第12話 商人、善右衛門
天文十五年(1546年)、四月。
近江国、愛智郡、朝霧村、作兵衛の小屋。
木地師の里から返事が届いて数日、作兵衛の小屋の脇には、木地師の手で削られた椀や盆、小箱、それに柄が並び始めていた。
最初に届いたのは、椀が三つ、盆が五つ、小箱が二つ。その後も山を下りる者が来るたびに、新しい品が少しずつ加わっていった。
軒下へ並べた椀を、弦十郎が一つ手に取った。割れも欠けもないが、指で縁を挟めば、ほかの椀より明らかに薄い。
「それは外す。飯を食うだけなら使えるが、商人へ見せる品ではない」
「割れておらぬ物まで外されますか」
「最初だからこそだ。一つ悪い物が混じれば、残りまで同じ目で見られる」
弦十郎が椀を売り物の列から外している横で、政虎は盆を床板へ置いた。片側の縁を押すと反対側が浮き、小さく鳴る。
「こちらも売り物から外しておきまする」
「ああ。売り物にはしない。朝霧で使えばいい」
小箱も一つずつ蓋を合わせ、途中で引っかかる物や、押し込まなければ閉まらない物を別にした。針や糸を入れるだけなら、蓋が少し固くても困らない。柄も反りや太さを確かめ、売り物にする物と朝霧で使う物に分けていった。
弦十郎は売り物から外した椀や盆、小箱を一か所へまとめながら、手にしていた椀を見た。
「売れぬ物を村へ回したと聞けば、気を悪くする者が出るやもしれませぬな」
「壊れた物を押しつけるわけじゃない。今使っている物よりましなら、欲しい者に使ってもらえばいい」
弦十郎に声を掛けてもらうと、欠けた椀を使っている婆が一人やってきた。俺は売り物から外した椀を渡した。
「若様、これを頂いてよろしいので」
「ああ。飯椀に使うなら問題ない」
「それなら、ありがたく使わせていただきます」
婆は椀の内側を指で撫で、何度も頭を下げて帰っていった。弦十郎はその背を見送ると、残った椀や盆、小箱も売り物とは別にまとめた。
木地師が頼んだ品には向かないと判断して返してきた材も、捨てずに済んだ。太さの合う物は水汲み桶の取っ手へ回し、長さの取れる物は削り直して、ぐらついていた鍬の柄に使った。
その脇には、木地師に削ってもらった箱罠用の板も重ねてあった。作兵衛は一枚を立て、扉板を溝へ通して動きを確かめると、用意していた金具を板へ当てた。
「板の削りはこれでよろしゅうございます。ただ、この金具を留めるとなれば釘が要りますな。今ある分なら一つは作れましょうが、二つ三つとなれば足りませぬ」
「留める釘を減らすのは駄目か」
「獣が中で暴れますゆえ。留めが甘ければ、金具ごと外れましょう」
釘を惜しんで留めを甘くするわけにもいかない。箱罠を増やすなら、板だけでなく釘の数も見ておく必要がある。
作兵衛は扉板を抜き、金具を外すと、板を横から見て反りがないか確かめた。
「それと、罠を置く前に扉の落ち方を見ねばなりませぬ。今は合うていても、木は湿れば動きます」
「里で削った時に合っていてもか」
「へえ。山を下ろして置いておくだけでも変わりますし、罠を据える場所が湿っておれば、なおさらでございます」
作兵衛は板を元の場所へ戻した。その隣には、売り物から外した椀や盆、小箱、返されてきた材が並んでいた。
俺は軒下を見回した。
「木にも、ずいぶん使い道があるもんだな」
「へえ。その分、こちらの仕事も増えますが」
作兵衛は残った釘と金具を数え始めた。
* * *
売り物として残した品は、その日のうちに屋敷へ運んだ。
軒下には椀と盆、小箱を種類ごとに並べ、柄は太さを揃えて束ねた。俺は椀を一つ取り、縁と底を確かめる。さっき外した物とは違い、十分な厚みがあり、床板へ置いても揺れない。木目も悪くなかった。
「これなら商人へ出せるな」
「売れるかどうかは、私には分かりませぬ」
「なら、さっきから何を見てる」
「若様が値を上げる前になされる顔を」
失礼なことを言う。否定しきれないのが、なお腹立たしい。
商人が来る頃合いになると、軒下には頼政も出てきた。政虎は品数と取り決めを書いた控えを手元へ置き、作兵衛も庭先に残っていた。
弦十郎は迎えのため村口へ出た。しばらくして連れて戻った男は、善右衛門と名乗った。近江の市や寺社を回り、頼まれた品を運んでいる男だという。
善右衛門は庭へ入ると、今来た道を振り返った。
