第105話 瑞鳳衆
永禄元年(1558年)、六月。
近江国、蒲生郡、石寺、観音寺城。
駿河から戻って数日が過ぎた。その間に観音寺へ上がり、清須の一件と、その後に信長から聞いた返事を報告してきた。六角と織田が交渉を続けるなら、ここから先の条件は両家で詰めてもらえばいい。そこまで俺が間に入る必要はない。
俺としては、これまで通り尾張との余計な争いを避けられればいい。この先、美濃へ動くことになれば、東の織田まで敵に回していては困る。
美濃へ動くにしても、今すぐ兵を入れるつもりはない。まずは員弁を固めるため、北伊勢では可成に任せた阿下喜の新城普請を進めている。兵を動かす必要が生じた時に使えるよう、今のうちに整えておきたい。
* * *
江野へ戻ると、美濃から信行の行き先を知らせる報せが届いていた。新九郎が尾張を出た後も足取りを追わせ、美濃に残した者たちが、義龍のもとへ入ったことを確かめたという。信行は、そこで匿われているらしい。
俺は書付を持って離れへ向かった。縁側に座り、碁石を一つ指先で転がしている正利へ声を掛けた。
「勘九郎。清須から逃げた勘十郎だが、治部大輔のところへ入ったらしい」
「やはり美濃へ行ったか。上総介の弟なら使い道があるから、すぐには殺されまい」
「俺もそう思う。助けるつもりはなかったのに、治部大輔に面倒な手札を渡したようなものだな」
「今さら悔やんでも仕方あるまい。すぐ尾張へ戻して潰されるより、美濃に置いておく方が使える。上総介を嫌う者が動けば、勘十郎を担ぐこともできる」
「なら、すぐ兵を付けて尾張へ返すことはなさそうだな」
正利は碁石を盤の縁へ置き、少し身を乗り出した。
「わしもそう見る。尾張へ戻すなら、役に立つ時を待つはずだ。勘十郎のもとには、誰か出入りしておるのか」
「そこまでは掴めていない。治部大輔がどこまで肩入れするつもりかも分からない」
「なら、焦って近づくな。こちらが探っておると気付かれる。しばらくは遠くから動きを追っておけ」
義龍が信行を手元に置いておくだけで、信長には圧力になる。こちらから信行をどうにかしようと動かず、居場所と接触する者を追っていればいい。ただ、そのためには人を美濃へ置き続けなければならない。
俺は書付を脇へ置いた。
「勘十郎を追っている連中は、そのまま美濃に残している。ただ、あいつ一人を追うにも人手が要る」
「ほかへ回す者が足りなくなるか」
「ああ。美濃へ増やせば尾張が薄くなるし、京へ出せば近江で足りなくなる。三河にも置き始めているから、今の人数では追いつかない」
「増やすしかないな。だが、頭数だけ揃えるなよ。妙な者を一人入れたために、十人増やす以上の手間を食うこともあるぞ」
「分かっている。必要な時に甲賀から借りるだけでは、もう追いつかない。橘で使う者を自分たちで集め、育ててから外へ出したい」
正利は碁石を取って懐へ収め、扇で膝を軽く叩いた。
「甲賀との縁を切るのか」
「縁は切らない。ただ、甲賀だけでは人数が足りない。増やすたびに彦右衛門へ頼めば、借りも増える」
「こちらで育てるとなれば、場所も銭も要るぞ」
「江野なら場所はある。まずは新しく入れる人数を決めて、必要な銭を用意する」
朝霧にいた頃は甲賀から人を借りるだけで足りたが、今はどこかへ回すたびに、ほかが手薄になる。人数を増やすだけでなく、誰を入れ、何を覚えさせるかも、こちらで決めなければならない。
* * *
その日のうちに、新九郎とおりん、それに古くから橘で働く甲賀の者たちを呼び、俺は人手を増やす話を切り出した。
「お前たちの下で働く者を、新しく集めるつもりだ」
新九郎が俺へ尋ねた。
「甲賀から、さらに人を呼び寄せますか」
「いや、これからは江野で集める。牢人でも百姓でも、商人の倅でも構わない。まず素性を確かめ、使える者を選んで育ててくれ」
新九郎が俺へ尋ねた。
「任せる仕事に合わせて、教えることも分けますか」
「ああ。国へ入り込んで話を集めるのに向く者もいれば、人を抱き込むのが上手い者もいる。何でもできる者ばかり探していたら、いつまで経っても人数を増やせない」
古参の一人が口を挟んだ。
「物を壊す仕事も、任せるのでございますか」
