たまには休日を!
「……休みがない」
瀬川悠真は、スマホに表示されたシフト表を見つめて呟いた。
学校、アルバイト、小説の執筆。予定はびっしりと埋まっている。
普段なら問題ない。借金八十万円を返すためには、むしろありがたいことだ。
しかし、今は事情が違う。
『次は瀬川くんから誘ってね?』
水族館で交わした約束。
そして、昨日の帰り道。
『今度の休み、予定確認しておくよ』
「……なんであんなこと言ったんだ、俺」
後悔はしていない。紬と過ごす時間は楽しいし、約束も守りたい。
ただ。
「……休みがないんだよなあ」
「何がないんですか?」
「うわっ!?」
突然、背後から声が飛んできた。
振り返ると、小宮山莉子が不思議そうな顔で立っている。
「こ、小宮山さん……びっくりした」
「先輩、さっきからずっとスマホとにらめっこしてますよ?」
「……ちょっとシフトを確認してて」
「シフト?」
莉子は悠真の手元を覗き込んだ。
「あれ? 先輩、来週もいっぱい入ってますね!」
「まあ、ありがたいことにね」
「じゃあ何を悩んでるんですか?」
「……いや、その」
悠真は言葉を詰まらせた。
別に隠すようなことではないのだが、莉子に事情を話したら面倒なことになる気がする。
「……ちょっと予定があって」
「予定? ……もしかして」
「違う!」
「まだ何も言ってませんよ!?」
「小宮山さんの目が細くなった時はろくなことを言わない!」
「酷すぎません!?」
莉子は心外そうな表情を浮かべながら、悠真の顔を覗き込んでくる。
「もう……。それで、誰なんですか? この前の可愛いお客さんですか?」
「……なんで覚えてるの」
「橘さんから聞いたんですよ! いい感じの人がいるって!」
「あの人め……」
「それでそれで、どうなんですか!?」
莉子が顔を近づけてきた。クリクリな目がいつも以上に輝いている。
「……小宮山さん、そろそろ休憩終わりだよね」
「あっ! 話逸らしましたね!」
「逸らしてないよ。仕事中だから」
「それはそうですけど……」
莉子は不満そうに頬を膨らませた。
しかし、すぐに何かを思いついたように手を叩く。
「あ! だったら私、シフト代わりましょうか?」
「……え?」
「先輩、休みたいんですよね? 私、その日空いてたら入れますよ!」
「いや、でも……」
「いつも先輩に助けてもらってますし! たまには私にも頼ってください!」
莉子は得意げに胸を張った。
以前なら、自分の仕事だけで精一杯だった彼女が、今ではこんなことを言ってくれる。
その成長が悠真には少し、いや、かなり嬉しかった。
「……ありがとう、小宮山さん」
「いえいえ! 礼には及びませんよ!」
「でも、まだ何も決まってないから。必要になったら相談するよ」
「はい! 任せてください!」
莉子は元気よく返事をして、客席へ向かっていった。
その背中を見送りながら、悠真は小さく笑う。
「……頼もしくなったなあ」
「誰が?」
「うわっ!?」
本日二度目の不意打ちだった。しかも同じリアクション。顔に熱が集まっていく感じがする。
「……橘先輩」
「ふふっ。さっきから驚きすぎじゃない?」
振り返ると、橘玲奈が食品の在庫をカウントするタブレットを片手に立っていた。
「……心臓に悪いですよ」
「ごめんごめん。で、何の話?」
「いや、小宮山さんがシフト代わってくれるって……」
「へえ、あの子が。珍しいじゃない」
「ですよね。最近、すごく成長してますよね」
「悠真くんが頑張って教えたおかげね」
「……橘先輩のおかげでもありますよ」
「あら。嬉しいこと言ってくれるじゃない」
玲奈は満足そうに笑った。しかし、すぐに悠真のスマホへ視線を落とす。
「……で、悠真くんは何で休みたいの?」
「……え?」
「莉子ちゃん、シフト代わるって言ってたんでしょ?」
「……聞いてたんですか」
「少しだけね」
玲奈はいたずらっぽく笑う。
「もしかして、例の女の子?」
「違います」
「ふふっ。分かりやすいなあ」
悠真は観念したようにため息をついた。
「……実は今度、また一緒に出かけようって話になってて」
「へえ! いいじゃない!」
「でも、一日休んだらその分の給料がなくなるじゃないですか」
「……まあ、そうね」
「八時間働いたら、大体一万円です。そこに交通費とか食事代とか考えたら……」
スマホの電卓に数字を打ち込む。表示された金額を見て、悠真は指を止めた。
遊びに行くということは、単にお金を使うだけではない。その日に稼げたはずのお金まで失うということだ。
