第3話
「ハァ……ハァ……っ! 勘弁してよ、もうっ!」
ルシアは激しく息を乱しながら、洞窟の入り組んだ岩陰へと滑り込んだ。
背後では、ズシン、ズシンと重苦しい足音が洞窟全体を激しく揺らしている。
オーガ・ゴーレムは、侵入者の匂いと気配を追って容赦なく迫ってきていた。
ルシアの手元には、だらりと脱力してグースカと気持ちよさそうに眠りこけるローランがいる。
「起きてよ……起きてよバカローラン! このままじゃ二人まとめてゴーレムのペーストになっちゃうでしょ!」
ルシアはローランの頬をペチペチと強めに叩くが、天才技師は「むにゃ……ルシア、パイの実の焼き加減が……」などと寝言を漏らすばかりで、起きる気配は一切ない。
彼自身が開発した超強力麻酔針の威力を、自らの身体をもって見事に証明してしまっていた。
「自分の発明品にやられてどうすんのよ……! ほんと、いつもいつも勝手なことばかりして……!」
ルシアは悔しさに唇を噛みしめた。
彼女の愛用する細身の剣では、オーガ・ゴーレムの全身を覆う特殊鉱石には刃が立たない。
逃げ切ろうにも、狭い通路は落石で半分塞がっており、ローランを抱えながらでは逃走スピードにも限界がある。
八方塞がり。まさに絶対絶命の危機だった。
その時だった。
ローランの胸元に装着された『変声のブローチ』の内部で、チッチッチ……と怪しげな魔導歯車が高速回転する音が響いた。
落下の衝撃か、あるいは内部の過剰な魔力充填による暴走か。
ブローチのスピーカー部分からバチバチと小さな青い火花が散り、ダンディな重低音ノイズが漏れ始める。
そして——。
「ふむ……状況は極めて深刻、といったところだな」
「ひゃい!?」
ルシアは思わず跳ね上がった。
声の主は、膝の上でぐっすりと目を閉じ、すやすやと鼻ちょうちんを膨らませているローランだ。
しかし、彼の口から……正確には胸元のブローチから響き渡ったのは、地響きのように渋く、洗練された50代のダンディなおじ様ボイスだった。
「ロ、ローラン!? 起きたの!?」
「いいや、彼は眠っている」
ローランの口は半開きで、意識は完全にドブの底だ。
だが、ブローチの精神波共鳴機能が誤作動を起こし、彼の『潜在意識下の思考と無意識の呟き』を、設定された渋いおじ様声へと自動変換して大音量で拡声し始めていたのだ。
「な、何なのよこれ!? 眠りながら喋ってるの!?」
「静かにしたまえ、ルシア君。思考の邪魔だ」
寝顔は間抜けそのものなのに、声だけがダンディ映画の主演俳優のように渋く語りかけてくる。
不気味さとシュールさの極みに、ルシアは引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
「……たく、相変わらず君は慌てん坊だな。だが、そこが君の愛らしいところでもある」
「は……!?」
ルシアの顔が一瞬でカッと熱くなった。
「な、何言ってるのよバカじゃないの!?」
「ゴーレムの弱点は胸中央の核ではない。あの個体は変異種だ。右肩の関節部分に組み込まれた青い魔力結晶……あそこに攻撃を叩き込めば、外殻の防御フィールドは一瞬で崩壊する」
渋い声は、驚くほど冷静にゴーレムの構造と弱点を解説し始めた。
ローランは眠ってしまう直前、一瞬だけ目撃したゴーレムの魔力波形を、持ち前の天才的な観察眼で完璧に分析し終えていたのだ。
「右肩の……青い結晶……?」
「そうだ。そして、それを破壊できる唯一の術を、君はすでに手にしているはずだ。……そう、その足元に輝く『脚力解放のブーツ』だ」
「でも、あのブーツ、威力が破格すぎて制御が……!」
「君ならできる」
眠るローランの口から出た渋い声は、一切の迷いなくそう断言した。
「俺が作った魔道具を、世界で一番上手く使いこなせるのはルシア、君だけだ。……いつだってそうだ。俺がどんなに無茶な発明をしても、君は文句を言いながら、最後には完璧に使いこなして俺を助けてくれた」
「……ローラン……」
「俺が安心して心置きなく爆発や失敗を繰り返せるのは、君が隣にいてくれるからなのだよ。……ありがとう、ルシア。君は俺の、最高のパートナーだ」
寝顔は相変わらず間抜けで、よだれすら垂れそうな顔をしている。
それなのに、胸元から流れる渋く重厚な声は、ローランの胸の奥底にある「ルシアへの絶対的な信頼と無自覚な情愛」を、誤魔化しようもないストレートな言葉で紡ぎ出していた。
「な……なにが無自覚に甘いこと言ってるのよ……バカ……」
ルシアは真っ赤になった顔を背け、拳をギュッと握りしめた。
胸の奥がドクドクと激しく脈打ち、さっきまでの絶望感が一瞬で吹き飛んでいく。
(ほんと、ズルい奴……。本人はぐっすり寝てるくせに……!)
