集会所
白の魔女が入ってきた。
「失礼するよ、御曹司」
「皮肉はよしたまえ。ご用とは?」
フェデリコさんが手で進めると、魔女は遠慮もせずソファに腰をおろした。
ピチョーネは……威嚇するような顔をしていたが、暴れる様子はなかった。
我慢することをおぼえてくれて嬉しい。
「将軍から伝言を預かっている。明日、城へ来るようにと」
「みんなで?」
「いや、あなただけだ。詳しくは聞いていないが、おそらく浄化の装置に関する話だろう。なにせ王都は、装置を扱える人間を手放すことになってしまったからね。代わりの人材が必要になったのさ」
するとフェデリコさんは肩をすくめた。
「ふん。他の誰かでなく、私を選ぶとはな。ま、その程度の知性が備わっていたことに安堵してもいい。だがあいにく、私は忙しいのだ」
「私に言われても困る。苦情なら国王へ。私はもう騎士ですらない、一介の市民なのだから」
今回の決闘は、国王も見守っていた。
その結果、どうなるかも知っていたはずだ。
手続きも早かったのだろう。
魔女はこちらを見た。
「もう怪我は完治したようだね。なるほど、血の魔法か……。魔族すら封じた邪法だ。まさかそれを人が使うとは」
「訂正してください。これはれっきとした医療行為です。名医の私が言うのですから間違いありません」
ソフィアさんが冷淡な目で応じた。
「これは失礼した、ソフィア博士。あなたの腕は本物だ」
「あら。言ってくだされば、いつでも治療して差し上げますわ」
「光栄だね。では、そのときはお願いしようかな」
完璧な笑みだ。
ソフィアさんは一人できゅんきゅんしている。顔がよければなんでもいいのか。
ピチョーネがずずーと音を立ててカップの紅茶をすすった。
「で、なに? いつまでいるの? もう用は済んだんでしょ? 帰んないの?」
「ピチョーネ、君は相変わらず子供みたいだね。かわいいよ」
「うるさい。もう大人です」
「もちろん帰るよ。ただし、君たちと一緒にね。このあと結社へ行くんだろう? 私も同行しよう」
「なに言ってんの? あんたと一緒だなんて、絶対イヤなんだけど!」
そうとう嫌っている。
俺のせいか。
白の魔女も苦い笑みだ。
「感情のコントロールは苦手かな? けど、そうやってワガママを言っていると、未来を変えるチャンスを失うことになるよ」
「それはズルい……」
そうだ。
俺たちは未来を変えるために戦っている。
いや、でも……だったらなぜ浄化の装置を奪ったのだ? あのまま空間の狭間に置いておけばよかったのに。
俺も思わず口を挟んだ。
「あなたのこと、信用していいんですか?」
「戦いを通じて、君とは心を通わせたつもりだったんだけど……」
そうだ。
彼女は、おそらく俺の急所も刺せた。だけど斬ったのは腕だけ。俺を殺さないよう戦っていた。
もちろん俺もそうだ。ただ、力量を見誤った。うまいこと無傷で終わらせようとした結果、さんざんに斬られてしまった。相手の心配をしている場合ではなかった。
「ああ、分かってる。君は最初から、私の剣を飛ばすのが目的だったんだろう? 最終的にうまくいってなによりだ」
「気づいてたんですか? じゃあ、あれはわざと……」
「いや、わざとで剣が折れるわけないだろう。私は私なりに、別の方法で終わらせようとしていたんだ。私の勝利という形でね。つまり互いに制限はあったものの、本気の勝負であったことは間違いない。そうだろう?」
そうだ。
そして予定通り無傷のまま終わらせることができれば、アルトゥーロさんの体調を悪化させることもなかった。
本当に申し訳ない。
「なぜ浄化の装置を奪い取ったんです?」
