第120話 橘家の家督を継ぐ
永禄三年(1560年)、十月。
尾張国、春日井郡、清洲、清洲城。
江野を発って数日、刈り入れの済んだ田が続く街道の先に、堀と柵に囲まれた清洲城の甍が見えてきた。今回連れてきたのは、政基と少数の近習だけだ。城下へ入ると、商人町には荷を積んだ馬が列を作っていた。
供の一人が、行き交う人を眺めて漏らした。
「相変わらず、人の出が多うございますな」
桶狭間の戦の後だというのに、清須の商いはかえって活気づいている。俺たちは荷馬の列を避けながら、城へ向かった。
ここまでの道中、馬を並べる政基に今回の話をしてみたが、返ってきたのは短い相槌ばかりだった。俺に考えをまとめさせようと黙っているのか、単に言うことがないのか、本人に尋ねてもはっきりしない。
織田とはすでに、互いの領地へ兵を入れず、相手に降った城や国衆にも手を出さない、危うい時には事情の許す範囲で助け合う、と約している。桶狭間では、実際に兵を並べて今川と戦った。
だが、今回は、その友好や不可侵を確かめに来たわけじゃない。六角が斎藤と結んだ以上、北勢は近江、美濃、南勢の三方に備えなければならなくなった。だからこそ、尾張とはこれまで以上に強く結ぶ必要がある。
城へ入ると、さほど待たされずに信長のいる座敷へ通された。信長は俺の顔を見るなり、笑い声を上げた。
「よう来たな、十兵衛。観音寺で何やらあったとは聞いておったが、まさかお前が絡んでおったとはな」
「笑い事じゃないんだが」
「浅井備前守を撃ち殺したかと思えば、今度は六角の家中までひっくり返したそうではないか」
「俺がひっくり返したわけじゃない。右衛門督が、舅殿と義兄を殺したんだよ」
「だが、その右衛門督を怒らせたのは、お前だと聞いたぞ」
「……そこは、否定しない」
信長がまた笑った。賢豊と壱岐守を失った俺には笑えないが、ここで沈んだ顔をしていても話は進まない。
信長もそれ以上はからかわず、六角の話へ戻った。
「左京大夫と右衛門督は、観音寺を追われたそうだな」
「ああ。永田、三上、池田、進藤、平井らが兵を挙げた。中には浅井と通じている家もある」
「その浅井はどうなった」
「家督は、弟の玄蕃頭が継いだらしい。下野守もまだ健在で、朝倉が本腰を入れて立て直しを支えている」
「当主を失っておきながら、もうそこまで持ち直したか」
「ああ。これからは浅井だけじゃなく、その後ろにいる朝倉の動きまで気にしなきゃならないだろうな」
信長は少し考え込み、膝を叩いた。
「六角は斎藤と結び、浅井は朝倉を頼るか。ずいぶんと入り乱れてきたものよ」
「六角は、織田との盟約まで切ったそうだな」
「ああ。右衛門督の使者が来て、治部大輔と結ぶゆえ、織田との盟約は終いだと申しおった」
「俺がわざわざ仲立ちしてやったのに、随分と思い切ったものだな」
「わしに言うな。切ったのは向こうだ」
賢豊が討たれた以上、六角との縁が切れたのは、こちらも同じだ。今さら御家の存続などという戯けた理由で、あの家に従うつもりはない。
俺は信長に向き直り、今回の用件を切り出した。
「六角が斎藤と結んだ以上、困るのは織田も同じだろう」
「それで、わしとの約定を強めたいと申すか」
「ああ。こっちは近江、南勢、美濃の三方に備えなきゃならない。その上、尾張の動きまで気にしていては、思うように兵を動かせない」
「わしとて、尾張を統べた矢先に今川と争い、斎藤ともやり合っておる。この上、橘まで敵に回す気はない」
「桶狭間では一緒に戦ったし、商いも続いている。その関係は保った上で、この先それぞれがどこへ進むか、どう手を貸し合うかを決めておきたいんだ」
手を組むと決めた以上、次は、互いに何を引き受けるかを詰めていかなければならない。
俺も座り直し、条件を示した。
「前に決めた領地や家臣の扱い、商人や荷の行き来は、これまでどおりでいい。その上で、まずは斎藤が兵を出してきた時に、手を合わせたい」
「どのようにだ」