「得意な者がいれば任せる。必要なら人を消すこともある。ただ、それができなくても、使える人間を探すのが上手ければ役に立つ」
「一つの働きだけで、役目を決めるわけではないのですな」
「ああ。何が得意で、何が苦手かは記録しておけ。普段とは違う仕事でも力を発揮する者はいるだろう」
おりんが膝を進めた。
「入れた者の見極めは、私がいたしましょうか」
「おりんと古参の何人かで頼む。国言葉や宿の使い方、銭の受け渡し方は、誰に何を教える必要があるかを確かめてくれ。全員に同じことを仕込まなくてもいい」
「では、口の軽い者や酒に弱い者は、先に落とします。仕事に向いているかより、まずそこを確かめますので」
「それでいい。使えそうでも危ない者を入れるくらいなら、人手が足りない方がまだましだ」
集めた者はすぐ諸国へ出さず、おりんや古参に江野で仕込んでもらってから送り出す。必要な国に普段から人を置いておけば、何か起きるたびに、一から人を送り込まずに済む。
甲賀の者の一人が、候補について話し始めた。
「心当たりが何人かおりますので、まずは声を掛けてみます」
「頼む。急いで頭数だけ揃えないでくれ」
「一度に十人二十人と入れては目立ちます。村や町で噂にならぬよう、少しずつ増やしてまいります」
「その辺りは、お前たちの方が詳しい。任せる」
別の古参が手を挙げた。
「牢人を入れるなら、元の主家との縁が切れているかも調べますか」
「当然だ。前の主家との関わりも、素性のうちだ。恨みを抱えた者を入れれば、その争いまで橘へ持ち込まれかねない」
甲賀以外の者も入るなら、甲賀衆という呼び名も変えた方がいい。俺は一同に新しい名を告げた。
「これからは、甲賀衆ではなく瑞鳳衆と呼ぶ」
「瑞鳳、でございますか」
「めでたい鳥だ。俺のところへ、いい報せを持って帰ってくれればいい」
おりんが口元を緩めた。
「人を殺して帰ってくる者にも、めでたい鳥の名を付けるのでございますか」
「俺にとっていい報せを持ち帰るなら、それでいい。俺の組織だからな」
古参の何人かが笑う中、新九郎が人の割り振りについて話し始めた。
「古参には新しく入った者を教えてもらい、仕事を取りまとめる者も置きます。私が現場へ出ることは、減りそうにございますな」
「その方がいい。お前まで諸国を走り回れば、江野で全体を決める者がいなくなる。誰を出し、誰を戻すかも、古参と分担してくれ」
「取りまとめる者は、人を見る目があり、口の堅い者を古参から選びます。新しく入れる者の素性も、こちらで改めます」
「ああ。素性の改めは、他人任せにせずお前も確かめてくれ。人数が増えるほど、見誤った時の損害も大きくなる」
新九郎の下に古参を置き、それぞれに人を預ければ、本人が一件ごとに外へ出ずに済む。これからは江野で諸国の報告を受け、誰をどこへ動かすか決める方が重要になる。
話が一通りまとまると、新九郎が俺へ尋ねた。
「彦右衛門様には、私からお伝えいたしましょうか」
「いや、俺が行く。甲賀衆という名を改めるんだ。彦右衛門には、俺から直接話しておきたい」
伴との付き合いは、これまで通り続ける。長く人を預けてくれた相手だからこそ、名を改める話は俺から伝えておきたかった。
* * *
数日後、新九郎と甲賀の油日へ向かった。山裾にある伴の屋敷では、庭先に蝉の声が響いている。俺たちが縁側に座ると、そこで待っていた彦右衛門が声を掛けた。
「わざわざお運びいただき、恐れ入りますな」
「こちらの都合で押しかけたんだ。長くは掛からない」
「まずは一服なされませ。お話はそれから伺いましょう」
短い世間話を終え、運ばれた茶を一口飲んでから本題へ入った。諸国に置く人手が足りなくなったため、江野で甲賀以外の者も選んで育て、それに合わせて甲賀衆の名を瑞鳳衆へ改めると伝えた。
彦右衛門は話を最後まで聞いてから、新九郎へ顔を向けた。
「甲賀以外の者も、お前が束ねるのだな」
「そのつもりにございます」
「素性は、これまで通り改めるのか」
「はい。これからは甲賀以外の者も入りますので、身元はこれまで以上に念を入れて調べます」
「なら、それでよかろう。これまで橘へ出した者でも、甲賀へ戻りたいと申す者は帰して構わん」
「今のところ、そのように申す者はおりませぬ」
