借金返済中につき、デートではありません!
デートではない。
断じて、デートではない。これは同じ学校に通う友人同士が、休日に外出するだけの健全な交流活動である。
「……よし」
鏡の前で、悠真は三度目の前髪チェックを終えた。寝癖はない。服装も問題ない。財布、スマホ、定期券も持った。……学校じゃないから定期はいらないか。
完璧だ。
「…………」
いや、待て。
そもそも俺は何を完璧にしようとしているんだ?今日の目的は、白石さんと遊びに行くこと。それ以上でも、それ以下でもない。
にもかかわらず、普段は五分で済ませる身支度に、かれこれ三十分も費やしている。
……おかしい。
まるで、好きな女の子とのデートを控えた男子高校生みたいじゃないか。
「いや、だからデートじゃないって」
誰もいない部屋で弁解する。我ながら重症だと思う。
スマホを確認すると、待ち合わせまではまだ一時間以上あった。少し早いが、もう出発してしまおう。外の空気を吸った方が落ち着く。
そう思って玄関に向かったところで、ふと足が止まった。
「……財布、大丈夫だよな」
恐る恐る中身を確認する。
千円札が三枚。小銭が数百円。
以上。
「…………」
いや、デートじゃないから。別にお金なんて使わないから。
そう自分に言い聞かせながら、悠真は静かに財布を閉じた。
恋人を作らないと決めた男にとって、今日という日は少々危険な予感がした。
◇◇◇
「まだ三十分もあるのか……」
待ち合わせ場所の駅前には、休日ということもあり大勢の人で賑わっていた。
まあまだ合流には時間がある。ベンチにでも座って小説を――
「瀬川くん!」
喧騒の中で、その凛とした声は悠真の耳にはっきりと届いた。
振り返ると、白のニットに膝下まで伸びたブラウンのプリーツスカート。足元には黒のショートブーツを合わせ、肩には小さなショルダーバッグを提げている。
普段見る学校の姿とは違い、どこか大人びた雰囲気。
悠真の頭に『可愛い』という単語が浮かんだのは気のせいだろう。
「お、おはよう白石さん……」
「おはよ! 今日ハーフアップにした! 可愛い?」
「……悪くないんじゃない?」
悠真の言葉に紬はあからさまに目を細めた。
「そこ可愛いっていうところなんだけど。わかってないなあ」
「……すまん」
「まあいいけどさ。ていうか、瀬川くん来るの早くない? 緊張して眠れなかった?」
「そ、そそそんなわけないだろ!?」
「……わかりやす」
紬は呆れたような笑みを浮かべてから、悠真の隣に並び立つ。
「ま、早速行こうよ。時間は有限だし」
「……それもそうだな。行くか」
二人そろって歩き出す。誰かの歩幅に合わせるのはこんなに難しいことだっただろうか。
悠真の視線は、ちらちらと紬の顔に向けられてしまっていた。
「……手、つなぐ?」
「つながないよ!!」
◇◇◇
「見て! クラゲ!」
「……なんで水族館?」
悠真と紬は水族館に訪れていた。水族館はデートの定番スポットという噂があるが、きっと気のせいだろう。
「次書く小説の舞台を水族館にしたくてさ。実際に行って調べたかったの」
「そういう事か。それなら、水族館の帝王と評された俺が案内しよう。イルカはこっちだ」
「……そっちトイレだけど」
「……そうだった」
顔に熱が集まるのを感じた。こんなはずではなかった。
「……ふっ、ふふ……」
「白石さん……?」
「ぷっ……あはははっ!」
紬はとうとう堪えきれなくなったように笑い出した。
「ちょっと待って! 水族館の帝王って何!? 瀬川くん帝王なの!?」
「……そうだ」
「間違えてたじゃん!」
「ミスは誰にでもあるだろ!」
「ふふっ、ごめんごめん。あーお腹痛い……!」
紬は目尻に浮かんだ涙を指で拭った。そんなに面白かっただろうか。
「……調べるんでしょ。見なくていいの?」
「あっ! そうじゃん」
紬は改めてクラゲの水槽に目を向ける。手に持ったスマホの上で指がせわしなく動いている。
「クラゲってピカーってなってて綺麗だね」
「……語彙力」
依然として紬の瞳には青白い光が反射している。さっきまで声を出して笑っていたのが嘘のように。
「ほんと、白石さんって小説が好きだよね」
「好きだよ。でも、今はそれだけじゃないの。ただ好きなだけじゃなくて目標が出来た。瀬川くんに勝つっていうね」
「……俺に勝つ、か」
「そう。だから覚悟してね。次の新人賞は絶対に負けないから」
紬はそう言って、得意げに胸を張った。
「俺だって負けるつもりはないよ」
「ふふっ、そうこなくっちゃ!」
紬は嬉しそうに笑った。
不思議な気持ちだ。さっきまで頬を膨らませたり笑い飛ばされたり、からかわれたり。振り回されてばかりだ。
でも、悪い気分ではなかった。
「ねえ、瀬川くん。私ね、瀬川くんと同じ学校に入ってよかったって思ってる」
「……どうしたの、急に」
「だって、瀬川くんに会ってなかったら、私、こんなに小説を書くのが楽しいって思えてなかったかもしれないもん」
紬は水槽に視線を戻した。青白い光が、その横顔を淡く照らしている。
「前はね、ただ好きだから書いてたの。でも今は、誰かに読んでもらいたいし、面白いって言ってもらいたいし……何より、瀬川くんを驚かせたい」
「……そっか」
「だから、いつか絶対に言わせてみせるからね。白石紬には敵わない、って!」
「……何年後になるかな」
「ふふっ、何年先も一緒にいてくれるってこと?」
「なっ……!」
いたずらな笑みを浮かべまたからかわれた。今までならなんとも思わなかった。
でも、悔しいという感情が悠真の中で生まれていた。
「あはは! いい顔! 案外すぐ言わせられるかもね?」
「……絶対負けない」
「はいはい。ほら行きますよ、帝王さん」
紬が不意に、悠真の袖を掴んだ。
「ちょ、白石さん、そ、袖」
「んー? 手じゃないからセーフ! イルカ! 行こ!」
目を細めて笑う紬を前に、悠真はその手を振り払うことが出来なかった。
◇◇◇
「あー楽しかった! 結局イルカの場所分からなくて係員さんに聞いたのは笑いそうになったけどね!」
「うるさいな……水かかったらあれかなって思ってあえて遠回りしたんだよ」
昼に入ったはずが、外に出た時には既に空は夕日に染まっていた。
「はいはい言い訳ね。でも、今日楽しかったよ。ありがとう瀬川くん」
「……まあ、参考になったなら良かったよ」
「うん! あ、でも次は。瀬川くんから誘ってね?」
「……分かったよ」
「え!」
しまった。断るつもりだった。なのに口から、自然と言葉が出てしまった。
「違う! 今のは言葉の綾で……!」
「違くありませーん! 言質取ったよ! 誘わなかったら怒るからね! 逃げるが勝ち! またね!」
「あっ、ちょ……!」
舌をペロッと出し、今日一の笑顔で紬は走っていった。
なぜ分かったなんて言ってしまったのか。それは悠真にも分からなかった。
ふと、ポケットの中に入っていたサイフを手に取る。
来た時よりも薄っぺらくなり、チャリンという心地のいい音も聞こえない。それでも。
「……また、行きたいな」
言い終えてから、ハッと口を押さえた。
【借金返済まで、あと362日】




