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孫バイト  作者: 安占
2/2

3人分のチケット

私は一体、誰の代わりになれるのだろうか。

その日の依頼は女孫だった。

ママから話を聞いた時点で少し気が重かった。

「地元の先輩なのよ。昔から幸薄そうで暗い女だったわ。今でも変わってないと思う」

ママは煙草を咥えながら鼻で笑っていた。

人の悪口を言う時だけ妙に楽しそうになるのは昔からだ。

「じゃあ断れば?」

「嫌よ。昔世話になったんだから」

世話になった相手への態度じゃないなと思ったが口には出さなかった。

指定された駅前へ向かうと、待ち合わせ場所には小柄な女性が立っていた。

70歳半ばくらいだろうか。

ベージュのカーディガンに紺色のスカート。肩には寄れたトートバッグを掛けている。

地味だった。

驚くほど地味だった。

もし街ですれ違っても2秒後には顔を忘れてしまいそうなくらい普通のおばあちゃんだった。

「あの……みずきちゃん?」

今日は私ではなく彼女になる。

「うん。おばあちゃん?」

女性はほっとしたように笑った。

「よかった。ちゃんと来てくれて」

その笑顔もどこか遠慮がちだった。

申し訳なさそうに笑う人間がいる。何も悪いことをしてないのに。自分が幸福であることに何か罪悪感を感じているのだろう。

電車に乗る。

目的地は都内のアリーナで、アイドルグループのライブらしい。私は全く俗世に詳しくなく名前を聞いても分からないし、曲も知らない。ましてや誰が人気なのかも知らない。けれど女性は本当に楽しみにしているようだった。

スマホの待受もアイドル。

バッグにはライブグッズらしきキーホルダー。

会場までの道中もその話ばかりしていた。

「あの子ね、本当にこの子たちが好きだったの」

そう言ってスマホの画面を見せてくる。

そこには若い女の子が写っていた。

少し垂れ目で、笑うと八重歯が見える。

どこにでもいそうな女の子だった。

「お孫さん?」

「うん」

女性は嬉しそうに頷いた。

「大学生だったの」

その時だけ少し違和感があった。

過去形だった。けれど私は聞かなかった。聞く仕事ではないから。

会場へ着くと、グッズ売り場には若い女の子たちが並んでいた。

女性は少し迷った後、小さなキーホルダーを手に取った。

「欲しいの?」

「ううん」

「じゃあなんで持ったの」

「この子が好きだったから」

そう言って笑う。

私は何も言えなくなる。

ライブが始まるまでまだ時間があった。

近くのベンチへ座り、女性はバッグの中から透明なファイルを取り出した。

中にはライブチケットが何枚も挟まっていた。

色褪せたものもある。

何年分もあった。

「全部来てたの?」

「ううん。私は二回だけ」

「じゃあこれ」

「全部あの子のもの」

指先で一枚一枚を撫でる。

まるでアルバムでも眺めるみたいだった。

「あの子、本当に好きだったの」

何度も同じことを言う。

人は本当に大切な話をするとき、同じ言葉しか使えなくなるらしい。私は、それを黙って見つめていた。


会場時間になり、席へ向かう。

女性は慣れていないながらさも席を探そうとするが、彼女も私も座席の探し方がわからず、スタッフに聞いて案内してもらった。

「こちらですね。」

そう促された席は前の方で、恐らく高いんだろうなと私は真っ先に思ってしまったことを恥じた。

私が座る。

女性が座る。

私は首を傾げる。

女性は私を見ながら微笑んだ。

「この席ね」

「うん」

「あの子が当てた席だったの」

その瞬間、全て理解した。いや、分かってはいたがあまり考えないようにしていたことをぶつけられた気分だった。

だから大学生だったのだ。

だから好きだったのだ。

だからずっと過去形だったのだ。

私は何も言えなかった。

女性は私を見つめながら続ける。

「一緒に行こうって言われてたの」

少し笑う。

「でも約束守れなくなっちゃった」

まるで天気の話をするみたいに言う。

だから余計につらかった。

ライブが始まり、照明が落ち、歓声が上がる。

私は適当に周囲を真似した。

手を叩いて、ペンライトを振って、笑う。

隣では女性も笑っていた。

驚くほど楽しそうだった。

曲が始まるたびに嬉しそうな顔をする。

MCでは声を出して笑う。

まるで少女みたいだった。

その横顔を見ながら私は思う。

たぶんこの人は今、一人じゃないのだ。

私がいるからではない。

私の席にいる誰かと一緒にいるのだ。

見えない誰かと。

ライブ終盤。

最後の曲が終わる。

会場が拍手に包まれる。

女性も立ち上がる。

そして私ではなく空席へ向かって拍手をした。

誰も座っていない席へ。

最初から最後まで空っぽだった席へ。

「よかったねぇ」

小さな声だった。

歓声に掻き消されるくらいの声だった。

それなのに妙にはっきり聞こえ、私は泣きそうになった。

別に感動したわけじゃない。可哀想だとも思わない。

ただ、この席には最初から誰かがいたのだと思った。

私には見えないだけで。

どんなに頑張っても私は代わりになれなかった。

今日の私は孫役だった。

けれど本当にこの人が会いたかった相手は最初から別にいた。

それでも私を呼んだ。

隣に誰かが座るために。

それだけのために。

ライブが終わり、駅まで送る。

女性は何度も楽しかったと言った。

本当に嬉しそうだった。

別れ際、改札の前で頭を下げる。

「ありがとうね」

「ううんありがとう。おばあちゃん。」

私なりの抵抗だった。最後まで演じきれなかった自分が不甲斐なくて。

「一緒に来てくれて」

私は笑う。いつも通りの営業用の笑顔だったと思う。

けれど少しだけ上手く笑えなかった気がした。

女性が改札の向こうへ消えていく。

その後ろ姿を見送りながら私は考える。

誰かの代わりになる仕事だと思っていた。

けれど代わりになれない相手もいる。

死んだ人間には勝てない。

思い出にも勝てない。

それでも今日、自分がそこにいた意味は少しだけあったのかもしれない。

会場でもらった銀色のテープがポケットの中でぐしゃりと音を立てた。


私はそれを捨てられないまま、しばらく歩き続けた。

亡くなったお孫さんの代わりと、若者と出かけたがるご老人。何人か出会いましたが自分を通して誰かを見られるという体験は慣れないものです。

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