第122話 竹中半兵衛
永禄三年(1560年)、冬。
伊勢国、三重郡、江野、江野城。
清須へ返す書状に最後まで目を通すと、政基はそれを文机の上へ戻した。
書状から顔を上げた政基が、俺に念を押した。
「お市殿をお迎えすること、初音様と奇妙丸様の御縁組をお受けすること。この二つで、よろしゅうございますな」
「ああ、それでいい。又助に持たせて、上総介殿には、二つとも受けると伝えてくれ」
脇に控えていた牛一が、そこで頭を下げた。
「では明朝、清須へ向かいます」
「頼む。向こうで何か聞かれても、こちらで決めていないことまで請け合うなよ」
「某は書状をお届けするだけにございます。勝手な約束などいたしませぬ」
「それなら、安心して任せられるな」
「そう仰られると、今まで信用されていなかったようで、少々引っ掛かりますな」
政基が小さく笑いながら書状を差し出し、牛一がそれを受け取る。ちょうどその時、廊下から声が掛かった。
「御屋形様。九郎殿がお戻りになりました」
通すように命じると、光秀が旅装のまま入ってきた。
光秀は俺の前まで進み、一礼した。
「田光より戻りました」
「九郎、ご苦労だった。梅戸は条件を受け入れたか」
「いえ、最後まで降りませなんだ。抗った者は、御命令どおり根切りにいたしました」
「城はどうした」
「使える物を運び出させた上で、破却に取りかからせております」
降れば命までは取らないと、こちらは先に条件を示していた。それを退け、六角方として抗う道を選んだのは梅戸の方だ。今さら条件を緩めてまで、命を助けてやる理由はない。
梅戸が片付いた今、北伊勢でまだ橘の外にいる者を、光秀に確かめておきたかった。
「これで北伊勢に残る独立勢力は、願証寺だけか」
「はい。ほかに城へ兵を集め、橘の差配を受けずに動ける家は残っておりませぬ」
「分かった。兵は予定どおり戻してくれ」
光秀が一礼して下がると、牛一も書状を懐へ収め、翌朝の出立に備えて下がっていった。
* * *
永禄四年の四月、近江から届いた書状には、観音寺を追われた承禎と義治が、いまだ城へ戻れずにいると記されていた。
読み終えて書状を脇へ置くと、向かいの政基が口を開いた。
「御屋形様。六角のことで、以前から伺いたかったことがございます」
「何だ、弦十郎」
「野良田の後、観音寺で、六角などいつでも潰せると仰いましたな。そのお考えは、今も変わりございませぬか」
あの時に腹が立ったのは、義治の物言いだけではない。六角が大きくしてやった家なのだから、必要ならいつでも思いどおりに使える。義治が橘をそう見ていて、しかもそれを本気で信じていたことにも腹が立った。
政秀も頼政も六角に仕え、承禎とは長い付き合いがある。橘が六角に従ってきたのはその縁を重んじたからで、六角より弱かったからじゃない。義治は、橘が従う理由を履き違えていた。
そこまで考えてから、俺は政基の問いに答えた。
「戦で勝つつもりは、今も変わらん。だが、六角を潰すとなると話は別だ」
「観音寺を落とすだけでは済まぬと?」
「ああ。右衛門督を討っても、蒲生や三雲は残る。当主を討っただけで、六角が消えるわけじゃない」
「では、残った家々まで従わせねばなりませぬな」
「そうなる。南近江を押さえれば、その後の面倒もこっちで見ることになる。戦に勝って終わり、とはいかん」
横で聞いていた忠治が、そこで顔を上げた。
「右衛門督を討たれるおつもりは、今も変わらぬのですね」
「ああ、変わらん。舅殿の仇は取る」
「では、左京大夫殿はいかがなされます」
「左京大夫殿は仇じゃない。もう六角の下へ戻る気がないからといって、あの人まで討とうとは思わん」
正利が、手にしていた湯呑みを置いた。
「では、右衛門督を討った後、六角の家は残すつもりか」
