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ペルソナ・ノングラータ  作者: 不覚たん
第四章 神曲(ディヴィナ・コメディア)

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コキュートス

 未来は見えていた。

 だから、こうなることは必然だった。


 アルトゥーロさんの立てた作戦は、おそらく正しかった。

 機械装甲は、魔法の罠をものともしなかった。罠の大半は真空波だった。生身の人間なら八つ裂きにされていただろう。だが、鋼鉄の鎧には通用しなかった。

 俺は無人の街を駆けて、迷いなく砦を目指した。


 砦にさえ踏み込んでしまえば、あとは簡単なはずだった。

 誰も機械装甲の突進を止められない。

 玉座は目前。


 勝利を確信したとき、俺は光を見た。

 いや、闇だったのかもしれない。

 まばゆい黒が、周囲に満ちた。


 *


 俺はいま、一艘の小舟に揺られている。

 機械装甲はない。

 生身だ。


 脇には、座り込んだ人骨。


 景色は、ない。

 ぼんやりとしたまっしろな世界。

 鏡面のようなピカピカの海に、俺たちの舟だけが浮いている。

 ここには波もない。


 俺は……死んだ、のか?

 それともどこかに転移した?


「ああ、心配しないで。あなたは死んでいませんよ。ここは『嘆きの川コキュートス』。魔族の使用した転移魔法が失敗して、空間が歪んだのです。そのせいで、周辺の空間が、本来ならありえない場所へつながってしまいました」

 骸骨がそう語りかけてきた。

 たぶん。

「骨だけなのに、喋れるんですか?」

「喋る、というのとは少し違いますが。そう解釈していただいて構いません」

「なにが起きてるんです?」

「あなたは死んではいませんが、生死の境をさまよっている、ということにはなろうかと思います。ですがご安心を。生きるか死ぬかはあなたが選べますから。星はあなたになにも望みません」

「星?」

 俺がそう尋ねると、骸骨はオールを拾って小舟を動かした。


「子供たちに事実を伝えるべきなのか、私には分かりません」

「事実って?」

「簡単に質問しますね。ええ、お答えしますよ。星の正体です。あるものは神と呼び、あるものは悪魔と呼ぶ存在」

 なんだろう?

 謎かけだろうか?

「どっちなんですか?」

「どっちもです。同じものなんですよ。それを子供たちは、勝手に神だとか悪魔だとか呼んでいる。ああ、子供たちというのは、人間とか魔族とか眷属とか……そういう種のことです」

「えっ?」


 同じもの?

 ホントに?


 骸骨は舟を漕ぎ続けている。ゆっくりと。かすかな水音だけを立てて。

 優雅な動きだと思った。


「皮肉なものですね。同じものに別の名前をつけて、自分たちの守護者だと思い込んでいる。そして勝手な名前のもとに、縄張りを争っている。地表にまで名前をつけて。もちろんバカにしているわけではありませんよ。便利だからするのでしょう。子供たちは、そういう存在ですから。魚が水を泳ぎ、鳥が空を飛ぶのと同じこと。そうする生き物なんです」

「戦いを止めたいんです」

 この人は神なのだろうか?

 いや、星なのか?


 骸骨は、こちらへ顔を向けた。

「それは不可能ですよ。全員を殺していいのであれば話は別ですが。言葉では子供たちをコントロールできないのですよ」

「はい? それはどういう……」

「星が作った命は、どれも不完全なのです。皆、どこか欠けている。人だけでなく、獣もそう。折り合いがつかなければ、最後は争いでの解決となります」

「俺は……争いたくないです」

 自分を完璧だとは思わない。

 だけど、争うかどうかは別だ。

「強大な力で他者をねじ伏せておいて、争いたくないと?」

「それは……」

「ああ、少し意地悪をしてしまいました。誤解しないでください。争いを最小限に食い止めるために、限定的に力を使う。それで十分ではありませんか。あなたは子供なのですから、子供らしく振る舞っていいのですよ。ほかに方法もありませんしね」

「……」


 なにも言い返せない。

 口では争いを止めたいと言いながら、機械装甲で他者を制圧している。

 でも、それでいい……。

 本当に?


