その芝生、何色?
そこはダリオが通う高校近くにある飲食チェーン店だった。
「本当にいいのかよ、ダリオ?」
「大丈夫だよ。バイトしてるし」
ダリオは友人たちの目の前で気前よく財布から紙幣を取り出した。
見栄さえ張れないのは男じゃない…
カルトンに紙幣を置く手は震えていたが、背に浴びせかけられる友人たちの感謝や賞賛の声に彼は止まることができなかった。
「次回も頼んます! ダリオ様!!」
「ばっか。たかってんじゃねぇよ。そんじゃあまた今度な~」
レジ前の盛り上がりも束の間、支払いを済ませた後は各々行くべき場所に分かれていく。
ダリオは友人らに手を振って自転車にまたがると、バイト先に向けてペダルを漕ぎだした。
夜。バイトを終えて帰宅したダリオを迎えたのは、両親の罵詈雑言であった。
「このあばずれが!! 今更どの面下げて帰ってきた!!」
「あなたが悪いんでしょ!! 愛する妻が出て行っているのになんで追いかけて来ないのよ!!」
「その腹いせがこれか!! 誰がその服も、このキッチンも与えてやったと思ってる!!」
「なによ!! 私を寂しがらせるあなたが悪いんでしょ!?」
ジョンもレイも目を吊り上がらせ、前のめりに捲し立て合っている。
ダリオは耳を塞ぎ、こっそりと2階の自室へと向かった。
そしてベッドに潜り込むと、イヤホンをつけて憧れのロックバンドの曲を再生した。
これじゃあいつまで経っても買えやしない…
もっと、もっと稼げる方法を考えないと…
大音量で鳴り響くギターリフは、階下から聞こえるどうでもいい声をシャットアウトする。
ダリオは暗い毛布の中で、心静かにスマホで高単価の求人を探し始めたのだった。
そうして月日は流れて夏。
ジョンは昼間から書斎に籠っていた。
退会数が増えてる…
PV数も…
PCに映し出されたSNSには春先にした言い争いのスクショが貼られ、『富裕層エンジニアの傲慢』と、ひどい炎上をしていた。
自身のテックブログのコメント欄も荒らされ、日に日に収入は目減りしていた。
俺をダシにして金稼ぎやがって……
なんで俺がこんなに目に……
ジョンは、何度かキーボードに手を置くが、どこに何を書こうかと迷うばかりで一向に手が進まない。
あの時はタイミングが悪かったんだ……
つい、かっとなって……
思考は堂々にめぐり、次第にジョンは頭を抱えて俯いた。
本業の仕事をする気力も次のブログ記事を書く気力も湧かず、深い溜息をつくと彼は書斎を後にした。
リビングに出たジョンは、雇った庭師が芝刈り機をかけるの眺めていた。
あの庭師汗だくだな…
掃き出し窓に触れると手のひらは熱くなり、外が猛暑であることが伺い知れた。
そして彼は自分の決断を確かめるように、綺麗に整っていく芝を見ていた。
雇って正解だった。
この暑さの中、外で肉体労働なんて御免被る。
内心で納得する彼であったが、その目は、笑うでもなく喜ぶでもなく、ただただ空っぽなものであった。
そんな目をしながら暫く庭を眺める彼は、突然に身震いした。
「……寒いな。誰が冷房をこんな温度に……って俺しかいないか」
ジョンはキッチン横に備え付けられた空調パネルへと向かった。
道中、目に入ったのは脱ぎ捨てられた衣服、転がる酒瓶、そして机の上には何個もピザの空き箱。
シンクには洗い物が溜まり、ゴミ袋が山になって隅に固められていた。
あの売女がダリオを連れて出て行ったおかげで、好き勝手できるようになったが……
……家政婦でも雇うべきか?
