コキュートス
未来は見えていた。
だから、こうなることは必然だった。
アルトゥーロさんの立てた作戦は、おそらく正しかった。
機械装甲は、魔法の罠をものともしなかった。罠の大半は真空波だった。生身の人間なら八つ裂きにされていただろう。だが、鋼鉄の鎧には通用しなかった。
俺は無人の街を駆けて、迷いなく砦を目指した。
砦にさえ踏み込んでしまえば、あとは簡単なはずだった。
誰も機械装甲の突進を止められない。
玉座は目前。
勝利を確信したとき、俺は光を見た。
いや、闇だったのかもしれない。
まばゆい黒が、周囲に満ちた。
*
俺はいま、一艘の小舟に揺られている。
機械装甲はない。
生身だ。
脇には、座り込んだ人骨。
景色は、ない。
ぼんやりとしたまっしろな世界。
鏡面のようなピカピカの海に、俺たちの舟だけが浮いている。
ここには波もない。
俺は……死んだ、のか?
それともどこかに転移した?
「ああ、心配しないで。あなたは死んでいませんよ。ここは『嘆きの川コキュートス』。魔族の使用した転移魔法が失敗して、空間が歪んだのです。そのせいで、周辺の空間が、本来ならありえない場所へつながってしまいました」
骸骨がそう語りかけてきた。
たぶん。
「骨だけなのに、喋れるんですか?」
「喋る、というのとは少し違いますが。そう解釈していただいて構いません」
「なにが起きてるんです?」
「あなたは死んではいませんが、生死の境をさまよっている、ということにはなろうかと思います。ですがご安心を。生きるか死ぬかはあなたが選べますから。星はあなたになにも望みません」
「星?」
俺がそう尋ねると、骸骨はオールを拾って小舟を動かした。
「子供たちに事実を伝えるべきなのか、私には分かりません」
「事実って?」
「簡単に質問しますね。ええ、お答えしますよ。星の正体です。あるものは神と呼び、あるものは悪魔と呼ぶ存在」
なんだろう?
謎かけだろうか?
「どっちなんですか?」
「どっちもです。同じものなんですよ。それを子供たちは、勝手に神だとか悪魔だとか呼んでいる。ああ、子供たちというのは、人間とか魔族とか眷属とか……そういう種のことです」
「えっ?」
同じもの?
ホントに?
骸骨は舟を漕ぎ続けている。ゆっくりと。かすかな水音だけを立てて。
優雅な動きだと思った。
「皮肉なものですね。同じものに別の名前をつけて、自分たちの守護者だと思い込んでいる。そして勝手な名前のもとに、縄張りを争っている。地表にまで名前をつけて。もちろんバカにしているわけではありませんよ。便利だからするのでしょう。子供たちは、そういう存在ですから。魚が水を泳ぎ、鳥が空を飛ぶのと同じこと。そうする生き物なんです」
「戦いを止めたいんです」
この人は神なのだろうか?
いや、星なのか?
骸骨は、こちらへ顔を向けた。
「それは不可能ですよ。全員を殺していいのであれば話は別ですが。言葉では子供たちをコントロールできないのですよ」
「はい? それはどういう……」
「星が作った命は、どれも不完全なのです。皆、どこか欠けている。人だけでなく、獣もそう。折り合いがつかなければ、最後は争いでの解決となります」
「俺は……争いたくないです」
自分を完璧だとは思わない。
だけど、争うかどうかは別だ。
「強大な力で他者をねじ伏せておいて、争いたくないと?」
「それは……」
「ああ、少し意地悪をしてしまいました。誤解しないでください。争いを最小限に食い止めるために、限定的に力を使う。それで十分ではありませんか。あなたは子供なのですから、子供らしく振る舞っていいのですよ。ほかに方法もありませんしね」
「……」
なにも言い返せない。
口では争いを止めたいと言いながら、機械装甲で他者を制圧している。
でも、それでいい……。
本当に?
