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近江の山奥から始める近代国家建設 〜転生田舎領主は戦国そのものを終わらせたい〜  作者: 近江もののふ
第四章 戦国大名への道

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第103話 武田家の親子

 永禄元年(えいろくがんねん)(1558年)、五月。

 甲斐国(かいのくに)、山梨郡(やまなしぐん)、府中(ふちゅう)、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)。


 木曾を発ってから数日、俺たちは躑躅ヶ崎館へ入った。飛騨から木曾を抜けて甲斐まで、随分と遠くへ来たものだ。館に高い石垣や天守はないが、門の内では書付を運ぶ家臣や、荷を改める者が行き交っている。旅先で道や湯の話をしていた晴信が、ここで武田家の政務を取り仕切っている。


 用意された部屋で荷を下ろし、政基(まさもと)が正吉(まさよし)を連れて馬を見に出ると、俺はしばらく休むことにした。その間、光秀(みつひで)は木曾から甲斐までに通った道や宿、川を渡った場所を帳面に整理していた。休んだ後、俺は光秀だけを連れて晴信(はるのぶ)のもとへ向かった。


 部屋へ通されると、晴信は家臣から受け取った書付に目を通していた。二枚ほど読み、その場で指示を与えて家臣を下がらせてから、俺たちに座るよう促した。

「飛騨からここまで来たのだ。今日は休んでおるかと思っておったぞ」

「せっかく甲斐まで来たのですから、大膳大夫殿(だいぜんだいふどの)に聞いておきたいことがあります」

「何を聞きたいのだ」

「甲州法度之次第《こうしゅうはっとのしだい》についてです」


 晴信は書付を片付ける手を止め、俺へ顔を向けた。

「甲斐の法度まで知っておったか」

「いくつか耳にしただけで、詳しいことまでは知りません」


 前世で読んだことはあるものの、条文をすべて覚えているわけではない。法度の内容は後からでも調べられるが、それぞれの決まりを設けた理由は、本人に聞ける今のうちに確かめておきたかった。