「残る分には構わん。ただ、また家中をまとめ直されるのは困る」
俺の知っている歴史では、承禎と義治は観音寺を追われた後、蒲生や三雲の仲介で城へ戻っている。だが今回は、騒動が三年ほど早く起きたうえ、長政も既に死んでいる。周りの事情がこれだけ違う以上、二人が戻るとしても、そこへ至る流れまで同じとは限らなかった。
話が少し逸れたので、俺は政基の方へ向き直った。
「左京大夫殿と右衛門督は、そのうち観音寺へ戻るだろうな」
「何故でございます」
「蒲生も三雲も、六角そのものを潰したいわけじゃない。家中が割れたままでは、自分たちも困る。いずれ二人を戻そうと、間へ入るはずだ」
「では、その仲介を止めるのでございますか」
「いや、二人が戻ること自体は構わん。困るのは、二人を追い出した者たちまで手打ちに応じて、また六角の下にまとまることだ」
俺が畳の上へ地図を広げると、正利がそこへ目を落とした。
「ならば、六角へ戻りたくない者が、戻らずに済むよう支えてやればよいな」
「そういうことだ。橘に従えとまで迫る必要はない。六角の下へ戻らずにいてくれれば、それで十分だ」
政基の目が、地図の愛智郡で止まった。
「まずは、愛智郡からでございますか」
「ああ。六角と切れた以上、朝霧から山を下りた先を、いつまでも向こうに任せてはおけない」
朝霧は山に守られている反面、平地へ出る道は限られている。山を下りた先をすべて六角方に押さえられれば、外との行き来を妨げられ、村を守るにも支障が出る。
俺は地図の朝霧から平地へ続く道を指した。
「橘に付く者は受け入れる。従う気がなくても、六角へ兵を出さないなら構わん」
俺は忠治へ顔を向けた。
「三郎左衛門、おりんを呼んでくれ」
忠治は立ち上がり、廊下へ声を掛けた。ほどなく、おりんが座敷へ入ってきた。
おりんは俺の前まで来ると、静かに膝をついた。
「御屋形様、お呼びでしょうか」
「愛智郡を回って、家々の話を聞いてきてくれ。家の大小は問わん。人を集めて槍を持たせられる家なら、一軒ずつ当たれ」
「聞くのは、橘へ従う気があるか、でございますか」
「それだけじゃない。六角へ兵を出すつもりか、どちらにも付かずにいたいのかも確かめろ。迷っている家には、何があれば動くのかも聞いてこい」
おりんが地図へ目を落とした。
「鯰江はいかがいたします」
「あそこは六角との縁が深い。無理に橘へ引き入れようとすれば、かえって警戒される。今までどおりの付き合いを続けておけ」
俺は続けて、おりんに命じた。
「それと、蒲生郡の目賀田には声を掛けろ。その気があるなら、どんな条件を望むかも聞いてこい」
「その場で約束はせず、伺った条件を御屋形様へお伝えいたします」
「そうしてくれ。もう一つ、目賀田には屋敷を移させる。目賀田山から、所領の光明寺野へ移るよう命じろ」
「承知いたしました」
地図を辿っていたおりんの指が、小倉の辺りで止まった。
「小倉の東と西、それに青山にも声を掛けますか」
「ああ。そこまでは話を聞いてこい」
「宗家はいかがいたします」
「宗家は外しておけ」
小倉の中がどう動くか、今はもう少し見ていればいい。こちらから宗家へ近づくのは、まだ早い。
おりんが次の家を確かめた。
「後藤に縁のある方々には、どう伝えますか」
「どの家にも同じ条件を示せ。橘に従えとまでは言わん。ただ、六角との和睦には応じるなと伝えろ」
「和睦を拒んだために六角から兵を向けられた時は、橘が後ろを持つと伝えてよろしいのですね」
「ああ。ただし、助けを求められたら、その内容を俺へ上げろ。兵を出すか、米や鉄砲を送るかは、相手と状況を見て決める」
おりんが地図を確かめ終えるのを待ち、俺はもう一つ言い添えた。
「高野瀬から返事が届いたら、まず俺に知らせてくれ」
