第121話 田光の跡を通る
永禄三年(1560年)、十月。
伊勢国、朝明郡、田光、橘本陣。
梅戸攻め――明智光秀
江野を発った直轄連隊は、三河勢を加えて杉谷を抜け、田光の手前で足を止めた。城を望む野に陣幕を張り、梅戸城と大井田城にも先に兵を回してあるが、包囲はまだ閉じていない。返答の期限までは攻めかからず、支度を整えて待つつもりだ。
賢政からは、降るなら受け入れ、拒めば一族を根切りにせよと命じられている。総大将として軍を預かるのは初めてだが、命令そのものに迷う余地はなかった。
某が考えるべきは、どの順に兵を動かし、どこまで手配を済ませておくかだ。返答を待つ間に三城の絵図へ兵の配置を書き込み、搬出に必要な荷車の数も帳面に控えておいた。
使者が戻ったのは、期限の日の昼過ぎだった。陣幕の内へ通された男は、首を横に振りながら膝をついた。
某は使者が座るのを待って、口を開いた。
「条件は、誰に伝えた」
「梅戸城の左衛門大夫殿には、某から直接お伝えいたしました。田光城の治部殿と刑部殿には、梅戸の家人が同じ書付を届けたと聞いております」
「では、田光の返事も人づてか。それとも、直接聞いたのか」
「田光の門で、治部殿御本人から伺いました。『六角の御恩を忘れて、橘の門に頭を下げる梅戸ではない』と」
「左衛門大夫殿は、何と申された」
「父と同じ返事だと。それ以上お尋ねしようにも、門を開けてはいただけませんでした」
某は手元の書付に、返答した者の名と場所を書き足した。田光城の高実と、その嫡男の梅戸刑部少輔高宗に加え、梅戸城を預かる高実の子、梅戸左衛門大夫実秀も同じ言葉で断っている。父子三人の返答は一致しており、聞き違いではない。
陣幕の外で日の傾きを確かめていた使番が戻り、某に告げた。
「九郎様、定めの刻限を過ぎました」
「では、下知を出す」
某は絵図を広げ、居並ぶ者たちが見えるように向きを変えた。北伊勢に残る六角方の城は、田光、梅戸、そして大井田の三つだ。
某は絵図の田光城を指し、居並ぶ者たちへ命じた。
「三城とも、今日のうちに包囲を終えよ。一城ずつ兵を集めて攻めれば、手薄になった城から逃げられる。包囲に当たる兵は、最後まで持ち場を離れるな」
親正が三城の位置を絵図で確かめ、某へ問いかけた。
「攻めかかる刻限も、三城で合わせまするか」
「いや、城ごとに某が定める。包囲を終えたら、そのまま下知を待て」
家次が絵図の田光城西口へ目を落とし、兵の分担を確かめた。
「九郎殿、田光は第二大隊と甚助殿の第三大隊で包囲を保ち、作内殿の第四大隊が攻め込む。それでよろしいですか」
「よろしい。攻めかかる刻限は作内殿に任せるが、外曲輪を越えて進む時は、某の下知を待たれよ」
「心得ました。外曲輪までなら、明朝には攻め取れましょう」
光泰が答える前に、成政が絵図の端を指で叩いた。
「九郎殿、第一大隊はどこへ置かれます」
「田光攻めの備えとして残す。最後の守りを破るのは、左近殿に任せたい」
成政が頷くと、清興が口を開いた。
「最後まで待つのは、性に合いませぬな」
「その間に兵を休ませておかれよ。小五郎殿と平八郎殿にも、そう伝えていただきたい」
清興は口元に笑みを浮かべただけで、それ以上は何も言わなかった。
親正が絵図から顔を上げ、某へ尋ねた。
「九郎殿、落城後の扱いも伺っておきとうございます。城兵が降伏を申し出た場合は、いかがいたします」
「降る城兵は武具を置かせ、名を記した上で村へ帰せ。ただし、梅戸の一族は別だ。十兵衛様の御下知により、妻子も含めて全員殺せ」
* * *