 俺は晴信に、法度の何を知りたいのか話した。

「某が伺いたいのは、法度の内容よりも、それぞれの決まりを設けた理由です」

「どの決まりについて聞きたいのだ」

「まず、棟別銭(むなべつせん)についてです。逃亡や死亡で家が減った後も、減った家の分まで郷に残った者へ負わせるのはなぜですか」

「家が一軒減るたびに、こちらで改めておっては切りがない。誰が逃げたか、誰が死んだか、新しい家がどこに建ったかも、同じ郷の者ならすぐに分かる」


 家の増減を調べるなら、郷の者に任せる方が早い。だが、それと減った家の分まで残った者に払わせることは別だ。

「十軒のうち一軒が逃げ、さらに戦で二軒焼けたら、残る七軒で十軒分を払うのですか」

「新たに家が増えておらねば、そうなる」

「それでは、払えずに逃げる者が出るほど残った家の負担が増し、さらに逃げる者が出ませんか」

「そこまで家が減れば、負担を改めることもあろう」

「では、家がどれだけ減ったか、誰がいつ確かめるのですか」

「郷から申し出があれば確かめる」


 郷から申し出がなければ、家が減っても帳面には反映されない。俺はその点を晴信に尋ねた。

「申告だけで負担が減るなら、口裏を合わせる者も出ます。逆に、本当に減っても認められなければ、七軒で十軒分を払い続けることになります」

「ならば、時折こちらから確かめる」

「某なら、最初に基準を決める時は念入りに調べます。その後は、前年から大きく変わった村や、訴えの多い村を確かめ、毎年すべての村を調べることはしません」

「村役人が口裏を合わせたらどうする」

「抜き打ちでも調べますが、すべては見抜けないでしょう。ただ、郷の者に調査と負担の割り振りを任せても、人手が要ることは同じです」


 晴信が否定せずに聞いているので、俺は家ごとの負担の違いにも話を進めた。

「それに、奉公人を抱える大きな屋敷と、貧しい小屋から同じ額を取れば、貧しい家ほど負担が重くなります」

「家ごとの財まで調べるのか」

「財を隅々まで調べなくても、暮らし向きの明らかに違う家には、負担に差をつけられるでしょう」

「その分、帳面をつける手間が増えるぞ」

「ええ。ですが、払えずに逃げた者を追い、潰れた家を調べる手間と、どちらが大きいかです」


 戦が続けば、家が減る一方で、戦費や普請の負担は増えていく。十軒で十を納めていた郷が十五、二十を求められる頃には、戦禍や逃亡で八軒しか残っていないかもしれない。


 俺は晴信に、さらに徴収を増やせばどうなるか尋ねた。

「徴収を増やして逃げる者が出れば、残った家の負担も増します。取る額を増やすほど、払える家が減りませんか」

「逃げることを許せと申すか」

「逆です。逃げてから捕まえるより、ここに残った方がましだと思えるようにしたいんです」

「家を基準に取るのが悪いと申すわけではないのだな」

「ええ。ただ、決めた額にこだわって家を潰せば、先々取れるものもなくなります」


 晴信は手元の書付へ目を落としたが、片付けずに俺の話を待った。

「……まだあるのであろう。申してみよ」

「次は喧嘩の扱いです。私闘を抑えるために厳しく罰する考えは分かります。ただ、一方的に襲われた者まで、抵抗したことで罰せられるなら問題でしょう」

「何でも同じに罰するわけではない」

「では、誰が先に手を出したか、調べる必要がありますね。書付だけでは判断できませんし、被害を受けた側も罰を恐れれば、訴えを控えるかもしれません」

「訴えずに耐えると申すか」

「いえ。人目を避けて、自分たちで報復するでしょう」


 人前での喧嘩が減っても、陰で身内を集めて報復し合うなら、争いが収まったことにはならない。


 晴信はそれでも、私闘を厳しく罰する必要があると答えた。

「それでも、好き勝手に斬り合うよりはましだ」

「そこは否定しません。ただ、田の境や銭の貸し借り、水を引く順番で揉めたのなら、殴り合った者を罰するだけでは、また争いになるでしょう」

