資本主義最高!資本主義最高!!
「この物件はなかなか良いな」
大きな庭を目にした男は、深い声色でそう答えた。
「しかし、ジョン・ケインズさん。ここは都心からだいぶ離れていますし、通勤するには少々不便だと思いますが……」
隣にいる不動産営業の男が気を揉んでいると、ケインズはそれを鼻で笑った。
「僕はエンジニアでね。君と違って、必ずしも現場に向かう必要はないんだ」
「リモートワークですか。羨ましい限りです」
嫌味に動じず作り笑いを浮かべ続ける営業の男は、ケインズを庭に案内する。
「ところで、随分と庭へのこだわりがあるみたいですが、何故かお聞きしても?」
「ああ。幼少の頃、私は貧相な父の仕事の都合で各地を転々としてね。持ち家、特に庭という物に強い憧れがあったんだ」
鍵を捻って大きな掃き出し窓を開けると若草の香りが鼻をくすぐった。
「庭は重要だ。住まいにとって付属品でしかないそれは、見るだけでその男の格が分かる。小さな庭を買う奴は、見栄っ張り。そのくせ大した努力もせず、稼ぎが少ないのを社会のせいにする雑魚だ。庭無しは論外。見栄さえ張れない男は男じゃない。だから、庭というのは、周りに自分の資本力を見せつける良い指標なんだ」
秋にしては暖かい日差しが庭に出た2人を歓迎し、気分を良くしたケインズは更に饒舌になった。
「では何故、資本力を見せつける必要性があるのか。それはこの世が資本主義だということだ。資本主義とは、努力して、社会貢献すれば、ちゃんと見返りが与えられる。だから、富んでいる者は大抵たゆまぬ努力の末に大きく社会を発展させている。そういった自分がどれだけ誠実で、どれだけ世界に必要とされているか。その指標として、<庭の大きさ>というのは重要なのだよ」
営業の男は変わらぬ笑顔で相槌を打ち、納得したように首を縦に振っていた。
しかし、ケインズは「どうせ分かってないだろう」と見下すような視線を投げかける。
「親が~、遺伝子が~、などと言って努力すらしない。この世に害しかない奴は、それ相応の地位になるというだけだ」
「いやぁ~やっぱりエンジニアの方! 浅学な己を恥じるばかりです! ところでなんですが、実はこの庭、1つ問題があるんです」
「見た感じ、特に問題なさそうだが?」
「あれを見てください」
営業の男は隣の物件を指さした。
その家にも大きな庭が備え付けられていたが、酷い有様であった。
樹木は育つがままに伸び、芝は伸び放題。所々は枯れて、地面がむき出しであった。
また、雑草も好き勝手に生え、隅の方には枯れ木、枯れ草が山のように積もっていた。
「独り身の老人が家主だったんですが、数年前から入院中でして、こっちの庭まで枝やら雑草やらが伸びてくるんですよ。庭師を雇う金もないようで、見栄えも悪いですし、あまりお勧めできません」
営業の男はニコニコと笑いながら、手に持ったバインダーから別の物件が記載された資料を引き抜いた。
「少しお値段は張りますが、次に案内予定のこの物件なら─────────」
「素晴らしい」
ケインズは一層深い声色で目を輝かせた。
それは営業の男の笑顔が初めて崩れた瞬間であった。
「他のはもう見なくていい。絶対にこの物件だ」
「で、ですが、この家は築50年で、キッチンも狭いですし、奥様のご要望では─────────」
「神経質な妻のことだ。どうせどの物件でもリフォームすることになる。早く契約書を出したまえ」
「え~…セキュリティ! この物件は古いのでセキュリティが杜撰なんですよ! 窓の鍵だってほら、金物屋ですぐにコピーを作れますし、最近何かと物騒ですから、ここは正直─────────」
「安月給の君ごときが俺に、この最高の庭を諦めろと言うのか?」
その言葉に営業の男は口をつぐみ、立ち尽くす。
手にしていた資料には皺が寄り、下唇を噛みしめる。
そうしてどうすることもできないままに、一陣のそよ風が吹き抜けると、ケインズは催促するように掌を見せた。
内見から数か月後。季節は晩冬を迎え、リフォームの終わった物件にケインズ一家は引っ越した。
「キッチンはお気に召すかな、レイ?」
「ええ! 最高よ! シンクの高さも指定通りだし、冷蔵庫とレンジの大きさも位置も完璧! ありがとう、ジョン!」
ジョンは笑顔を湛えて、高級ブランドの衣服に身を包んだ妻であるレイの抱擁とキスを受け入れる。
何か月もの時間を我慢し、何百万も金銭を支払い地域社会を潤す。
たったそれだけで資本主義は、俺に見返りを与えてくれる。
