第14話 水車一号機
「形にはなってきたか」
作兵衛の弟子の言葉を聞いて、俺は山裾を振り返った。
夕暮れの中に、木を残した段と、積みかけの石が見える。
だが、今見るべきものは、作兵衛の小屋にある。
「弦十郎」
「はっ」
「作兵衛のところへ行く」
「承知いたしました」
作兵衛の弟子は、ほっとしたように頭を下げた。
「親方も、若様を待っております」
俺たちは山裾を離れた。
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作兵衛の小屋に着くと、入口のあたりから木を削る匂いがした。
乾いた木屑と、濡らした木の匂いが混ざっている。
作兵衛は奥にいた。
「若様」
「できたか」
「へえ。まずは試しの形にしてみました」
「川で試したんじゃないのか」
「いきなり川へ持っていける代物ではございませぬ」
作兵衛が布をどけると、膝ほどの台に小さな水車が載っていた。
木で組んだ輪の外側には、水を受ける短い羽根板が並んでいる。横には細い軸が通り、その先には棒と小さな杵がついていた。
「水はどうやって流す」
「こちらへ」
弟子が、竹を割った樋を持ってきた。
作兵衛は桶の水をすくい、その樋に流した。細い水が羽根板に当たる。
水車は、ぎこちなく回った。
輪が回る。
軸が回る。
棒が上下し、小さな杵が、こつん、と落ちた。
弦十郎が低く言った。
「人が押しておりませぬな」
「水で回している」
「水で、でございますか」
「そうだ」
小さな杵が水で落ちた。
まずは、それでいい。
作兵衛は小さな杵を指で押さえた。
「若様。これで種は潰せましょう」
「ああ」
「されど、潰しただけでは油は出ませぬな」
「そこは次だ」
「出すには、圧さねばなりませぬ」
「分かってる。今は杵まででいい」
「ただ、これでは軽すぎます。実物になれば、軸も羽根も杵も重うなります」
「だから川を見る」
「水の当て方も難しい。弱ければ回らず、強ければ壊れます」
「それも川で見る」
「今からでございますか」
小屋の入口の向こうは、もう薄暗い。
「いや、明朝だ。暗い川を見ても仕方がない」
「それは助かります」
「置けるか分からぬ物を、いきなり組ませはせん」
「それなら、明日は下見で済みますな」
「ああ。まずは川を見る」
「へえ」
「壊れない物にしようとしなくていい」
「承知しております。壊れぬ物ではなく、壊れた時に直せるようにせよ、でございましたな」
「そうだ。壊れた時に直せる形にしろ」
模型の杵が、もう一度こつんと落ちた。
小さな音だった。
だが、その音は、思っていたより重く聞こえた。
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翌朝、俺たちは川辺に出た。
村のそばを流れる川は、大きくはない。けれど、水は細い筋で一つに流れているわけでもなかった。
石に当たって白く泡立つ所。浅く広がって、女衆が桶を置く所。少し深くなり、底が暗く見える所。
流れは石に割られ、また寄り、また逃げる。
岸は平らではない。濡れた石は滑り、木の根は水際へ伸びていた。弱い流れの端には、落ち葉や砂も溜まっている。
作兵衛は、しばらく黙って川を見ていた。
「箱の中の水とは、まるで違いますな」
「そうだな」
「このまま羽根へ当てても、水が逃げましょう」
「だから、道を作る」
俺たちは川辺を上手へ歩いた。
おせんが浅い流れを指した。
「若様。ここを狭められると、桶が置けませぬ」
「ここは空ける」
「水が濁れば、洗い物にも使いにくうございます」
「水車の水は入れない」
弦十郎は、材を下ろす岸と浅瀬の間に立った。
「材を運ぶ者と、水を汲む者が混ざれば危のうございます」
「道も分ける。材は上手へ寄せる」
「では、水場へ人を入れぬよう、縄を張りましょう」
「頼む」
作兵衛が、流れの上手へ目をやった。
「水車の水は、どこから取ります」
「少し上手だ。端の流れを借りる」
「川を塞ぐのではございませぬな」
「塞がない。石で寄せて、木樋で羽根へ当てる」
作兵衛は足元の落ち葉を拾い、流れへ落とした。
葉は石に引っかかり、しばらく同じ所で揺れている。
「こういうものが、木樋の口へ溜まりましょう」
「なら、止められるようにする」
「板を差すので」
「ああ。水が多い時も、枝が詰まった時も、止めて払える方がいい」
「出口は」
「泥が戻らぬように逃がす。開け閉めできればなおいい」
作兵衛はしばらく考えた。
「溝を切って、板を差す形ならできましょう」
「それでいい。壊れない物より、止めて直せる物だ」