彦右衛門は俺へ向き直った。
「ただ、伴から出した者が、新参と一緒に働くこともありましょう。その時も、甲賀の者にはこれまでの流儀を通させていただきたい」
「構わない。新参に合わせて、甲賀の者のやり方を変えさせるつもりはない。むしろ、新参が甲賀の流儀を覚える方が早いだろう」
「では、そう心得ておきましょう」
彦右衛門は茶を一口飲み、茶碗を置いた。
「名が変わっても、伴と橘の付き合いは、これまで通りですな」
「もちろんだ。人を貸してもらう時も、今まで通り頼みに来る」
「それなら結構。ただ、甲賀の外から入った者が、甲賀者を試すような真似をするなら、見過ごせませぬぞ」
「分かっている。その点は、新九郎にも念を押しておく」
話を終えて帰ろうとすると、彦右衛門が新九郎を呼び止めた。
「そういえば、お前が探していた男が、油日に来ておるそうだ」
「孫平次でございますか」
「知り合いを頼っておるらしい。呼んでみるか」
しばらくして、中村孫平次一氏という男が連れてこられた。その名には覚えがあり、確か後に親正や吉晴と並び、三中老と呼ばれた一人だったはずだ。ただ、そこまで出世した経緯は、細かく覚えていない。
新九郎は以前から一氏を調べていた。鉄砲を扱え、決められた普請を人足へ割り振って進める仕事にも慣れているという。ただ、城の縄張まで一から任せられるとは聞いていない。甲賀との繋がりもあり、人を使って話を集めることもできるらしい。
俺は一氏へ、これまでの働きを尋ねた。
「これまでは、どこで働いていた」
「決まった主は持たず、各地の普請場を渡り歩き、鉄砲の指南や人足の差配で口を糊しておりました。ですが、そろそろ腰を据えて仕える先を見つけたいと存じます」
「人足の差配には、慣れているのだな」
「はい。渡り歩くうち、人を見る目も多少は養えました。癖のある人足でも、扱いようで働きは変わります」
俺は続けて、鉄砲の指南について尋ねた。
「鉄砲の指南では、どう教えていた」
「撃ち方や玉込めを、手順ごとに人を分けて教えます。一人にすべて覚えさせるより、人数が増えても手順が乱れませぬ」
「普請でも、同じように仕事を分けて任せるのか」
「はい。任せた後も、誰が何を待って手を止めているのか確かめます。仕事を割り振るだけで、そこまで見ておらぬ差配は、存外多うございます」
「なら、実際に人を使うところを見せてもらおう」
一氏の話を聞き終え、俺は新九郎へ尋ねた。
「お前が調べたことと、食い違いはないか」
「ございませぬ。これまでの働きも素行も、こちらで確かめた通りにございます」
人を使う仕事に慣れていると聞き、送り先は決まった。俺は一氏へ向き直った。
「孫平次。千種へ行って、藤吉郎の下に付いてくれ」
「城の普請に加わるのでございますか」
「普請だけとは限らない。藤吉郎は自分で動けるが、手元の家臣はまだ少ない。鉄砲の指南でも普請でも、お前の経験は役に立つ。何を任せるかは藤吉郎が決める」
「かしこまりました。まずは、私にできることを見ていただきます」
「ああ。初めから何もかも任せるわけじゃない。できるところから見せてくれ」
一氏は少し考えてから、俺へ尋ねた。
「千種の普請には、今どれほどの人足が出ておりましょうか」
「着いたら藤吉郎に聞いてくれ。人足を何人使うかも、どの仕事を先に進めるかも、藤吉郎に任せている」
「承知いたしました」
秀吉には、一氏を送ることを先に知らせておこう。何を任せ、どの仕事を先に進めるかは、現地で決めてもらえばいい。手元の家臣が増えれば、少しは城に座っていてくれるだろう。たぶん。
* * *
江野へ戻ってからも、人集めを続けた。瑞鳳衆に入れる者だけでなく、兵を率い、城を預かれる者も要る。領地が増えれば、今いる者だけでは手が足りなくなる。
候補の一人に、島左近清興がいた。後に筒井へ仕えたはずだが、それ以前の経歴は曖昧にしか覚えていない。今までどこで何をしていたのかも、俺の記憶では分からなかった。
江野へ呼んで話を聞くと、清興は以前、六角家中の者に仕えていたという。俺は、その主のもとを去った理由を尋ねた。
「なぜ、暇を願った」
「そのまま仕えても、兵を預けられる立場にはなれぬと思ったからにございます」
