第93話 金井の夜
弘治三年(1557年)、春。
伊勢国、三重郡、江野、江野城。
堺から戻って数日が経った。城内では次の出陣に向け、武具蔵から運び出した槍や具足を並べ、兵糧の俵に行き先の札を付けている。俺のところへ届く報告も、鉱山や市の話に交じって、員弁の兵や道に関するものが増えていた。
その日も、勘次、平助、虎松をそばに置き、出陣に持ち出す荷の書付を確かめていた。ふと三人を見る。幼い頃から俺について走り回ってきたが、いつまでも小姓として後ろに控えさせておく歳ではなくなっていた。
俺は書付を置き、三人へ声を掛けた。
「おい勘次。お前らもそろそろ元服して、初陣に出る頃だよな」
「いきなり何だよ、若……十兵衛様」
「今、若って言ったな」
「言い直しただろ。で、今度は俺たちも戦に出るのか」
「ああ。そのつもりだ」
勘次は平助と虎松を見た。二人も頷く。初陣を嫌がる様子はないが、平助は少し考えてから俺に尋ねた。
「十兵衛様は、初陣の時に怖くなかったんですか」
「俺の初陣か。鉄砲で殲滅したから、特に何とも思わなかったな」
勘次が平助へ顔を向けた。
「聞く相手を間違えたな」
虎松も頷く。
「俺もそう思う」
二人にそう言われ、俺は言い足した。
「朝明川では槍働きもしたぞ。ずっと後ろから撃ってたわけじゃない」
「そっちを先に言ってくれよ。何人斬ったんだ」
「お前はそこしか気にならないのか」
虎松は悪びれもせず、勘次は面白がっている。平助もつられて笑った。
俺は初陣の話を切り上げた。
「まあ、俺の初陣は参考にしなくていい。お前らは又左衛門、内蔵助、藤吉郎のところへ一人ずつ入れる」
「えー、あいつらの下かよ」
「勘次、今度は言い直しもしなかったな」
「だって又左衛門なんか、昔から知ってるじゃねえか」
虎松も口を挟んだ。
「藤吉郎だって、俺たちが小さい頃からいるぞ」
三人にとって、利家も成政も秀吉も、昔から上役だった相手ではない。一緒に飯を食い、時には同じ場所で叱られていた頃も知っている。
俺は勘次へ向き直った。
「昔から知ってることと、今、誰が兵を預かってるかは別だ。お前らもそろそろ上下関係を覚えろ」
「分かってるって」
「分かってるなら、あいつらなんて言わないだろ」
勘次は何か言い返しかけたが、結局、口を閉じた。
俺は三人を見回した。
「又左衛門たちも、昔はお前らと大して変わらなかったぞ。又左衛門は喧嘩っ早くて、内蔵助は負けず嫌い。藤吉郎は何かあるたびに、自分も役に立つって首を突っ込んできた」
勘次が首を傾げた。
「今も変わってなくないか」
「性格はな。だが今は、あいつらが動けば三百人の兵も動く。敵が見えたから突っ込む、勝てそうだから全員を出す、じゃ済まないんだよ」
平助が尋ねた。
「三人が何を見て兵を動かしてるか、覚えてこいってことですか」
「そうだ。兵の動かし方だけじゃなく、将としての心持ちも学んでこい」
いずれ三人にも兵を預ける。その前に、勝つことだけでなく、預かった兵をどう扱うかも見てきてほしかった。
勘次が待ちきれずに尋ねた。
「で、俺は誰のところだ」
「その前に元服だろ。お前ら、勘次と平助と虎松のまま初陣に出るつもりか」
元服させるなら、通称と諱だけでなく、名乗る姓も決めなければならない。そこで、以前政秀から聞いた話を思い出した。
俺は三人に、以前政秀から聞いた姓を挙げた。
「昔の橘家には神崎、早川、倉梨という家があった。今はどの姓も家中に残っていない。お前ら、一つずつ選べ」
「じゃあ俺、神崎」
「俺は早川で」
「なら俺は倉梨だな」
勘次、平助、虎松の順に決まった。俺は書付の余白に三つの姓を記す。
「次は名前だ。勘次は勘十郎、平助は小平太、虎松は源三郎でどうだ」
「今度は若が決めるのかよ」