「言ったはずだよ。王のためさ。私は少し前まで、王から叙勲された騎士だったんだから。王のために働くのは当然のことだろう。もちろんいまは違う。いまはもう……誰に仕えることもない、一人の魔女だからね」
じゃあ個人的な理由で装置を奪ったわけではない、ということか。
まあ個人的な功名のためではあったかもしれないが。
きっと本気で、騎士として王に仕えていたのだ。
白の魔女はカップを手にもち、優雅に一口やった。
「ああ、素敵な香りだね。どこの葉だい?」
これにフェデリコさんは、珍しくきょとんとした顔を見せた。
「葉? さあな。この手のものは使用人に任せているからな」
「興味があるのは学問だけ?」
「私はそうだ。だが、最近では、それ以外も知るべきだと感じ始めている」
「それ以外?」
この問いに、フェデリコさんはなんとも言えない笑みを浮かべた。
「人間だよ。自分と同じ構造をしているのだから、いくらか差はあれどまあタカが知れていると思っていたのだが。知っているかね? この世界には、ピザにピクルスを載せる人間がいる」
「それは……冒涜的だな」
「かような冒涜を、なんとも思わないものがいるのだ。人間というものは……しばしば私の想像を超える」
カエデさんの料理をまだ根に持っているのか。
おいしかったけどなぁ。
まあフェデリコさんにとっては味の問題ではないのかもしれない。
*
翌朝、玄関ホール――。
「じゃあ、俺たちは集会所に向かいますね」
「ふむ。気をつけてな。なにかあったら遠隔映像で連絡する」
フェデリコさんは城へ行くことになっていたので、二手に分かれて魔女のもとへ向かうことにした。体調の回復していないアルトゥーロさんと、なぜかソフィアさんまで残ることになったが。
機械装甲も置いていく。
白の魔女は、フッと笑みを浮かべた。
「行こう、マルコくん。私たちの第二の故郷へご案内するよ」
「あなたが仕切らないで」
ピチョーネは渋い顔だ。
この二人、昨日からずっとケンカしている。
*
鬱蒼とした森だった。
ただ、木々が……うねうねとよく分からない方向へ伸びている。姿は見えないが、いろんな鳥たちがピョロロやらホーホーやら好きに鳴いている。いかにも魔女が住んでいそうな森だ。
「周囲に大きな結界が張られているから、本来なら転移魔法でも簡単には入れないんだ。入ることができるのは、魔女たちが認めた相手だけだね」
白の魔女はそう教えてくれた。
もう騎士ではなくなったが、スマートないでたちだ。しわひとつない真っ白なズボンとシャツ、そしてジャケット。どこかの貴族と言われたら信じてしまうだろう。
緑のローブのピチョーネは、ずっとふてくされている。
「白の魔女、なんか魔女っぽくない」
「この格好が気になるかい? けど、魔女も変わっていくものさ。先代の緑の魔女みたいにね」
「先生ってそうだったの?」
「だって王家のプリンセスだよ? なにひとつ魔女らしくなかった。喋り方も、姿勢も、思想も、なにもかも。まるで絵本から出てきたみたいだった。ああ、どんなに取り繕ったところで、本物にはかなわないなって思ったんだ」
「ふーん」
きっと昔の話だ。
人間の常識では考えられないほどの。
いちおう道らしきものはあった。
だが、しばらく進むと木々にさえぎられてしまった。
ピチョーネは慌てた様子もなく魔法を使い、その木々を左右によけさせた。
魔女特有のドアみたいなものか?
広場があった。
ローブを着た老女が、焚火を囲んで談笑している。だが、俺たちの姿を見て会話をやめた。
「おや……。人間のオスじゃないか。いったいなんの材料に使うんだい?」
老女の一人がそう尋ねると、仲間の老女たちは一斉にヒヒヒと笑い出した。
彼女らなりのジョークだと信じたい。
「彼はピチョーネの息子だよ。ああ、先代のね」
ピチョーネ?