「ご覧なさい、星です」

「えっ?」


 水面に、巨大なものが浮いていた。

 そびえ立つ城のように大きい。

 石仮面だろうか……。いや、鋼鉄の仮面? よく分からない素材で作られた仮面が、こちらを見ていた。仮面は壺のようなものにつながっていた。壺というか、貝というか。


「これが……星?」

「正確には、星の封じられた器です。私が封じたわけではありません。星が、自らを封じたのです」

「なぜ?」

「飽きたのですよ。人も、魔族も、眷属も、いつまで経っても同じことしかしませんから。そしてそれは、星にとっての限界でもあったのです。星は、星自身に飽きたということ。おそらく二度と封が説かれることはないでしょう。ですが……」

「ですが?」

 骸骨は空を見上げた。

 なにもない空を。

「時折、地表へ干渉しているのを感じますね。興味深い子供を見つけては、いじくって遊んでいる。まるでアリの巣で遊ぶ子供のように。本当に、幼子のような好奇心です」

「好奇心? そんな言葉で許されると……」

「私もどうかと思いますよ。しかし星のすることです。我々の価値観で推し量るのは難しいでしょう。あなたも私も、星によって作られた存在ですから」

 だからって……。

 親だったら、子供になにをしてもいいのか?

 そんなわけはないだろう。


「未来を覗く卑しい魔女たちは、星による干渉を『くさび』と呼んでいるようです。動かしがたい未来であると。ですが未来を覗くなど……じつに趣味が悪い。星は未来など見ませんよ。未来が見えてしまっては、面白くないでしょう」

 面白いとか面白くないとかいう話ではない。


 俺はなんとかバランスを保って立ちあがった。

「この……星が、母さんの運命を決定しているんですよね?」

「ええ」

「もっと舟を近づけてもらえませんか?」

「結構ですよ」


 近づけば近づくほど、その巨大さが際立ってきた。

 城ではない。

 山だ。


「さ、器に近づきましたよ」

「死ねッ」

 全力で拳を叩き込む。

 だが、手の甲の骨が折れただけで、器はびくりともしなかった。

 怒りに燃えていた一瞬だけは痛みを忘れられたが、すぐに激痛がやってきて、俺は思わずうずくまった。

「星を恨む子供は多い。しかし、実際に手を出す子供はそう多くありません」

「こいつは俺の母さんを殺そうとしているんだ……。こいつを殺さないと……」


 マルコ、汚い言葉を使ってはいけませんよ。

 幼いころ、何度もそう注意された。

 だから我慢してきた。

 ずっと。

 だけど……。


「こいつを殺すんだ。絶対に。俺はこいつを許さない」

 もう片方の手で殴りつけたが、やはり拳にダメージを負っただけであった。

 すると骸骨が手を伸ばし、回復魔法をかけてきた。

「いいですね。私はあなたの手を治療しましょう。あなたは思う存分殴ってください。いつまでもお付き合いしますよ」

「……」

 ありがた迷惑とはこのことだ。

 こいつのせいで、やめ時を失ってしまった。


 *


 激痛と回復を繰り返したが、結果、俺はなにも得られなかった。

 いや、得られたものがあるとすれば、「自分ごときにはどうしようもないことがある」という教訓だけ。


 俺は舟に大の字になり、子供みたいに泣いた。

 母さんを苦しめる悪いヤツが目の前にいるのに、傷ひとつつけられない。


「このクソ野郎……」

「もうおしまいですか? え、クソ野郎というのは、私のことですか? 星のことですよね?」

「……」

 教えない。

 どっちもクソ野郎だ。


 もしピチョーネなら、魔法で器を破壊できただろうか?

 俺も魔族に生まれたかった……。


 骸骨は、器から遠ざかるようにオールで舟を漕ぎ出した。

 俺は止めなかった。

 どれだけ時間をかけたところで、ひとつとして可能性がない。


「そういえば、あなたは何者なんですか?」

「無名の眷属ですよ。案内役としてここに置かれました。星の祝福によって、不死の存在にされてしまいましたが」

「祝福? 呪いではなく?」

「お好きに。人は自分にとって都合がよければそれを祝福と呼び、都合が悪ければ呪いと呼ぶ。それだけのことです」

 この人にとっては都合がいい、ということか。


「舟はどこへ向かっているんですか?」

「どこへも」

「帰る方法は?」

「深く水底へ潜れば帰れますよ。ああ、でももう少し待った方がいいでしょうね。空間が安定するまでは」

「はい……」


 俺はなにも成し遂げられなかった。

 真の敵がそこにいたのに。


 *


 俺は、機械装甲の中で目を覚ました。


 場所は……砦にある玉座の間。

 俺以外、誰の姿もない。


 砦を出て、街へ引き返した。

 ここも無人。

 幾度もの戦闘を経て、石壁はボロボロになっている。誰かが補修しようとした形跡も見受けられるが、完成には至っていない。


 街の外へ出ても、誰もいなかった。

 まさか、みんな死んでしまったのか?

