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孫バイト  作者: 安占
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会長と鯵 

はじめまして。

自分の実体験をもとに物語を紡いでいます。

血管が脈打つ音まで聞こえてきそうな大音量の音楽だった。地下の箱には今日も人が集まっている。舐めるような視線も、嘲るような視線も、珍しい生き物でも眺めるような無邪気な視線もある。私はそれらを一つ残らず受け取る。好きだからではない。受け取らなければこの場所には立てないからだ。歓声も悪意も好奇心もまとめて呑み込む。そして笑う。私は今日も輝いていた。少なくとも客席からはそう見えていたはずだった。

「疲れたぁ〜」

ステージを降りてメイクルームに戻る。ごちゃごちゃに散らかった机の上には使い終わった化粧品や飲みかけのペットボトルが散乱していて、床には誰かのつけまつ毛が落ちていた。私は大きく伸びをする。すると隣にいたアンナが拳で肩をぐりぐり押してきた。

「ちょっとぉ、アタシだって疲れてるんだから醜いもん見せないでくれる?」

「アンナのすっぴんの髭面の方がよっぽど汚いから」

「やだ!その話はしない約束でしょ!」

「してないよそんな約束」

アンナは文句を言いながらも毛虫みたいなつけまつ毛を外していた。舞台の上では誰よりも華やかなのに、鏡の前では毎回見事な速度で男へ戻っていく。その変化を何度見ても少し面白い。

「アンタは今日はこの後どっか寄って帰るの?」

「うん、ちょっとね。アンナはまたいつものバーでお気に入りの……なんだっけ」

「覚える気ないでしょ?!ライトくんね」

「はいはい。覚えた覚えた。ライチくんね」

「なんなのよちょっと面が良くて人気だからって馬鹿にして!」

「面が良くても良いことばかりじゃないけどね」

「それは持ってる人間が言うのよ」

「そーかな。アタシは好きだけど。アンナのキュートな髭面。毛虫まつ毛よりずっと良い」

「あらそ……今馬鹿にしたわね?」

「してないにょーん。じゃね」

「はいはいお疲れ様」

地下の階段を上がる。湿った空気が肺に入ってきた。繁華街の夜は相変わらず騒がしい。雑居ビルばかりが並ぶ街だ。古い看板と酔っ払いと煙草の臭いで出来ているような場所だった。その中を少し歩いていくと場違いなくらい綺麗なビルがある。私は慣れた足取りで中へ入った。

エレベーターで4階へ向かう。奥まで進むと『Club花』と書かれた看板が見えてくる。黒地にくすんだ金色の文字。派手ではないが妙に目立つ。営業は終わっているらしく入口にはCLOSEの札が掛かっていたが、そんなものは最初から存在しないかのように扉を開けた。

店の中では小柄な老婆が煙草を咥えながらガラケーを弄っていた。ジブリ映画に出てくる魔女をそのまま小さくしたような顔をしている。働いてるチーママ曰く、15年前からずっと同じ顔らしい。

「ママ、終わったよ」

「遅かったわね。晴人」

「その名前で呼ばないでよ。みずきちゃんって呼んで♡」

「理解できないわ」

「で。今日はどこに行けば良いの」

「今日は私のアフターについて来て。高木の爺さんの」

「えーママ高木さんとご飯行くといっつも喧嘩するじゃん。気まずいんだよあれ」

「文句言わないで」

「は〜い」

高木さんを待たせているはずなのに、ママは少しも急がない。鏡の前で煙草を吸い、荷物をまとめ、最後にまたガラケーを開く。私はソファに沈み込みながらインスタのストーリーを眺めていた。若い子たちが海へ行っただの恋人と旅行しただの楽しそうな写真を流している。羨ましいとは思わない。ただ、自分とは別の生き物なのだろうなと思う。

「行くわよ。晴人早く」

「はいはい」

待たせていたのは自分なのに偉そうである。この人は本当に我儘だ。しかし40年以上もこの街で店を続けてこられたのだから、それだけ魅力があるのだろう。男という生き物は案外そういう女が好きなのかもしれなかった。