老女は苦い笑みになった。
「あの小娘、子供をこさえたのかい? 人間の? お姫さまはやることが違うね」
歓迎されていないのかもしれない。
「マルコと言います。母さんの……息子です……」
そうとしか言えなかった。
自己紹介は苦手だ。
魔女はなんだか分からない干物を食いちぎった。
「ふん。ご丁寧だね。虹の魔女は奥にいるよ。早く行きな。死んじまう前にね」
またヒヒヒと笑いが起きた。
この人たちは、ジョークがキツ過ぎる。
*
どこも似たようなボロ小屋ばかりだったが、虹の魔女の家はすぐに分かった。
なんというか……分かりやすく虹色に塗られていた。虹というか、めちゃくちゃな色で塗られていた。いたずらされたわけではなく、そういうデザインなんだろう。たぶん。
「白の魔女です。マルコを連れてきました」
「入りな」
しわがれた声が返ってきた。
軋むドアを開くと、そこに部屋はひとつしかなかった。
部屋の隅にベッドが置かれており、鷲鼻の痩せた老女が横たわっている。この人が虹の魔女だろうか。オオガラスの姿で助言をくれた人だ。
ピチョーネが駆け寄った。
「大先生!」
「ああ、ピチョーネかい。こっちへおいで」
「お体は大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないさ、ずっとね。でもまだ生きてる。困ったもんさ」
「そんなこと言わないでよ!」
ピチョーネはそのままベッドにしがみついてしまった。
元気な人だと想像していたけど、どうやらそうでもないようだ。
「マルコです。その……」
「知ってるよ。ピチョーネの子だね。ああ、ピチョーネってのは……あんたの母親の昔の名前さ」
「えっ……」
そうだったのか。
だから母さんは、ピチョーネにその名前を与えたのか……。家族を失った孤独な少女に……。
「あの、虹の魔女……。俺は計算機を……」
「そうだね。殺してきな。森の奥にある」
「でも……」
命を奪わなくては解決しないのか?
もっと別の手段はないのだろうか?
虹の魔女は溜め息をついた。
「まだ分からないのかい? 時間がないんだ。私も長くない。躊躇をすれば、自分を追い詰めることになるよ」
「この領域が安全ならば、母さんをここに置いておけば……」
俺がそう言いかけると、魔女はうんざりしたように目を細めた。
「マルコや……。確かに普通はそうかもしれないね。けど、その程度じゃ未来を変更できないからこそ、楔は楔なんだ。今度のはそれくらい強固な流れなんだよ。未来は簡単には変わらない。意味が分からなくても、やるしかないんだ」
「はい……」
*
その後のことは、思い出したくない。
計算機の上には、メンテナンス用の扉があった。そこから中に入ると……たくさんの脳が、よく分からない線でつながれていた。
納得はしていない。
因果関係も分からない。
ただ、壊さないと未来が変わらないと言われたから壊した。
母さんを救うために。
彼らは一斉に話しかけてきた。
脳をひとつ壊すたび、声もひとつ減った。
最初は、殺してくれという声と、殺さないでくれという声が、半々くらいだった気がする。だけど処理が進むうち、殺さないでという声が大きくなってきた。
手が震えた。
俺は虐殺者だ。
一人の人間を救うために、もっと多くの人間を殺している。
己のエゴを通すために……。
*
「ダメだよ、マルコ。未来が変わってない……」
俺が小屋へ戻ると、未来を観測していたらしいピチョーネが哀しげな顔で崩れ落ちた。
どういうことだ?
「虹の魔女、俺たちを騙したんですか?」
「そうだとしたら?」
「怒ります」
それしかできない。
それになんの意味もないとしても。
虹の魔女は力なく笑った。
「まったく。あんた、本当にあの女の息子なんだね。言っておくけど、騙しちゃいないよ。さっきも言った通り、今度の流れはかなり強いんだ。楔を壊しても、簡単には変わらない。だが、変わる可能性は得た。あとは未来を観測しながら、いろいろやってみるんだね。なにをどうすればどう変わるのかは、誰にも分からないけどね。本来、未来なんてのは、誰の手にも負えない領域なんだから」
ここから始まるということか。
未来を変えるための戦いが。
老女は深く溜め息をついた。
「ピチョーネや、もうひとつ未来の話をしようかね」
「やだ」
ピチョーネが必死になってベッドにすがりついた。
なんだ?
