それは聞いてない!
「はあ、はあ、はあ!」
……こんなの、聞いてない!!
「ほら瀬川くん! まだまだ半分だよ!」
なんで、なんで男女が休日に会ってやることが……!
「ま、まって、白石さん……」
「待ちませーん! あと10キロ! 行くよ!」
ランニングなんだああああああ!!!!
◇◇◇
「や、やっと終わった……無理……倒れる……水……」
目標地点であった公園のベンチに着いた途端、悠真は倒れ込んだ。
人目? 今はそんなことどうだっていい。
「おつかれー! はい、水どうぞ!」
うつ伏せで荒く息をつく悠真に、上から涼しい顔で紬がペットボトルを差し出す。
なんでそんなに元気なんだ。
「あ、ありがとう……」
何とか体を起こし、受け取った水を飲む。今までの人生でこれほどまでに水を美味しいと思ったことはない。
あっという間に、ペットボトルのうち半分が消えてなくなった。
「……ねえ、瀬川くん」
少し息が整い始めた頃、紬が遠慮がちに口を開く。
「な、なに……?」
「その、言いにくいんだけど……」
紬の視線があっちこっち行き、両手の人差し指をツンツンとしている。
やがて、意を決したように視線を合わせた。
「瀬川くん、体力全っっっ然ないね」
「いやもっとオブラートに包んで!?」
ナチュラルに心に刺さった。そのセリフは女性に言われたら傷つくランキング上位に食い込むだろう。
「別に部活やってる訳でもないんだから、体力なくても仕方ないでしょ!」
「いやいや、バイトしてるよね? それに小説書くなら、それなりに体力必要だと思うけど」
「俺なんかしたかなあ!?」
バイトを休んだだけなのに、なぜここまで言われないといけないのだ。
そんな悠真の姿を見た紬は、ついに堪えきれなくなったように吹き出した。
「ぷっ、あはは! 変な顔してるー!」
「今日なんか遠慮がないね……」
「ちょっとテンション上がっちゃって! あー面白い。もう、しょうがない。じゃあこの紬さんがご褒美をあげましょう!」
「おお……!」
ご褒美。それだけの単語にさっきまでの疲れが幾分かマシになった気がする。
我ながらなんて単純なんだ。
紬は背負っていたリュックサックを下ろし、中身をゴソゴソとし始めた。
そして、中から何やら包みを取り出した。
「じゃん! お弁当作ってきました!」
「え? お、お弁当……?」
予想外のご褒美に思わず動きを固めてしまう。
「うん! 元から瀬川くんとご飯食べたいなって思ってたんだけどさ、カフェとかだと私が奢るって言っても遠慮させちゃうと思って。これなら食べざるを得ないでしょ?」
「白石さん……」
気遣いに溢れた好意に、胸が暖かくなるのを感じた。
「ありがとう、本当にすごく嬉しいよ」
「ま、まあ普段料理とかしないし、所詮お弁当だし、そんな味の保証とかできないけど……」
ごにょごにょと言い訳を重ねている。まだ食べるどころか、中身を見てすらいないのだが。
「気持ちが嬉しいんだよ。早速いただいてもいい?」
「う、うん。あんまり期待し過ぎないでね……?」
紬は見るからに不安そうな表情を浮かべ、包みから可愛らしいデザインのお弁当箱と、おにぎり二つを取り出した。
紬が喉を鳴らし、ゆっくりと弁当の蓋を開けた。
その中身は。
「……え? めちゃくちゃ美味しそうなんだけど」
綺麗な黄色の卵焼き、ミニトマト、いい焼き目の小さいハンバーグにほうれん草の和え物が入っている。
「その、お母さんに手伝ってもらって……」
顔をパタパタと手で扇ぎながら、聞いていない質問に答える紬。
「おにぎりは無難に鮭と昆布にしてみたの。あと、これお箸ね。……その、めしあがってください」
「ありがとう。じゃあ早速、いただきます」
紬から箸を受け取り、手を合わせた。
まず何から食べようか。まあここは王道に、卵焼きだろう。
箸で卵焼きをつまむ。綺麗に巻かれた断面には、幾重もの層が重なっていた。
卵焼きを口に運ぶ。向かいに座る紬が、ものすごい眼力で見つめている。
「……美味しい」
しっとりとした弾力に、程よい甘さ。どこか懐かしい味が口の中に広がる。
悠真が咀嚼し、飲み込むのを見た紬は、大きく息を吐いた。
「良かった……。早起きした甲斐があったよ。ほら、他のも食べて?」
「うん、ありがとう」