「争いの元になったことは、別に裁けばよい」

「ええ。まず村や町で事情を聞き、そこで収まらない争いや、重いものを上へ持ってくればいいと思います」

「すべての喧嘩に、こちらから人を出すわけではないのだな」

「全部は無理でしょう。ただ、放っておけば繰り返す争いは、原因まで調べて裁く必要があります」


 厳しい処罰を恐れて、仲裁をためらう者も出るだろう。俺は喧嘩を止めに入った者の扱いへ話を移した。

「止めに入って自分まで罰せられるくらいなら、離れていた方が安全だと考える者も出るでしょう」

「仲裁した者まで罰する必要はない」

「ええ。ただ、争った者と止めた者を分けるにも、何があったか確かめる人は要ります」


 晴信は少し考え、俺に向き直った。

「そなたの話を聞いておると、わしの法度が穴だらけに思えてくるな」

「欠点のない法度はないでしょう」

「そう言いながら、欠点ばかり挙げるではないか」

「気になったことを伺いに来たので」


 晴信は脇の銭を一枚取り、俺に示した。

「では、悪い銭はどう扱う」


 今度は撰銭(えりぜに)か。俺は晴信の示す銭を見ながら、商人がそれを受け取るかどうか考えた。

「銭を選り分けずに使えと命じても、損をする商人が従うとは限りません」

「だから、撰銭を禁じるのだ」

「ですが、売買のたびに、どの銭を受け取り、どれを拒んだか確かめられますか」

「見つければ罰する」

「見つからなければ続けるでしょう。それに、駿河や信濃から来る商人まで、甲斐の禁令だけで従わせられますか」


 悪銭をすべて排除すれば、良い銭だけでは数が足りず、品物があっても売買が滞るかもしれない。


 俺は晴信に、どの銭を使えるものとして扱うか、自分の考えを伝えた。

「悪い銭をすべて除けば、数が足りなくなります。役銭として受け取る銭と、市場で使われている銭を見比べ、質の悪すぎるものだけ除きます」

「どの銭を除くかは、誰が決めるのだ」

「商人にも話を聞いた上で、某が決めます」

「商人は己に都合のよいことを申すぞ」

「一人の話だけでは決めません。桑名(くわな)や堺(さかい)、近江で多くの銭を扱う商人から、それぞれ話を聞きます」

「それでも、領主が値を誤れば、国中の者が損をする」

「だから、決めたままにはしません。市場の変化を確かめて、必要なら見直します」


 晴信が銭を小箱へ戻して絵図を引き寄せると、俺もそこに描かれた釜無川(かまなしがわ)の川筋へ目を向けた。

「治水についてですか」

「そうだ。そなたならどうする」

「堤だけで大水を抑え切ろうとはしません。守る場所を決め、溢れた水は被害の少ない方へ逃がします」

「そなたも、川と正面から争うつもりはないか」

「大水になれば、こちらが勝てる相手ではないでしょう」


 この点では考え方が近いらしい。とはいえ、土木の専門家でもない俺には、水の逃がし先や堤の造り方までは分からないので、それ以上は口を出さなかった。


 晴信は絵図を畳む手を止め、俺に改めて尋ねた。

「十兵衛。そなたは甲州法度之次第をどう思う」

「それぞれの決まりを設けた理由は分かります。ただ、その理由が今も通じるのか、従うことで困る者が出ていないかは、調べる必要があるでしょう」

「問題があれば、すぐに法を変えるのか」

「すぐに変えるつもりはありません。ただ、欠陥が分かったなら、放っておくべきではないでしょう」

「これまでの法を信じて動いた者もおるぞ」

「だからこそ、改める前に調べます。法を破った者だけでなく、法を守ったために困った者の事情も確かめます」


 棟別銭を巡る郷の揉め事や喧嘩の沙汰、市場での悪銭の扱いを調べれば、俺が懸念した問題が実際に起きているか分かる。起きていなければ、その理由も確かめたい。俺は晴信に、何を改めるかは、そうした事情を調べてから決めると伝えた。


