第7話 帰還名簿の最後の空欄
ラーデン公爵領北東部に今年初めての大雪が降った。空は雲で覆われ太陽の光は届かなくなった。風は吹き荒れ、雪は視界を真っ白にするほど降りしきった。風が地に積もった雪をさらいあげ、やはり視界を遮った。昼間にも関わらず外は薄暗い。ラーバの町で、兵士たちは建物のなかで身を潜めている。竜たちは町のいくつかの納屋に無理やりつめられ、竜騎士たちは自らの竜の傍で凍えながら過ごしている。――レオンハルトはまだ町へ戻っていない。
レオンハルトが部下たちを連れ、北東部へ向かってから三日が過ぎている。
エルナは城で大雪によって地域に取り残された公爵と軍隊の救出作戦の責任者となっていた。エルナが、公爵の夫人だと周囲からすっかり認められている。エルナが動けば、周囲の人が自然に従う、そういう雰囲気になっていた。
補給係の執務室でマルタを初め、宰相、家令、元帥がエルナの掛け声のもとに集まった。
ララガスタの街は天気は晴れている。北東部の天気は伝え聞くほかは知らない。
まず、エルナが誰ともなく聞いた。
「北東部の天候はまだ収まらないの?」
宰相が口を開いた。白髪の、歳をとった男だった。
「はい、いまだ収まる気配はないと報告がありました」
エルナが元帥を見る。
「確認します。この天気だと、竜騎士は飛べない?」
元帥は偉丈夫な男だ。ひげ面の顔で頷いた。
「飛べませんな。竜が落ちちまう」
エルナは息を吐いてから、元帥に言った。
「各地の竜騎士をできるだけこの城へ集めてください。雪が止んだ時に、すぐに飛べるようにするためです」
元帥は少し怪訝そうにしたが、無視をする。エルナは家令を見た。
「わたしが見積もった物資は用意できますか?」
家令の女は頷いた。
「はい、可能です。荷馬車に馬、食料と防寒具は城の倉庫からすぐに出せますから」
言われて、エルナは付け加える。
「ここララガスタからラーバの町まで、三つ、四つ、村がありますね。ここを中継所にしましょう。もろもろ、その整備を家令殿にお任せしたいのです」
「お任せください」
「元帥殿に城に集めてもらう竜騎士は……わかりません。みなさんの意見を聞きたい。……公爵様が行方不明です。その救出には、竜騎士のみなさんが必要です。一方で、ラーバの町には兵たちが多く駐屯している現状です。中には負傷者もいる。彼らの搬送を優先するべきなのか……」
元帥がひげを掻きながら言った。
「しかし、竜騎士もこうも大胆に輸送馬車の御者にしようとは、だれも思わなんだ。そうだな、前者に割くのがいいと思いますがね。竜を使ってでも、今すぐ助けが必要なやつは、そもそも竜に乗せられねえんです。竜にのるのは本当はそれなりの訓練がいる。それをせずに乗せて、しかも二人乗りの後ろに乗せようっていうんだから、結構無理をさせちまうんですよ。だから、そんな奴は、無理だなあ。馬車で運んだ方がいい」
「わかりました。では、雪が止み次第、元帥殿の指示で竜騎士たちを公爵様の捜索に向かわせてください」
「あいわかった」
「具体的な輸送の手配、物資の集積、家令殿が整備してくれた拠点を兵がどう動いているかの管理は、わたしとマルタで担当します。しかし、マルタ、あなたが頼りです」
「わかりました」
★
レオンハルトは自分の息が白く立ち消えていくのをぼうっとした目で見つめている。全身が凍える。もう震えすら起きない。ここへ来る際に厚い外套を着込んでいたから、助かった。それでも今は、もう持ちそうにないのだが。
自らの愛騎が、自分に寄り添って寝ている。レオンハルトはその体を、手袋越しに撫でてやった。
レオンハルトはつい微笑む。すると、漏れ出た息が白く消えていった。
小屋を襲った魔物の襲撃は大規模なものだった。ゴブリンたちは、その実、ただの先遣隊だったのだ。
小屋の背後の森の奥には、魔獣を含めた大きな魔物たちがたくさんいた。そうなっては、あの雪崩も魔物の罠だろうと思わざるを得ない。確かにここは国境部から近い。それでもここまで魔物の群れが進出するとは、かなり計画的だ。
レオンハルトは魔物と戦った。空を飛ぶ魔物がいなかったのは幸いだった。地を這う魔物は空への攻撃手段を持たない。だが、竜がブレスを放つのはかなり竜の体力を使うのだ。レオンハルトはブレスを控えながら地上ぎりぎりまで滑空し、魔物の気をひきつけ、奴らが小屋へ向かうまでの時間をぎりぎりまで稼ぐしかなかった。その時、オオカミのような形をした魔獣が木を足場にして、レオンハルトの竜にかみついた。竜は魔獣を追い払ったが傷を負った。これを好機と他の魔獣たちがとびかかってくるのを、竜は身体を傷つけられながら、なんとか防いだ。
しかしそこが限界だった。レオンハルトは墜落するところだった。地面に落ちる前に、山腹を滑空し、崖下に落ちた。身を隠すためだった。
崖下は浅い洞穴になっていた。崖の上から下までえぐられるような形になっていて、くぼみのそこは雪がつもった岩場だった。レオンハルトは降りるときにまさかここが洞窟になっていると思わなかったから、勢い余って下まで降りてしまった。そのせいで竜を痛めたと思う。
レオンハルトは洞窟の開口部を見上げている。あれから少ししてひどい吹雪が始まった。それは今になっても終わらない。自分と竜、どちらももう三日もものを口にしていない。竜は戦いで傷ついている。これ以上は、持たない。