借金の返済を優先すると決めた自分にとって、その金額は決して小さくない。
「……やっぱり、今は我慢した方がいいのかなって」
玲奈は何も言わなかった。しばらくして、小さく息を吐く。
「悠真くんは、その子と遊びに行きたいの?」
「…………」
答えに詰まってしまった。
借金があるから。仕事があるから。小説を書かなければならないから。
そんな理由なら、いくらでも思いつく。
でも、それは行かないための言い訳だ。
「……行きたいです」
気づけば、そう答えていた。
「だったら、行っておいでよ」
いつものように玲奈が微笑む。
ただ、その指はタブレットの同じ画面を何度もなぞっていた。
「……でも」
「悠真くん」
玲奈の声が、少しだけ真剣になる。
「悠真くんは、その子との約束を守るために休むんでしょ?」
「……はい」
「じゃあ、無駄遣いじゃないじゃない。お金を返すのも大事だけど、約束を守るのだって大事なことでしょ?」
悠真は手元のスマホに目を落とした。
確かに、一万円近い金額は大きい。
それでも、お金に換えられない時間があることを、最近再認識した。
「……そう、ですね。ありがとうございます」
「どういたしまして」
玲奈は微笑んだ。
「でも、ちゃんと莉子ちゃんと店長に確認してからよ?」
「はい。もちろんです」
「ん、さすが」
玲奈は満足そうに頷き、客席へ向かいかけた。しかし数歩歩いたところで、足を止める。
「……あ、悠真くん」
「はい?」
「今度、その子の話も聞かせてね」
「いや、絶対からかいますよね」
「うふふふふ」
「……否定してほしいんですけど」
「否定できないもの。ま、考えといてね」
玲奈は楽しそうに笑って、今度こそ歩いていった。
……やっぱり、橘先輩には敵わない。
◇◇◇
その日の営業終了後、悠真は休憩室の椅子に座り、スマホを握りしめていた。
店長に相談したところ、莉子の申し出もあって無事に調整できた。
初めての休みの申し出に緊張したが、思いの外すんなりと受け入れてくれた。
あとは、連絡するだけ。
メッセージアプリを開く。
白石紬。
見慣れた名前が、画面の上に表示されていた。
『白石さん、来週の日曜日、空いてる?』
文章を打ち込む。
……いや、待て。
これではまるで、デートに誘っているみたいじゃないか。
「……いや、誘ってるんだけど」
自分でツッコんでさらに混乱する。
違う。これは健全なものだ。借金があろうがなかろうが、一日くらい友人と出かけてもいいだろう。
「……よし」
送信ボタンを押した、その直後。
『空いてる!!』
「……早っ」
送信して体感三秒くらいなのだが。
『もしかして、瀬川くんからのお誘い!?』
『うん。前に約束したから』
『やったー!!』
紬が喜んでいる姿が目に浮かび、思わず頬が緩んだ。
『ちなみに、デート?』
そのメッセージを見て、悠真は天井を見上げた。
……やっぱり、そう来るよなあ。
『デートではないと思う』
『思うって何!?』
『いや、友達同士のお出かけというか……』
『ふーん』
少しだけ間が空き、やがて新しいメッセージが届く。
『じゃあ、デートじゃなくてもいいから、瀬川くんと行きたいところがある!』
『どこ?』
『ふふふ。それは当日のお楽しみ!』
「……またそれか」
悠真は苦笑した。
水族館の時も、彼女は行き先を秘密にしていた。今回も、きっと何か企んでいるのだろう。
『分かった。楽しみにしてる』
送信し、すぐに既読がついた。しかし、今度はなかなか返事が来ない。
「……あれ?」
何か変なことを言っただろうか。
しばらく画面を見つめていると、ようやく通知が鳴った。
『うん! 私もすっごく楽しみにしてるからね!』
いつもの紬らしい返信に、拍子抜けしてしまう。なぜ返信が空いたのだろうか。
まあ、気にしすぎなのだろう。
悠真はスマホを伏せ、椅子の背もたれに体を預ける。
「……まったく」
来週の日曜日。
今までの自分なら、土日祝にシフトを入れないなんて選択は考えられなかった。
けれど、後悔はない。
むしろ、たまにはこんな日があってもいいのかもしれない。
……いや、待て。
当日のお楽しみって、結局どこに連れていかれるんだ?
「……ちょっと怖いな」
独り言をつぶやくと、再び通知が鳴りもう一度スマホを手に取った。
画面には、紬から届いた新しいメッセージ。
『あ! あとね、当日は絶対に動きやすい服で来てね!』
……一体、何をするつもりなんだ。
【借金返済まで、あと357日】