 晴信は俺の話を受けて尋ねた。

「わしに法度を改めよと申すのか」

「改めるかどうかは、大膳大夫殿がお決めになることです」

「逃げたな」

「よその国の法まで、某が勝手に決めるわけにはいきませんよ」


 晴信は法度を手元へ引き寄せ、廊下に向かって呼びかけた。

「誰かおるか」


 晴信は入ってきた家臣に、近年の沙汰や訴えを、棟別銭、喧嘩、銭の扱いに分けて集めるよう命じた。家臣が下がってから、俺は晴信に尋ねた。

「本当に調べるんですか」

「あれだけ欠点を指摘されては、確かめずにはおけぬ」

「法度を改めるかは、それからですか」

「当然だ。そなた一人の言葉で国法を変えるわけにはいかん」


 それでいい。俺が指摘したのは、仕組みの上で起こり得る問題だ。甲斐で実際に起きているかまでは知らないので、まず確かめてもらう必要がある。


 晴信が次を尋ねようとした時、廊下から誰かを引き止める声が近づいてきた。戸が開き、若者が顔を出す。

「親父だけ、面白そうなことやってんじゃん」


 俺より少し年上に見えるが、顔よりもその喋り方が気になった。晴信は法度から手を離し、額を押さえている。

「……愚息だ」

「愚息とか超ウケる」


 何だこいつ。返事に迷っていると、晴信が若者に挨拶を促した。

「太郎。こちらは伊勢の橘十兵衛殿だ。挨拶せよ」

「どもっす」


 武田太郎義信(たけだたろうよしのぶ)か。晴信の嫡男の名は知っていたが、こんな喋り方をするとは思わなかった。戸惑いながらも、俺は名乗った。

「橘十兵衛です」

「へえ。で、こいつ何者?」

「今、名を申したではないか」

「名前じゃなくてさ。親父と何をそんな真面目に話してんの?」


 義信は法度にちらりと目をやり、俺へ向き直った。

「まあいいや。十兵衛ちゃん、ちょっと借りるわ」

「待て、太郎」

「すぐ返すって」


 俺は物か。光秀を部屋に残したまま廊下へ連れ出され、義信と並んで歩いていると、向こうから話しかけてきた。

「十兵衛ちゃんって、俺よりちょい年下だよね」

「そうですね」

「よく親父とあんな話してられるね。楽しい?」

「聞いておきたいことがあったので」

「途中から親父に試されてたの、分かってた?」

「次々と問いを出されたことなら」

「そうじゃなくてさ。十兵衛ちゃんが何を当然だと思って話してるのか、探ってたんだよ」


 義信は軽い口調のまま、晴信とのやり取りについて続けた。

「調べる人がいて、帳面もあって、商人にも話を聞ける。十兵衛ちゃん、そういうものが揃ってる前提で話すじゃん」

「だからこちらも、大膳大夫殿が誰に調べさせ、何を頼りに判断するのか聞いていました」

「うん。親父に、そっちだって人手は要るでしょって返したの、面白かったよ」


 どこから聞いていたんだ。ふざけた調子で入ってきたが、話の中身はよく分かっているらしい。俺は義信に感心したことを伝えた。

「よく見ていますね」

「見てりゃ分かるよ。てか、十兵衛ちゃんって結構めんどくさいよね」

「初対面で、よくそんなことを言えますね」

「だって、相手が間違ってると思ったら、そのまま言うでしょ」

「必要なら言います」

「で、それでも相手が動かなかったら、もっと詳しく説明する?」


 こちらの意図が伝わっていないと思えば、説明を重ねることはある。だが、伝われば必ず相手が動くとまでは考えていないつもりだった。


 俺は言葉を選んで義信に答えた。

「場合によります」

「でも、正しいって分かってもらえれば、そのうち動いてくれると思ってない?」

「そこまで単純には考えていません」


 義信は少し歩調を緩めた。

「でも、十兵衛ちゃんが正しいからって、相手が言うこと聞く理由になる?」


 すぐに答えが出ずにいると、義信は返事を待たずに続けた。

「正しい方を選んだら、その人が得するようにすればいいじゃん」

「得になるからといって、誰もが動くわけではありません」

「じゃあ、安心できるとか、褒めてもらえるとか、好きな奴に喜んでもらえるとか。その人が欲しいものを理由にすればいいじゃん」

「相手が何を望んでいるのか、いつも分かるんですか」

「分かんない時もあるよ。だから、話してもらって探るんじゃん」

「話してくれない相手なら、どうするんです」

「十兵衛ちゃんは、こっちが聞かなくても喋ってくれるから楽だよ」


 俺が説得しようと話す間に、向こうは俺の考え方を探っていたらしい。言い返そうとした時には、義信はもう門の方へ顔を向けていた。

「十兵衛ちゃん、伊勢から来たんだっけ。海あるじゃん、いいなあ。俺、こんなクソ田舎で暮らすの、マジで耐えられないわ」

「今は伊勢にいることが多いですね。ですが、甲斐も栄えている方だと思いますよ」

「は? ここで栄えてる方なの? どんだけ田舎から来たんだよ」

