦十郎の脇を抜けようとした。


弦十郎は退かない。


半歩、斜めに入る。


刃が外れる。


手首を打つ。


小刀が落ちた。


男の手が、落ちた刃へ伸びかける。


「遅い」


弦十郎げんじゅうろうの刀が抜ける。


一閃いっせん


男は道の上へ崩れた。


「下がれ」


俺はすぐに声を出した。


勘次かんじ

「……若」

「子供らを下げろ。騒がせるな」


勘次は子供たちを見た。


「下がれ。騒ぐな」


声は震えていた。


だが、子供たちは動いた。


おはつはまだ足を止めていたが、おたまに袖を引かれて下がった。


「荷運びも止まれ。今は通すな」


近くの男が慌ててうなずいた。


「へ、へえ」


俺は地に落ちた小刀こがたなを拾った。


「弦十郎」

「はっ」

「脇へ寄せ、持ち物を改めよ」

「承知」


弦十郎は刀を収め、男の体を道の端へ引いた。


血が土に筋を引く。


弦十郎が男の顔を確かめる。


「朝霧の者ではございませぬ」


それから、ふところと肩の荷を改めた。


ぜには少ない。


荷札にふだもない。


商いに使う書付かきつけもない。


油壺あぶらつぼも持っていない。


代わりに、細い木片とすすのついた布切れが出てきた。


弦十郎は、それを俺に見せた。


俺は拾った小刀を手にしたまま、木片と布切れを見た。


「商人でもないか」

「おそらくは。荷が少なすぎます」

「誰の手の者かは」

「分かりませぬ」

百済寺ひゃくさいじの裾から来たと言っていたな」


少し離れた場所で、平助へいすけが小さく頷いた。


「はい。でも、本当かは分かりません」

「構わん」


俺は弦十郎を見た。


「父上に知らせる。彦九郎ひこくろうへも人を出せ」

「承知いたしました」

「それまで、水車場すいしゃばへ見知らぬ者を近づけるな」


弦十郎は頷いた。


勘次たちは、少し離れた場所で固まっていた。


水車場はもう、子供が棒を振って遊ぶ場所ではない。


見知らぬ者を近づけていい場所でもない。


---


その日の夕刻、弦十郎は頼政よりまさの前で、昼の一件を報告した。


頼政は、口を挟まずに聞いていた。


「身元は」

「分かりませぬ。名の分かる物はございません」

「百済寺の裾、か」


頼政は弦十郎を見た。


まことか」

「子供らにそう申していたようですが、真かどうかは分かりませぬ」

「名を使っただけかもしれぬな」

「はい」


俺は頷いた。


「ただ、朝霧を探った者が、その名を口にしました」


頼政はしばらく黙った。


俺は、言うべきか迷ってから口を開いた。


「小倉殿へ見せたことが、どこぞへ伝わったということはございませぬか」


弦十郎の目が、わずかにこちらへ動いた。


頼政も俺を見た。


「小倉殿が探らせた、と申すか」


「そこまでは申しませぬ。ただ、小倉殿には水車と油の仕掛けを見せております。供の者もおりました。木地師の筋にも話は通っております。どこから漏れても、不思議ではございませぬ」


頼政はすぐには答えなかった。


「小倉殿と決めるな」

「はい」

「百済寺の者とも決めるな。名を使っただけかもしれぬ。小倉の家中から漏れたとも限らぬ。木地師、商いの者、寺に出入りする者。口はどこにでもある」


頼政の声は低かった。


「だが、外から朝霧を探る者がいるのは確かだ」

「はい」

「人の出入りを締めねばならぬな」


頼政が言った。


「はい。水車場や蔵へ、見知らぬ者を近づけないようにします」

「他には」

「村へ入る者には、名と、どこから来たかを聞きます」


頼政は頷いた。


そこで政虎まさとらが口を開いた。


「殿。もう一つ、報せがございます」

「何だ」

「近頃、朝霧へ移りたいと申す者が来ております。山向こうの小村、百済寺の裾の村、それから流れの者も。畑仕事でも山仕事でもよい、子を食わせたいと」


人が来る。


村が豊かになっている証だ。


だが、客と働き手だけが来るわけではない。


「人手は欲しいところです」


俺は言った。


「ただ、誰でも入れれば、水車場も蔵も見られます」


頼政は腕を組んだまま、俺を見た。


開墾かいこんも、水車場も、手が足りぬ」

「はい」

「だが、今日のような者が紛れるなら、軽くは受けられぬな」


俺は頷いた。


「はい」

「では、小徳丸しょうとくまる。そなたならどうする」

「すぐには入れません。ですが、追い返すのも惜しいです」


頼政は黙って続きを待った。


「移りたい者も同じです。すぐ奥へは入れません。外れに置いて、畑仕事や山仕事をさせながら様子を見ます」

「仮住まいか」

「はい。奥へ入れるかどうかは、それからでよいと思います」


頼政はゆっくり頷いた。


「よかろう。すぐには受けぬ。だが、追い返しもせぬ。名を聞き、外れで待たせよ。奥へは入れるな」


政虎が頭を下げた。


「承知いたしました」


油が売れるようになれば、買いに来る者が増える。


働き口を求めて、朝霧へ来る者も出る。


そこに、中を探る者まで混じるなら話は変わる。


人を入れなければ、朝霧は大きくならない。


だが、受け入れ方を誤れば、村の中を好きに探られる。


朝霧村はもう、閉じた山村ではいられなくなっていた。


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