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近江の山奥から始める近代国家建設 〜転生田舎領主は戦国そのものを終わらせたい〜  作者: 近江もののふ
第一章 朝霧村のはじまり

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第12話 商人の目

天文十五年てんぶんじゅうごねん、春も深まった頃。


木地師きじしの里から返事が届いて数日、作兵衛さくべえの小屋の脇には、見慣れぬ板やわんの荒削りが増えていた。


材は朝霧あさぎりから運ぶ。仕上がった品は、山を下りる者が背に負って持ってくる。


椀が三つ。ぼんが五つ。小箱が二つ。次の荷には、縁の薄い椀や、蓋の合わぬ小箱も混じっていた。


軒下に並べた品を前に、弦十郎げんじゅうろうが椀を一つ手に取った。


「これは、売りに回しますか」

「回さない」

「割れてはおりませぬが」

「縁が薄い。飯は盛れる。だが、商人には見せない」


政虎まさとらが、盆の縁を指でなぞった。


「こちらは」

「置いてみろ」


政虎が盆を床板へ置く。片側が、わずかに浮いた。


「これも朝霧で使う」

「承知しました」


小箱は、蓋を開け閉めするだけで分かるものがあった。閉める時に引っかかる。


「これも駄目ですか」

「寺に出すなら駄目だ。村で針でも入れておけ」

「売り物と、村で使う物を分けるのでございますな」

「そうだ。一つ混じれば、全部そう見られる」


弦十郎は椀を戻した。


「売れぬ物を村へ回す、と聞けば、気を悪くする者もおりませぬか」

「使える物だ。商人に見せないだけだ」

「違いがございますか」

「見栄えの悪い椀と、欠けた椀。どちらがましだ」

「……見栄えの悪い椀にございますな」

「なら、それでいい」


そこへ、欠けた椀を抱えた婆が呼ばれてきた。渡したのは、先ほど弾いた椀だった。


婆は椀を両手で受け取った。


「若様、これ、ほんに頂いてよろしいので」

「水を張るには向かん。飯椀に使え」

「それなら、うちでは十分でございます」


深く頭を下げられると、少し居心地が悪かった。


婆が下がると、弦十郎が口を開いた。


「若様」

「何だ」

「銭にならぬ物でも、村の中では値打ちがございますな」

「だから捨てない」


水汲みみずくみおけの取っ手も替えた。ぐらついていたくわの柄も直した。


木地師から戻る木は、売り物ばかりではない。村で使う物と、作兵衛に回す物とに分けられる。


作兵衛の小屋の脇には、箱罠はこわなに使う板と金具が並び始めていた。


作兵衛は板を手に取り、みぞの端を指でなぞった。


「板は悪うありませぬ。ただ、ここに金具を合わせるなら、釘が要ります」

「今ある分で足りるか」

「へえ。一つなら、どうにか。二つ三つとなれば、足りませぬな」

「釘が足りねば、扉はどうなる」

「止めが甘くなります。獣が暴れれば外れましょうな」

「溝は」

「悪うありませぬ。ただ、湿れば動きます。置く前にもう一度、見た方がよろしゅうございます」


作兵衛は、木を椀や盆に仕上げる職人ではない。だが、木に鉄を合わせる目はある。罠は、木だけでも鉄だけでも足りなかった。


「春先にはまきにしか見えなかった木だがな」

「へえ。今は、仕事を増やす木にございます」


作兵衛は苦い顔をした。


---


この日は、売り物にする品を商人に見せる日だった。


橘屋敷たちばなやしきの軒下には、椀と盆を並べた。小箱も幾つか置いた。は束にしてある。


俺は椀を一つ手に取った。軽い。だが、頼りない軽さではない。手に収まる形で、木目もくめも悪くなかった。


「これなら売れるか」

「若様がそう思われるなら、売れるのでございましょう」


弦十郎だった。


「ずいぶん投げた言い方だな」

「私は商人ではございませぬので」

「なら、今日は見ていろ」

「それは難しゅうございます」