「ここの城下より、ずっと小さな村ですよ」

「じゃあ、十兵衛ちゃんから見たら都会じゃん」

「それは、どういう理屈ですか」


 さっきの話をもう少し聞きたかったが、義信は甲斐の暮らしへの不満を並べている。そこへ若い男が近づき、義信に耳打ちした。

「マジで? 誰が来たの?」


 男の話を聞いた義信は、すぐに向きを変えた。

「ああ、はいはい。分かった、今行くわ」


 急に話を切り上げて行こうとする義信を、俺は呼び止めた。

「何か用ができたんですか」

「指名が入ったんだよ」

「何の指名ですか」

「俺じゃなきゃ嫌だってさ。悪いね、十兵衛ちゃん。仕事だから、また今度」


 義信は何の仕事かも説明せず、男と一緒に行ってしまった。俺が晴信の部屋へ引き返す途中、書付を抱えた小柄な少年が道を譲ってくれた。


 その少年に、廊下の先から声が掛かった。

「源五郎、こちらへ来い」


 少年が声の方へ急ぐのを見送り、俺も晴信の部屋へ戻った。晴信の前にはまだ法度が開かれており、俺の姿に気づくと、義信のことを詫びた。

「愚息が迷惑を掛けたな」

「いえ。変わった方ですね」

「昔は、あそこまでひどくなかったのだがな」

「先ほど、指名が入ったと言っていました。何のことでしょう」

「あれが町で妙なことを始めおってな。気にせんでよい」


 詳しく話す気はないらしいので、俺もそれ以上は尋ねなかった。代わりに、廊下で義信から言われたことを思い返した。

「話はよく分かっておられるようですね」

「……頭が悪ければ、まだ扱いやすかったのだがな」


 その返事を聞き、俺も義信の話はそこまでにした。


 翌日、甲斐を発つ俺たちを見送りに出た晴信が、南へ抜ける道を示した。

「湯島では、下部(しもべ)の湯も知っておると申していたな。帰りに寄っていけばよかろう」

「ええ。下部に寄ってから、駿河(するが)へ抜けて帰るつもりです」

「そうか。道中、気をつけよ」


 馬に乗る前に、一つ思い出して晴信を振り返った。

「ああ、大膳大夫殿。一つだけ」

「何だ」

「啄木鳥(きつつき)は、あまり信用しない方がいいですよ」

「……啄木鳥とな?」

「では、これで失礼します」


 俺はそれ以上説明せず、皆とともに躑躅ヶ崎館を後にした。


 * * *


 下部で一泊し、翌朝、駿河へ向かった。山を抜けるにつれて人や荷の往来が増え、駿府(すんぷ)では布や紙、酒、油、薬種を扱う店の前を、人足や荷馬が行き交っている。寺社も目につき、前世で聞いた「東国の京」という呼び方を思い出した。


 町の賑わいに加え、橘の酒がどこで誰に売れているかも見ておきたい。駿河には以前から甲賀の者を入れ、酒も流していたが、これまでは帳面や商人の話で売れ行きを知るだけだった。


 俺は政基に、宿を決めた後、町へ入る荷も確かめるよう頼んだ。

「弦十郎。又四郎と宿を決めて、馬と荷を預けてくれ。その後、町へ運び込まれる荷を確かめてほしい」

「何を運んでいるかだけでなく、どこから来たかも、ですか」

「ああ。特に西から来る荷と、海路で届く荷を頼む」

「では、宿に馬と荷を預けてから調べてまいります」


 政基と正吉を見送り、俺は光秀と通りの店を見て回った。やがて、店先に見覚えのある形の壺を見つけ、足を止めた。


 俺は店先の壺を示し、光秀に尋ねた。

「九郎。あれは、うちの酒じゃないか」

「はい。橘のものですね」


 江野(えの)から出している酒が、少しずつ並んでいた。遠い土地で自分たちの品を見るのは妙な感じがする。聞けば値は江野より高いが、運び賃を考えれば当然だ。どの酒がよく売れるのだろう。


 俺は店の者に、よく売れる酒を尋ねた。

「どれがよく出ますか」

「こちらでございます。旅のお方や、武家のお使いの方がよくお求めになります」


 示されたのは、日持ちして輸送中も傷みにくい蒸留酒だった。遠くへ出すには向いているのだろう。贈り物にも使われるというのは、売れた数だけでは分からなかったことだ。


 店を離れてから、光秀が酒の並ぶ店先を振り返った。

「十兵衛様。駿河へ出す酒を増やされますか」

「伊勢や桑名でも注文が増えているから、ほかの売り先との割り振りを考えないとな。蔵にどれだけ余裕があるか、帰りに駿河から何を運べるかも確かめてからだ」


 昼過ぎに宿へ入り、政基たちが荷を置いて町へ出た後、一人の男が訪ねてきた。見た目は商人の供だが、駿河へ入れている甲賀の者だった。


 俺は男を部屋へ通し、酒の売れ行きを尋ねた。

「座ってくれ。まず、こちらで酒がどう売れているか聞かせてほしい」


 男の話では、駿府や街道沿いから、清酒より蒸留酒の方が遠くまで売られているという。桑名から酒を運ぶ九鬼(くき)の船は定期的に清水(しみず)へ入り、そこで売る分を降ろし、残りは伊豆(いず)や東へ向かう船に積み替えていた。