翌朝、家次の第二大隊と親正の第三大隊が田光の外曲輪を東西から鉄砲で撃ち、城兵が身を隠した隙に、光泰の第四大隊が坂を詰めて外曲輪へ取り付いた。城方の撃ち返しに倒れる兵も出たが、後続の兵がその穴を埋め、攻め手は前進を続ける。
某は外曲輪の下にある窪地で、次々に戻る使番から報告を受けていた。
親正の使番が駆け込み、膝をつくのももどかしげに報告した。
「甚助様より、西の柵際で弾が尽きかけているとのことです。隊を入れ替える間、東の鉄砲の一部を西へ寄せていただきたいと」
「七郎左衛門殿に伝えよ。東の鉄砲を一列だけ西へ移せ。ただし、東の射撃も絶やさぬように」
使番が走り去ると、外曲輪の門の辺りで喚声が上がり、城方の兵が一団となって坂を駆け下りてきた。その先頭を、まだ若い武者が走っている。
城兵たちが若い武者に続いて駆け下り、その叫び声が窪地まで届いた。
「若殿! 若殿に続け!」
あれが高宗だ。父を主郭に残し、自ら槍を取って打って出てきた。
第四大隊が押し返されかけると、光泰が自ら前へ出て兵を叱咤した。
「下がるな! 列を詰め、あの若武者を通すな!」
高宗が光泰の胸を目がけて槍を突き出すと、光泰は片鎌槍でその穂先を絡め、横へ払った。高宗が体勢を崩した隙に、槍を返してその脇へ突き入れる。
高宗が倒れ、城兵が足を止めた隙に、光泰の兵が門へ詰め寄った。昼前には外曲輪を攻め取り、橘の旗を掲げていた。
光泰は手負いの兵を下げさせてから窪地へ戻り、某に報告した。
「九郎殿、外曲輪を攻め取り、刑部少輔殿を討ち取りました。ただ、治部殿は主郭の門を閉ざし、なおも籠もっております」
「隊の損害は、どれほどか」
「死者も手負いも出ております。主郭は外曲輪より土塁が高く、明日も同じように攻めれば、さらに兵を失いましょう」
「ならば、第四大隊は外曲輪の守りを固め、兵を休ませよ。主郭攻めは左近殿に任せる」
大井田へ向かう前に、某は使番を一人伴って主郭の門前へ出た。門上の櫓では、具足姿の高実がこちらを見下ろしている。
高実は櫓の縁に手を掛け、某を見下ろして声を張った。
「明智とやら。十兵衛殿は道を通すと決めた折、田光の城へは兵を入れぬと、我らの前で頭を下げて約したはずだ」
某は高実を見上げ、問い返した。
「その折、治部殿は何と答えられた」
「今度はこちらが、約定を忘れぬよう見ておく。そう申してやったのだ」
「十兵衛様はその後も約定を守り、今日まで田光へ兵を入れずにこられました」
「ならば、なぜ今になって攻め寄せ、我が子を討った」
「約定を結んだ時は、互いに六角の御家中でした。十兵衛様は、治部殿が左京大夫殿の叔父であることも慮って、これまで田光を攻めずにこられたのです」
某は門上の高実を見据え、言葉を継いだ。
「その六角が但馬守殿を討ち、織田との盟を捨てて橘を敵に回したのです。約定の前提を崩したのは、観音寺の方でございましょう」
「右衛門督様を愚弄するか」
「事実を申し上げております。こちらは降伏の道も示しましたが、治部殿はお断りになった」
高実は櫓の縁を握る手に力を込めた。
某は高実の反応を見届け、最後に告げた。
「治部殿。恨むのであれば、十兵衛様ではなく、愚かな又甥を恨まれよ」
櫓の上から矢が飛び、某の足元に突き立った。前へ出かけた使番を手で制して櫓を見上げたが、二本目は飛んでこない。某は踵を返し、大井田へ向かった。
* * *
因小源太道信が守る大井田城は丘陵の先端にあり、尾根続きの側を堀切で断っていた。飛騨守が正面の斜面の下に杉谷の兵を並べる一方、右手の尾根筋では、朝倉兵部大夫率いる保々西の兵が堀切の手前に盾を立て、その後ろから資材を運び上げている。