だが吹雪のおかげで魔物たちもここには来ないだろうと思われた。ここはひどくわかりやすい。
★
エルナはラーバの町から一つ手前の小さな村まで来ていた。あの会議ののち、夜に一番近くの兵営から竜騎士が城に到着した。無理を言って、その背に乗せてもらい、この村まで来たのだ。同時にマルタも、別の竜騎士の背に乗せてもらってここまで来た。
「もう一生経験したくないです……」
村に降りた時、マルタは顔を真っ青にしながらそう言っていた。
やはり、ラーバの町の付近はひどい吹雪のようだった。だが、ここの村人に言わせると、昨日より穏やかになっているらしい。この分ならあと一日もすれば晴れるだろう、という。
家令が手配する馬車も人夫も、エルナの手配した補給物資も、まだこの村には到着していない。だが、随時ララガスタから到着するはずだ。時間からすると、今はララガスタから一つ目の村に到着して、二つ目の村へ向かう最中だろう。みんな日夜を問わずに作業に従事することになっている。
エルナは村の村長の家の一階にいる。さびれた小さな家だ。
「今のうちにできることをしましょう! この村の一番大きな場所を探して、そこを作業拠点にします!」
マルタは具合の悪そうな顔で眼をぱちくりさせながら叫ぶ。
「わ、わかりました。でも、もう真夜中です! 明日の朝にしましょう――!」
★
次の日の朝早くからエルナとマルタは作業を始めた。村にある納屋からものを一切外へ放り出して中を空にした。村人たちがこれに抗議すると、公爵夫人の立場でこれを制した。物資の集積地、負傷兵の介護場所に使うためだ。村の建物はどれも小さく最低限で使えそうになかった。
次に村中を検分してまわって、使えそうなものはないかを考えた。だが貧しい村で、使えそうなものはなかった。
昼を過ぎたら、村人に案内させ、ラーバの街へ続く道を見に行った。村からしばらく歩いた。ここへ来た時に一緒だった竜騎士の二人は、既に作業のために他所へ行っている。道の先は吹雪で雪が積もっている。人の足で進むのは難しいだろう。
昼になると早馬が来た。ここから一つ先の村に、すでに人と物資が届いたという。夜を徹して、ここまでこれから来るという。
次の日の朝、ラーバの方角の天気はすっかりと晴れていた。先日まで薄暗かった向こうの空の色は、今は薄青色になっていた。
レオンハルトが出発してから、五日目のことだった。
昼に差し掛かろうとするころ、空を竜騎士の一隊が飛んで行ったのが見えた。一隊は五人編成だった。
エルナはそわそわしながら、前の村からこちらまで一行が来るのを待った。
昼を過ぎたころ、荷馬車の列が到着した。村の入り口で出迎える二人を無視して一行は村へ入る。馬から一人の男が降りて、二人に挨拶した。
「わたしはラビエールと申します。この一行を指揮しておりました。エルナ様の指図通り、後ろ二つの村ではすでに受け入れ作業が始まっています。この村でも、これから始めましょう」
「ありがとう」
言って、エルナは三人で村の中へ入り、空いた納屋と馬小屋を見せた。建物の外の壁に、中にあったものがすべて積まれてある。
「あの中に物資を入れて! それができたら、早く車列をラーバの街まで進めましょう」
「わかりました」
ラビエールは一行の全体的な指示をだした。村へはこれから運ばれる負傷兵のための物資が下ろされた。
エルナとマルタはそれを手伝う。荷馬車の空いたところに二人で乗り込む。車列はラーバの街へ向かった。
そして、また空を竜騎士の一隊が飛んでいくのが見えた。公爵を探しに行くのだ。
「どうか、無事でいて……」
その思いは口に出ていた。
★
ラーバの町から続々と兵士たちがララガスタの方へ運ばれていく。町へ入った車列は、荷物を下ろすと、そのまま兵士を乗せるために使われた。
エルナは名簿で一人一人チェックした。町を出る兵士を、名簿で印をつけていく。その作業をマルタと手分けした。
もう夕刻になっていた。太陽の黄色い光がどんどんと強くなっている。直に太陽は沈む。そうすればまた夜がくる。
名簿の公爵の欄だけがいまだに埋まらない。もう、時間がない――!
エルナは顔を青くしながら町を走り回った。まだ公爵様はもどらないのか、と手当たり次第に聞いた。みんな、気まずそうに顔を反らすだけだった。
そして夜になる。
エルナは泣いた。膝が崩れ落ちた。マルタがそばへ走り寄ってきて、エルナの肩を抱く。エルナの赤いマフラーに落ちた雪を払ってくれた。
あ、とマルタが言った。エルナは顔を伏せ続ける。
「エルナ様、ほら」
マルタがそう言ったから、エルナは顔を上げる。道の向こうの明かりの先から、何匹かの竜がゆったりと歩いてくる。先頭の竜は特に疲労の様子が見て取れた。そして、その上に乗る特徴的な分厚いマントと、その首元の毛皮。公爵レオンハルトだ。
エルナは悲鳴のような声を上げて、立ち上がった。レオンハルトに駆け寄った。マルタが後ろから追いかけてくる。
エルナが駆け寄ると、レオンハルトはゆっくりと竜から降りる。竜はもう限界なのか、その場に座り込んだ。
エルナはレオンハルトの外套をつかんだ。彼の顔は痩せこけて、ひどくやつれていた。
「今、戻った――」
「遅い! 馬鹿!」
言って、エルナは彼の胸で泣いた。
レオンハルトは片方の腕を弱弱しく持ち上げると、エルナをそっと抱き寄せた。
「すまない、力が……入らないんだ」
そういうレオンハルトのことを、エルナは両腕で思いきり抱き締めた。