グオオオオオオオッ!!
岩陰を粉砕し、ついにオーガ・ゴーレムが二人の前に立ちふさがった。
巨大な岩石の拳が振り上げられ、二人を押し潰さんと振り下ろされる。
「ふむ……年貢の納め時というやつだな。……ルシア、俺の愛した女よ。見事な華を咲かせてみせろ」
「だからその声で変なセリフを言うなーーーっ!!」
ルシアは叫びながら、ローランの体を抱えて横へと跳躍した。
ズドォォォン!!
ゴーレムの拳が地面を砕き、強烈な爆風が吹き荒れる。
ルシアは着地と同時に、ローランを安全な岩の隙間へと滑り込ませた。
「ローラン! あんたの作ったヘンテコ魔道具、意地でも使いこなしてやるわよ!」
ルシアは深く息を吐き出すと、『脚力解放のブーツ』のスイッチを両足同時に起動させた。
ジジジジジジッ……!!
靴底から凄まじい電撃が走り、ルシアの足元に強烈な魔力場が展開される。
激しい痛みが足裏を刺すが、今のルシアにはそんなことを気にする余裕はなかった。
「ふんっ!!」
ルシアは足元に転がっていた拳大の硬い鉱石を、サッカーボールの要領で足元へセットした。
目標は、オーガ・ゴーレムの右肩——微かに青く光る、魔力結晶の核!
ゴーレムがルシアに向けて二度目の拳を振り下ろそうとする。
その一瞬の隙を、ルシアの鋭い眼光が捉えた。
「行っけぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
ルシアの右脚が、しなる鞭のように振り抜かれた。
ドガァァァァァンッッ!!!!
洞窟内に先ほど以上の凄まじい衝撃音が響き渡り、ルシアの足先から放たれた鉱石は、まるで青白い彗星のような光の帯となって一直線に飛翔した。
音速を超えた鉱石は、ゴーレムの右肩にある青い魔力結晶へと寸分違わずに激突。
パキィィィィン……ッ!
結晶が脆く粉砕されると同時に、ゴーレムの全身を覆っていた漆黒の防御フィールドがガラスのように弾け飛んだ。
「グ……オ……!?」
魔力の供給を絶たれたオーガ・ゴーレムは、巨体を大きく揺らめかせる。
「これで……終わりよっ!!」
ルシアは間髪入れず、左足のブーツの過充填魔力を一気に開放。
爆発的な脚力で地面を蹴り、弾丸のようなスピードで空中へと跳躍した。
空中高くで一旋回し、無防備になったゴーレムの頭部へ向けて、全身の体重とブーツの衝撃波を乗せたド派手な飛び膝蹴りを叩き込む!
ドカァァァンッ!!
巨大な岩石の頭部が砕け散り、オーガ・ゴーレムの巨体は崩れ落ちるように倒れ伏した。
ガラガラガラ……と静撃が洞窟を包み込む。
「ハァ……ハァ……ハァ……!」
着地したルシアは、煙が立ち込める中で膝をつき、肩を上下させた。
ブーツの靴底からはプシューッと白い蒸気が上がり、オーバーヒートを告げている。
「勝った……のかしら……」
奇跡的な勝利だった。
ローランの的確すぎる助言と、過剰すぎる性能の魔道具が噛み合った結果だった。
「……見事だ、ルシア君。君の勇姿、この目に焼き付けさせてもらったよ」
岩陰から、相変わらず渋すぎるダンディボイスが響いてくる。
ルシアが振り向くと、そこには岩に頭を突っ込んだ状態で、ぐっすりと寝続けているローランの姿があった。
「……お願いだから、早く起きて元に戻ってちょうだい……」
ルシアは真っ赤になった顔を両手で覆い、疲れ果てたようにその場へへたり込んだのだった。
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