ご注文は瀬川くんで!
「いらっしゃいませー!」
入口のベルが鳴り、悠真は手にしていたグラスを下げ場に置いた。
外からは下校する学生の声が聞こえてくる。
「お客様、一名様でしょうか?」
「はい、一人で……」
「……あれ?」
「……え?」
見覚えのある茶色い髪。そしてこちらを見つめるその大きな瞳。
「……白石さん?」
「……瀬川くん!?」
紬が口に手を当てて、素っ頓狂な声を上げた。
「えっ!? 瀬川くん、ここで働いてるの!?」
「う、うん……。白石さんこそ、なんでここに?」
「えっと……小説書こうと思って……」
紬は肩に提げたバッグを持ち上げ、ぽんぽんと叩いた。
「家だと集中できなくてさ。たまには場所変えてみようかなって」
「……なるほど」
「びっくりした……。でもまさか、瀬川くんがいるなんて! すっごい偶然だね!」
紬はにへらと笑った。悠真も思わず頬を緩める。
「……あ、すみません。お席ご案内しますね」
「え? なんで敬語なの?」
「……いや、お客様だから」
「あ! そうだった!」
紬が目を丸くする。表情筋が忙しそうだ。
悠真は窓際の二人掛けテーブルへ案内し、メニューを差し出す。
「ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンでお呼びください」
「……ふふっ」
「……何?」
「いや、瀬川くんがかしこまってるの、なんか面白くて」
「仕事中だからね……」
「うんうん。かっこいいよ、瀬川くん!」
「……っ!」
不意に飛んできた言葉に、悠真は返事を詰まらせた。しかし紬は、何事もなかったようにメニューを開いている。
「……じゃあ、ごゆっくりどうぞ」
「はーい! お仕事頑張ってね!」
悠真は軽く頭を下げ、カウンターへ戻った。
……まったく。どうしてあの人は、こうも簡単に人を動揺させるのだろう。
「……悠真くん」
「うわっ!?」
すぐ横から声が飛んできた。振り返る。玲奈が伝票を片手に立っていた。
「……今のお客様、知り合い?」
「あ、はい。学校の友達です」
「……ふーん」
玲奈は窓際の席へ視線を向けた。紬は真剣な表情でメニューとにらめっこしている。
「……可愛い子ね」
「……まあ、そうですね」
「へえ。認めるんだ」
「……なんですか?」
「別に?」
玲奈は口元を緩めた。
「ただ、悠真くんにもあんな可愛いお友達がいたんだなって」
「……どういう意味ですか、それ」
「そのままの意味よ」
玲奈は楽しそうに笑い、伝票をカウンターへ置く。
「……ねえ、悠真くん」
「はい?」
「そういえば、莉子ちゃんが言ってたことなんだけど」
「……違いますからね。断じて」
「ふふっ。まだ何も言ってないんだけど?」
「……橘先輩」
「はいはい。お仕事戻りましょ」
玲奈は悠真の肩を軽く叩き、レジの方へ歩いていった。
悠真は小さく息を吐く。
トレイを持ち直したその時、ピンポーンと呼びベルが鳴る。
「はい。お伺いします」
悠真は伝票を手に取り、呼び出しモニターに目を向ける。
表示されていたのは、七卓。
「……ん? 七卓?」
まさか。客席の方に目を向ける。
そこでは白石紬が、呼び出しボタンに指を置いたまま、楽しそうに手を振っていた。
「……白石さん」
「えへへ。瀬川くん、ご注文お願いしまーす!」
悠真は額に手を当てた。
「……はい、ご注文は?」
「んー、じゃあ瀬川くんで!」
「……は?」
紬は頬杖をついて悠真を見つめる。
「な、何言ってるの!?」
「ふふっ。お持ち帰りは出来ますかー?」
「出来ないよ!!」
しまった。大声を出してしまった。
辺りを見回すが、幸いこちらを見ている客はいなかった。
紬がいたずらっぽく目を細める。
「残念だなあ」
「……全然思って無さそうだね」
「んーと、ドリンクバーとこのサンドイッチお願いします!」
ようやく普通の注文を受け、胸を撫で下ろした。
「はい。ドリンクバーあちらからご利用ください。……ごゆっくりどうぞ」
「はーい! ……あ、瀬川くん」
悠真は足を止め、振り返った。
「なに?」
「さっきの、半分冗談だからね」
「……半分は本気なんじゃん」
えへへと笑った紬は、バッグからパソコンを取り出した。
注文を受けただけのはずなのに、どっと疲れた気がする。
その後も、悠真は店内を休む間もなく行き来した。
料理を運び、空いた食器を下げ、次々と来店する客を案内する。
「お兄ちゃん、ありがと!」
食器を下げた席で、小さな男の子が笑った。
「どういたしまして。また来てね」
悠真は腰をかがめ、男の子に笑いかけた。
ふと、七卓に目を向ける。
紬はパソコンを開いたまま、頬杖をついてこちらを見つめていた。
目が合う。
紬は慌てて画面に視線を戻す。けれど、その口元は緩んだままだった。
……ちゃんと執筆してるのだろうか。
悠真は苦笑し、次の料理を運びに向かった。
◇◇◇
「お会計お願いしまーす!」
閉店時間が迫った頃、紬がレジに伝票を持ってきた。
あれだけ賑わった店内には、紬以外の客はもういなかった。
「あ、白石さん。お支払い方法は?」
「現金! はい、ちょうどで!」
「はい、ありがとうございます。こちらレシートです。白石さん、執筆捗った?」
「うーん、三千文字ぐらい! でもずっと座ってたから腰がバキバキだよー!」
紬は両腕を上げ、グーッと背中を伸ばした。
「でも、今日来てよかったなあ。瀬川くんに会えたから!」
「……俺も、会えてよかった」
「……え?」
「あ、えっと、今日学校ないから、会えないと思ってたし」
紬はぽかんと口を開けていた。次の瞬間、横髪を引き寄せ口元を隠す。
「ちょ……そんなの、急に言わないでよ」
「……白石さん?」
「……ねえ、瀬川くん」
「うん?」
「それってさ……私に会いたかったってこと?」
「え?」
紬は横髪を指に巻きつけながら、ちらりと悠真を見上げた。
「だって、会えてよかったって……そういうことでしょ?」
「えっと、うん。……会えてよかったかな」
「……そっか」
紬が俯く。その口元が、わずかに緩んでいた。
「……白石さん?」
「……もう一回」
「え?」
「もう一回、言って。……会えてよかったって」
「……なんで?」
「いいから!」
紬は顔を上げた。頬がほんのり赤い。
悠真はしばらく彼女を見つめ、短く息をついた。
「……白石さんに会えて、嬉しかったよ」
「…………っ!」
紬は慌てて顔を伏せた。
「……ばか」
二人の間に沈黙が落ちる。悠真が何か言おうとした時、紬が口を開いた。
「……ねえ、もうバイト終わる?」
「え? うん、もう時間だから上がりだけど……」
「……じゃあ」
紬は下げていた顔を上げ、悠真に視線を合わせる。
「一緒に、帰ろ」
【借金返済まで、あと359日】