「なぜだ」

「若様が、商人相手に悪い顔をなさるからでございます」

「悪い顔とは何だ」

「値を吊り上げる前の顔にございます」


失礼なことを言う。だが、まったく外れているわけでもない。


しばらくして、弦十郎が村口から商人を連れて戻った。名は善右衛門ぜんえもん近江おうみ寺社じしゃや市を回る男だ。


軒下には頼政よりまさが出ていた。政虎は控えを持ち、作兵衛も庭先にいる。箱罠の板と金具は、屋敷の端に持ち込ませてあった。


善右衛門は屋敷へ上がる前、川の方へ目を向けた。川べりでは女たちが桶をすすぎ、少し離れた浅瀬あさせでは子供らが小魚を覗き込んでいる。


「水はよろしゅうございますな」


第一声がそれだった。


「品を見る前に、水か」

「山里では、水と道を見れば、おおよその暮らしが分かります」

「では、道はどうだ」

「褒めにくい道でございますな」

「水は褒めて、道はけなしたな」

「商人でございますので、荷の通らぬ道には厳しゅうございます」

「米や塩も運ぶのか」

「へえ。米、塩、鉄、種、反物たんもの、針、糸。市で頼まれれば、運べる物は運びます」

「噂もか」

「それは荷より軽うございますので」


善右衛門は軒下の品を見た。椀、盆、小箱、柄。それから屋敷の端に置いた板と金具へ目をやる。


小荷車こにぐるまを一つ、村の内で使えるようにはしてある」

「それは、ありがたい話でございます」

「朝霧の荷は、村口までまとめる。運び賃はその分引け。次も寄れ」

「……若様は、なかなか高い小荷車を貸されますな」

「ただで貸すほど安くはない」


善右衛門は、ようやく椀を手に取った。底を撫でる。盆の縁を見る。小箱の蓋を開け、閉める。


品を戻さない。だが、まだ値は言わない。


「山の品でございますな」

「そうだ。山の品だ。ただ削っただけではない。木地師に材を見せてある」


善右衛門の指が止まった。


「木地師でございますか」

「朝霧の木を、試しに削ってもらった。筋は通してある。揉める品ではない」


政虎が控えを出した。


善右衛門は、椀を置いた。


「若様。これは、ただ売るだけの話ではございませぬな」

「ただ売るだけなら、呼ばない」

「では、いかように」

「一部は買え。残りは預ける。次に、売れた数を聞く」

「売れた数を正直に申せと」

「嘘でもよい」

「よろしいので」

「次から良い品は渡さない。それだけだ」

「痛い所を突かれますな」

「痛くない所を突いても、動かんだろう」

「なお悪うございます」


善右衛門は控えを見たまま、息を吐いた。


「もう少し、まかりませぬか」

「椀だけなら下げない。盆も持て。小箱も合わせるなら考える」

「それでは、こちらの荷が増えるだけでございますな」

「荷は増える。その分、少し下げる。そちらも売る物が増える」

「若様、それは余計な荷まで背負えという話ではございませぬか」

「商いでは、品揃えと言う」


善右衛門は嫌そうな顔をした。だが、断らなかった。


「では、その値でよい」

「次も同じとは限らん。売れ方を見てからだ」

「値だけでなく、次の荷まで見られるのでございますな」

「こちらも試しだ。楽に売れるとは思っていない」


善右衛門は、小箱を一つ手に取った。


「これは、寺の小物入れにもよさそうでございます」

「寺社にも顔が利くのか」

「顔が利くというほどではございませぬ。頭を下げる先が多いだけで」

「頭を下げる先が多い商人は使える」


寺社と聞いて、善右衛門の声が少し変わった。


「寺社といえば、今は油が高うございます」

灯明油とうみょうあぶらか」

「左様で。寺も社も、灯りを絶やすわけには参りませぬ。町でも夜なべをする者は油を欲しがります」

「椀や盆より動くか」

「よほど。油は燃えれば消えます。消えれば、また買わねばなりませぬ」

「寺社と市に流せるか」

「量と質が揃えば。続けて出せるなら、なおよろしゅうございます」