 海路なら陸路より早く、多くの酒を運べる。清水での荷の扱いも確かめておきたいが、まずは新たに酒を扱いたい商人がいるか尋ねた。

「二人ほど、扱いたいと申しております」

「まず、今の商人がどこまで売っているか確かめてくれ。こちらも出せる量には限りがある。売り先を増やすかは、その後で決める」


 甲斐で晴信と話したばかりなので、続いて駿府での銭の扱いを聞いた。男の話と今日店先で見た様子を照らし合わせると、受け取る銭は店や商人によって違っている。これを禁令だけで揃えるのは難しいだろう。


 商いの話を終え、俺は今川の動きへ話を移した。

「三河と尾張東南部の動きを、今までより詳しく調べてくれ」

「今川方の城を中心に調べますか」

「城だけでなく、街道を通る人や荷もだ。米や馬が集まったり、武具の買い付けが増えたりしたら知らせろ」

「今川が尾張へ出るとお考えですか」

「三河を押さえている以上、西へ進むことも考えるだろう。普段の往来が分かれば、動きが変わった時にも気づける。何もなければ、それでいい」


 大軍を動かすには、先に兵糧や馬、武具を揃えなければならない。その準備なら、城内へ忍び込まずとも、街道や宿、市場での人や物の動きから分かるはずだ。


 俺は男に、どこで情報を集め、報せをどこへ送るか指示した。

「駿府に人を集めず、三河にも増やし、尾張側にも入れてくれ。商人や旅人が出入りする場所に分け、城内は無理に探らなくていい」

「報せは、これまでどおりこちらでまとめますか」

「急報は駿府を経由せず江野へ送れ。今川がまとまった兵を集める、三河から西へ大量の兵糧が動く、尾張東南部で人の出入りが急に増える。そうした時だ」

「承知しました」


 既に商人が行き来し、酒の販路もある。甲賀の者がその往来の中で普段の荷を調べておけば、軍勢が出る前に変化を知らせられるだろう。


 男が下がった後、光秀が俺に尋ねた。

「随分と東の動きを気にされますな」

「今川と織田がいつまでも動かずにいるとは限らない。兵が動いてから慌てるより、今のうちに調べておいた方がいい」

「それだけの理由でございますか」

「今はな」


 光秀はそれ以上尋ねず、俺も先のことまでは話さなかった。


 翌朝、俺たちは清水へ向かった。駿府から東へ進む道では、俵だけでなく箱や樽を積んだ馬も目についた。港に着くと沖にも船が見え、浜では荷の積み下ろしが続いている。陸へ上げられた荷は、すぐに運び出されるものもあれば、その場に置かれるものもあった。


 隣で荷の積み下ろしを見ていた正吉が、桑名との違いを尋ねた。

「違いはあるが、船から荷を下ろし、仕分けて運ぶのは同じだ。荷の置き場が足りなければ下ろせないし、蔵までの道が悪くても滞る」


 俺は運ばれる荷を目で追い、港の奥へ目を向けてから政基に頼んだ。

「弦十郎。又四郎と、荷の置き場や、そこから駿府へ運ぶ道を確かめてくれ」

「陸へ上げた荷の運ばれる道を辿ってまいります」


 二人を見送り、俺は光秀と港を歩きながら、橘の酒を扱う商人にも話を聞いた。酒は九鬼の船で従来どおり樽のまま届くため、割れ物ほど気を遣わずに済むという。清水向けの荷と、伊豆や東へ送る荷では、下ろした後の扱いも違っていた。


 駿府の店先だけでは、船と陸の間を誰が取り次ぎ、次の船までどこに荷を置くかは分からない。桑名の荷の扱いや、いずれ四日市を整える時にも役立つので、確かめておきたい。


 商人の話を聞き終える頃には日が傾き、俺は港を見渡して光秀に声を掛けた。

「そろそろ戻るか」

「江野へお戻りになるのですか」

「ああ。今度こそな」


 飛騨から木曾を経て、甲斐、駿河まで足を延ばした。長い寄り道になったが、帰れば今回見聞きしたことをもとに、酒の出荷量や帰りに運ぶ荷を相談できる。俺たちは清水を離れ、江野を目指して西へ向かった。

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甲斐もガッツリ干渉したけどこれからどうなるか楽しみだ あと転生者複数でるんかな?
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