ジョンがリビングを見渡しながら思案に耽っていると、背後の掃き出し窓からノックする音が聞こえた。
そこは庭師が何か言いたそうに室内を覗き込んできていた。
振り返ったジョンは窓を開けるが、灼熱の大気が肌を焼き、彼は顔をしかめて窓から後ずさった。
「本日の業務が終わりましたので、ご確認をお願いします」
「ああ、そう」
ジョンは庭に出ることはせず、その場から顔をしかめて庭を見渡した。
だが、その目の前で庭師の男はまだ何か言いたげに手を揉んでおり、ジョンは確認の邪魔になる彼を睨みつけた。
「なんだね?」
「あの、不躾で申し訳ありません。飲み物をいただけないでしょうか? 手持ちが底をつきまして」
「給料から差っ引くが、問題ないか?」
「え?」
「当たり前だろ。欲しいものがあったら金を払って手に入れるのがこの社会だ」
ぽかんとしている庭師をよそに、ジョンの眉間に更に深い皺が寄った。
「おい。あっちの庭から伸びてる枝。落としてないぞ。雑草もこっちに伸びてきてるじゃないか」
「……」
「聞いているのか? ちゃんと給料分の仕事ぐらいしろ」
ジョンの見下す視線に庭師の顔は次第に険しくなり、先程までの柔和な声色が途端に低くなった。
「あっちの庭は契約に含まれません」
「ふざけるな。私の庭が台無しになるだろう」
「下手に手を出したら、あちらの家主から申し立てを受ける可能性があります」
「黙れ。いいからささっと手を動かせ」
「欲しいものがあったら金を払って手に入れるのがこの社会では?」
ジョンが言葉に詰まると、庭師は表情を和らげて不自然に微笑んだ。
「私はこれで帰りますが、勝手に手を出さないでくださいね。私のせいにされても困りますから」
庭師は一礼すると家の脇の通路を抜けて、足早に去っていった。
それから数週間、庭師は契約通りに庭の手入れに訪れた。
しかし、その仕事ぶりは杜撰で、芝生の長さにはムラができ、庭木の形は歪になっていた。
むろん隣から伸びてくる枝葉の一切に手は付けておらず、徐々にジョンの庭は雑草に侵食されつつあった。
倍額払うと言っても、法律上問題ないと言っても、『まずは隣の家主の言質を取っていただかないと』の一点張り!
最近はわざわざ水だって無償で用意しているってのにふざけやがって!!
ジョンは毎夜、涼しい時間になると掃き出し窓に腰を掛けて何本もの酒瓶を空にしていた。
連日のように深酒を繰り返すジョンの目の下には深いクマができていた。
レイとの離婚調停も、なんで俺の資産が半分以上も持っていかれて養育費まで払わされるんだ!
なにもかも与えてやったのに、恩を仇で返しやがってあのクソ女……
まだ足りないってか!! 全部俺が稼いだ金だぞ!!
彼は不機嫌に隣の庭に飲み干した酒瓶を投げ込む。
ガサガサと音が鳴ると、羽虫が彼の周りを飛び交い始めた。
ブログも荒らされて収入も落ちるし…
なんで社会貢献している俺がこんな目に…
眠気に身を委ねようとする彼であったが、飛び交う羽虫がそれを邪魔する。
苛立ったジョンは舌打ちを鳴らしながら、大きく腕を振り回した。
そうして羽虫を叩き落としていると、彼がポケットに入れていたスマホが振動した。
もたつきながら画面を確認すると、それは息子のダリオからの着信であった。
「父さんだ。どうした?」
『ご、ごめんね。こんな夜更けに』
「別に構わん。なんてったって俺はお前の父親だからな。で、どうしたんだ?」
ジョンは落ち着かない様子で庭先をうろうろと歩き回る。
こめかみを押さえ、喉からせり上がってくるガスを飲み込み、彼は息子の返事を待っていた。
どうせレイのことだろう?
束縛、ヒステリック、浪費癖。
どれか分からないが嫌気がさしたんだろう? な?
帰ってこい。俺の方を選んで─────────
『欲しいものが、あるんだ…』
ジョンはその場で立ち尽くした。
『その、母さんの実家の近くってまともなバイト先がなくて、えっと、母さんがお小遣いを減らそうとしてて、だから…』
返事のないジョンに向かって、ダリオは一生懸命に話しかけ続ける。
『ちょっとだけ、お金を送金してくれると─────────』
しかし、ジョンは話の途中で電話を切った。
無造作にスマホを室内に投げ込むと、もう一本の酒瓶の封を切って一気に飲み干した。
そして空になった酒瓶を地面にたたきつけると、胃の奥から更に込み上げる熱を叫び始めた。
「ふざけるなよ……ふざけるなよ! 女も、技術も、庭も、金も! 全部俺が努力して手に入れたものだ! お前らのものなんかじゃない!! それを!! 図々しく!! 我が物顔で!! 勝手なことばかりしやがって!! ッふざけるな!!!」
ジョンは叫びながら何本もの空き瓶を隣の庭に投げ込んだ。
だが、夜の庭から帰ってくるのは葉のこすれる音と羽虫の羽音だけであった。
そしてジョンは肩を落とし、何もかもをそのままに室内に戻ると、散らかったリビングのソファに倒れ込んだ。
途端にジョンはいびきをかき始め、開け放たれた窓から虫たちが這い寄ろうとした。
ジョンの食べ残しを貪り、彼の唾液を啜り、そこかしこに卵を産み付けようとした。
しかし、そこに一羽の鳥が通りがかった。
それは室内に侵入しようとする虫のことごとくを捕食すると、満足したように翼を羽ばたかせ、庭に糞を落として飛び去って行った。
ジョンが目を覚ましたのは、まだ夜明け前の薄暗いころ合いだった。
おかしな体勢で寝た彼は、寝違えた首をさすりながらゆっくりと上体を起こし、時計を確認する。
5時前…
…外?