ビルを出て少し歩くと寿司屋が見えてくる。見るからに高そうな店だった。こういう店に入るたび、自分の財布で来ることは一生ないだろうなと思う。別に悔しくはない。むしろ緊張しなくて済むぶん気楽ですらある。自分で行くとなると、高級店というものは、持っている人間より持っていない人間の方を会計という化物で疲れさせる。扉を開けると、大将がすぐこちらに気づいた。

「お、ママ。昨日ぶり。高木さんカウンターにいるよ」

昨日ぶり、である。本人の前で言って大丈夫なのかと私は一瞬だけ目を泳がせたが、ママはまるで気にしていなかった。

「昨日ぶり。毎日連れてってくれる人がいたら結婚するんだけどね」

そんなことを平然と言う。

毎日寿司なんて飽きるだろうに、と私は思う。だが世の中には飽きるほど寿司を食べたことのない人間と、飽きるほど寿司を食べられる人間がいるらしい。高木さんは面白くなさそうな顔をした。しかしママはそれを見ても何も感じていない様子で、どかりと椅子に腰を下ろした。

「高木さん、お待たせしました」

「待ちました」

気まずい。

毎回思うのだが、この二人はどうしてこうも空気が刺々しいのだろう。それなのに高木さんは金を払い続け、ママは呼ばれ続ける。大人の男女というものは不思議だ。好意と不機嫌が同じ場所に居座ることがあるらしい。

「おじいちゃん、おはよ」

「おお晴人。相変わらず白いなぁ。ちゃんと食べてるのか。ほら、好きなものを頼みなさい」

「ありがと〜。お寿司大好き!」

「晴人はアジが好きなんだよ。青森の階上町出身だから、通なものが好きなんだ。大将、アジ頂戴」

「さすがおじいちゃん。僕の好みわかってるー!」

これが私の仕事だった。

いや、この場では僕と言った方が正しいのかもしれない。

依頼された相手の孫になる。

中性的な顔立ちをしているため、男の孫にもなるし、女の孫にもなる。年齢も性格も、その場に合わせて変える。休日に買い物へ付き合うこともあれば、旅行へ同行することもある。今日みたいにアフターへ連れて行かれることもある。

仕事と呼ぶには少し曖昧で、演技と呼ぶには少し生活に近い。

高木さんは大手電力会社の会長だった。金も地位もある人だが、娘も息子も結婚しなかったらしい。孫を抱く未来を当たり前に信じていた人ほど、その未来が来なかった時の寂しさは大きいのかもしれない。

