第11話 木地師の里
山の木を銭に変える。
言うだけなら簡単だ。
木は伐れば薪にはなる。だが、椀にするにも、盆にするにも、箱罠の板にするにも、木を削る者が要る。
作兵衛が名を出したのが、木地師だった。
箱罠は、まだ板に描いた炭の線でしかない。小荷車も、大鋸も、水を使う仕掛けも、今はまだ話の中にあるだけだ。
話を話で終わらせないためには、木を削る腕を借りなければならない。
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作兵衛の小屋で木地師の名が出てから、三日が過ぎた。
その朝、俺たちは山へ向かった。
同行するのは、頼政、政虎、弦十郎、作兵衛、それに俺である。
木地師の里までは、距離だけなら近い。だが、それは人が歩く近道の話だ。
沢沿いの道は細く、湿った石が草の間に見え隠れしている。荷を背負った者が何度も行き来するには向かないし、小荷車など通せる道ではない。
弦十郎が少し前を歩き、危ない場所では足を止めた。
「若様、そこは濡れております」
「分かった」
俺は濡れた石を避け、根を踏まないように足を置いた。
木地師の里へ行くだけでも、山の道は楽ではなかった。
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最初の里は、谷筋の道沿いにあった。
片側は山の斜面で、もう片側には沢の気配がある。家々は道に沿って細く並び、軒は低い。庭先には割った木と削り屑が寄せられていた。
里というより、山と道の間に押し込まれた家並みだった。
年かさの男が、軒下から出てきた。
男はまず作兵衛を見た。それから頼政を見て、政虎を見て、弦十郎の腰の刀で目を止める。最後に俺を見る。
すぐに平伏はしなかった。だが、無礼にもならぬ程度に腰を折る。
「これは橘様。わざわざこちらまで」
声は丁寧だった。
だが、歓迎の色は薄い。
男は、作兵衛へ目を戻した。
「先日の話、本気でございましたか」
「本気でございます。ゆえに、若様と殿にもお越しいただきました」
作兵衛が頭を下げる。
頼政は足を止めた。
「作兵衛から聞いていると思う。朝霧の山で伐った木を、そなたらに削ってほしい」
男の目が、わずかに細くなった。
「我らに、でございますか」
「そうだ」
俺は一歩前に出た。
「椀、盆、小箱、柄。まずは少しでいい。箱罠に使う板も見てもらいたい」
「木は、こちらへ運ばれるので」
「朝霧で伐り、朝霧の者が運ぶ。頼みたいのは、削る仕事だけだ」
男は、しばらく黙った。
「この谷の木を伐る話ではございませぬな」
「違う。そちらの山には手を出さない」
「我らに、木を担げとも」
「言わない」
「削るだけ、でございますか」
「そうだ」
俺は頷いた。
「売れたら、先に削り賃を渡す。橘は後だ」
男の表情が動いた。
銭の話になると、人は正直になる。嫌な顔をする者もいれば、初めて耳を傾ける者もいる。
この男は、後者だった。
「面白い話ではございます。されど、我らには先に納める分がございます」
「小倉様か」
男は答えなかった。
だが、沈黙が答えだった。
「若様は、小倉様への納め分を後へ回せとはおっしゃらぬのですな」
「小倉様への分が先だ。こちらは、その後でいい。手の空いた時に、少し試してもらえれば十分だ」
男は俺を見た。
まだ、完全に信じた顔ではない。当然だ。山の職人が、よそから来た童の言葉をすぐ信じる方が怖い。
「小倉様への分を奪えば、続かん。空いた手でいい。欲しいのは、木を削る腕だ」
男は、すぐには頷かなかった。
「この場で返事はできませぬ」
「それでよい」
頼政が言った。
「今日は、まず聞いてもらえればよい」
最初の里で欲しかったのは、返事ではない。
こちらが何を求めているのか。
何を求めていないのか。
それを誤解されないことだった。
木を奪うのではない。
仕事を止めるのでもない。
まずは、削る仕事だけ。
それだけ伝わればいい。
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二つ目の里は、道の分かれるところにあった。
片方は山へ上がり、もう片方は谷の奥へ続く。家々は道に沿ってまばらに並び、斜面を削った平場には、割った木と削りかけの材が積まれていた。