「ご覧なさい、星です」
「えっ?」
水面に、巨大なものが浮いていた。
そびえ立つ城のように大きい。
石仮面だろうか……。いや、鋼鉄の仮面? よく分からない素材で作られた仮面が、こちらを見ていた。仮面は壺のようなものにつながっていた。壺というか、貝というか。
「これが……星?」
「正確には、星の封じられた器です。私が封じたわけではありません。星が、自らを封じたのです」
「なぜ?」
「飽きたのですよ。人も、魔族も、眷属も、いつまで経っても同じことしかしませんから。そしてそれは、星にとっての限界でもあったのです。星は、星自身に飽きたということ。おそらく二度と封が説かれることはないでしょう。ですが……」
「ですが?」
骸骨は空を見上げた。
なにもない空を。
「時折、地表へ干渉しているのを感じますね。興味深い子供を見つけては、いじくって遊んでいる。まるでアリの巣で遊ぶ子供のように。本当に、幼子のような好奇心です」
「好奇心? そんな言葉で許されると……」
「私もどうかと思いますよ。しかし星のすることです。我々の価値観で推し量るのは難しいでしょう。あなたも私も、星によって作られた存在ですから」
だからって……。
親だったら、子供になにをしてもいいのか?
そんなわけはないだろう。
「未来を覗く卑しい魔女たちは、星による干渉を『楔』と呼んでいるようです。動かしがたい未来であると。ですが未来を覗くなど……じつに趣味が悪い。星は未来など見ませんよ。未来が見えてしまっては、面白くないでしょう」
面白いとか面白くないとかいう話ではない。
俺はなんとかバランスを保って立ちあがった。
「この……星が、母さんの運命を決定しているんですよね?」
「ええ」
「もっと舟を近づけてもらえませんか?」
「結構ですよ」
近づけば近づくほど、その巨大さが際立ってきた。
城ではない。
山だ。
「さ、器に近づきましたよ」
「死ねッ」
全力で拳を叩き込む。
だが、手の甲の骨が折れただけで、器はびくりともしなかった。
怒りに燃えていた一瞬だけは痛みを忘れられたが、すぐに激痛がやってきて、俺は思わずうずくまった。
「星を恨む子供は多い。しかし、実際に手を出す子供はそう多くありません」
「こいつは俺の母さんを殺そうとしているんだ……。こいつを殺さないと……」
マルコ、汚い言葉を使ってはいけませんよ。
幼いころ、何度もそう注意された。
だから我慢してきた。
ずっと。
だけど……。
「こいつを殺すんだ。絶対に。俺はこいつを許さない」
もう片方の手で殴りつけたが、やはり拳にダメージを負っただけであった。
すると骸骨が手を伸ばし、回復魔法をかけてきた。
「いいですね。私はあなたの手を治療しましょう。あなたは思う存分殴ってください。いつまでもお付き合いしますよ」
「……」
ありがた迷惑とはこのことだ。
こいつのせいで、やめ時を失ってしまった。
*
激痛と回復を繰り返したが、結果、俺はなにも得られなかった。
いや、得られたものがあるとすれば、「自分ごときにはどうしようもないことがある」という教訓だけ。
俺は舟に大の字になり、子供みたいに泣いた。
母さんを苦しめる悪いヤツが目の前にいるのに、傷ひとつつけられない。
「このクソ野郎……」
「もうおしまいですか? え、クソ野郎というのは、私のことですか? 星のことですよね?」
「……」
教えない。
どっちもクソ野郎だ。
もしピチョーネなら、魔法で器を破壊できただろうか?
俺も魔族に生まれたかった……。
骸骨は、器から遠ざかるようにオールで舟を漕ぎ出した。
俺は止めなかった。
どれだけ時間をかけたところで、ひとつとして可能性がない。
「そういえば、あなたは何者なんですか?」
「無名の眷属ですよ。案内役としてここに置かれました。星の祝福によって、不死の存在にされてしまいましたが」
「祝福? 呪いではなく?」
「お好きに。人は自分にとって都合がよければそれを祝福と呼び、都合が悪ければ呪いと呼ぶ。それだけのことです」
この人にとっては都合がいい、ということか。
「舟はどこへ向かっているんですか?」
「どこへも」
「帰る方法は?」
「深く水底へ潜れば帰れますよ。ああ、でももう少し待った方がいいでしょうね。空間が安定するまでは」
「はい……」
俺はなにも成し遂げられなかった。
真の敵がそこにいたのに。
*
俺は、機械装甲の中で目を覚ました。
場所は……砦にある玉座の間。
俺以外、誰の姿もない。
砦を出て、街へ引き返した。
ここも無人。
幾度もの戦闘を経て、石壁はボロボロになっている。誰かが補修しようとした形跡も見受けられるが、完成には至っていない。
街の外へ出ても、誰もいなかった。
まさか、みんな死んでしまったのか?