神経質だけど美人な妻も、見せつけるべき最高の庭も、すべて手に入る。
ジョンが機嫌よく微笑んでいると、階段の方から足音が聞こえた。
下ってくるその足音はどこか重たく、キッチンで浮かれる2人とは対照的であった。
「あら、ダリオ。荷解きは済んだの?」
息子のダリオはスマホに目を落としながら、気もそぞろに返事をする。
そんな暗い息子の態度にジョンの眉間に皺が寄った。
「こら、ダリオ。話す時はスマホをしまいなさい」
「……」
「なんだ? 気分でも悪いのか? 少し庭で空気を吸ってきたらどうだ?」
ダリオはジョンを一瞥すると返事もしないままに、また階段を駆け上っていった。
「おい! 父さんのことを無視するのか!」
「ちょっと落ち着いてよ、ジョン」
レイは上階に向かって吠えるジョンを階段から遠ざけた。
「あの子も環境が変わって戸惑ってるのよ」
「だからって、スマホにかじりついて俺を無視するのは─────────」
「中学校の卒業と同時に引っ越したとはいえ、きっと寂しくて地元の友達と連絡を取ってるのよ。今は大目に見てあげて」
ジョンは不服そうに溜息をつき、上階に憐れみの視線を注ぐ。
何が寂しいだ。
それでも男か。
その後にジョンはレイの方を向いて「分かったよ」と不服そうに一言言うと、掃き出し窓の方を見た。
この広い庭を見てもはしゃぎすらしないとはな……
いつから息子はあんなに辛気臭いナードになったんだか……
「それじゃあ俺はこっちの荷解きをするよ」
「お願いね」
落ち着いた様子でリビングに向かったジョンは、梱包された荷物を開封するでもなく、ただうっとりと庭を見つめ始めた。
しかし、素晴らしい庭だ。
それもこれも隣の庭のみすぼらしさのおかげだな。
本当に…本当に良い買い物をした。
彼は手が止まっていることを妻に諫められるまで、荷解きを始めることは無かった。
彼は荷物を持ち上げながら、そっと溜息をついた。
その夜。ジョンは書斎で荷解きの終わっていない段ボールの山に囲まれながら、PCに向き合っていた。
画面に映し出されていたのは、ジョンが運営しているテックブログ。そのダッシュボードであった。
「お、会員数増えたな。ビュー数も順調に推移してる、と。インセンティブは……」
ジョンはニヤニヤと画面を眺めながらコーヒーをすすり、次に書き加えられたコメントを読み始める。
<ためになりました! 早速、明日から仕事で活用しようと思います!>
<こんなやり方があるとは……やっぱり一線で活躍してる人は違うなぁ……>
<貴重な情報。感謝感謝>
俺の社会貢献が金になる。
俺に助けられた他人が更に社会に貢献し、収入を増やす。
そして更に俺に金を落とす。
どんどん社会は良くなり、どんどん俺の暮らしも豊かになる。
資本主義が人類最高の発明と言われるのも納得だな。
ムフフと静かに笑い声を上げるジョンであったが、1つのコメントが目に留まった。
<古い情報ばっかなのに広告多すぎ。守銭奴が。早く閉鎖しろ。俺のサジェストを汚すな>
彼はすかさず手に持っていたコップを置くとキーボードを叩き始めた。
<ブログのトップ画面にも書いてありますが、有料会員になると煩わしい広告が無くなり、更に新鮮で、深い技術情報にアクセスできます。次のコメントを書く前に試してください>
次に彼は、机の上に無造作に置かれていたポストイットにユーザー名を記入し、PCのふちに貼り付けた。
この手の人間は、コメントでしか大口を叩けない貧乏人がほとんどだ。どうせ会員にはならない。
コメントも読む熱心な潜在顧客の誘導に使って、数日後にBANして使い捨てるのが利口だ。
「クソナードが。誰にも必要とされねぇから貧乏なんだよ。ば~か」
ジョンは片側の口の端を吊り上げると、再度コップを手に取り、コーヒーをすすった。
小さく鼻歌を歌い始めると、彼はまたキーボードを叩き始めた。
ドア向こうに立っている息子のことなど知らないままに。
ダリオは静かに自室に戻るとすぐにベッドに潜り込み、スマホの画面を覗き込んだ。
そして彼は大きく溜息をつく。
画面にはエレキギターが映し出されていた。
有名ロックバンドのギタリストと同じモデルのそれは、彼の少ない小遣いでは到底買えない代物であった。
欲しいものが買えない。買うお金がない。
その状況が何を意味するのか。
彼は嫌というほど教わっていた。
そうして月日は過ぎ、春が来ると、息子のダリオは高校に入学した。