一つ目の里より、少し開けている。そのぶん、こちらへ向けられる目も多かった。
一つ目の里は、まず筋を気にした。
二つ目の里は、木そのものを気にした。
「若様、木は伐ればすぐ椀になるものではございませぬ」
木地師の一人が言った。
「分かっている」
「いいえ。そこは、まだ分かっておられぬかと」
静かな声だった。
弦十郎の肩が少し動いた。
だが、頼政は止めなかった。
「伐ったばかりの木は、乾くうちに割れたり曲がったりいたします。真ん中に近い所は狂いやすく、節が多ければ刃が引っかかります。椀に向く所、盆に向く所、箱に回す所。同じ一本でも違います」
木地師は、脇にあった木片を一つ手に取った。
指で軽く叩く。
乾いた、軽い音がした。
「見て、割って、乾き方を見る。持った重さも、音も違います」
作兵衛が身を乗り出した。
「見ただけで、そこまで分かるのでございますか」
「見ただけでは分かりませぬ。見て、触って、割って、乾かして、それでようやく分かることもございます」
木地師は、ただ木を削っているだけではない。
何を何に使うか、削る前から見ている。
「箱罠はどうだ」
俺が聞くと、木地師は眉を寄せた。
「箱罠とは」
「獣を入れる箱だ。中に入れば扉が落ちる。踏み板が動く。そこが狂えば、獣に逃げられる」
俺は板に炭で簡単な形を描いた。
木地師はしばらく見てから、指で溝のところを押さえた。
「見栄えより、狂わぬことが肝要でございましょう。湿った材では歪みます。溝が狂えば、扉は落ちませぬ」
「だから、材を見てほしい。悪い材なら弾いてくれ」
「弾いた材は」
「朝霧へ戻す。薪にするなり、別の道具に使うなり、こちらで考える」
「それを、我らの腕のせいにされては困ります」
「しない」
俺は即座に答えた。
「材が悪ければ、材のせいだ。売れねば、売り方も見る。削り手だけを責めぬ」
男たちは顔を見合わせた。
「なら、乾かす場所も要りましょう」
「朝霧に置き場を作る」
「ただ積めばよいものではございませぬぞ」
「だから覚える」
俺は作兵衛を見た。
「作兵衛に、材の見方と置き方を覚えさせる」
作兵衛が頭を下げた。
「学ばせていただけるなら、ありがたい」
木地師の男は作兵衛を見た。
「鍛冶の者が、木を見ると」
「木を少しは見られぬと、金具を打つ場所も決められん。箱罠も荷車も、木と鉄が噛み合わねば動かない」
俺が言うと、作兵衛は苦笑した。
「そこまで申されては、覚えぬわけに参りませぬな」
木地師たちの間に、わずかに笑いが起きた。
空気が少しだけ緩む。
頼政は、木地師たちの顔を見てから静かに言った。
「無理に数は急がせぬ。大きな話にもせぬ。まずは試しだ」
「売れなんだ時は、どうなります」
別の男が言った。
「手間だけが残りますぞ」
もっともだ。
ここを誤魔化せば、ただ働きと同じになる。
「売れた物は、売れた銭からまず削り賃を払う」
俺は言った。
「売り物にならぬ物は」
「使えるなら朝霧が引き取る。ただとは言わない。銭で足りぬ分は、炭か薪で埋める。刃物の直しなら、作兵衛にも働いてもらう」
作兵衛が、横で苦い顔をした。
「刃物の直しも、勘定の内でございますか」
「もちろんだ」
「承知しました。削る者の刃が鈍っては、こちらの仕事も進みませぬ」
木地師たちの間に、また小さな笑いが起きた。
「失敗した品まででございますか」
「割れて使えぬ物は別だ。だが、縁が薄い椀、木目の悪い盆、蓋の合わぬ小箱、寸法を間違えた柄。その程度なら、村で使い道がある」
俺は、削りかけの椀を見た。
「朝霧では、割れた椀も使っている家がある。使える物なら無駄にはしない。材が悪くて駄目になったなら、削り手のせいにもしない」
男は黙った。
銭が薄い朝霧で、すべてを先に払うことはできない。だが、使える物まで捨てるほど、村は豊かではなかった。
「なるほど」
木地師の男は、削りかけの椀を一つ持ち上げた。
「若様は、売り物にならぬ物まで使うおつもりでございますな」
「朝霧は足りぬ物ばかりだ。だから使える物は使う」
男は、初めて少しだけ笑った。
「妙な若様でございますな」
褒め言葉ではない。
だが、悪い響きでもなかった。