後方の窪地では、政虎の父が切畑の兵に指示を出し、替えの盾や矢を前線へ送らせていた。運び込まれる手負いの兵を受け入れる場所も空けてある。
某が着くと、飛騨守は絵図を広げて攻め口を示した。
「九郎殿、まず兵部大夫殿の兵が堀切に板を渡し、尾根から攻めかかる手筈です」
「では、杉谷の兵はいつ動かす」
「城方が尾根へ兵を寄せ、正面が手薄になったところで斜面を上がらせます」
「小源太殿は、今どちらに兵を集めている」
「正面です。こちらの兵が多く見えるためでしょう」
「ならば、先に正面の兵を動かし、敵を引き付けよ。兵部大夫殿には、その後で板を渡すよう伝えられよ。尾根から先に攻めれば、渡り切る前に敵の兵が集まる」
兵部大夫への使いが走ると、飛騨守の兵が正面の斜面を上がり始めた。城方の矢や礫を浴びながらも、ゆっくりと前進を続ける。
政虎の父は、手負いを担いで下りてくる兵を見てから、某へ向き直った。
「九郎殿、正面の手負いはこちらで引き受けます。受け入れる場所にはまだ余裕がございますので、そのために兵を退かせる必要はございませぬ」
「饗庭殿、替えの盾はあと何枚ある」
「正面で使う分は、まだ足りております。尾根へ送る分も、別に取り置いてございます」
城方の兵が正面へ集まると、尾根側では堀切に板が渡され、兵部大夫の兵が越えて背後へ回った。前後から攻められた城兵は散り、道信は主郭の前で踏み止まったが、そこへ飛騨守と兵部大夫の兵が両側から斬り込む。道信は乱戦の中で倒れた。
飛騨守は道信が倒れた場所を確かめ、某の前へ戻ってきた。
「九郎殿、小源太殿を討った手柄は、どちらに付けましょう」
「杉谷と保々西、双方の手柄だ。両軍の兵が共に討ち取ったと帳面に記せ」
* * *
その足で、梅戸城を攻める秀吉の陣へ向かった。員弁川右岸の丘陵、光蓮寺山に築かれた城を見上げると、麓には光蓮寺の鐘楼の屋根も見えた。
秀吉は陣幕の外へ出て、某を迎えた。
「九郎殿、ちょうどよいところへ来られました。小平太が面白い策を申しておりましてな」
政孝が、絵図の上の空堀を指さした。
「昨日も一昨日も、材木を寄せた時だけ兵を出しています。あそこに足場を組まれるのを嫌がっているのでしょう」
「材木を寄せ、出てくるのを待つということか」
「いえ、実際に足場を組み始めます。完成する前に潰そうと、必ず出てくるはずです」
「出てきた兵は、どう討つ」
「足場を守る兵には、押された時にどこまで退くか、あらかじめ伝えておきます。敵が追ってきたところを、左右から挟みます」
秀吉は政孝の肩を叩くと、某へ向き直った。
「餌は本物でございます。放っておけば足場が仕上がり、我らが堀を越えられる。城方も黙ってはおれますまい」
「左衛門大夫殿も、自ら出てくると見るか」
「そこまでは読めませぬ。兵だけを出すかもしれませぬな」
「ならば、左衛門大夫殿を誘い出せずとも、攻めに使える足場を組むのだな」
「はい。そのまま仕上げて城攻めに使います。策が当たらずとも、普請は無駄になりませぬ」
某は絵図の光蓮寺を指し、秀吉に念を押した。
「藤吉郎殿、光蓮寺へは兵を入れず、鉄砲も寺へ向けぬように」
「寺の門には、すでに番を立ててございます。坊主どもは本堂で経を上げておりましてな。戦が終わるまでは外へ出ぬよう、申し渡してございます」
「城方へ水や米を届けておらぬかも、確かめておかれよ」
「小平太に命じ、寺から城へ物を運んでおらぬか、調べさせております」
陣幕の脇では、一氏が鉄砲の火縄を確かめていた。
秀吉が一氏へ顎をしゃくり、問いかけた。
「孫平次、伏せる場所は決めたか」
「足場の左手にある、少し高い土手の陰です。門から足場まではちょうど一町。馬に乗った者なら外しませぬ」