「ここまで荷を運ぶのは、少々骨が折れますな」
「やっぱり道は悪いか」
「商いで何度も通うとなれば、もう少し楽に荷を通せるとありがたいところでございます」
善右衛門はそう言って、屋敷から少し離れたところを流れる川へ目をやった。川べりでは女たちが桶をすすぎ、浅瀬では子供らが水面を覗き込んでいる。
「ただ、水はよろしゅうございますな」
「商人が水まで見るのか」
「長く出入りする土地なら、そういうところも見まする」
話を聞けば、米や塩のほか、鉄、種、反物、針や糸まで、市で頼まれれば運べる物は扱うらしい。
「噂も運ぶのか」
「それは荷より軽うございますので、いくらでも」
善右衛門はようやく軒下へ上がると、椀から順に手を伸ばした。底を指で撫で、縁を挟み、盆は一度床へ置く。小箱も蓋を開け閉めし、束ねた柄から一本抜いて反りを確かめてから元へ戻した。
値を言う前に一つ一つ確かめている。こちらが売れると思っただけでは意味がない。実際に銭を出す人間が、どこを見るのか知っておきたかった。
善右衛門が盆を見終えたところで、俺は村口へ続く道を指した。
「荷を出す時は、小荷車を一つ使わせる。村口までまとめて運べる。その分、今日の運び賃は下げろ」
「それはありがたいことでございます」
「それと、次も朝霧へ寄れ」
「……運び賃を下げた上に、次の商いまで押さえられますか」
「小荷車を使わせるんだ。そのくらいは返してもらう」
「若様は、なかなか取り分の多い貸し方をなされますな」
善右衛門は椀をもう一度手に取り、底を確かめた。
「山の品でございますな」
「朝霧の木だ。木地師に削ってもらい、出来を見て売り物にできる物だけを分けてある。小倉東家へ納める分を邪魔しないことも決めた」
政虎が傍らの控えを開き、善右衛門の前へ置いた。
「取り決めはこちらにございます。後から筋違いと言われるような品ではありませぬ」
善右衛門は控えへ目を通すと、椀を置いて並んだ品を見直した。
「若様。これは、一度売れば終わりというお話ではございませぬな」
「一部は買い取ってくれ。残りは預ける。次に来た時、売れた分の銭を払え」
「残った品は」
「そのまま売れ。ただ、次に朝霧へ来る時は残った分も持ってこい。数を改めて、足りない分は売れたものとして勘定する」
「それでは、誤魔化しようがございませぬな」
善右衛門は控えを政虎へ戻すと、買い取る椀と盆を寄せ、小箱を幾つか、柄も数本加えた。
「これだけまとめて買うのでございます。もう少し、お安くはなりませぬか」
「椀だけなら下げない。盆と小箱、柄まで合わせるなら少し下げる」
「では、その値で。ただし次も同じように願いたいところでございますな」
「それは売れ方を見てからだ」
「預かった品の売れ行きまで、次の値の材料になさるのでございますか」
「何が売れるかも分からないうちから、同じ値を約束する気はない」
「若様相手では、こちらばかり試されている気がいたしますな」
善右衛門は寄せた品の数をもう一度確かめると、小箱を一つ開き、指を中へ入れて深さを確かめた。
「これは寺へ持っていってもよさそうですな。小物を入れる物なら、幾つか当たってみましょう」
「寺でも使うのか」
「使い道はいくらでもございます。ただ、寺社で絶えず要る物となれば、こうした物より油でございますな」
「灯明油か」
「左様で。寺も社も灯りを絶やせませぬし、町でも夜に仕事をする者は使います。椀や小箱は一度買えばしばらく持ちますが、油は使えばまた要ります」
俺は軒下に並んだ椀や盆を見た。目の前の品だけでなく、ほかに何が売れるのかも、この男なら知っていそうだ。
「続けて出せれば、持っていけるのか」
「左様で。その方が商いにはしやすうございます」
「なら、種を押さえたい」
善右衛門が俺を見た。
「油をお作りになるので」
「ああ。まずは育てるところからだ」
善右衛門は手にしていた小箱を元へ戻した。
油の話だけでも、この男を呼んだ甲斐はあった。市を歩いているなら、ほかに値の動いている物も知っているはずだ。
「鉄はどうだ。値は上がっているのか」
「落ち着きませぬな。買えるうちに押さえようとする者が増えております」
「何かあったのか」
「関東で大きな戦があったそうにございます。河越で北条が勝ち、上杉方はずいぶん崩れたとか。夜に攻めたとも聞いております」