「斎藤が尾張へ来れば、橘は北伊勢から西濃を攻める。六角や斎藤がこっちへ来た時は、織田に中濃か東濃で動いてもらう。必要なら兵も合わせる」
「美濃を、両側から挟むわけか」
「ああ。そうなれば、治部大輔も六角のために好きに兵を動かせなくなる。それだけでも、こっちは助かる」
信長は指先で膝を叩きながら考え込み、やがて俺に目を戻した。
「他家から攻められた時に助け合う約定も、そのまま残すのだな」
「もちろんだ。兵を出せる時は出す。難しければ兵糧を送るか、駐留や通行を認める。桶狭間でやったことを、もっと広げたい」
「その助け合いに、美濃を攻める時の手合わせも加えるか。だが、どちらかが約定を破ったら、どうする」
「どうもしない。約定を守ることが損にしかならないなら、結んだ意味がない。そうなった時に守るかどうかまでは、誰にも保証できないだろ」
信長はしばらく俺を見つめてから、頷いた。
「悪くない。今川を抱えたまま、斎藤に六角まで相手にするのは面倒だ。橘が西濃を突けば、わしも動きやすくなる」
「こちらも、織田が中濃や東濃で兵を動かしてくれれば助かる」
「互いを使うというわけか」
「その方が分かりやすいだろ」
信長が声を上げて笑った。
「十兵衛には、桶狭間の借りもあるしな」
「どんな借りだ」
「わしが生きて戻れたあの戦へ、お前はわざわざ北伊勢から兵を率いて来たであろう」
「なら、その借りはたっぷり返してもらおう」
「図々しい奴よ」
信長は笑みを残したまま、話を締めくくった。
「これまでの約定は残し、戦でも商いでも互いへの援助を強める。美濃へ出る時には、必要に応じて兵も合わせよう。橘と織田、正式に盟を結ぼうではないか」
「異存ない」
信長が近習に書付の用意を命じ、俺もようやく肩の力を抜いた。ところが、信長はすぐにこちらへ目を戻した。
「これだけでは弱いな。書付を交わしても、都合が悪くなれば六角のように盟を切ることもできる」
「ほかに何を決めるつもりだ」
「縁を結ぶ。十兵衛、妻はおったな。側室はおるか」
「妻は今回殺された但馬守殿の娘だ。側室はいないが、それが縁組とどう関わる」
嫁ぎ先を探るような聞き方に、嫌な予感がした。信長は俺の反応を気にする様子もなく、話を続けた。
「なら、ちょうどよい。わしの身内から一人遣わす。橘からも誰ぞ出せ」
「上総介殿へ嫁がせる年頃の者は、うちにはいないぞ」
「誰がわしに寄越せと言った。倅の奇妙丸がおる。お前には妹がおったであろう」
「初音がいるが、まだ七つだぞ」
「奇妙丸も幼い。今すぐ嫁がせるのではない。婚約を結んでおけばよい」
同盟の条件を詰めていたはずが、妹の婚約にまで話が及んでいる。待ってくれと口を挟んでも、信長は構わず続けた。
「互いに身内を出して縁を結ぶのだ。これなら、一方だけが人質を差し出したとは言われまい」
「初音と奇妙丸殿の話は分かった。だが、上総介殿の身内を俺に迎えろというのは、誰のことだ」
「市だ」
織田からは信長の妹を、橘からは俺の妹を出すつもりらしい。俺が返事をする前に、信長は廊下へ声を掛けた。
しばらくすると、市が侍女を伴って座敷へ入ってきた。以前、清洲の廊下で頭を下げ合った際に、長秀から名を聞いてはいるが、直接言葉を交わすのは初めてだった。
市は信長の前に座ると、頭を下げた。
「兄上、お呼びでしょうか」
「ああ。十兵衛を覚えておるか」
「はい。以前、お目にかかっております」
市がこちらへ向き直ると、俺も頭を下げた。
「お市殿、御無沙汰しております」
「橘殿のお話は、兄上から何度か聞いております」
「どうせ、ろくな話ではないでしょう」
「変わった御方だとは伺っております」
市が小さく笑うと、信長は平然と告げた。
「市を十兵衛へ遣わす」
「待ってくれ。俺には正室がいる。父と兄を失ったばかりの妻を離縁して、別の正室を迎えるつもりはない」
「誰が離縁せよと申した。市は側室でよい」
「お市殿を、側室に」
