第32話 骨付き鳥と忍び寄る影
「ちょっと、お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
朝っぱらから、部屋のドアを激しくノックする音が響いた。
「一体どうしたんだよ……頭痛いから、朝食はいらないぞ」
「まったくもう、何言ってんのよ!」
だるい体を引きずってドアを開けると、沙樹が右手を差し出し、手のひらを上に向けた。揃えた指先を“クイッ、クイッ”と上に向かって動かす。
「あのねえ、お兄ちゃん。昨日はいびきかいて一晩中寝てたそうじゃない! 後でクリスちゃんに謝ってよね!」
そういえば昨日はレストランで、他の客たちと宴会になってしまった。久しぶりの酒に加え、王都に来た高揚感もあって、不覚にも酔い潰れてしまったようだ。
しかも、同室だったはずのクリスがいない。何だか非常に悪いことをしたような……。
「クリスちゃんは今、私の部屋にいるけど、睡眠不足なんだから覗いちゃダメだからね。お兄ちゃんは午後の集合時間に遅れないでよ!」
釈然としない俺をよそに、沙樹は一気にまくし立てると、プイッと横を向いて自分の部屋へ戻っていった。
◆
「ロゼさん、このネックレス可愛い~」
「あっ、でもセトーミさんたちが……」
「いいからいいから、あっちも案内してよ」
市場に一歩足を踏み入れると、むせるような人々の熱気と屋台の串焼きの香りが鼻腔をくすぐった。通りを行き交う様々な人種と、色とりどりの民族衣装に目を奪われそうだ。
「クリスは体調悪いんだぞ。もっとゆっくり回れよ」
「私なら大丈夫ですから」
「クリスちゃんが睡眠不足なのはお兄ちゃんのせいじゃない。私、ロゼさんと先に行くから、罪滅ぼしに優しくしてあげてね」
「お、おい沙樹」
「じゃあクリスちゃん、ギルド本部の前で待ち合わせね!」
異世界のファッションやアクセサリーに興味津々の沙樹は、ロゼを連れて行ってしまい、結果的に俺とクリスは二人きりで別行動することになった。
「クリス、昨日は俺のせいで寝不足なんだろ。無理しなくてもいいぞ」
「い、いえ。そんなことはありません。私なら本当に大丈夫ですから」
ふむ……。
どうやら俺は妹に気を遣われていただけらしい。
「セトーミ様、エディンバラ名物の骨付き鳥です。あちらのベンチで座って食べませんか」
「うん。それにしても凄い迫力だな!」
紙皿には骨付きもも肉が一本丸ごと鎮座していた。
皮はこんがり黄金色に焼け、にんにくと黒胡椒がガツンと効いた香りが顔面にぶつかってくる。
俺は思わず唾を飲み込んだ。
手で掴んでかぶりつくと「パリッ! ジュワァァァ!」
皮の芳ばしさの次に、肉の甘みと肉汁が広がった。
にんにくの風味と粗挽き胡椒のピリッとした刺激が後を引く。
脂が甘いのにクドくない。噛むたびに肉汁と旨味が口いっぱいに広がった。
「クリス、これ最高だよ! 旨味が詰まった肉が柔らかくて、口の中でほどけるみたいだ」
「はい。私もこの『若鶏』が大好きなんです。『親鳥』はもっと噛み応えがあってプリプリしてますよ」
「付け合わせのキャベツのような野菜も、鳥の脂を吸って箸休めにちょうどいいな」
「はい。気に入っていただけて良かったです」
「それにしても……昨日の牡蠣といい、この骨付き鳥といい、こんな美味いものがたくさんあるのに、よくみんな俺の店に来てくれるよな」
「それは、『さぬき製麺』で出しているうどんに似たパスタなんて、王都はおろか大陸にはありませんから。味も文句なしに美味しいですし、それに……」
「ん?」
「店主のセトーミ様がとっても素敵な方ですから……はうっ。コホッ!」
「お、おい! ちょっとクリス、大丈夫か?! 水持ってくるからな」
――――――
腹が膨れた後は、【査定】スキルを頼りに市場の店をのぞいて回ることにした。
せっかく王都に来たのだ。この際、お土産をしっかり買い込むつもりだ。
うっかり店主の口車に乗せられると、とんでもない割高品や偽物を掴まされかねない。良心的な店が多いものの、やはりぼったくり店もそこかしこにある。
「兄ちゃん、それウチのお値打ち品なんだけど、よくわかったな」
「さすがお目が高い!」
「旦那は一流の目利きですかい?」
「何だ、何だ?」
「よくは分からないが、とにかく凄い人がいるみたいだぞ!」
いつの間にか俺たちの周りには人垣ができていた。
そして――。
「そういや、ダンジョンの奥深くに住む伝説のシャーマンが王都に来てるって話を聞いたが……」
「おい、あの兄ちゃん、話に出てくるシャーマンに似てないか?」
「もしや……あの方が伝説のシャーマン、セトーミ様なのか!?」
「落ち着けって、そんな大物が市場で買い物なんかするわけないだろ」
「いや、今ダンジョンの中の店は臨時休業になってるらしいぞ」
「まさか……」
「シャーマン様とお見受けします。実は出入りの業者から魔石を預かっているんですが、本物かどうか見て頂けませんか?」
「こちらにも魔物の素材があるのですが、査定していただけますか? 古いものですからギルドでも鑑定できないと突き返されたのです」
「わ、分かった。順番で査定するよ」
結局、自分の買い物以上に店主たちの頼み事に付き合わされることになった。
◆
「セトーミ様、あちらにお気に入りの服屋さんがあるので、寄ってもいいでしょうか?」
「もちろん、いいよ」
市場の店主たちからの依頼が一段落したところで、クリスが遠慮がちに俺の腕に絡みついてきた。おかげでさっきから肘に柔らかい感触が当たっている。
どうしようか、どうしようもない。
クリスは、体操服の色違いが欲しいと言った。この世界では服は基本的にオーダーメイドで、ちょっとしたものでもかなり高価だ。異世界に来たとき、早まって衣類を【配送ボックス】に入れなくて本当に良かった。
そして体操服に加えて、クリスにはどうしても欲しいものがあるという。
「私はかつてセトーミ様の国で、全ての女子が着用していたという短いズボンが欲しいのです」
「え?! それってもしや……」
「沙樹様のを見せてもらいました。とっても可愛くて、一度でいいから履いてみたくて」
陸上部だった沙樹が、当時のユニフォームを見せながら、日本の中学・高校では女子がみんな同じようなものを履いていた歴史があると教えてくれたらしい。
「あいつらですぜ」
「グフフ……そうか」
このとき俺たちはまだ、忍び寄る武装集団の気配に気づいていなかったのだった。
【瀬戸内グルメ:骨付き鳥】