「不満なら聞くぞ。諱は順に政綱、政孝、政泰を考えてる」
「急に真面目になったな」
「そこまで遊びで決めるか」
数日後、三人は前髪を落とした。勘次は神崎勘十郎政綱、平助は早川小平太政孝、虎松は倉梨源三郎政泰と名を改める。
装束を整えて並ぶと、三人とも小姓だった頃とは違って見えた。だが、朝から神妙にしていた政綱も、俺と目が合うといつもの顔に戻った。
俺は三人に配属を伝えた。
「勘十郎は又左衛門の第一大隊。源三郎は内蔵助の第二大隊。小平太は藤吉郎の第三大隊だ。今度の出陣から一緒に動け」
「十兵衛様。又左衛門のことも、これからは又左衛門殿って呼べばいいんだろ」
「俺の前だけじゃなく、本人の前でもな」
「面倒くせえな」
「その面倒くさいのを覚えてこいって言ってるんだよ」
政孝が笑い、政泰もつられた。元服しても、三人のやり取りはいつもどおりだ。それでも次に戻ってくる時には、兵を預かる者の下で、それぞれ何かを覚えているだろう。
* * *
数日後、出陣を前に治田へ入った。
江野の兵に加え、菰野、千種、山口方面からも隊が集まっていた。城下の空き地には幾つもの隊が陣を取り、道脇には荷駄が並ぶ。伝令の馬が来るたび、人足が荷を寄せて道を空けていた。
各城と街道に守りを残しても、治田に集まった兵はおよそ三千。金井城だけを落とすには多い。だが、今回はその先の宇野、大泉、大木、長深まで進む。
さらに東には桑名がある。南の四日市周辺にいる国衆も、こちらの戦いを見て態度を決めるだろう。まずは員弁東部をどう取るかが肝心だった。
治田城では、新たな隊が着くたび、人数と持ち場の報告が上がっていた。文を抱えた書役と廊下ですれ違い、軍議の部屋へ入る。主だった者たちは、すでに員弁東部の絵図を囲んでいた。
員弁東部の動きを調べていた松雲軒が、絵図の金井城を指した。
「まずは金井がよろしゅうございます」
城主は種村大蔵太夫高盛。さらに東には、宇野城の後藤右馬允実重、大泉城の三浦右衛門大夫氏実、大木城の大木舎人、長深城の富永六左衛門がいる。
俺は絵図を見ながら尋ねた。
「城主同士の仲が悪くても、橘勢が来れば手を組むか」
「その可能性は高いかと。特に大木と長深は、簡単には降りますまい」
山口から金井までの道は、これまでも人や兵が行き来しており、可成もよく知っている。問題はその先だ。東へ行くほど道が枝分かれし、城同士を結ぶ細い道も増える。
可成は絵図の一本を指した。
「金井までは兵を通せます。ただ、その先は道が多く、城から出る使いをすべて止めるのは難しゅうございます」
「金井を攻めてる間に、右馬允と右衛門大夫が話を合わせるか」
「あり得ます」
秀吉が、宇野と大泉を指した。
「なら、金井へ着く前に二城へも使いを出しましょう。三千が来たと知る頃に臣従の話も届けば、二家で相談する前に返事を求められます」
成政は金井城の印へ目を向けた。
「ただ、金井で手間取れば、二家も返事を延ばして様子を見るでしょう。金井が籠もるなら鉄砲を前へ出します。野へ出てくれるなら、城を攻める手間も省けます」
利家も頷いた。
「某も、金井が外へ出てくれる方が助かりますな。三千を見ても出てくるなら、まとめて叩けます。城ごとに止められるより早い」
「又左衛門らしいな」
「某とて、何でも正面から突っ込むわけではございませぬぞ」
「昔なら言ってたかもしれないだろ」
「昔の話は勘十郎の前でせんでくだされ」
少し離れて控える政綱は、聞こえていないふりをした。政孝と政泰もそのそばにいる。三人とも、絵図と話し手を交互に見ていた。
一益が桑名へ続く道を示した。
「長深と大木が落ちれば、桑名衆には次は自分たちだと見えましょう。二城へ後詰を出し、こちらを止めようとするやもしれませぬ」