「左衛門大夫殿が出てくれば、狙えるか」
「はい。雑兵ばかりであれば、撃たずに待ちます」
翌朝、秀吉の兵が空堀の縁へ材木を運び、足場を組み始めた。骨組みが半ばまで出来た頃、城門が開き、若い武者を先頭に城兵が出てくる。周りの兵が「殿」と呼ぶその武者は、実秀だった。
足場を守る兵があらかじめ決めた位置まで退くと、城兵は材木を引き倒し始めた。そこへ秀吉の兵が左右から押し寄せ、馬上で兵を立て直そうとする実秀に、土手の陰から一氏の鉄砲隊が一斉に撃ちかける。実秀は鞍から崩れ落ちた。
秀吉は手を振り下ろし、兵に命じた。
「今だ、城へ詰めよ! 逃げ戻る敵に続いて門へ入れ!」
秀吉の兵は逃げ戻る城兵を追い、門が閉まる前に城内へなだれ込んだ。昼過ぎには梅戸城の主郭を制し、千種の旗を掲げていた。
秀吉は具足の紐を緩めながら主郭から下りてきて、某に報告した。
「九郎殿、梅戸城を取りました。光蓮寺にも煤一つ付けておりませぬ」
「左衛門大夫殿は、どうなった」
「孫平次が一撃で仕留めました。小平太の読みどおりでございましたな。わしが考えた策だと申しておけば、もう少し褒めていただけたものを」
政孝が秀吉の後ろで帳面を抱えたまま苦笑した。
「藤吉郎様の策にされたら、俺の名が帳面に残りません」
某は政孝へ、戦功を記すよう告げた。
「策を立てたのは早川小平太、左衛門大夫殿を討ったのは中村孫平次。藤吉郎殿は、城攻めを指揮して梅戸を落とした将として記せ」
「わしの名は一番後ろでございますか」
「城攻め全体の功は、藤吉郎殿のものということです」
* * *
城内で捕らえた者の中に、実秀に仕える近習がいた。田光の高実にも面識があるという。
某は近習を本陣へ呼び、縄を解かせた。
「田光の門前で、梅戸城が落ち、お前の主が死んだことを伝えてもらう。偽りを交える必要はない。お前が見たままを話せ」
「……殿の御父上に、殿が亡くなられたと、わしの口から申せと」
「お前が断れば、別の者を遣わす。だが、治部殿はお前の顔を知っている。見知らぬ者から聞くより、信じられよう」
「それを伝えて、何になるのです」
「主郭の門を早く開かせるためだ。戦を長引かせずに済めば、城の兵も、こちらの兵も、死ぬ者が減る」
近習はしばらく黙り込んでいたが、やがて顔を上げた。某は使番に命じ、近習を田光城の主郭の門前まで連れていかせた。
近習が門前で声を張り上げると、主郭の中は静まり返った。しばらくして門の内側から誰かの叫びが聞こえたが、それきり返事はなかった。
* * *
翌朝、成政は第一大隊を率い、主郭の門前へ進み出た。
清興は主郭の門と土塁を見上げ、忠次と忠勝へ向き直った。
「門の右手に、土塁の低い所がある。あそこから入るぞ。平八郎、先頭に立って切り開け。小五郎は兵を詰め、後続を途切れさせるな」
「突破しても敵は追わず、後続が入るのを待ちます」
「それでいい」
鉄砲の射撃に城兵が身を伏せた隙に、忠勝が蜻蛉切を構えて土塁へ取り付いた。突き出された槍を払いながら進むと、城兵は後ろの味方を押しのけるように退いていく。
そこへ、忠次の兵も続いて土塁を上がってきた。前から押された城兵は後続とぶつかり、身動きが取れなくなっていった。
城兵の一人が、忠勝を指して叫んだ。
「鬼じゃ! あの槍の男は鬼じゃ!」
その叫びをきっかけに、城兵は主郭の奥へ逃げ始めた。第一大隊は退く城兵の背を追って攻め込んだ。
土塁の上で、忠次が前にいる忠勝へ声を掛けた。
「平八郎、奥まで追うな。左近殿の隊が入り切るまで、ここを守れ」
「追ってはおりませぬ。……追いたいとは思っておりますが」