 それとも、俺だけが幻覚を見ている?


 ふと、すぐそばの空間が裂けた。

 敵だろうか?

 俺はハルバードを構えた。


「ちょっと待って! 私! ピチョーネ!」

「ああ、ごめん。急に出てきたから」

 間違いなくピチョーネだ。

 ローブを着ている。


「みんなは?」

「もうとっくに帰ったよ。マルコが最後」

「えっ?」

「あ、まあ、最後じゃないかも。軍隊は消えたまんまだし」

 ということは、みんな空間が安定する前に帰ってきたのか。


「教えといてあげるけど、戦いの日から三日経ってる」

「えっ? そんなに?」

「でも先生が大丈夫だって教えてくれたから」


 母さんには見えていたのか。

 あるいは、もやが消えてから見たのかもしれない。

 もやの正体は星の干渉だった。召喚魔法の影響がなくなったいま、もやも消滅したはずだ。たぶん。


 戦いがあったとは思えないほど静かだ。

 ボロボロの街は、遺跡みたいにひっそりとしている。


「あ、そうだ。ピチョーネ、こないだのことだけど……」

 俺がそう言いかけると、ピチョーネはばっと手のひらを見せた。

「待って。言わないで。もういいの。マルコ、そういうヤツだって分かってるから」

「そういうヤツ……?」

「最低のマンモーニよ。でもいいから。分かってる。その代わり、ひとつだけ約束して。私と結婚しなくていいから、その代わり誰とも結婚しないで」

「はい?」

 急になにを……。


 いや、俺も人のことは言えない。

 母さんが結婚しないよう願ってるんだから。


「私もマルコも、誰とも結婚しないの。で、みんなで一緒に暮らし続けるの。どう? よくない?」

「それは平和的な提案だと思うけど……。でも俺、魔族じゃないからみんなより先に死にますよ?」

「言わないで! いまちょっといい雰囲気だったのに! そんなの、ずっと先の話でしょ!?」

「でも事実ですから……」

「もう帰ろ? マルコと話してると頭おかしくなっちゃう」

「……」

 ひどい言い草だ。


 少し歩きだしてから、ピチョーネはこちらへ振り向いた。

「でももし、マルコが誰かと結婚したくなったら、そのときは教えてね?」

「許してくれるんですか?」

「ううん。その子に死んでもらうから」

「ダメですよ、そんなこと」

 なぜ満面の笑顔で言えるんだ。

 冗談だとは思うけど。


「そういえば、向こうで神を見ましたか? ああ、神じゃなくて星だったっけ」

「えっ?」

 ピチョーネが、不審そうな表情でこちらを見た。

 なんだこの反応……。

「いや、嘆きの川という場所で……。ピチョーネは会わなかったんですか?」

「待って、マルコ。大丈夫? 嘆きの川なんて実在するわけないでしょ。魔女の口伝にしか……。え、なんでマルコが知ってるの?」

「だから、行ったんですよ。もしかしてピチョーネ、別の場所に?」

「別なのかな? 白いとこだよ。舟があって。でも転移魔法ですぐ戻ってきちゃった」

 なら同じ場所だ。

 彼女は魔女だから、自力で戻って来たのか。

 なんだかズルい気もするが。


「俺、そこで骸骨の人とお話しして……」

「なに骸骨って? 死霊術?」

「分かりませんけど」

「神ってどんな姿だったの?」

「実際の姿は見てないんです。大きな器に封じられてましたから。で、骸骨の人が言うには、神と悪魔は、同じ存在なんだそうです。びっくりですよね」

「……」

 ピチョーネの顔から表情が消えた。

 警戒するように目を動かして、周囲の様子をうかがっている。

「どうしました?」

「マルコ、それって本当なの?」

「えっ?」

「神も悪魔も、同じ存在だって」

「知りませんけど、骸骨の人はそう言ってましたよ」

「そう……」

 表情が硬い。

 教えるべきではなかったかもしれない。


 それからは、会話もなく歩いた。

 夕焼けなのか朝焼けなのかも分からない。

 ただ遠くを見ていた。


(続く)

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