借金返済に休息なし!
学校一の美少女に告白された。
普通の男子なら、きっと一生の思い出になる出来事だろう。
しかし、瀬川悠真には感傷に浸っている暇などなかった。
なぜなら――。
「……間に合うかこれ!?」
改札を抜けるや否や悠真は飛び出した。
現在時刻、午後五時四十二分。シフト開始まで、あと十八分。アルバイト先は駅から徒歩二十分ほどの場所にあるため、走らないと間に合わない。
「ああもう! なんで今赤信号になるんだ!」
こういうタイミングに限って運から見放されるのはいつものことだが、慣れることはない。
青信号に変わると再び駆け出した。すれ違う人の視線を気にする余裕もなく、悠真は店内に駆け込んだ。
「すいません遅れました! おはようございます!」
休憩室に息を切らしながら入ると、椅子に座った女性がスマホから顔を上げた。パーマのかかったショートヘアの内側には、鮮やかな赤色が覗いている。
「あ、悠真くん。おはよ。まだ五分前だから遅れてないわよ?」
「橘先輩……いや、五分前には着替えてシフトインしないとなんで……」
肩で息をしながら答える悠真の顔を見た橘玲奈は、プッと吹き出した。
「あはは! ほんと悠真くんは真面目だなあ。そんなこと言っておいて、最近五分前にシフトに入れてるの見たことないけど?」
「ぐっ……」
言葉に詰まる悠真を尻目に、玲奈は伸びをしてから立ち上がった。
「ま、忙しいのは知ってるからさ。あんまり思いつめないようにね。私もう休憩終わりだから戻ってるね」
「……はい。すぐ行きます」
更衣室に入った悠真は、鏡に映った自分を見つめた。脳裏には告白してくれた紬の笑顔が浮かぶ。
……いや、今は仕事だ。
悠真は両頬をバシッと叩き、制服に袖を通した。
◇◇◇
ホールに出ると、客席がいくつか埋まっていた。今日は平日。満席になることはないだろう。
いくつかの卓のバッシングをし終え、回収した皿を下げ場に置いていると、横から明るい声を掛けられた。
「瀬川先輩! おはようございます!」
「小宮山さん、おはよう」
隣にやってきた小宮山莉子は、肩口で揺れる栗色の髪を耳にかけ、人懐っこい笑顔を浮かべながら回収した皿を下げ場に置いた。
「小宮山さん、手際よくなったね」
悠真の言葉に、莉子は分かりやすく胸を張った。
「あったりまえですよ! 入った時から瀬川先輩が付きっきりで私に仕事教えてくれたじゃないですか! もう一人前です!」
「ピークの度に何すればいいか聞いてくる子が、よく言うわね」
莉子の後ろから玲奈が姿を現した。莉子の得意げな顔がみるみるうちに引きつっていく。
「た、橘さん……そ、それは、ミスするよりは聞いた方がいいかなって……」
「はいはい。今日は店長いないんだから頼むわよ。悠真くんは料理の提供、莉子ちゃんはバッシングとオーダー、私がデザートと会計見るから。忙しくなったら臨機応変にね」
「分かりました。小宮山さん、頑張ろうね」
「はいぃ……」
◇◇◇
「小宮山さん次十二卓のバッシングお願い!」
「はい!」
「待ち三組ね。悠真くんも、今料理の提供落ち着いてるでしょ? バッシング手伝っておいで」
十八時半ごろ、予想に反して店内は満席になっていた。入り口には客が並び、呼びベルがひっきりなしに鳴っている。
玲奈の指示で莉子の元へ向かうと、彼女はテーブルに残された食器を前に、どの順番でトレイに載せるべきか迷っていた。
「小宮山さん。トレイに皿載せる時は周りにグラス、真ん中にお皿とゴミをまとめてね。ここ拭き上げしておくから。トレイ下げ場にお願い」
「あ、そっか……。お願いします!」
莉子がトレイを持って行く。トレイに乗ったグラスはカタカタと音を立てている。見ているだけで危なっかしい。
「小宮山さん、落とさないでね」
「だ、大丈夫です!」
自分にもあんな時期があったなと、昔を思い出しながらテーブルに向き直った。
「あの、すいません」
テーブルを拭き上げていると、隣の男性客から声をかけられる。
「はい、いかがなさいましたか?」
「あの、トマトソースパスタを頼んだと思うんですけどこれ、ミートソースパスタが届いちゃってて……」
申し訳なさそうにテーブルに置かれた皿を指さす。確かにそこにはミートソースパスタが置かれていた。
「大変申し訳ございません。確認してまいりますので、少々お時間いただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします。あの、お忙しいようでしたら全然後回しで大丈夫なので」
「お気遣いいただきありがとうございます。早急に対応してまいります。失礼いたします」
客席から戻り、オーダーの一覧を確認する。しかし、該当の席の注文はミートソースパスタになっている。
ちょうどその時、バッシングを終え一息ついた莉子が裏に戻ってきた。
「小宮山さん、七卓のお客様のオーダー覚えてる?」
「えっと……バジルドリアとトマトソースパスタです!」
「……オーダーはミートソースパスタになってるよ」
「ええ!? お、押し間違えたかな……」
驚いた莉子は空のトレイを落としそうになった。悠真はキッチンスタッフに声をかける。
「本田さん、トマトソースパスタ急ぎでお願いしたいです」
「了解。六分かかる」
莉子の顔は青ざめていた。ここで彼女を客席に戻すのは気が引ける。そう判断した悠真は、できるだけ普段通りの声で告げた。
「俺から説明と料理の提供をするから、小宮山さんは引き続きバッシングとオーダーお願い」
「ダメ」
背後から、短く鋭い声が飛んできた。
「橘先輩……?」
「またそうやって自分でなんでも引き受ける」
「いやでも……」
「でもじゃない。あのね、責任を取るってなんでも代わりにやってあげることじゃないわよ」
玲奈の言葉に悠真は何も言えなかった。玲奈は莉子に顔を向けた。
「莉子ちゃん。今回はお客様への説明と謝罪、やっておいで。オーダーの時は必ず復唱。分かった?」
「……はい、すいませんでした」
莉子は頭を下げ客席へと向かった。悠真は追いかけようとして、足を止めた。
「あのね悠真くん。今は新しい料理も出てないし、オーダーは私が取るから。心配ならこっから見守ればいいの」
玲奈はそう言うと、客席全体が見回せるレジ横を指さす。
いつの間にか入口の待ち客は全員案内され、店内には一時的な落ち着きが戻っていた。
悠真がそこに立つと、肩に力が入った莉子が例の客席に向かって立ち、深く頭を下げていた。
「先ほどは申し訳ございませんでした! 私が注文を間違えて入力してしまって……。ただいま作り直しておりますので、あと六分ほどお待ちいただけますでしょうか!」
上擦った声はそれなりに離れている悠真にもよく聞こえた。
相手の声は聞こえないが、にこやかに何かを話し、それに対して莉子もホッとした表情を浮かべている。
「ね? あの子は空回りしがちだけど、真面目な子だから。何でもやってあげなくても大丈夫なの」
悠真は何も言えず、ただ莉子の背中を見つめていた。
玲奈の言っていることは、きっと正しい。それでも、困っている人を見れば手を差し伸べたくなる。
そんな自分の性格を、悠真は誰よりもよく知っていた。
そして、その性格が八十万円の借金を生んだことも。
【借金返済まで、あと365日】