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三つ目の里は、川沿いの少し開けた場所にあった。
家々は道を挟んで寄り合い、奥には山が迫っている。川の向こうには、低い木が畝を作って並んでいた。
見慣れぬ木だった。
軒下には削りかけの盆が重ねられ、庭先には割った木と木屑が寄せてある。先に回った二つの里より、人の出入りが多かった。
ここなら、谷筋の者へ話を回すこともできるのだろう。
作業場の奥へ通されると、頭分らしい男が頼政に一礼し、それから俺を見た。
「若様は、朝から里を回られたとか」
「そうだ」
「朝霧の木を削ってほしい。木は朝霧の者が運ぶ。小倉様への納め分を邪魔せず、数も急がせぬ。そう聞いております」
「その通りだ」
「頼むのは、空いた手での試し仕事だけ」
「そうだ」
頭分は腕を組んだ。
「妙な話でございます」
「損な話か」
「損とは申しませぬ。ただ、急に広げれば揉めます」
「広げない。まずは試しだ」
「どれほどを」
「椀を少し。盆を少し。小箱を少し。柄を幾つか。箱罠は、扉と溝と踏み板を一つ分」
「一つ分だけでございますか」
「一つを確かめる。扉が落ちるか。溝が狂わないか。踏み板が動くか。そこを見てから増やす」
頭分は、少し頷いた。
「材が悪ければ」
「返してくれ」
「乾きが足りねば」
「待つ」
「小倉様への納め分を先にいたします。それでよろしゅうございますか」
「構わない。こちらは、その後でいい」
頭分の表情が、少しだけ変わった。
頼政が静かに口を開いた。
「橘は、そなたらに小倉東家への義理を欠かせるつもりはない。受けられぬなら受けずともよい。受けるとしても、まずは小さく試すだけだ」
政虎が続ける。
「口だけでは困るでしょうから、受けるとなれば、こちらの名で書き付けを出します」
頭分は政虎を見た。
「用意がよろしゅうございますな」
「疑われるよりは、ましです」
政虎は平然としていた。
頭分は、少し笑った。
「この話、ここだけで決めるものではございませぬ」
「分かっている」
「谷筋の者へ回します。手の空いた者がいれば、試し仕事だけ受けましょう。ただし、小倉様へ納める分と、もとの仕事を妨げぬ範囲で」
「それでいい」
「それと」
頭分は、頼政へ向き直った。
「この話は、小倉様へも知らせておきます」
場の空気は固くならなかった。
警告ではない。
筋の話だ。
頼政は頷いた。
「構わぬ。隠れてする話ではない」
俺も口を開いた。
「小倉様に知られて困るなら、初めから続かん。知らせてくれ。その方がいい」
頭分は、俺を見た。
「若様は、ずいぶん先を見て話される」
「先を見ているというより、後で揉めるのが嫌なだけだ」
「それも、先を見るというのでございましょう」
頭分は、ようやく小さく頭を下げた。
「話は分かりました。試し仕事なら、受ける者もおりましょう」
それで十分だった。
大きな約束ではない。
だが、朝霧の木が薪以外の物になる道は、ここでようやく細く開いた。
里を出る前、俺は川向こうの低い木を見た。
「あれは何だ」
近くにいた若い木地師が振り返る。
「あれでございますか。茶でございます」
「茶」
「政所の茶で。ここらでは少し作っております」
茶。
山には、木だけではないらしい。
だが、今は覚えておくだけにした。木地師の話だけで、もう頭がいっぱいだった。
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数日後、木地師の里から返事が来た。
まずは試しに、椀と盆を少し。
小箱と柄を幾つか。
それと、箱罠の扉と溝と踏み板を一つ分。
小倉東家へ納める分と、もとの仕事を妨げない範囲で。
材が悪ければ弾く。
売り物にならぬ物も、使えるなら朝霧が引き取る。
そして、話は小倉東家へも知らせておく、と添えられていた。
それでいい。
隠れて進めるより、よほど長く続く。
大きな約束ではない。木地師たちが、橘家に仕えるわけでもない。朝霧の木が、すぐ銭の山に変わるわけでもない。
だが、春先には薪にしか見えなかった木が、椀になり、盆になり、小箱になり、柄になる。
箱罠の扉も、ようやく一つ作れる。
それだけで、今は十分だった。