「自分には、兵を預けるだけの値打ちがあるというのだな」
「ございます。そう思っておらねば、暇を願ってまで新たな仕官先を探しませぬ」
清興は俺をまっすぐ見ていた。その視線を受け、俺はさらに尋ねた。
「兵を預けたら、どう鍛える」
「敵に押されても崩れぬ兵にしてご覧に入れます。勝たせることより、まずは負けても崩れぬよう鍛える方が、某の性に合っております」
随分とはっきり言う。その場では採用を決めず、清興をいったん帰した。新九郎には、以前の主のもとで何を任され、どのように働いていたのかを調べさせた。
後日、新九郎が調べたことを報告に来た。以前の仕官先も、任されていた仕事も、本人の話と食い違いはなかったという。
「仲の悪かった者にも聞いたか」
「はい。その者たちも、腕は認めております。ただ、口数が多く、上の者にも遠慮なく物を申すので、扱いにくいとは聞きました」
「なら、実際に使ってみよう」
清興を再び呼び、まだ兵働きに慣れていない者を三十人預けた。相手は成政が率いる、橘で戦を経験した兵たちだ。双方に木槍を持たせ、江野の外で戦わせることにした。
この三十人で成政に勝てるとは思っていなかったし、清興にも勝てとは言っていない。見たいのは、押された時にどう兵を動かすかだ。
始まってすぐ、経験の差が出た。成政の兵に押されると、清興の兵は足が止まり、列が詰まっていく。清興は無理に押し返させず、前で苦しくなった者を後ろの者と入れ替えて持ちこたえさせた。成政が片側へ兵を寄せれば、控えさせていた者をそちらへ回す。
一度は成政の動きに気付くのが遅れ、大きく押し込まれた。それでも清興は、列を崩された兵を勝手に前へ出させず、後ろへ下げて並べ直した。最後は押し切られたものの、三十人は散らず、清興の指示に従ってまとまったまま下がってきた。
成政は兵に木槍を返させてから、俺のところへ来た。
「厄介な相手ですな。あの兵たちがもう少し慣れれば、こちらもそう易々とは押し切れませぬ」
「どこが厄介だった」
「兵を入れ替える間合いにございます。こちらの攻めが緩むところを見て替えておりました。そこを突こうと無理に押せば、こちらの隊列が伸びて危うくなります」
「そうか。なら、使えるな」
俺は清興を呼び寄せた。
「当分は江野で俺の下に付いてくれ。今の三十人も、そのまま預ける。兵を増やすかどうかは、これからの働き次第だ」
「では、まずこの者らを鍛えます。次に内蔵助殿と当たる時は、もう少し手を焼かせてご覧に入れましょう」
「まずは、今日崩されたところを鍛え直してくれ」
「そのつもりにございます」
清興は、下がってきた三十人へ向き直った。
「今日、どこで列を崩されたかは分かっているな。次もそこを狙われると思って備えろ」
兵の一人が答えた。
「前の者が下がった時、代わりに出る者が分からず、入れ替わるまでの間、列に隙間ができました」
「原因が分かっているなら、次は防げる。同じところを二度崩されるな」
清興は兵に負けを認めさせるより、列に隙間ができた原因を確かめ、次にどう防ぐかを教えていた。物言いは強いが、教え方は乱暴ではないらしい。成政がその様子を嫌そうに見ているのを見ると、扱いにくいという評判も少し分かった。
それでも、三十人を預けたばかりの清興は、押された兵を散らさずに下げてみせた。城や領地が増えれば、兵を任せられる者も今以上に必要になる。まずは江野で、その働きを見ていこう。
* * *
秋になった頃、阿下喜の新城普請を確かめに員弁へ向かった。現地では、堀を掘った土で土塁が築かれ、門の柱も立っていた。材木は用途ごとに分けて置かれ、必要な場所へ運べるようになっている。完成まではまだ掛かるが、城の形が見えてきた。
可成は縄張を記した板を広げ、普請を終えたところと、これから手を付けるところを示した。
「夏は村へ戻す者を増やし、春より人足を減らしておりました。その分、秋から冬にかけて進めます」
「それでいい。城を造るために田畑の手が足りなくなっては困る」
「材木は夏の間に運び込んであります。人足が戻れば、すぐに取り掛かれます」
「無理に一年で仕上げようとするな。長く使う城なんだからな」