「上杉憲政か」
「……若様、よう御存じで」
「噂に聞いただけだ」
もちろん嘘だ。上杉憲政が関東管領だったことは、前世で知っている。
関東管領家が大きく敗れたという話は、遠く近江を歩く商人の耳にまで届いているらしい。
「だが、関東の戦で近江の鉄まで動くのか」
「河越一つで近江の鉄がなくなるわけではございませぬ。ですが、大きな戦の噂が立てば、ほかの武家も先を考えます」
「鉄だけじゃないのか」
「鉄だけではございませぬ。米は兵糧に、塩も陣中で要ります。足りなくなると思えば、皆が早めに押さえます」
「商人もか」
「もちろんでございます。先で値が上がると見れば、その前に買いますゆえ」
箱罠の釘は、数を増やせば足りなくなる。鍬の修理にも、小荷車にも鉄は使う。どうせ使う物なら、値が上がってから買う理由はない。
「なら、鉄は今のうちに買う」
頼政が善右衛門へ向き直った。
「ただし、要るからといって銭を使い切るわけにはいかん。彦九郎、作兵衛と相談して必要な分を出せ」
「作兵衛と相談して、要る量を出しまする」
政虎が鉄と釘の件を控えへ書き留めたところで、善右衛門が自分の荷を振り返った。
「鉄でしたら、今の荷にも幾らかございます。釘も少し積んでおりますが」
「どれくらいある」
善右衛門が手持ちの量を告げると、作兵衛が少し考えた。
「それだけあれば、箱罠に回す分と、当座の農具直しには足りましょう。釘はあるだけ頂いておきたいところでございますな」
作兵衛が足りると言うなら、それでいい。
「なら、その分は今買う。足りなくなりそうなら、次に持ってきてくれ」
善右衛門はその量を自分の控えへ書き留めた。
政虎が量を書き足したところで、俺は先ほどの油の話へ戻した。
「それと種だ。菜種とエゴマ。大豆も欲しい。蕎麦があれば、それもだ」
「油の話を聞いたばかりで、そこまで買われますか」
「売り先があると分かったなら、手に入るうちに押さえる」
「これは余計な話をいたしましたかな」
「商人も同じことをしているだろう」
「……違いございませぬな」
善右衛門は自分の荷を確かめ、積んである種を一つずつ挙げた。菜種、エゴマ、大豆、蕎麦はいずれも幾らか手持ちがあるという。俺はその場で買う量を決め、政虎が種類と量を控えへ書き留めた。
話がまとまると、朝霧の椀や盆、小箱、柄が善右衛門の荷へ積まれていった。善右衛門の荷からは、こちらで買った鉄と釘、それに種袋が下ろされた。
善右衛門は下ろした種袋を種類ごとに並べ、中身を確かめていった。
「エゴマなら今年から試せましょう。菜種は秋まで待たねばなりませぬ。大豆も搾れますが、食う分まで油へ回してはいけませぬな」
「飯を減らして油を売っても仕方がない。食う分とは分ける」
「なら、まずは蒔く場所と、世話をする者でございます」
育てる人手だけではない。収穫した後、搾る仕事まで回せなければ商いにはならない。
俺は袋から少しだけエゴマを掌へ出し、作兵衛へ見せた。
「これを油にする仕事を、人の手だけで続けるとして、売るほどの量まで回せそうか」
「家で灯す分ならともかく、商いにする量となれば難しゅうございましょうな。搗くにも搾るにも人が要ります」
「道具を使ってもか」
「仕掛けを作れば楽にはできましょう。ただ、動かすのが人であることに変わりはありませぬ」
人が余っている村ではない。油を作るために、ほかの仕事から人を抜くわけにもいかない。
道具を動かすところまで、人にやらせなければいい。
掌のエゴマを袋へ戻して顔を上げると、少し離れたところを流れる川が目に入った。さっき善右衛門が褒めていた川だ。人が触らなくても、水は流れ続けている。
俺が川を見ていると、弦十郎もそちらへ目をやった。
「……若様、その川で何をなさるおつもりで」
「人の手が足りないなら、水を働かせる」
弦十郎は今度は作兵衛を見た。
「作兵衛殿の仕事が、また増えそうでございますな」
「まだ作れとは言っていない」
「水を働かせると仰せになった時点で、同じことにございましょう」
作兵衛は返事をせず、種袋を一度見てから川へ目をやった。
やがて善右衛門は、椀や盆、小箱、柄を荷へ載せて村口へ向かった。軒下から木の品が減り、あとに残ったのは、買い取った鉄と釘、それに幾つもの種袋だった。