まさかとは思うが……。
「次の……」
「やだ」
「虹の……」
「やだ」
「うるさいね! 少しは喋らせたらどうだい!」
「やだやだやだ!」
完全に駄々っ子になってしまっている。
すると次の瞬間、ピチョーネの姿がカエルに変えられてしまった。
「まったく、余計な力を使わせるんじゃないよ」
「ケロケロ!」
猛抗議しているようだが、もうなにも分からない。
「ピチョーネや、あんたが虹の魔女になるんだよ。私はじきに死ぬからね。泣くこたないよ。もう千年近く生きてるんだ。まったく、長かったね。こんなババアになってまでガキの世話に追われて……。やっとだよ。こっちはね、周りのババアからも、死ね死ね言われてるんだ。そう考えたらちょっと腹が立ってきたね……」
魔女のジョークは、本当にキツい。
だけど、そんなに簡単に言わないで欲しいという気持ちもある。
カエルになったピチョーネも黙り込んでしまった。
「先生、死なないで」
白の魔女も、目に涙をためている。
「なんだい? あんたもカエルにされたいのかい? まったく。あんたもワガママばっかりで、ホントに手のかかるガキだったね」
「ごめんなさい……」
「あとなんか今にも死ぬみたいな雰囲気だけど、そんなこたないからね。変な空気にしないでおくれ」
「でも……」
「申し訳ないと思うなら、ピチョーネに伝えといておくれ。助けなかったことは謝るから、あんたも私を……。いや、魔女らしく呪い続けてもいいけどね。でもこっちにも事情があったんだ」
だが、白の魔女はかぶりを振った。
「私が行くと怒るから、マルコくんに伝えさせます」
「どっちでもいいんだよ。とにかく伝えといておくれ。はぁ。なんだか不安だねぇ……」
なぜ手助けしてくれるのか、ずっと不思議に思っていた。
虹の魔女は己の死期を悟って、母さんに罪滅ぼしをしたかったのだ。魔女は「埋め合わせ」なんて言っていたけど。ずっと気にかけていたのだろう。
俺はうなずいた。
「必ず母さんに伝えます」
「いい子だ。未来を、望む姿に変えられるといいね」
「はい」
俺は生まれてから、ずっと魔女に救われてばっかりだ。
もしかすると善人ではないのかもしれない。
だけど、俺にとっては違う。
恩人だ。
「ちょっと疲れたね。ひと眠りするから、一人にしておくれ」
「はい」
俺は部屋を出ようとした。
だが、白の魔女も、ピチョーネも、動こうとしなかった。
*
俺は一人で小屋を出た。
広場では、金髪の少女が待ち受けていた。
「ババアは死んだのかい?」
「まだ生きてますよ」
「ふん」
黒の魔女だ。
この子も……口では悪く言ってくるが、きっと虹の魔女を手伝っていたのだろう。
「いままであなたのこと誤解してました。ごめんなさい」
俺がそう告げると、彼女は幼い顔立ちに似合わず、かなり渋い表情を見せた。
「な、なんだい急に。私は魔女だよ? 礼を言われるようなことはしてないよ。このダメ人間め。馬糞まみれにしてやろうかしらね」
「それはやめてください」
「そうね。この広場を馬糞まみれになんてしたら、他の魔女に八つ裂きにされるわね。ここのババア、みんな好戦的だから……」
母さんはこんなひどい環境にいたのか。
それでよくあれだけ上品なままいられたものだ。
さすがは母さん。
すると黒の魔女は、なんとも言えない顔で溜め息をついた。
「けど、困ったね。緑の魔女が虹の魔女になるなら、次の緑の魔女はどうなるんだい? まさか、またあの女? 私は絶対にイヤだよ。あいつが引退してせいせいしてたのに」
「けど、それじゃあ誰を……?」
「それを探す仕事が始まるんだよ。まったく。余計な仕事を増やさないで欲しいわね。あのババアさえ死ななけりゃいいのにさ」
生きていて欲しいのだ。きっと。
「ここに魔女がいっぱいいますけど、その人じゃダメなんですか?」
「適性ってのがあるんだよ。人間のあんたには分からないだろうけどね」
「はぁ」
なにも分からない。
誰でもよさそうな気がする。
黒の魔女は切り株に腰をおろした。
「あんたも座りな」
「はい」
なんだろう。
長い話でもするつもりだろうか。
だが、黒の魔女は空を見上げたまま、なにも言わなかった。
秋空が広がっている。
広場の周囲には黒々とした森。
こうして見渡せる範囲が、魔女たちの集会所なのだ。結社のすべて。こんな小さな場所に、魔法の知識が凝縮されている。
白の魔女が出てくると、黒の魔女はいぶかるように目を細めた。
「死んだ?」
「いや。眠っただけ」
「ガキは?」
「しばらく一緒にいたいって」
「ふん。もうババアなんだから、老い先短いのは分かってるだろうに。なにを感傷的になってるんだか」
「そうだね……」
空疎な会話だった。
風が穏やかに吹いている。
まるでここだけ時間がゆっくり進んでいるような。
(続く)