「承知いたしました」
おりんは地図を畳んで懐へ収め、座敷を出ていった。続いて、千種から呼び寄せておいた秀吉を中へ通させた。
秀吉が一礼した。
「御屋形様、どのような御用でございますか」
「藤吉郎、お前には東円堂の叔父上のところへ行ってもらう」
春の実家である東円堂の浅見家には、秀吉なら親類の顔で出入りできる。
秀吉が用向きを尋ねた。
「承知しました。何を聞いてまいりましょう」
「六角へ戻りたがっているのは誰か、嫌がっているのは誰か。その辺りを聞いてこい。条件を詰める話になりそうなら、おりんに回せ」
「では、世間話のついでに聞いてまいります」
「酒を飲みに行くんじゃないぞ」
「世間話には酒も要りましょう」
「ほどほどにしろ」
政基は呆れたような顔で、座敷を下がる秀吉の背を見送った。
* * *
その日の午後、可成を呼び、地図を広げた。可成は美濃へ抜ける道筋を目で辿った。
可成が俺に尋ねた。
「美濃へ兵を出されますか」
「ああ。三左衛門、員弁から北へ進んで石津郡へ入れ。多良から関ヶ原まで、道筋の斎藤方を掃除してくれ」
「落とした城は、どう扱いますか」
「玉城は、近江の動きを見るために残す。兵を置き、街道の往来と西を見張らせろ」
「ほかの城にも兵を置きますか」
「いや。道を空けるのが目的だから、斎藤方が再び籠もれないようにしたら先へ進め。土地まで抱える必要はない」
可成の指が菩提山で止まった。
「竹中も斎藤方ですが、菩提山はいかがいたします」
「そこには俺が話をしに行く。まだ話はついていないが、三左衛門からは手を出すな。向こうが仕掛けてきた時だけ応じろ」
「承知しました。某は関ヶ原までの道を空けることを優先いたします」
地図を畳みかけた可成が、手を止めた。
「斎藤へは、先に使者を出されますか」
「要らん。六角と組んで上総介殿と敵対した以上、こっちにとっても敵だ。わざわざ知らせて、備える時間を与える必要はない」
可成は地図を畳み終え、それを手に一礼して下がっていった。
俺の記憶では、義龍の死はもう近い。だが、長政や観音寺騒動が既に史実から外れている以上、義龍だけが同じ時期に死ぬとは限らない。こちらが動くのに、その死を待つ必要はなかった。
* * *
数日後、高野瀬から返事が届いた。こちらの条件を受け入れ、橘へ従うという。浅井方の先行きが定まらない以上、肥田一城で意地を張り続ける理由はないと踏んだらしい。
成政を呼んでその話を伝えると、少し考えてから俺を見た。
「御屋形様。某を肥田の城代になされるので?」
「ああ。備前守はお前の下に付ける。土地も人も知っているから使え。ただし、城も兵も、もう自分のものではないと心得させろ」
「某の手の者も、連れていってよろしゅうございますか」
「構わん。これまでお前の下で動いていた者から選んで連れていけ」
「では、残る兵は誰に引き継ぎましょう」
「江野の大隊は、左近に引き継げ」
「承知しました。引き継ぎを済ませ次第、肥田へ入ります」
成政をその場に残し、引き継ぎの話をさせるために清興も呼んだ。
清興が座敷へ入って一礼した。
「御屋形様、お呼びでしょうか」
「左近。内蔵助を肥田へ移すことにした。江野に残る大隊はお前に預ける」
成政が清興へ顔を向けた。
「兵のことは今夜話す。帳面は先に渡すから、それまでに目を通しておけ」
「承知しました。よろしくお願いいたします、内蔵助殿」
「分からんことは聞け。やり方を勝手に変えるなよ」
成政と清興を下がらせた。翌朝、可成が員弁から兵を出したとの報せを受け、俺も政基、忠治、正利を連れて江野を発った。
* * *
可成の軍勢とは別の道を取り、俺たちは少人数で多度から北へ抜けた。目指すのは菩提山だ。