「……若様は、壊れる前から壊れた後の話をなさる」
「壊れるからな」
「へえ。そこだけは、まことにその通りでございます」
「作るなら、ここでよろしいかと」
「材は足りるか」
「村の材木がございます。山裾で伐った木も、支えや杭には使えましょう」
「木樋は」
「真っ直ぐなものを選びます。割ってみねば分からぬ材もございますが、足りぬことはありますまい」
「なら分けろ。木樋、支え、杭だ」
「承知いたしました」
その日は、川を見て回っただけで終わった。
「水は上手から取る。浅瀬は空けろ。材は岸側から運ぶ。戻す水は下へ逃がす」
「承知いたしました」
「作兵衛、材を見てくれ」
「へえ。木樋に使えるものから分けます」
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実際に人足を入れたのは、その翌日からだった。
川辺には、弦十郎が人足を並ばせていた。おせんも、女衆の使う浅い流れを確かめに来ている。
「水際で人が混ざれば怪我をします」
「水際に入る者、材を運ぶ者、作兵衛につく者に分けろ」
「はっ」
おせんが、水場へ続く道を示した。
「若様。水場へ向かう者は、こちらを通します」
「分かった。材の道は上手だ」
「桶を置く所には、木屑を流さぬようにお願いいたします」
「作兵衛、聞いたな」
「へえ。木屑は上手で払わせませぬ」
「弦十郎、人を分けろ。おせんは水場を空けてくれ」
「承知いたしました」
「お任せくださいませ」
その日から、川辺は小さな普請場になった。
まず石を動かした。
流れの端に大きめの石を置き、その隙間を小石で埋める。水を止めるのではない。少しだけ寄せる。
「こりゃいけませぬ。石が動きますわ」
人足の一人が声を上げた。
「下に小さい石を噛ませろ」
「へえ」
川の中は足場が悪い。一つの石を置くだけでも、腰まで力を入れなければならない。濡れた石に足を取られ、何度もやり直す。
木樋も、すぐには合わなかった。
「口が狭すぎます。水が足りませぬ」
「少し削れ」
「削ると、横へ逃げますぞ」
作兵衛が木樋の口に手を当てた。
「削るのは片側だけでよい。水の当たる方を残せ」
木樋の口を直す間に、枝と落ち葉が流れてきた。
「詰まりました」
「板を差せ。水を止めてから払え」
弟子が板を差し、水が木樋の手前で弱まった。人足が枝を除く。板を抜くと、水はまた木樋へ入った。
「止められると、直せますな」
作兵衛がぼそりと言った。
「だから板を差せと言った」
「へえ。若様の面倒な言いつけも、たまには役に立ちます」
水車本体の方も同じだった。
「親方、軸が重すぎますわ」
「分かっとる。削り直せ」
「羽根は、どうします」
「水の当たる方を先に揃えよ。見栄えは後でよい」
木地師たちは、軸と受けのところに回された。
輪を削る者、受けを合わせる者、羽根を見直す者。そこだけは村の者では手が出なかった。
「杭が浮きます」
「深く打て。駄目なら横から支えを入れろ」
「継ぎ目から漏れております」
「布を噛ませる。止まらねば削り直しだ」
一つ直せば、また別の一つが狂う。
それでも、打ち直し、石を足し、木樋を削った。そうやって形にしていくしかなかった。
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数日後の夕暮れ、川辺には最初の水車が立っていた。
屋根はない。小屋もない。油を搾る仕掛けもない。
それでも、模型ではなかった。
木樋の入口と出口には、板を差す溝を切ってある。脇には、余った水を川へ戻す浅い溝も掘った。
「流しますか」
作兵衛が言った。
「頼む」
弟子が木樋の入口の板を抜いた。
寄せた水が木樋へ入り、細くまとまって羽根へ落ちる。
すぐには回らなかった。
羽根が水を受け、軸がきしみ、支えの木が小さく震えた。
「押しますか」
人足が言った。
「まだ押すな」
次の水が羽根を叩いた。
ぎしり、と音がする。
輪が少し動いた。止まりかけて、また動く。
もう一度、水が当たる。
水車が回った。
ゆっくりと、不安定に。
だが、回った。
軸の先の棒が持ち上がる。
杵が上がる。
人足の声が止まった。
杵が落ちた。
どん、と鈍い音が川辺に響く。
作兵衛は、濡れた羽根に手を添えた。
「まだ、直す所はいくらでもございます」
「分かってる」
「ですが」
作兵衛は落ちた杵を見た。
「水で、木は動きました」
「ああ」
油はまだ出ない。米を搗くにも、豆を潰すにも、まだ調整は要る。
それでも、今はこれでいい。
最初の水車は、ぎしぎしと音を立てながら、もう一度ゆっくり回った。