俺は、思わず市の方を見た。橘の領地が増えたとはいえ、尾張一国を治める織田家当主の妹を側室に迎えるとなれば、家格を考えても、簡単に受けられる話ではない。
俺は市から目を戻し、信長に言った。
「家格が、釣り合わないだろう」
「郷村の一つ二つを治めておった頃ならいざ知らず、今のお前には、北勢を治めるだけの格があろう」
「いや、それでもだな」
「何が不満だ」
「不満なんじゃない。お市殿本人は、どう思っているんだ」
市は、俺と信長に交互に目を向けてから、静かに答えた。
「兄上がお決めになることでしたら、私は従います」
「そんなに簡単に決めてしまっていいんですか」
「橘殿は、お嫌なのでございますか」
「いえ、そういう話ではありません」
「でしたら、私は構いません」
俺の懸念は、市にも伝わっているのだろう。それでも構わないと言われたが、俺一人で決められる話ではない。
「一度、家へ持ち帰らせてくれ。父と妻に話を通してから返事をしたい」
「好きにせよ」
「家で断ると決まったら、どうする」
「その返事はいらん」
「それじゃ、持ち帰る意味がないだろ」
「家へ話を通したいのであろう。通してこい」
信長は最初から、断る返事を受け付ける気がないらしい。俺は息を吐き、念を押した。
「奇妙丸殿と初音の婚約も含めて、家で話をする」
「そうせよ。二つの縁を結べば、六角のように簡単には盟を切れまい」
「最初から、それが狙いだっただろ」
「今頃気づいたか」
信長は楽しそうに笑った。同盟の話はまとまったものの、家へ戻ってからの話し合いの方が難しそうだ。城を出て馬に乗るまで、政基は一言も口を開かず、黙っていられるとかえって気まずかった。
* * *
江野へ戻ると、まず綾と春のいる奥座敷へ向かった。同盟に続けて縁組の話をどう切り出すか、道中ずっと考えていたが、まだまとまっていない。
座敷では、綾が恋姫を抱きながら乳母と話していた。生まれて七月ほどの娘は、母の腕の中で小さく寝息を立てている。
綾が恋姫を乳母へ預けるのを待ち、俺は清洲での話を始めた。織田との同盟を軍事面でも強めることに、二人とも異論はない。春は、これで六角に頼らずに立っていけると、安堵した様子だった。
俺は二人の顔を見て、縁組の話を切り出した。
「それから、上総介殿から縁組の申し入れがありました」
春がこちらへ顔を向けた。
「どなたとどなたの縁組です」
「俺と、お市殿です」
春の顔が強張り、俺はすぐに言い添えた。
「正室を替える話ではありません」
「当たり前です。綾の父上と兄上が亡くなったばかりなのですよ」
「分かっています。俺も断ろうとしましたが、上総介殿が聞き入れてくれなかったんです」
「聞き入れてくださらなくとも、断るべき話なら断ればよいでしょう」
春はまだ納得していない。俺は綾へ向き直り、縁組の条件を伝えた。
「綾と離縁しろとも、側室にしろとも言われていない。お市殿を側室に迎えてほしいという話だ」
「お断りすることはできますか」
「できなくはない。ただ、断れば、織田との関係にも気を配りながら動かなきゃならなくなる」
綾の返事を待つ間に、春が口を挟んだ。
「雪姫様のことも、まだ乳飲み子でありながら、いずれ側室に迎えると決まっているのですよ。そこへ、お市様までお迎えするとなれば」
「雪姫のことは、北畠との約定です。年頃になるまでは、何も変わりません。俺だって、好きで縁組を増やしてるわけじゃないんです」
雪姫は北畠との講和で預かっており、年頃になれば側室へ迎えることになっている。市まで迎えれば、奥向きの負担がさらに増すのは間違いない。
俺は綾に、自分の気持ちを伝えた。
「俺としては断りたい。今、こんな話をするべきじゃないのも分かってる」
「けれど、断れば織田との関係が悪くなるかもしれないのでしょう」
「すぐに敵になるとは思わない。ただ、今より面倒になるのは間違いない」
綾は膝の上で両手を握り合わせ、指先が白くなるほど力を込めていた。春も口を挟まず、綾の返事を待っている。