悠真は夢中で箸を動かした。右手でおかずを食べ、左手で鮭のおにぎりを頬張る。
しばらく無言で食べ進めていると、不意に紬がボソッと呟いた。
「そういえば、そのお箸私が高校生の頃使ってたやつなんだよね」
「……むぐっ!?」
突然の爆弾に、むせてしまう。
「ちょ、大丈夫!? はい! お水!」
慌てて米を飲み込み、受け取った水を飲んだ。人が食べてる時になんてことを言うんだ。
「はあ、はあ、な、なんてこと言ってるの……!?」
「ん……? あれれ? もしかして、意識しちゃった?」
「違う!」
違くない。
「ふふっ。瀬川くんって意外とウブなんだね。あーんでもしてあげようか?」
紬がいたずらっぽい笑みを浮かべる。
まただ。いつもこの人のこの笑みに、自分のペースを乱されている。こっちだけ慌てて向こうは余裕そうだ。
……あ、そうだ。
「うん。してほしいな」
「……え?」
「いや、あーんしてよ」
紬の笑みが固まった。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、みるみる頬が赤く染まっていく。
「い、いや、今のは冗談で……」
「え? じゃあしてくれないの?」
「そうとは言ってない!」
「じゃあお願いしまーす」
「〜〜〜〜〜っ!」
紬が顔を両手で覆ってしまう。
いつもあれだけ余裕そうな顔をしている紬が、耳まで赤くしている。
すごく新鮮だ。
紬は無言で悠真の箸と弁当を奪う。ハンバーグをつまみ、そのまま悠真の口元へ差し出した。
……目が全く合わない。
「あの……? どこ見てるの?」
「いいから食べてよ!」
箸を持つ手がプルプルとしている。それを見た悠真は笑いそうになるのを堪えた。
そして、悠真は差し出されたハンバーグに顔を寄せた。
緊張する。でも、たまにはやり返してやりたい。
ゆっくりと顔を近づける。
あと、少し。紬の爪の形ってこんなに綺麗だったっけ。
ハンバーグを口に含んだ瞬間、紬の肩がびくりと跳ねた。
「……どう?」
相変わらず目を合わせずに聞いてくる。
「美味しい。すっごく」
「…………」
返事がない。
紬は俯いたまま、箸を持つ手をゆっくりと下ろした。
「……白石さん?」
顔を覗き込もうとすると、紬は慌ててそっぽを向いた。
「い、いつもは……! いつもはそんなこと言わないくせに……!」
「いや、美味しいって言っただけだけど」
「そういうところ!」
理不尽だ。
さっきまで散々からかってきたのは誰だったか。ちょっとやり返しただけなのに、この言われようである。
とはいえ、ここまで慌てふためく紬を見るのはなんだか少し楽しい。
「じゃあ、もう一回お願いしてもいい?」
「だ、だめっ!」
即答だった。
「えー、さっきはしてくれたのに」
「もうっ! なんなの!? 今日の瀬川くん意地悪!」
紬は勢いよく立ち上がった。
そして、ベンチに置いてあった弁当箱を両手で持ち上げる。
「こ、これ! 全部あげる!」
「……え?」
ずいっと弁当箱を押し付けられた。
「おにぎりも! おかずも! 全部瀬川くんが食べて!」
「いや、白石さんの分は?」
「私はいいの!」
「でも、せっかく作ってくれたんだし、一緒に――」
「いいってば!」
紬はリュックサックを背負うと、くるりと背中を向けた。
「じゃ、じゃあ私、帰るから!」
「……は?」
待て待て待て。
「いや、まだお昼だよ!?」
「今日はもう十分遊んだもん!」
「ほとんど走ってただけじゃん!」
「うるさーい!」
紬は振り返らないまま、ずんずんと歩いていく。
……本当に帰るつもりなのか。それは、なんか嫌だ。
「白石さん!」
呼び止めると、ぴたりと足が止まった。
「……なに?」
「今日はありがとう。お弁当、すごく嬉しかった」
「…………っ!」
紬の肩が再び跳ねる。
そして。
「だから、そういうところがずるいんだってばああああ!!」
叫ぶなり、紬は走り出した。
……速い。
さっき二十キロ走った人間の速度じゃない。
「……行っちゃった」
ぽつんと公園に取り残される。手元には、紬が作ってくれた弁当箱。
でも、楽しかったな。すごく。これはまあ、今度返そう。
残されたおにぎりをひと口かじる。
…あれ、そういえば。
今日、財布一回も開いてないな。
【借金返済まで、あと353日】