「思うだけにしておけ」
昼前には主郭も陥落した。
主郭の座敷の前では、清興が縄を掛けた城兵を一人連れ、某を待っていた。
「九郎殿、治部殿は座敷で亡くなっておりました。この者が、最期まで傍にいたと申しております」
城兵は膝をついたまま顔を伏せ、話し始めた。
「門の外から左衛門大夫様の御最期を聞かれると、殿は顔を真っ赤にして、橘を罵り続けておられました。そのうち、急に胸を押さえて倒れられ……」
「誰も、手を下してはおらぬのだな」
「はい。倒れられてからも、若殿と左衛門大夫様の名を呼んでおられましたが、ほどなく息が絶えました」
「……さようか」
某は清興へ向き直った。
「この者は一族ではない。他の城兵と同じに扱え」
* * *
某は主郭の庭で、梅戸一族の処断に自ら立ち会った。奥から引き出された高実の妻と側仕えの女たち、元服前の男子が二人、娘が三人。その脇には、梅戸の名を持つ年寄りや若者も膝をついている。
書役が帳面を開き、第一大隊の兵が、並んだ者を一人ずつ前へ連れ出していった。
某は並べられた者の顔を、帳面の記載と一人ずつ照合した。
「名を名乗らせよ。答えぬ者は、城兵に確かめよ」
書役が年寄りの一人を示した。
「九郎様、この者も梅戸の一族だと、城兵が申しております」
「その旨も記せ。次の者を」
名が帳面と合うたびに、第一大隊の兵がその場で槍を突き入れた。女たちは声も上げない。男子の一人だけが、母の袖を掴んで泣いていた。
兵は、その母を先に突き、続いて子を突いた。順が逆であれば、子は母の死に際を見ずに済んだだろう。だが、そこまで気を配っている暇はなかった。
成政が某の横に立ち、帳面に目を落としながら報告した。
「九郎殿。乳母が子を抱いて裏手から逃げようとしたところを、小五郎の兵が道で押さえました。二人とも、こちらへ連れてきております」
「子の名は、分かったか」
「名はまだ。城兵の話では、治部殿の末の子で、まだ乳飲み子とのことにございます」
某は、帳面の該当する箇所を確かめた。
「その子は、帳面に載っておる。乳母は一族ではないゆえ、処断するのは子だけだ」
兵が乳母の腕から子を取り上げ、庭の隅へ運んだ。乳母は別の兵に押さえられたまま、門の外へ連れ出されていった。
処断が済むと、某は降伏した城兵の中から、高実の家に長く仕えていた者を呼び出した。
「梅戸の血を引く者で、城の外にいる者はおらぬか。嫁いだ娘や他家へ預けた子、寺へ入れた者も含め、思い出せる限り申せ」
「……左衛門大夫様の御子が一人、員弁にある乳母の里へ預けられております」
「その在所はどこだ」
「大泉の外れにある村にございます」
某は使番へ向き直り、命じた。
「今夜のうちに兵を出し、藤吉郎殿にも知らせよ。大泉は梅戸に近い。逃げられる前に、その子を捕らえる」
「村の者が匿っておりましたら」
「まず、子を引き渡せば村の者には何もせぬと告げよ。それでも匿い続ける家は焼き払え」
使番は直ちに陣幕を出て、駆けていった。
清興が庭に並ぶ亡骸を見下ろし、某へ尋ねた。
「九郎殿、亡骸はどういたします。首は取らぬとしても、葬るのであれば寺へ引き渡しますか」
「寺へは渡さぬ。皆まとめて一つの穴に埋め、地面を均せ。塚も印も要らぬ。人が集まり、梅戸の名を語る場所を残すな」
「どこへ埋めますか」
「空堀の底に穴を掘らせよ。城を崩す時に、堀ごと土で埋める」
* * *
翌朝、大泉へ出した者が戻り、乳母の里の家を囲んで子を引き渡させたと報告した。家の者が要求に従ったため、家は焼かずに済んだ。
書役が帳面の末尾に一行を書き加え、顔を上げた。
「九郎様、これで全てにございます」