「なら、種が要る」


善右衛門は、小箱を置きかけて俺を見た。


「油をお作りになるおつもりで」

「これから作る」

「これから、でございますか」

「だから種が要る」


善右衛門は、小箱を置いた。


「鉄はどうだ」


善右衛門は、すぐには答えなかった。


「落ち着きませぬ」

「戦か」

「関東で大きな戦があったそうにございます。河越かわごえで、北条ほうじょうが勝ったとか。夜に攻めたとも聞きます。上杉うえすぎ方は、ずいぶん崩れたそうで」

上杉憲政うえすぎのりまさか」

「……若様、ようご存じで」

「噂に聞いただけだ」


もちろん嘘である。関東管領かんとうかんれいの名だ。前の世で聞いた名前だった。


「詳しいことまでは存じませぬ。されど、関東管領家はずいぶん弱ったと、商人の間にも流れております」

「それで、鉄とどう関係がある」

「戦が起きれば、武家は先を見ます。鉄は武具に、米は兵糧ひょうろうに、塩は陣中の備えに回る。そう思えば、商人も武家も買い急ぎます」

「買い占めか」

「左様で。品がなくなる前に、値だけが先に上がるのでございます」


嫌な話だ。だが、分かる。


前の世でも同じだった。品薄になる前に、誰かが棚を空にする。棚が空になる前に、値札だけが変わる。


「なら、鉄は今買う」


弦十郎が声を落とした。


「若様」


俺が勝手に欲しがるだけなら、せがれのワガママで終わる。だが、作兵衛が使い、村の農具に回り、箱罠にも要るとなれば話は違う。


頼政が、そこで口を開いた。


「よい」


短い声だった。


彦九郎ひこくろう

「はっ」

「今ある銭で、無理のない分だけ買え。足りない分は、次の品の売れ行きを待つ」


それで決まった。


「作兵衛」

「へえ」

「鉄は使い切るな。箱罠、小荷車、農具で分けろ」

「へえ。釘はすぐ減ります。余るほど買うても、余ることはございませぬ」

「なら、なおさら今だ」


善右衛門は小さく頷いた。


「では、鉄と釘を」

「それと、種だ」

菜種なたねとエゴマでございますか」

「大豆もだ。あれば蕎麦そばも」


善右衛門は、しばらく俺を見ていた。


「若様。油の話を聞いてから、その種をお求めで」

「違う」

「違うので」

「銭になるなら、先に押さえる。それだけだ」

「これは、余計なことを申しましたかな」

「いや。いい世間話だった」

「世間話で、商人の腹を探られますか」

「商人も同じことをしているだろう」

「……違いございませぬ」


朝霧の椀と盆が、荷に積まれていく。代わりに、鉄と釘と種が村へ入ってきた。


善右衛門が種袋を指で押した。


「エゴマは今年試せましょう。菜種は、来年でございますな」

「大豆は」

「腹にも畑にもよろしゅうございます。油だけ見て食う分を削れば、村が痩せます」

「そこは分ける」

く場所も、世話をする者も要りますぞ」

「分かっている」


弦十郎がこちらを見る。


「作兵衛。手で潰し続ければ、どれほどできる」

「へえ。家で使う分ならともかく、商いにする量ではございませぬな」

しぼる道具は」

「作れと言われれば作ります。ただ、押す仕掛けなら、押す者を取られます」

「手で押すのは駄目だ」

「へえ」


俺は庭先から川を見た。


さっき善右衛門が褒めた水が、屋敷の前を流れている。


「若様?」


弦十郎だった。


「また、妙なことをお考えでございますか」

「妙ではない」

「では、何でございましょう」


俺は川を指した。


「手が足りぬなら、水を働かせる」


弦十郎は川を見た。それから俺を見た。


「……作兵衛殿が、また頭を抱えますな」

「抱える頭があるなら、まだ大丈夫だ」


荷が、きしみながら村を出ていく。


軒下にあった椀と盆は減り、代わりに鉄と釘と種袋が残った。


次は、その種を油に変える番だ。

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