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欲望する世界

 ある朝、1人の男性が芝刈り機を動かし、ジョンの庭の手入れに精を出していた。

 しかし、それはジョンが雇った庭師の男ではなかった。


「はぁ~……あっついなぁ~……」


 その男はジョン自身であった。

 汗水を垂らし、雑草を引き抜き、剪定鋏を動かして庭木の手入れまで行っている。

 その表情は真面目そのもので、作業も既にこなれたような手つきであった。


 そうして一通りの作業を終えたジョンは、窓辺に座り込んで美しく整えた自身の庭を見回した。

 彼は満足したように息を吐き出し、目尻を下げて微笑んだ。


 庭師を解雇したのは正解だった。

 違約金はかかったが、あのもどかしさも無くなって、そのうえ、こんな達成感も得られるようになった。

 まぁおかげでブログを書いている時間は無くなったが、それも結果的に良い方向に転がった。


 ジョンはペットボトルの水を飲み干すと、隣の庭を見た。

 だが、そこにあの黄金色の庭は無く、地面がむき出しになった更地が広がっていた。


 記事を書いている暇が無くなってブログを閉鎖することにしたら、ネット上のバッシングがピタリとやんだ。

 むしろ、感謝を伝えられ、名残惜しまれさえした。

 そういうことはもっと早く書けよ。

 と言いたいが、俺もあの老人に感謝を伝えられなかったから他人のことは言えないな……


 すると突然、ジョンのスマホが着信を告げた。

 それは彼の弁護士からの電話であった。


「もしもし、ジョンです」

『ああ、ジョンさん。おはようございます』

「こんな朝早くからどうかしましたか?」

『ええ、つい先ほどレイさんの弁護士から連絡がありまして、件の条件での和解に納得するそうです』

「おお! 本当ですか!」

『手続きを進めようと思いますが、もう一度お聞きしますね。離婚の確約および継続的な養育費の代わりとなる高額な和解金。その支払いが発生しますが、問題ありませんか?』

「はい。問題ありません」


 そうしてジョンはそのまま落ち着いた様子で淡々と弁護士との会話を続け、礼を述べると静かに通話を切った。

 その後、彼は窓辺から立ち上がると庭の中央まで歩き、熱い日差しが降り注ぐ青空を見上げた。


 これで捨てるべきものは全て捨てたはずだ。


 眩しさに細めたジョンの目は少し潤んでいたが、涙が零れ落ちることはなかった。

 その状況に口角を上げた彼は俯き、自らの足元にある物を見て屈みこんだ。


 ……蕾か?

 種なんて蒔いてないのに、どこから来たんだ?


 不思議そうに首を傾げたジョンの上を小鳥たちが囀りながら飛び去っていく。

 季節は秋口に差し掛かっていた。



 場所は変わって、夜の田舎町。その路地裏には、大型のバンが無断駐車されていた。


「はい。身分証とスマホ出して」


 バンの前席に座る男は少年に催促したが、少年は固まったまま動こうとしなかった。


「聞いてんのか!!」


 男が怒鳴り声を上げると、少年の呼吸がひどく乱れ、小刻みに震え始めた。

 そうすると、少年の隣にいた別の男が優しく少年の肩に手を回した。


「ちゃ~んと分け前はあげるから。安心しなって」

「でも、あの、これって」

「なになに、どうしたの?」

「いや、あの僕、帰りたいです……」

「あ~…もしかして、今すぐ死にたい感じ?」


 バンのエンジンが始動し、少年の呼吸が一瞬止まる。


「死ぬよりはマシだと思ったんだけど……しょうがない。山の方に向かってくれ」

「あいよ~……」


 少年は大慌てで自身のポケットを弄り、スマホを取り出した。

 その拍子に財布がずり落ち、隣の男がそれを拾い上げた。


「あの! ス、スマホ!! その、さ、財布には学生証が─────────」

「はいはい。これね~」


 隣の男が少年の財布を懐に入れると、バンはゆっくりと動き出した。

 裏路地を通り抜けて大通りに出ると山は反対方向に遠ざかっていき、少年は安堵の息を漏らした。

 その姿に前席の男は吹き出し、隣の席にいた男は下品な笑い声を上げた。


「手際よくやれれば問題ないって! 仲間もいっぱいいるし!」


 夜の闇に隠れ、少年のさらに後ろの座席には数名の少年少女らがいた。

 しかし、揃って声を殺して縮こまっており、その表情から生気を感じ取ることはできなかった。


「皆で世直し頑張ろうね、ダ・リ・オ君!」


 痛いほどに肩を掴まれたダリオは小さく悲鳴をあげる。

 前席の男が声を殺して笑う中、大型バンは次第に速度を上げて高速道路に乗った。

 そして一直線に、遠い目的地に向かって走っていった。



 誰もが寝静まった深夜。

 書斎で仕事を進めていたジョンは、会社で残業する部下の相談に乗っていた。


『夜分遅くに相談に乗っていただきありがとうございました、課長』

「残業も程々にして、今日は帰宅するように。明日、体調不良で休んだら減給だからな」


 画面越しに通話している部下は『そんな~』とわざとらしい悲鳴をあげる。

 それをジョンは鼻で笑い、「それじゃあな。お疲れさん」と一方的に挨拶をして通話を切った。

 その後、脇に置いていたカップを手に取り、コーヒーを口に含もうとした、

 だが、カップは想定以上に軽く、その中身は既に空になっていた。

 ジョンは力なくカップを置くと、椅子の背もたれにもたれ掛かった。


 なみなみと注いできたと思ったんだが……

 そろそろ寝ようか。いや、最後に少しだけ仕事の割り振りを考え直してからにするか。


 彼は上体を起こし、もう一度マウスに手をかけたその時、どこからか窓ガラスの割れる音が聞こえた。


 2階……か……?