松雲軒も絵図の道をなぞった。
「長深へは、桑名からも道が続いております」
桑名が動く可能性はある。俺が南側にも目を移すと、継潤が口を開いた。
「赤堀や田原も、此度の動きを見ておりましょう。ただ、三千をそのまま南へ進めるのは勧めませぬ」
「六月末か」
「はい。中務大輔との和睦が切れます」
和睦が切れた後も、盛信が動かない保証はない。四日市まで取れば、各地の守りに兵を残すことになる。その状態で関へ向き直るのは避けたかった。
俺は継潤へ頷いた。
「四日市へは兵を出さない。今回攻めるのは員弁東部までだ」
光秀が、南の国衆について尋ねた。
「赤堀や田原には、いかがなさいます」
「員弁での戦を見せてから、まとめて返事を取る。刑部少輔を窓口にして、戦が片付いたら話を回させろ」
「田原家の庶流でございますから、まず田原へは話を通せましょう」
「赤堀にもそこから話を回せ。返事が揃ったら関へ向く」
可成が、南側に残る山田城を指した。
「山田城はどうなされます」
「そこは先に潰しておこう。水沢の孫九郎と丹後守、それに平尾の安三郎へ使いを出せ。三人で落とすよう伝えてくれ」
金井攻めの配置へ話を戻すと、範者が進み出た。
「先鋒は某にお任せくだされ」
「主計頭、傷はもういいのか」
「とうに塞がっております。先の戦では役目を果たせませなんだ。此度は最後まで務めさせてくだされ」
可成が範者を見た。
「先の遅れを取り返そうと、無理をする気ではあるまいな」
「任された役目を果たしとうございます。三左衛門殿の指図には従います」
遅参の咎として、員弁を取り終えるまでは片山勢を最先鋒に立てると決めてある。傷も塞がったというなら、範者に務めさせよう。
俺は範者に頷いた。
「先鋒は主計頭。三左衛門の指図で動け。又左衛門、内蔵助、藤吉郎はそれぞれ大隊をまとめる。本部の百人は俺の手元に残す」
軍議を終える頃には、日が傾いていた。城下ではまだ荷駄が動いている。翌朝、この三千で金井へ向かう。
* * *
金井の夜――滝川一益
金井城から兵が出てくることはなかった。こちらが陣を整えていると、高盛の使者が目通りを願い出た。
臣従の条件はすでに伝えてある。賢政は返答を聞くため、高盛を本陣へ通した。某も同席した。
高盛は僅かな供を連れて現れた。三千の兵に囲まれても落ち着いた様子で、座に着くと、城や兵の扱いより先に血筋の話を始めた。
「我らも伊庭の流れを汲む身。橘殿とは遠からぬ縁もございましょう」
「同族だからって条件は変えない。橘へ従うなら受け入れる。嫌ならここで滅ぼす。それだけだ」
「ならば異存はござらぬ。これよりは御家に従いましょうぞ」
高盛は城を残せとも、兵を手元に置かせろとも言わなかった。臣従を申し出た者なら、自分の家がどう扱われるか確かめたがるものだが、高盛は何も尋ねない。
高盛は自分の家の扱いを尋ねる代わりに、東の二城の話を持ち出した。
「宇野と大泉も、某が話せば降りましょう。右馬允も右衛門大夫も、三千を見て争おうとは思いますまい」
「そこまで話が通るのか」
「二家ならば。されど、大木は難しゅうございますな」
「舎人か」
「はい。あれは簡単には首を縦に振りませぬ」
話が終わりかけると、高盛は今夜の宿まで勧めた。
「お宿も用意してございます。城内より落ち着ける屋敷がございますゆえ、そちらをお使いくだされ」
賢政はその申し出を受けた。高盛が帰った後、某は気になったことを伝えた。
「十兵衛様。あの宿は、臣従が決まる前から整えていたことになります」
「三千も連れてきたんだぞ。最初から降るつもりだったなら、おかしくもないだろ」
「そうであればよろしいのですが。少し探らせます」
「久助が気になるならやってくれ。俺は宿へ入る」