後ろを振り返った忠治が、馬を寄せてきた。
「御屋形様。本当に兵を連れずともよろしいので?」
「三郎左衛門、竹中とは話をしに行くんだ。城の下まで兵を連れていけば、初めから脅しになるだろう」
「ですが、別の道では三左衛門殿の兵が進んでおります。それだけでも、竹中には十分な圧になりましょう」
「それは三左衛門の仕事だ」
「その仕事を命じられたのは、御屋形様でございましょう」
「細かいことを言うな」
前を歩いていた正利が振り返った。
「十兵衛。半兵衛から土地も城も取り上げて、本人まで江野へ連れていくつもりか。それでは竹中に何も残らんぞ」
「竹中の家は残す。久作も菩提山に残すつもりだ」
竹中久作重矩は、重治の弟だ。竹中家ごと迎えるなら、兄弟それぞれに何を任せるかも決めておかなければならない。
正利は俺を見たまま、言葉を継いだ。
「家は残すと言っても、半兵衛は所領も城も手放すことになる。そう簡単には飲めまい」
「俺が見込んだとおりの男なら、土地にしがみつくより、手放した後に何ができるかを考える」
「随分と買っているな」
「だから、こうして直接会いに行くんだ。それでも迷うようなら、勘九郎にも一言添えてもらう」
正利が俺に問い返した。
「わしを連れてきたのは、そのためか」
「ああ。実際に土地を失っても生き残った奴の言葉なら、俺が言うより重いだろ」
「随分と都合よく使うものだな。……今から帰ってもよいか」
「駄目だ」
正利は不満そうだったが、それ以上は言い返さなかった。菩提山が近づいたところで、先に出していた使いが戻り、城内へ通すとの返事を伝えてきた。
* * *
座敷へ通されると、細身の若い男が待っていた。新九郎を通じて何度かやり取りしてきた相手だが、顔を合わせるのはこれが初めてだった。
重治は俺に一礼すると、政基、忠治へと順に目を向けた。だが、正利を見たところで、その視線が止まった。
重治が思わず声を漏らした。
「……山城守様」
「今は、西村勘九郎だ」
「……失礼いたしました。勘九郎殿」
名を言い直した後も、重治は正利を見ていた。
「新九郎殿から、生きておられるとは聞いておりましたが、こうしてお目にかかれるとは思っておりませんでした」
「わしが死んだことになっていた方が、都合のよい者もいる。それだけだ」
正利に続いて、俺たちも座った。重治の少し後ろには、弟の重矩が控えていた。
重治は俺へ向き直ると、まず用向きを確かめるように口を開いた。
「十兵衛殿が某を召し抱えたいとのお話は、新九郎殿から伺っております」
「ああ。あの時は半兵衛一人が欲しかった。だが今は、竹中家ごと迎えたい」
重治の顔から、それまでの穏やかさが消えた。
「某一人ではなく、竹中家ごと斎藤に背けと仰るのですか」
「そういうことだ。遠回しに言っても仕方ないからな」
重治は少し間を置き、それから話を変えた。
「先日、橘の兵が石津郡へ入ったとの報せがございました」
「三左衛門に、多良から関ヶ原までの斎藤方を掃除させている。ただし、菩提山には手を出すなと命じてある」
「某が断れば、次はここへ兵を向けられるので?」
「断るなら、今日はこのまま帰る。すぐに菩提山を攻める気はない。ただ、斎藤方としてこちらへ兵を向けてくるなら、その時は戦う」
「それでは、あまり違わぬようにも聞こえます」
「少なくとも、今日ここで決めろと迫っているわけじゃない。考えた上で斎藤に残ると言うなら、それは半兵衛が決めることだ」
重治が正利へ目を向けた。
「勘九郎殿は、斎藤に残るのと橘へ従うのでは、どちらがよいとお考えですか」
「わしなら橘を選ぶ。この先を考えれば、その方がましだと思っている」
「この先、とは?」
「先をどう読むかも、自分で考えろ。誰に従うかまで、わしが決めてやることではない」