何の音だ……?
怪訝な顔をしたジョンは、手探りでソファ下から拳銃を取り出す。
弾倉の確認を適当に済ませ、ソファから転げ落ちると、四つん這いのまま開け放した窓の方へ近寄った。
そしてちょうど窓から顔を覗かせた瞬間、朝日も同じように雲を割いて顔を覗かせた。
その眩しさにジョンがうめき声を上げる。
この音は……
その音は、彼が昨晩怒りに任せて鳴らした音とよく似ていた。
彼の視線は自然と隣の庭の方に吸い込まれた。
手で陽光を遮って注視すると、柵を越えてジョンの庭の方まで伸び、彼の悩みの種となっていた雑草、雑木の一部が見事に片付いていた。
ジョンは訝しげに顔をしかめながら庭に出ると、恐る恐る柵ににじり寄って向こう側を覗き込んだ。
そこで作業をしていたのは、見知らぬ老人であった。
もしかして入院していた家主か?
その老人はジョンが覗き込んでいることに気づいていないのか、必死に汗水を垂らしながら柵際の除草に耽っていた。
鎌を持つ手は震え、雑草を刈る速度は異様に遅いことからも、その老人の体力が戻っていないことは明らかであった。
今にも倒れそうだな…
ジョンは徐に手つかずの隣の庭中央を見る。
そこには昨晩彼が不法投棄した空き瓶が朝日を反射していた。
見なかったことに…
しかし、彼の眼下では老人の息切れがひどくなり、手が止まり始めていた。
今倒れて再入院したら、残りの雑草は…
ジョンは少しの間、柵に額をつけて考え込んだ後、顔を上げて身を乗り出した。
「あの、すみません」
「ふぇ?」
「隣に住むケインズと申します。おはようございます」
「ああ、これはこれは……初めまして、シャーキと言います。おはようございます……」
屈んでいた老人が立ち上がるが背筋は綺麗には伸びず、ジョンにはお辞儀をしているのかどうか判別がつかなかった。
「ひどく辛そうですが、大丈夫ですか?」
「いやぁ、お恥ずかしい所を……寄る歳には勝てませんで……なんとか最後に綺麗にしておきたかったんですが……」
「最後?」
息を整える老人に向かって、ジョンは眉を顰めた。
「はい。この通り、もう足腰も弱り切って体力もないですから、近々、施設に入ることになりまして……この家も売り払う予定なんですが、雑草がお隣まで伸びてるのは迷惑だろう、と。立つ鳥跡を濁さずと言いますでしょう? だから、草を刈ってたんですが……まぁ古い家ですから、一度取り壊されて更地になると思いますので、勘弁していただけるとありがたいんですが……」
「売るんですか? ヘルパーなど雇えば、まだ住んでいられるのでは?」
「いえいえ、流石にこの庭付きの家はワシには分不相応ですよ。もう手入れもできませんし」
依然として穏やかな物腰の老人に、ジョンの眉間に更に深い皺が寄った。
「それなら庭師を雇えばいいじゃないですか。この庭は、あなたが努力して手に入れたものでしょう? それをみすみす他人に奪われるなんて……」
「奪われる? 誰にですか?」
「そりゃあ、不動産屋だとか投資家だとか……とにかく、社会貢献も碌すっぽしないで、楽して他人の努力を横から掠め取る連中にですよ!」
語気の強くなるジョンを前に、老人は穏やかな顔つきまま「ふむ…」と一言呟き、自身の顎を手でさすった。
2人の間にしばし沈黙が流れ、どこからか聞こえる鳥のさえずりが2人の耳に心地よく響いた。
「奪われているのかどうかは私には分かりませんが、確かに名残惜しくはあります。できれば手放したくはありません」
「だったら!」
「しかし、ワシのこの先の人生には荷物になります。手放さなければ身動きが取れません。時に捨てることも人生を良くする方法だと、ワシはそう思うとります」
すると、老人の家の方の掃き出し窓が開いた。
「ちょっと父さん! 退院明けから何してるの!」
「ああ、すみません。倅が何か叫んでおりますので…もし雑草が邪魔でしたら好きに刈ってください。倅は相続しませんので…」
老人はジョンに一礼すると、ゆっくりとした足取りで屋内に戻っていった。
ジョンは老人の背中を見送った後、暫く隣の庭を見つめていた。
痩せて黄色く変色した芝生。
むき出しの土。
朝露がつき始めた伸び放題の雑草と隙間から見える不法投棄の空き瓶。
それらが朝日に照らされて煌めくと、彼の目には隣の庭が黄金色に輝いて見えたのだった。