城内では、蔵を建てる場所も決まっていた。井戸は一つがすでに使えるようになり、普請方がもう一つを掘り進めている。兵が増えても、水を一つの井戸だけに頼らずに済む。
蔵の予定地まで来たところで、俺は可成へ尋ねた。
「米以外の物は、どこに置く」
「米蔵とは別に、鉄砲と玉薬の蔵を設け、それぞれ分けて納めます。同じ棟に置けば、火が出た時にまとめて失いますので」
「湿気にも気を付けてくれ。特に玉薬はな」
「床を高くし、床下に風が通る造りにいたします」
可成と城内を歩き、道や土塁を確かめた。まだ使えないところもあるが、冬を越せば山口から移れそうだという。
「急がなくていい。移ってから不備が見つかる方が面倒だ」
「では、春までに一通り仕上げ、その後に移ることにいたします」
城へ続く道は荷車が通れる幅に広げられていたが、雨で路肩が削られたり、流れ込んだ土で狭くなったりしているところもあった。俺は傷んだ路肩を示した。
「春までに道を見て回らせてくれ。ほかにも傷んでいるところがあれば、直してから使う」
「普請方へ伝えます。冬の間に、手を入れられるところから直させましょう」
城ができても、兵糧や材木は運び込まなければならない。雨のたびに荷車が通れなくなっては、余計な人手が掛かる。可成が阿下喜へ移った後は、範者と片山勢を上木から山口へ移し、上木の城は役目を終えさせるつもりだ。
一通り見て回ると、可成が声を掛けてきた。
「この後は江野へお戻りになりますか。傅兵衛がお会いしたがっております」
「傅兵衛がか」
「十兵衛様がお越しになると聞いて、朝から落ち着かぬ様子でして。少し顔を見せてやっていただければと存じます」
それなら顔を見せていこう。可成の仮住まいへ寄ると、庭では六つになった森傅兵衛が木刀を握っていた。
俺たちに気付くと、傅兵衛は手を止め、木刀を置いて駆け寄ってきた。
「十兵衛様。お待ちしておりました」
「俺が来ると聞いていたのか」
「はい。父上が、今日は十兵衛様を城へご案内すると申しておりましたので」
俺は、庭に置かれた木刀へ目を向けた。
「稽古の途中だったか」
「はい。父上には、相手ばかり見ず、周りにも気を配れと教わっております」
可成が横から言葉を添えた。
「一人の相手ばかり目で追う癖が付けば、周りが見えなくなります。まだできずとも、今のうちから気を配るよう教えております」
六歳なら、まずは目の前の相手と打ち合えれば十分な気もする。だが、可成にも考えがあるのだろう。教え方は任せておけばいい。
中へ入ると、今年生まれたばかりの森勝蔵が寝ていた。記憶が確かなら、後に鬼武蔵と呼ばれる男だ。もっとも、目の前の赤ん坊に、その面影を探しても分かるはずがない。
俺は勝蔵を見ながら、可成へ声を掛けた。
「三左衛門。この子が大きくなったら、俺に仕えさせてくれ」
「……勝蔵を、でございますか。まだ乳飲み子ですぞ」
「今すぐの話じゃない。成長してからだ」
「……確かに、先ほどそう仰せでしたな」
そこで納得するのか。可成の跡を継ぐのは嫡男の傅兵衛だ。勝蔵には俺の手元で働いてもらえれば、都合がいい。
可成は、眠っている勝蔵へ目を向けた。
「とは申せ、どのような子に育つか、まだ分かりませぬぞ」
「どんな子に育つかは、これからだな。また息子が生まれたら、その子も俺に仕えさせることを考えてくれ」
「まだ生まれてもおらぬ子の仕官先までとは、気の早いことでございますな」
「そこは否定しない」
傅兵衛は俺を見た後、可成へ目を向けた。
「勝蔵は、十兵衛様のところへ行くのですか」
「大きくなったら、来てくれるといいと思っている」
「十兵衛様、傅兵衛を困らせぬでください。勝蔵はまだ返事もできませぬぞ」
「分かった。本人に聞けるようになるまで待つよ」
今話したところで、勝蔵にはまだ分からない。それでも、可成にこちらの希望を伝えておくくらいはいいだろう。
傅兵衛は庭へ戻ると、木刀を拾って素振りを再開した。可成は息子の稽古を見ながら、俺へ言葉を続けた。
「傅兵衛も、いずれ十兵衛様の下で学ばせとうございます。今はまだ形ばかりの稽古ですが、その折には目を掛けてやってくだされ」
「分かった。江野へ来た時は、稽古場も使えるようにしておく」
庭で傅兵衛が素振りを続ける中、俺たちは阿下喜を後にした。