「そうとは限らぬ。城兵が名を挙げなかった者もいよう。降った城兵は杉谷へ移す前に、もう一度、一人ずつ別に問いただせ。話が食い違った者は江野へ送れ」
続いて、城内や蔵から物資を運び出し始めた。第四大隊が米を、第二大隊が武具を運ぶ一方、第三大隊は建物から釘や金具を外し、再利用できる材を取り外していく。
飛騨守が田光の町を眺めながら、某の横に並んだ。
「九郎殿、田光の町や村は、いかがなさいますか」
「杉谷と切畑だけで、八風の道は守れますか」
「守れます。八風から杉谷、切畑へ抜ける道は、もとより我らが警固しております」
「ならば、田光はなくとも差し支えございませぬな。蔵や家から使える物を運び出した上で、残りは取り払わせてくだされ」
飛騨守はしばらく某の顔を見つめてから、問いかけた。
「田畑は、いかがいたします」
「杉谷か切畑から通って耕せばよい。年貢は、そちらの帳面で受けてくだされ。田光の名は使わず、杉谷の枝郷として記していただく」
「……名まで、消されますか」
「名が残っておれば、梅戸の旧臣どもが、いずれそれを拠り所に集まってまいりましょう」
その日のうちに、田光の町では家々の取り壊しが始まった。兵は戸板を外し、梁に掛けた縄を引いて家を倒していく。柱は割って薪にし、杉谷の蔵へ運ぶ分にまとめたが、割れないものは町の真ん中に積んで焼いた。
町の入り口では、年寄りが一人、親正の兵に行く手を阻まれていた。某が近づくと、年寄りはその場に膝をついた。
「お侍様、わしらは梅戸の家来ではございません。ただ田を耕しておっただけの百姓でございます。家を壊されては、冬を越せません」
「家財と米は、持ち出してよい。隣の杉谷か切畑へ移るのであれば、新たに住む場所も用意する。ただし、ここに住み続けることは許さぬ」
「なぜ、家まで壊されるのでございます」
「町があれば、それを頼りに、また誰かがここに城を築くからだ」
年寄りはそれ以上口を開かず、親正の兵に背を押されて村の外へ連れていかれた。某はその場を離れ、後ろに従う親正と町の井戸を一つずつ確かめて回った。
親正は三つ目の井戸を覗き込み、某へ向き直った。
「九郎殿、井戸はいかがいたします。田へ通う者が飲み水に使うかもしれませぬ」
「川の水を使わせよ。井戸は石で埋める。残せば、人が戻って住み着く」
「城の石垣を崩し、その石で埋めますか」
「そうせよ。埋めるための石を、別に集めずに済む」
城では第二大隊が土塁を崩し、空堀へ土を落としていた。一族の亡骸を埋めた穴も、その下へと覆われていく。櫓の柱を抜いて建物を倒す兵もいれば、礎石を掘り起こして転がす兵もいた。
第四大隊の兵が、掘り起こした礎石を数えている。その間に、某は運び出した米俵の数を調べさせ、まだ搬出の済んでいない蔵がいくつ残っているかを尋ねた。
書役が帳面を開き、蔵ごとの搬出状況を報告した。
「城内に二つ、町に三つございます。町の三つはすでに空ですが、城内の一つには、まだ米が半分残っております」
「明朝までに全て運び出せ。空になった蔵から順に取り払え。ただし、焼く前に床板を剥がし、床下に隠した物がないか確かめよ」
かつて高実は、橘の兵が田光を通る際には、勝手に村へ入らず、田畑も荒らさぬよう求めてきた。その約定を交わした相手は、もうどこにもいない。
* * *
夕方、江野へ向かう街道には、米や武具、道具、建材を積んだ荷車の列が続いていた。荷車は取り払われた町の跡を通り、杉谷の方へ進んでいく。
某は街道の端で、荷車が轍に車輪を取られずに通り過ぎるのを確かめた。それから懐の書付を取り出し、取り壊しが残る城の櫓と、町外れの番屋の名を書き加えた。