正利らしい答えを聞き、俺は重治へ目を戻した。
義龍の後には、斎藤喜太郎龍興が控えている。俺の知る歴史では、家督を継いだ龍興は重治を軽んじ、寵愛する家臣ばかりを近くに置くようになった。重治はその一人から散々侮辱され、ついには少人数で稲葉山城を乗っ取っている。
話がどこまで本当かは分からないが、二人の相性がよかったとは思えなかった。
俺は重治に忠告した。
「半兵衛。喜太郎には仕えない方がいい。お前が嫌な思いをするだけだ」
「若殿は、まだ家督を継いでおられませんが、先々は合わぬとお考えなので?」
「ああ。半兵衛は、違うと思ったことを黙って飲み込めないだろう」
「……否定はいたしませぬ」
「なら、喜太郎とは合わん。お前が正しいと思って言っても、あいつが聞き入れるとは限らんからな」
正利が横から笑った。
「その点、十兵衛のところなら困らんぞ。わしが好きに物を申しても、弦十郎も三郎左衛門も止めはせん」
「止めたところで、勘九郎が聞かないだけだろ」
「まあ、それもそうだ」
重治の口元も少し緩んだが、すぐに表情を改めた。
「では、条件を伺います。竹中が橘へ従った場合、所領は安堵していただけますか」
「いや、安堵はしない。土地も菩提山も橘が預かり、兵は橘の兵として組み直す。年貢を取る権利も、竹中には残さない」
後ろに控えていた重矩が、初めて口を開いた。
「それで、竹中の家は残ると仰るのですか」
「家は残す」
「土地も城も失って、何が残るというのです」
「人だろ」
重矩が黙る一方、重治は俺から目を逸らさなかった。
「十兵衛殿にとって、家と土地は別のものなのでございますか」
「別だ。橘では家を残すと認めても、城や土地、兵までそのまま任せるとは限らない」
「橘に従うと誓った家でも、でございますか」
「誓った後も城や土地、兵を前と同じように使えるなら、口で従うと言っただけで何も変わらないからな」
「土地を離れても、家は絶えぬと。十兵衛殿も、朝霧から江野へ移られた時、そうお考えになったのでございますか」
「ああ。朝霧は生まれ育った土地だが、家を続けるためにそこへ住み続ける必要はない。江野へ移っても、俺たちは橘のままだ」
黙って聞いていた正利が、そこで重治へ口を開いた。
「半兵衛。その話なら、わしを見ればよかろう。昔の所領も城もなく、名まで捨てた身だが、それでもこうして生きている」
「それで、よろしかったのですか」
「よいわけがあるか。失って嬉しい者などおらん。だが、土地を失ったからといって、人まで終わるわけではない」
「されど、城と土地を手放した竹中は、もう竹中ではなくなりましょう」
「そう思うなら、昔のものにしがみついて一緒に潰れればよい。そうでなければ、捨てるものを決めて先へ行くことだ」
「……それを決めるのは、竹中の者だと仰るのですね」
重治はしばらく黙っていたが、やがて弟へ目を向けた。
「では、久作も某とともに江野へ移るのでございますか」
「いや、久作には菩提山に残ってもらう。城は橘のものとし、俺から久作を城代に任じるつもりだ」
重矩がこちらへ向き直った。
「兵も、橘の兵として某が預かるのでございますか」
「ああ。今いる者を全部追い出すつもりはない。使える者は、そのまま残す」
重治が弟へ向き直った。
「久作。お前はどう思う」
「兄上がお決めになることに、従います」
「それでは聞いた意味がない。お前の考えを申せ」
「では申し上げます。斎藤と橘が争えば、ここもいずれ巻き込まれ、竹中だけでは両方を相手にできませぬ。城より、一族を失う方が怖うございます」
「簡単に申すな」
「簡単に申しているつもりは、ございませぬ」
重治と重矩がしばらく黙って見合っていると、正利が声を落として俺に耳打ちした。