それとも、俺だけが幻覚を見ている?
ふと、すぐそばの空間が裂けた。
敵だろうか?
俺はハルバードを構えた。
「ちょっと待って! 私! ピチョーネ!」
「ああ、ごめん。急に出てきたから」
間違いなくピチョーネだ。
ローブを着ている。
「みんなは?」
「もうとっくに帰ったよ。マルコが最後」
「えっ?」
「あ、まあ、最後じゃないかも。軍隊は消えたまんまだし」
ということは、みんな空間が安定する前に帰ってきたのか。
「教えといてあげるけど、戦いの日から三日経ってる」
「えっ? そんなに?」
「でも先生が大丈夫だって教えてくれたから」
母さんには見えていたのか。
あるいは、もやが消えてから見たのかもしれない。
もやの正体は星の干渉だった。召喚魔法の影響がなくなったいま、もやも消滅したはずだ。たぶん。
戦いがあったとは思えないほど静かだ。
ボロボロの街は、遺跡みたいにひっそりとしている。
「あ、そうだ。ピチョーネ、こないだのことだけど……」
俺がそう言いかけると、ピチョーネはばっと手のひらを見せた。
「待って。言わないで。もういいの。マルコ、そういうヤツだって分かってるから」
「そういうヤツ……?」
「最低のマンモーニよ。でもいいから。分かってる。その代わり、ひとつだけ約束して。私と結婚しなくていいから、その代わり誰とも結婚しないで」
「はい?」
急になにを……。
いや、俺も人のことは言えない。
母さんが結婚しないよう願ってるんだから。
「私もマルコも、誰とも結婚しないの。で、みんなで一緒に暮らし続けるの。どう? よくない?」
「それは平和的な提案だと思うけど……。でも俺、魔族じゃないからみんなより先に死にますよ?」
「言わないで! いまちょっといい雰囲気だったのに! そんなの、ずっと先の話でしょ!?」
「でも事実ですから……」
「もう帰ろ? マルコと話してると頭おかしくなっちゃう」
「……」
ひどい言い草だ。
少し歩きだしてから、ピチョーネはこちらへ振り向いた。
「でももし、マルコが誰かと結婚したくなったら、そのときは教えてね?」
「許してくれるんですか?」
「ううん。その子に死んでもらうから」
「ダメですよ、そんなこと」
なぜ満面の笑顔で言えるんだ。
冗談だとは思うけど。
「そういえば、向こうで神を見ましたか? ああ、神じゃなくて星だったっけ」
「えっ?」
ピチョーネが、不審そうな表情でこちらを見た。
なんだこの反応……。
「いや、嘆きの川という場所で……。ピチョーネは会わなかったんですか?」
「待って、マルコ。大丈夫? 嘆きの川なんて実在するわけないでしょ。魔女の口伝にしか……。え、なんでマルコが知ってるの?」
「だから、行ったんですよ。もしかしてピチョーネ、別の場所に?」
「別なのかな? 白いとこだよ。舟があって。でも転移魔法ですぐ戻ってきちゃった」
なら同じ場所だ。
彼女は魔女だから、自力で戻って来たのか。
なんだかズルい気もするが。
「俺、そこで骸骨の人とお話しして……」
「なに骸骨って? 死霊術?」
「分かりませんけど」
「神ってどんな姿だったの?」
「実際の姿は見てないんです。大きな器に封じられてましたから。で、骸骨の人が言うには、神と悪魔は、同じ存在なんだそうです。びっくりですよね」
「……」
ピチョーネの顔から表情が消えた。
警戒するように目を動かして、周囲の様子をうかがっている。
「どうしました?」
「マルコ、それって本当なの?」
「えっ?」
「神も悪魔も、同じ存在だって」
「知りませんけど、骸骨の人はそう言ってましたよ」
「そう……」
表情が硬い。
教えるべきではなかったかもしれない。
それからは、会話もなく歩いた。
夕焼けなのか朝焼けなのかも分からない。
ただ遠くを見ていた。
(続く)