 ジョンは緊張した面持ちで、書斎の棚の中を弄る。

 致し方なしに埃をかぶっていた万年筆を手に取ると書斎を出た。

 静かに、足音を殺して、ゆっくりとリビングに向かう。

 廊下の明かりはわざとつけず、階段下から真っ暗な2階の様子を窺ってみる。


 音がする……

 セキュリティにもっと金をかけるべきだったか……


 そうして階段の方を警戒しながら、銃のあるリビングを目指して後ずさっていく。

 肩をこわばらせ、生唾を飲み込む。

 脂汗を吹き出しながら、やっとキッチン横に辿り着いた。


 銃……銃が必要だ……

 もう少し……もう少し……


 しかし、彼の背中に強い衝撃が走った。

 キッチンに隠れ潜む不審者らによって体当たりを受けたジョンは、体勢を崩して額を強く打ちつける。

 うめき声をあげながら倒れるジョンの上に、不審者らは間髪入れずにのしかかる。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「な、子供か!?」

「お金出してください! お願いします! お願いします!!」


 ジョンは何人かを殴りつけ、蹴りつけ、必死に抵抗を試みた。

 しかし、ただ1人キッチンで立ちすくんだ少年の顔を見て、目を丸くした。


「ダリオ……?」


 ジョンが抵抗をやめていると、階段の方から複数人の慌ただしい足音が迫ってきた。


「どうした!?」

「どうしようどうしようどうしよう」

「なんかこいつの親父みたい」


 1人の背の高い少年が錯乱する少女を突き飛ばし、ダリオの胸倉を掴むと壁に叩きつけた。


「ってことは、金目のものがどこにあるかわかってたのか!?」

「し、知らないよ! 全部、父さんが管理してたから……」

「見つかったどうしよう見つかっちゃった」

「こいつに交渉させよう。早くしないと警察が来るかもしれない」


 背の高い少年は眼鏡をかけた少年の言うことに渋々承諾すると、ダリオをジョンの前に突き出した。

 ダリオはおどおどと目線を泳がせながら、顔を引きつらせてジョンに質問する。


「父さん……あの、金庫とかってないかな……?」

「お前……彼らは友達か? なんでこんなことを?」

「あの、バイトに応募したら、こうなって……スマホとかも没収されちゃって……」


 要領を得ないやり取りに鼻息を荒くした背の高い少年は、数人を連れてリビングを荒らし始めた。

 それを横目にジョンは大きく溜息をつき、その態度にダリオは身を縮こませた。


「ご、ごめんなさい……」

「なんて馬鹿な……我が息子ながら、ほとほと呆れ返る。俺のポケットにスマホがあるから、さっさと自首しろ」


 顎で指示を出すジョンであったが、ダリオは固まったまま動こうとしない。


「おい。何してる」

「で、できない」

「はぁ?」

「自首したら家族を殺すって……それに、警察にも賄賂を渡してるから、刑務所に入ってもって……」


 ジョンは背中にのしかかっている子供たちが震えていることに気が付き、さらに大きく溜息をついた。


「これだから馬鹿は……そんなわけないだろ。お前たちみたいなのをけしかけてる時点で、首謀者がリスクを取るようなことはしない。普通に考えたら分かるだろ」

「でも……」

「[でも]も[だっても]じゃない!! さっさと俺を解放しろ!!」


 すると、一発の発砲音が住宅街に木霊した。


「おい! なに撃ってんだよ!」

「顔を見られてる! どうせ殺さなきゃいけねぇんだ!」


 ジョンの顔の真横についた銃痕から煙が立ち込め、その隣で背の高い少年と眼鏡の少年が言い争っていた。

 錯乱していた少女はキッチン内で無言で蹲り、ダリオは歯をがちがちと震わせ始めた。


「お、おい、そこの2人! 金が欲しいのは分かったが、時にそういった執着を捨てることも人生を良く─────────」

「うるせぇ!! おっさんは黙ってろ!!」


 銃口を向けられたジョンは目で服従することを示し、静かに顔を伏せた。


 クソが!なんで俺がこんな目に!!

 早くこの錯乱した馬鹿をどうにかしないと……


「嫌だ……」


 震えるダリオの声が聞こえ、ジョンは顔を上げた。


「父さんを……殺さないでくれ……」


 その言葉にジョンの表情が明るくなる。


 そうだ!

 いいぞ、ダリオ!!

 なんとかしてこいつを宥めて……


「ギターが買えなくなる……」

「……は?」


 ジョンが拍子の抜けた声を発した後、もう1発の銃声が住宅街に虚しく鳴り響いた。



「もういい! 何でもいいから袋に詰めろ!」

「嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない」

「何か聞こえねぇか……」

「ヤバい警察だ!!」


 家捜しを終えた少年少女は、動こうとしない1人を残して逃走を図る。

 掃き出し窓を割り、庭に咲いた蕾を踏みつけ、柵をよじ登る。


「おい! なんで車がねぇんだ!!」

「知らねぇよ!!」


『そこの集団、両手を挙げて止まりなさい!!』


「うっせぇ!! うっせぇんだよぉ!! クソがぁ!!」

「走れ! 全員、走って逃げろ!!」


 背の高い少年は持っていた銃を撃ち続け、他の者は泣きながら散り散りに逃げ走る。


「死ね税金泥棒!! 政治家も警官も、汚い連中は皆死んじまえ!!」

「助けてよぉ…お巡りさんなら、私たちを助けてよぉ……」

「俺は何も持っていない! 何も持ってないんだ!! 撃たないでくれぇ!!」


 いくつかの絶叫はサイレンの音にかき消され、さらにそれらの音は複数の銃声で上塗りされるのだった。


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