賢豊と壱岐守が笑う時の顔は、まだ覚えている。その二人を失ったばかりの妻に、今度は家のために側室を受け入れてほしいと話しているのだ。自分が断り切れなかった話の負担を、そのまま綾へ押し付けていた。
やがて綾が顔を上げた。
「私は、正室のままなのでございますね」
「当たり前だ。綾を正室から退かせるつもりはない」
「でしたら、お受けください。父上と兄上を失った今、橘がこれ以上敵を増やすわけにはいかないことは、私にも分かります」
綾の声は落ち着いていたが、膝の上では両手を固く握り合わせたままだ。俺はすぐに答えられず、もう一度尋ねた。
「本当にいいのか」
「よいとは申しません。ですが、私は十兵衛様の正室です。お市殿をお迎えになるのであれば、奥向きのことはお任せください」
「……分かった」
春は何か言いたげに綾を見たが、それ以上は口を挟まなかった。俺も綾には頭が上がらない。だが、まだ初音の話が残っている。
「それから、初音と奇妙丸殿の婚約も求められました」
「あの子はまだ七つですよ」
「向こうも三つです。今すぐ嫁がせるのではなく、婚約を結んで両家の縁を固めたいという話です」
「三つの子と七つの子を、ですか。すぐに嫁がせなければよいというものではありません」
春の声は、市の話を聞いた時よりも硬くなっていた。さらに説明しようとした俺を遮り、春は続けた。
「これは私一人では決められません。殿にも聞かなければ」
「そのつもりです。父上にも叔父上にも話をします」
その日のうちに、朝霧へ使いを出した。夜になっても、綾の部屋には灯りがともっていた。
* * *
数日後、頼政、政澄、惟丸、初音が江野へ来た。春の隣に座った初音は、なぜ呼ばれたのか分からない様子で俺を見ている。惟丸は末席で背筋を伸ばし、俺が話し始めるのを待っていた。
俺は織田との同盟を軍事面でも強めたことと、二つの縁組について順に説明した。頼政は腕を組み、天井の梁を見上げたまま、しばらく黙っていた。
やがて頼政がこちらへ目を戻した。
「上総介殿の妹君をお前が迎え、初音を織田の嫡男と婚約させる。そうして両家の縁を固めるのだな」
「はい。ただ、初音を今すぐ尾張へ出すつもりはありません」
「まだ七つだぞ。初音、お前はどうしたい」
急に話を向けられ、初音は頼政を見上げた。
「どうしたいって、何を」
「お前が大きくなってから、尾張へ嫁に行く話だ」
「尾張って、遠いの」
「朝霧からなら、少し遠いな」
初音は今度は俺へ顔を向けた。
「兄上も一緒に来るの」
「嫁入りの時には、俺も一緒に行くよ」
「じゃあ、いいよ」
たぶん、嫁入りがどういうことか、ほとんど分かっていない。春が額を押さえた。
「本人に聞いても、まだこのような返事なのです」
「七つですからね」
「十兵衛は、それでよいと思っているのですか」
「俺だって、上総介殿から急に話を持ち出されたんですよ」
春はまだ言い足りない様子だったが、頼政が咳払いをして話を引き取った。
「わしは受けてよいと思う。六角と手を切り、斎藤が向こうへ付いた以上、織田との縁は強い方がよい」
「初音のことも、それでよいと仰るのですか」
「初音をすぐに嫁がせるわけではない。それに、十兵衛も綾を正室から退かせるつもりはないのであろう」
「当然です」
「ならば、二つとも受けよう」
政澄も頷いた。
「私も異存はない。桶狭間では、すでに共に戦っている。今後も戦で協力するのであれば、婚姻で縁を固めておくのも悪くないだろう」
これで清洲へ返す答えは決まった。そう思っていると、頼政が俺へ向き直った。
「ならば、もう一つ決めておく。十兵衛、今日から橘の家督をお前に譲る」
「……急ですね」
「急ではない。とうに譲っていてもおかしくなかった」
頼政は座り直し、俺に向かって続けた。
「領地を広げ、兵を動かし、他家との盟約もお前が決めておる。今度は妹の縁組まで決めるのであろう。それでお前が嫡男のまま、わしが当主でいる方がおかしい」