「弟の方が、腹を決めるのは早そうだぞ」
重治は弟から目を外さないまま、それに答えた。
「聞こえております、勘九郎殿」
重治の視線がこちらへ移ると、正利は何事もなかったような顔で口を閉じた。
重治は改めて俺に尋ねた。
「もう一つ伺います。江野へ移った某に、何をさせるおつもりです」
「まずは善祥坊の下に付いてもらう。橘の軍の動かし方を覚えるまで、兵は預けない」
「某を欲しがっておられると聞き、すぐにでも兵を預けられるものと思っておりました」
「欲しいのと、会ったその日に何百人も預けるのは別だ。兵糧の回し方ひとつ、お前はまだ橘のやり方を知らん」
「帳面まで覚えろと?」
「当然だ。何人食わせるか分からないで、兵は動かせない。使番を出せば、命令が届いたかまで確かめる。そこまでが軍の動かし方だ」
重治は少し間を置いてから頷いた。
「橘のやり方を覚えさせ、その働きで某の使い道を決める、ということですな」
「そうだ。噂は聞いているが、お前がどこまで使えるかは、まだこの目で見ていない」
座敷に短い沈黙が落ちたところで、正利が吹き出した。
「半兵衛、随分と買われておるぞ」
「今の話の、どこがでございますか」
「使えるか分からん男のために、十兵衛がわざわざ自分で菩提山まで来たのだ。それで十分だろう」
俺は正利を横目で睨んだ。
「勘九郎、余計なことを言うな」
重治が、初めてはっきりと笑った。その笑みを収めると、弟へ一度目をやってから、俺に向き直る。
「十兵衛殿。少し、久作と話してもよろしいでしょうか」
「ああ、いいぞ」
兄弟を座敷に残し、俺たちは別の部屋へ移った。待つ間に、政基が声を落として言う。
「御屋形様。半兵衛殿ほど見込んでおられても、そこは特別扱いなさらぬのですな」
「竹中の当主だったからといって、橘でも最初から兵を好きに動かせると思われたら困る。俺だって善祥坊から教わったんだ。半兵衛だけ飛ばす理由はない」
正利が壁にもたれたまま口を挟んだ。
「従えば、の話だがな」
「勘九郎があれだけ言ったんだ。従わなかったら責任を取れよ」
「何の責任だ」
しばらくして、座敷へ呼び戻された。重治と重矩は並んで座っており、俺たちが腰を下ろすのを待ってから、重治が両手をついて頭を下げた。
「十兵衛殿。竹中家は、橘へ従います」
「分かった」
一度顔を上げた重治は、呼び方を改めて、もう一度頭を下げる。
「御屋形様。以後、お仕えいたします」
「よろしく頼む、半兵衛」
重矩も兄に続いた。
「御屋形様。菩提山の城代の件、謹んでお受けいたします」
「頼む、久作。まずは城の兵と蔵を改めてくれ。何人いて、何を持っているか、分かるようにしておいてくれればいい」
話がまとまったところで、廊下が騒がしくなった。重矩が声を掛けると、戸口から返事がある。
「申し上げます。三左衛門殿より、御屋形様へ早馬にございます」
「入れ」
土埃を被った男が入ってきて、俺の前に膝をついた。
「石津郡の斎藤方を退け、兵は牧田まで進んだとのことにございます」
「三左衛門には、予定どおり進めと返せ。菩提山が橘へ従ったことも伝えてくれ」
使者が下がるのを待って、重治がこちらへ顔を向けた。
「某の返事を待たずに、牧田まで兵を進めておられたのですね」
「菩提山の話と軍道の確保は、別の話だからな」
「では、もし某がお断りしていたら、その後のことは、その時にお考えになるおつもりだったので?」
「ああ、そうだ」
重治はしばらく黙り込み、それから正利へ目を向けた。
「勘九郎殿。御屋形様は、いつもこのような御方なのでしょうか」
正利は考える振りをしてから答えた。
「半兵衛。もう従ったのだ。諦めろ」
政基と忠治が声を上げて笑う中で、重治だけが、これから先を案じるような顔をしていた。




