世界は常に良い方へ
ジョンは休日の早朝から、春の陽気に包まれながら庭先で汗を流していた。
何往復も芝刈り機をかけ、庭木を綺麗に剪定する。
隣から伸びてくる雑草を引き抜き、雑木を乱暴に切り捨てる。
栄養剤を撒き、芝刈り機のメンテナンスを行い、外柵の点検を行う。
つ、疲れる…
これを毎日は流石に……
彼は立派に磨き上げた庭を眺めながら、乾いた喉を水で潤し、額の汗を袖で拭った。
満足げに一息つく彼であったが、その表情はむっとしていた。
達成感はある。庭も綺麗になって気分もいい。
だが、時間が取られるし、体力も奪われる。
ジョンはスマホを取り出すと、すぐに求人サイトで庭師を募集した。
その手つきは、まるで通販サイトで消耗品を買うような軽さがあった。
QOLでさえ金で買える。
資本主義さまさまだ。
「ちょっとダリオ!! 待ちなさい!!」
背後から妻の怒声が聞こえ、ジョンは室内の方を見た。
既に高く上った太陽の日差しで室内の様子は見えず、ジョンは怪訝な表情を浮かべながら、開いている掃き出し窓の方に向かった。
その後ろで、どこかから飛んできた一羽の鳥が庭先に糞を落としていったが、彼はそれに気づかなかった。
「どうしたんだ、レイ?」
「ジョン! ダリオのことを止めて!」
ダリオはレイの静止を振り切って、玄関に向かっていた。
「この子、バイトを始めたのよ!?」
「・・・それが?」
肩を竦めるジョンにレイの目は吊り上がっていく。
そんな二人を横目にダリオは玄関ドアを開き、無言で出て行った。
「お小遣いなら十分あげてるのに! どうしてバイトなんかする必要があるの!? もし変な求人に引っかかったら・・・」
「おいおい、考え過ぎだよ。率先して社会貢献しようとしてるんだから、むしろ背中を押すべきだろう?」
「それに最近、学校のおかしな連中と付き合ってるのよ! 髪を染めてたり、ピアスを開けていたり・・・タトゥーを彫ってる奴もいたわ!!」
キンキンと喚きたてるレイの声に、ジョンは眉間に皺を寄せて目を細めた。
「なんでそんなことまで知ってるんだ? もしかして尾行したのか? 実の息子を?」
「同じ高校生には見えない……SNSで知り合ったのかも……」
「今時それぐらいは普通だよ」
「普通!? それでもしダリオが危ない目にあったらどうするの!?」
ジョンは深く溜息をつくと、レイの両肩に手を置いた。
「レイ、考え過ぎだよ。いつも言ってるだろう? 君の悪い癖だ」
「なんであなたはそんなに冷静でいられるのよ!!」
レイはジョンの手を強く払いのけると、財布だけを手にして、逃げるように外出していった。
ジョンは溜息をつくと、手慣れたようにキッチンでコーヒーを淹れ、リビングのソファに腰掛けた。
今回の帰宅は夜かな。
まぁいつものように外でぱーっと遊んだら気が済むだろう。
俺が稼いだ金だってことも忘れてな。
テレビをつけると、政治家と警察の賄賂問題について素人と自称専門家が激しく討論する番組が映し出された。
しかし、ダリオがバイトをねぇ……
わざと小遣いを絞って、教育した甲斐があったというものだ。
レイは馬鹿だから気づいていないだろうが、俺らの子供の頃と今のインフレ下じゃあ物価が違う。
あんな額じゃあ欲しいもの1つ、満足に買えるか怪しいというものだ。
まぁ少々内気に育ってしまったのは残念だが、社会に出て他人と関われば自然と矯正されるだろう。
テレビをぼんやりと鑑賞するジョンであったが、映し出された番組は溜息が出るほど退屈なものであった。
何度かコーヒーを啜るジョンであったが、討論が激しさを増す一方で、彼は疲労からくる眠気に抗えず、そのままソファで昼寝を始めるのだった。
そして太陽はとっぷりと落ち、ジョンはコーヒーを片手に書斎のドアを乱暴に開けた。
ダリオが帰ってきていないのはまだいい。
なんでレイはまだ帰っていないんだ!