「それはそうですが」
「六角に仕えるのは、わしの代まででよい。これから橘をどうするかは、お前が決めよ」
伊勢の仕置きはとうに任されている。家督も譲るというのであれば、断る理由はなかった。俺は頼政へ頭を下げた。
「分かりました。家督は頂きます」
頼政は頷いただけで、寂しそうな顔もしなかった。当主の座を譲る時はどんな気持ちになるものか、考えたこともなかったが、父の様子はいつもと変わらない。
俺は一つ、確かめておくことにした。
「父上は、これからどうするのですか。隠居して何もしないつもりじゃないですよね」
「……お前は、わしを何だと思っておる」
「酒でも飲んで、孫の顔を見ながら暮らすとか」
「誰がそのようなことをするか。譲るのは家督だけだ。朝霧のことも近江側の守りも、これまで通り引き受ける。お前が外へ出る時は、留守も守ってやる」
「それなら安心しました。家督をもらった途端に父上が使えなくなっては困ります」
「使うとは何だ、使うとは」
政澄が横で笑った。叔父上も、人を笑っている場合ではない。
「叔父上こそ、いい加減に正室を娶られてはどうですか」
「なぜそこで私に話が飛ぶ」
「家の話をしているからですよ。俺が家督を継ぎ、初音の婚約も決まった。叔父上にも子を残してもらわないと困ります」
「余計な世話だ」
「忙しいと言っては、ずっと先送りにしてきたでしょう。そろそろ諦めてください」
顔をしかめた政澄を見て、頼政が笑い出した。
「兵庫助、十兵衛の申す通りではないか」
「兄上まで、何を申されるのです」
「わしだけ家督を取られるのも癪でな」
「私まで巻き込まないでくだされ」
春も頷き、政澄へ声を掛けた。
「私も、兵庫助の縁談は以前から気に掛けておりました」
「姉上まで」
政澄が春へ顔を向けたところで、俺は話を進めた。
「相手はこれから探しましょう」
「なぜお前が決める」
「もう俺が当主なんでしょう」
頼政が呆れた声を上げた。
「家督を譲った途端に、好き勝手しおって」
頼政の呆れ声に、俺も笑った。政澄の縁談へ話が移ってから口を挟まずにいた惟丸を見て、俺は弟の元服についても尋ねた。
「そういえば、惟丸もそろそろ元服させてもいいのではありませんか」
惟丸が顔を上げたが、頼政は即座に答えた。
「まだ早い」
俺は頼政へ向き直った。
「そうですか」
「お前は子供の頃から村のことへ首を突っ込み、商いを始め、兵まで動かしておったであろう。惟丸を同じ基準で考えるな」
「俺を基準にしているわけじゃありません」
「しておる。惟丸は、もう少し子供でよい」
政澄も惟丸へ話を向けた。
「私もまだ早いと思う。だが、本人の考えも聞いておこう。惟丸、お前はどうだ」
惟丸は少し考えてから、控えめに答えた。
「……元服は、まだ先でよろしいかと」
頼政が、ほら見ろと言わんばかりに俺を見た。本人もそう言うなら、元服を急がせる必要はない。惟丸の元服は先送りにし、政澄の正室候補はこれから探すことになった。
縁組への返事を決めるために集まったはずが、家督まで譲られてしまった。文机に向かっても、まだどこか他人事のような気がしている。少し前まで六角の家臣として北伊勢を治めていた俺が、今は六角を離れて織田と盟を結び、信長の妹を迎える返事を書こうとしているのだ。
俺は二つの縁組を受ける書付を書き終え、筆を置いた。廊下へ出ると、政基が控えている。清洲への道中も帰り道もそうだったが、家の中がこれだけ変わった今も、余計な感想は口にしなかった。
俺は政基へ声を掛けた。
「話は聞いてたか」
「大まかには聞いておりました」
「何か言うことはあるか」
「十兵衛様がお決めになったのであれば、それに従うだけです」
政基は昔から、俺が決めた後のことを黙って支えてくれる。頼りにしているが、甘えすぎていないかと思うこともある。家督を継いでも、明日にはまた江野や朝霧の仕事がある。俺は文机へ戻り、清洲へ送る書付を畳んで封をした。