宿を先に用意していたというだけで、高盛を捕らえるわけにはいかない。とはいえ、勧められた屋敷へ賢政を入れる以上、守りは固めておきたかった。
屋敷は城から少し離れていた。周囲には民家が建ち、細い道を挟んで塀や屋根が重なる。近くへ人が寄っても、先まで見通せない場所だ。某は政基に加え、益重と元家も警護へ回した。
二人を呼び、守る場所を確かめる。
「今夜は警護を厚くする。何かあっても、宿を離れて追うな。十兵衛様を守ることを先にしろ」
益重が答えた。
「表と裏に分かれます。弦十郎殿とも持ち場を合わせておきます」
益重は宿へ向かい、元家は周囲の道を確かめに出た。某は別に新九郎を呼び、高盛の屋敷と、そこへ出入りする者を探らせた。
日が落ちてしばらくすると、新九郎から使いが来た。使いについて細道へ入ると、表通りの篝火はすぐに見えなくなる。月は出ているが、家と塀に遮られ、足元までは照らさない。
高盛の屋敷の近くで、新九郎が待っていた。高盛の息子、種村弾正左衛門秀政が屋敷へ入るところも見たという。新九郎は声を落とし、奥の様子を伝えた。
「大蔵太夫と弾正左衛門が奥におります。家臣も何人か一緒です」
「話は聞けるか」
「近くまで寄れます。久助殿にも聞いていただいた方がよろしいでしょう」
某は新九郎の後に続き、彼が通った所へ足を置いた。見張りが動けば塀の陰で待つ。勝手に道を選べば、小石を踏んで音を立てかねなかった。
奥の一室へ近づくと、杯を置く音に交じって高盛の声が聞こえた。
「何が同族だ。あの小倅、我らを誰だと思っておる。伊庭の流れを汲む我らへ、降るか滅ぶかなどと」
秀政が応じた。
「三千を連れて来ただけで、北伊勢を取ったつもりなのでしょう」
「六角の威を借りて大きくなっただけではないか」
今度は別の者が言った。
「昼間はよく頭を下げられましたな」
「頭を下げるくらいで死ぬものか。城の前で意地を張るより、懐へ入れてしまえばよい」
室内で何人かが笑った。高盛はさらに続けた。
「宇野と大泉も降ろせると申したら、疑いもせなんだ」
「若いのです。戦には勝てても、人を見る目までは持っておりますまい」
「宿にも素直に入った。今頃あの世よ」
某は新九郎と顔を見合わせ、高盛の屋敷を離れた。本陣へ戻る道に出ると、遠くで松明の火が幾つも動いていた。具足を着けた兵が宿へ向かって走り、その方角からは血の付いた刀を提げた者も戻ってくる。
某は戻ってきた兵を呼び止めた。
「宿で何があった」
「十兵衛様が襲われました。敵は退け、十兵衛様は本陣へ移られております」
新九郎とともに本陣へ急ぐと、賢政は無傷で座っていた。陣幕の外には兵が控え、政基たちの具足や袖には血が残っている。襲った者は一人も生き残らなかったという。
賢政は某を見るなり尋ねた。
「久助。そっちは何か出たか」
「新九郎殿とともに、大蔵太夫と弾正左衛門の話を聞きました」
某は二人が話していたことを、そのまま伝えた。幕の外では兵が行き来している。賢政は最後まで口を挟まず、報告が終わってからも、しばらく返事をしなかった。
賢政は脇の刀を取った。抜くなり文机へ振り下ろす。刃が板に食い込み、書付が敷物の上へ散った。
「こけにしやがって。クソが」
某が黙って待っていると、賢政は刀を引き抜き、顔を上げた。
「久助、種村親子を呼べ。何も知らせるな」
「承知いたしました」
「親父は久助、倅は儀太夫がやれ。弦十郎は俺のそばに残れ。弥左衛門は外を固めろ」
高盛と秀政は、ほどなく本陣へ来た。裾には夜露が付いている。陣幕へ通された高盛は、賢政と、周りに控える者たちを見回した。
「いったい何事でござるか」
誰も答えない。高盛は間を置き、明日の話を始めた。
「宇野と大泉なら、某から話を入れられますぞ。今なら右馬允も右衛門大夫も逆らいますまい」