足取りは荒れ、波立ったコーヒーは知らぬ間に零れてカーペットに染みを作っていた。
おかげで俺の夕飯がないじゃないか!
冷凍ピザがあったからいいものを・・・
のしかかるように勢いよく椅子に腰かけると、彼はPCの電源を入れた。
そして日中にできなかった仕事に手を付け始めた。
暫くの間は静かにキーボードを叩き、画面に暗号のようなプログラミング言語を書きなぐっていた。
しかし、虫の居所は依然として悪く、集中しきれなかった彼は、無意識に自身のテックブログを開いていた。
PVがさらに伸びたな。この前のSEO対策が効いたか?
会員数もうなぎ登り。収入も、既に本業より多くなってきたな。
ジョンは数字を眺めながらニマニマとする。
熱くなっていた頭も徐々に冷え、コーヒーの香りを楽しむ余裕さえ生まれ始めた。
<このテクニック使わしてもいます!>
<どうやったらこういうの思いつくんだろう>
<この記事じゃないですが、1年前の心構えの記事は僕の人生を変えました。ありがとうございます>
まったく・・・こんな素晴らしい夫を支えずに、レイは何をしているのやら・・・
仕方ない。後で電話して迎えに行ってやるか。
そう思った矢先、1件の新着コメントがついた。
<拝金主義のゴミ。無駄な記事書いてないで有益な情報書けや。こんな記事に訴求力なんてあると思うなよ>
アカウント名には見覚えがあった。
ジョンはすぐにPCに貼り付けていたポストイットを見た。
このクソテイカー!
社会の底辺にいるお前になんて訴求してねーんだよ!!
<悪質なコメントを繰り返すとBANしますよ>
<お前の存在の方がよほど社会にとって悪質だ。さっさとこの世からBANされろ>
ジョンは机に拳を打ち付ける。
カップは倒れ、残っていたコーヒーが机の上に広がると、ジョンは大きく舌打ちをした。
<これしきの会員費さえ捻出できないって、生活保護受給者か引きこもりの方ですか? あなたみたいなのを社会のがんと言うのですよ。すぐにBANさせてもらいます>
<社会的弱者をがんと表現する。語るに落ちるとはこのことだ>
ジョンのキーボードを叩く音が書斎に激しく鳴り響くと、そのアカウントはBAN対象一覧に名を加えた。
「暇人のクソボケが!! なんで社会保障でこんな奴らを養わなきゃならんのだ!!!!」
怒鳴ったジョンはすぐに書斎を出て、机の上にばらまかれたコーヒーを拭き取る道具を探し始める。
だが、キッチンにある物は触れられず、そしてまた、適当な衣類やタオルでふき取るのも染みになりそうで憚れた。
ああ、もう!!
あいつは、いつになったら帰ってくるんだ!!
彼はスマホを取り出すと、鼻息を荒げて妻に電話をかける。
コール音は何十回も耳元で鳴り響き、長い廊下を何往復することになった。
なんで全部俺が金出して買ってやってるのに、こんな不自由をせねばならんのだ!!
そして今にも電話を切りそうになったその時、コール音が途切れた。
「レイ! 今何時だと思ってるんだ!! すぐに帰ってこい!!」
『─────────』
「おい! 聞いているのか!!」
『─────────ねぇ、もっとしたい』
『俺は良いけど…旦那さんはいいの?』
聞こえてきたのは妻の甘い声と知らない男の嘲笑混じりの軽薄な声であった。
『追いかけて来ない人のことなんてどうでもいいわよ…ところで、なんで私のスマホ持ってるの?』