「アジもイカのゲソも鮑もおいし〜!!」

「そうだろう。次はなんだ。アイナメなんかはどうだ」

「じゃあそれもらおうかな〜!」

私は笑う。嬉しそうに箸を動かす。美味しそうに食べる。

その横でママは黙々とガラケーを操作していた。おそらく今日来店した客への返信だろう。こちらが必死に孫を演じているというのに、一切加勢する気配がない。

少しくらい手伝ってくれてもいいのに、と思う。

もっとも、この人は昔からそういう人だった。

「お腹パンパンになりそうだから次は茶碗蒸しもらおうかな……!」

「なんだ晴人、相変わらず食が細いなあ」

「胃がね、ちっちゃくて」

「だからよく風邪引くんだぞ」

「ごめーん。おじいちゃん」

「じいちゃんの奢りだからな。遠慮しちゃダメだぞ」

「はーい」

そう返事をしながら、私は必死に寿司を胃へ押し込んでいた。

本当はもう限界だった。

けれど孫というものは、祖父が食べさせたがる時には食べなければならない。少なくとも今夜の私はそういう孫だった。

吐きそうになりながら飲み込む。

愛情も寿司も、時々少し量が多すぎる。

ようやくママがメールを打ち終えたらしく、こちらへ顔を向けた。

「晴人は何食べるの?」

つくづく最悪の67歳である。

今まで全部こちらに押し付けておいて、その台詞だ。

「もう結構食べたから僕は大丈夫。茶碗蒸し待ってるんだ。ママは何食べるの?」

「いつもの」

それだけだった。

すると大将は当然のようにサーモンとホタテの造り、それから白ワインを用意する。

随分と若い食の好みをしておられる。

何も注文していないのに料理が出てくる人間を、私は他に知らない。

ママはそれを当たり前の顔で口へ運ぶ。

長年生きていると人間はこうなるのだろうか。もしそうなら、私は少しだけ長生きしたくない気持ちになった。

店を出ると、いつもの流れだった。高木さんが贔屓にしているタクシーが店の前で待っていて、それに乗り込む。毎回同じ運転手で、毎回同じような世間話をしている。きっと金持ちというのは、こういう小さな安心を買うのも上手なのだろう。

途中、高木さんの希望で近くのコンビニへ立ち寄った。

「好きなもの買いなさい」

と言われ私は店内を一周する。

こういう時、人間の本性は出るらしい。

欲しいものを我慢する人と、遠慮なくカゴへ放り込む人に分かれる。

私は後者だった。もっとも、本当に欲しいものを入れていいのかは別問題である。

とりあえず生活用品売り場へ向かう。ゴミ袋を手に取る。パックも籠へ入れる。ついでにストッキングにも手が伸びたが、途中でやめた。

今夜の私は孫だった。しかも男孫である。

さすがに祖父にストッキングを買わせる孫は説明が難しい。

少し考えてから冷凍食品コーナーへ向かった。そしてブロッコリーとブルーベリーを次々とカゴへ放り込む。

健康に良いらしい。らしい、というのは私自身よく知らないからだ。

ただ、健康そうなものを食べていると、自分がちゃんと生きようとしている人間のような気がする。本当に生きようとしているかどうかは別としてだけど。

会計を済ませるとコンビニ前に到着していたタクシーへ乗り込む。

「いつもの、晴人の家まで」

そう高木さんが言うとタクシーの運転手はわかりました。と笑顔で返す。

窓の外では繁華街の灯りが流れていた。酔っ払いの笑い声も、客引きの声も、朝まで続くのだろう。私はシートにもたれながら適当に相槌を打つ。高木さんは満足そうだった。今夜の私はちゃんと孫をやれたらしい。

やがてタクシーは住宅街へ入り古いアパートが見えてくる。依頼人にはここを自宅だと言っているだけのアパートが。

「じゃあおじいちゃん、今日はありがとう」

「おう。またな」

「うん、おやすみ」

タクシーを降りる。車はゆっくりと走り去っていく。

私はその後ろ姿が見えなくなるまでぼんやり立っていた。

昔からそうしている。

相手を信用していないのもあるが、役が終わるのを待っているのかもしれない。車のテールランプが角を曲がり、完全に見えなくなる。

そこでようやく私は歩き出した。

アパートとは反対方向へ。

本当の自宅はもう少し先にある。

コンビニの袋が指に食い込んで少し痛かった。

冷凍ブロッコリーとブルーベリーが中でごろごろ鳴る。

生活というのは案外こういった音でできているのかもしれない。

部屋へ帰ると服を脱ぎ捨てる。

鏡の前に立つ。

晴人でもなく、みずきでもない顔がそこにあった。

特別嫌いではないが、好きでもない。

そんな顔だった。

風呂を沸かすのも面倒で、熱いシャワーだけ浴びる。酒の匂いと化粧品の匂いが排水口へ流れていく。

風呂から上がり髪を乾かすと今日も終わったのだとベッドへ倒れ込む。

スマホには誰からの連絡も来ていなかった。

それを少し安心し、少し寂しいと思う。

天井を眺めているうちに瞼が重くなる。

考えることはいくらでもあったはずなのに、何一つまとまらないまま意識だけが沈んでいった。

明日もまた誰かの望む誰かになるのだろう。

そんなことをぼんやり思いながら、私は眠った。







更新は不定期ですが週1以上ではあげたいと思っております。

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