秀政も話を継いだ。
「大木まで一度に動かすのは難しゅうございますが、まず二城を降ろせばよろしいでしょう」
「長深の六左衛門の方は――」
高盛がそう言いかけたところで、某は間合いを詰めた。刀を抜いて斬る。ほぼ同時に益重も秀政を斬った。
高盛は声を詰まらせ、膝から崩れた。賢政が歩み寄り、その顔を見下ろす。
「何が同族だ。何が伊庭の流れを汲むだ。虫けらが。お前こそ一緒にするな」
高盛の表情が変わった。屋敷での話を聞かれていたと、ようやく気づいたらしい。
二人の処断を終えると、賢政は使者を呼んだ。
「金井へ伝えろ。種村親子は俺を殺そうとした咎で処断した。夜明けまでに城を開けろ。開かなければ攻める。宇野と大泉にも使いを出せ。右馬允と右衛門大夫は、すぐ本陣へ来い。来なければ同謀とみなす」
三方へ使者が走った。
夜明け前、金井から最初の報せが届いた。高盛の孫で秀政の子にあたる種村千代次秀信が、父と祖父の処断を知り、家族と近しい者を連れて西へ逃れたという。
金井城へ兵を入れさせたが、秀信の姿はなかった。賢政は大がかりな追手を出さず、城を押さえることを優先した。
宇野の実重と大泉の氏実は、空が白み始める頃に本陣へ来た。高盛と秀政の首を見せると、二人とも言葉を失った。
某は二人に問うた。
「大蔵太夫が十兵衛様を討とうとしたことは、知っていたか」
実重が先に答えた。
「知りませぬ。橘へ降ったとは聞いておりましたが、そのような企ては聞かされておりませぬ。宇野も御家へ従います。城も兵もお預けいたします」
氏実も頭を下げた。
「某も同じにございます。大泉は開きます。種村と同じとは見なされませぬよう」
賢政は二人の臣従を認めた。
「分かった。城を明け渡せ。これからは橘の指図に従ってもらう」
金井、宇野、大泉の三城は廃することになり、火が掛けられた。昼頃には三方から煙が上がった。近い金井からは濃い煙が立ち、宇野と大泉の方角にも細い黒い筋が見える。
残る長深と大木へも、改めて臣従を求めた。長深からの返書には、橘勢が入れば迎え撃つとある。大木もこれに同調し、桑名へ使者を走らせたという。
ほどなく、桑名を探っていた者が戻った。東城の伊藤武左衛門実房、西城の樋口治部少輔正家、三崎城の矢部右馬允が動いていた。
報告に来た者は、集まった兵の数も伝えた。
「武左衛門が治部少輔、右馬允にも声を掛け、九百ほどを集めております。まだ郡境は越えておりませぬ」
長深と大木が橘へ入れば、桑名衆は橘領と直接向かい合う。九百の兵は、それを避けるために集めたのだろう。ただ、まだ郡境を越えていない。こちらから戦を仕掛ける必要はなかった。
賢政はその日のうちに本陣を治田へ戻し、長深へ進む支度を始めた。
翌日、桑名衆から使者が来た。座に着くと、長深と大木の扱いを持ち出した。
「両城が橘領となれば、桑名と直接境を接することになります。これまでどおり、両家を置かれるのがよろしいかと」
「員弁の仕置きを、桑名衆が決めるのか」
「桑名を守るための申し入れにございます。橘家と争いたいわけではございませぬ」
「なら、六左衛門と舎人に降るよう言え」
「橘勢が長深へ進めば、桑名衆も座視いたしませぬ」
「員弁へ兵を入れれば、桑名衆も敵として扱う。武左衛門らにそう伝えろ」
使者はそれ以上言わず、治田を出た。
継潤が絵図の二城を指した。
「長深と大木を残し、橘と直接向かい合わずに済ませたいのでしょう」
某も、桑名衆が二城を間に置きたがっていると見ていた。
「ですが、ここで止まれば、兵を集めて脅せば橘は退くと思われます」
賢政は長深城の位置を指した。
「郡境の向こうにいる分には構わない。予定どおり長深へ進む。桑名衆が越えてきたら、野戦で叩く」




