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第8話 春からも、あなたの妻でいたい

 終わってみれば、全てが無事だった。公爵レオンハルトはその後、ラーバの町で休息をした後、ララガスタへ自らの竜に乗って向かった。その後ろにはエルナが乗っていた。


 遭難した軍の一隊は、無事にララガスタへ到着する。マルタ以下、公爵の家来たちの活躍のおかげだろう。


 北東部に出没した魔物たちは吹雪にあい、ほとんどが死んだと思われる。後日竜騎士の討伐隊が出陣し、いくらかの魔物が打ち取られた。件の雪崩が魔物による策謀なのかはわからなかった。


 公爵は北東部の防衛体制の強化と、今回補給拠点とされた各村、ラーバの町、霜山村を、今後も恒久的に補給拠点として活用すると宣言した。


 エルナの進言により、この補給線をモデルとして、今後は各方角に同じ形で集落を補給拠点として整備し、それを首都ララガスタから補給線としてつなげていくことになった。


 レオンハルトはすっかり体力が回復したころ、エルナから事実をつまびらかに語るように迫られた。彼女の顔には気迫があって、レオンハルトは気圧されるがままに打ち明けた。事実を聞いたエルナはレオンハルトの危険な行動に怒り狂ったが、最後は二人で仲直りをしたという。


 エルナの元婚約者であるルート・フォン・ケッセルハイムは、王命で下された遠征の途中で大失敗を犯した。無茶な前進の繰り返しを前提とした遠征計画は、それが実行に移されたとき、一度でも失敗するとすべてが崩れてしまう。ルートは何度もエルナへ手紙を出して、戻ってくるようにと執着したが、エルナは見向きもしなかった。


 彼の率いる「聖王の騎士団」は壊滅した。彼の軍が再び王国の国境を跨いだ時、出発時の騎士団の栄光はどこにもなかった。騎士たちのちぎれたマント、汚れ切った軍衣、撤退戦の激しさからか、鎧を脱ぎ捨ててしまったものまでいた。


 ララガスタの冬はとても寒かった。エルナは街へ出て人々の話をよく聞いた。城ではたくさんの軍の補給計画を練った。エルナはいつしか、かつての婚約者のことを忘れていた。


★


 エルナの働きは周りの人間にみとめられている。今や城中で、彼女のことをみとめない人間はいない。そして、その筆頭は公爵レオンハルトであった。彼はエルナを自らのもっとも信頼するものと認めて隠さなかった。彼はエルナを信頼していると口癖のように言ったが、周囲の家来はそれを愛情の表現だと受け取った。ある時家来たちは互いに顔を見合わせ、さすがの閣下も奥方様のことになるとひねくれるのだと笑った。


 エルナが仕事に慣れるにつれ、彼女の休日が増えた。レオンハルトがそう手をまわしたせいもある。エルナとレオンハルトは二人きりで過ごす日々が増えた。


 やがて雪はさらに降りしきり、夜は早まり、冷気が朝も晩も城のあらゆるところに満ち満ちた。そして春が来た。太陽の光が雪の地表を照らしている……。


 その日、広間にすべての臣下が集められた。公爵レオンハルトの椅子が中央奥の壇上にある。広間の左右に臣下たちが立っている。レオンハルトは椅子に座らず、小さな壇の下からその椅子を眺めていた。


 やがて広間の扉が開けられた。その音にレオンハルトは振り返る。広間の外の明かりが差し込み、人影が一つ見えた。


 エルナは着飾っていた。レオンハルトが今まで見たことがないほど美しいドレスだった。広間を入るまで彼女を支えていたマルタが、さっと通路を離れて群臣の中へ入った。


 エルナはそれを見送ってから、レオンハルトに視線を向けた。ゆっくりと彼に近づく。


 レオンハルトは彼女を見ると、少し眼を閉じてから、言った。


「今日は契約終了の日だ。――約束は守ろう。さあ、これからどうしたい?」


 レオンハルトは言いながら笑っていた。エルナもそれにつられてしとやかに笑う。


「では、わたしは……」


 レオンハルトはエルナを見ながら、ほんの少し口角を上げた。エルナの言葉をすでに知っているかのようだった。実際、二人は互いにこれからどうなるかを知っている。


「まだあなたと一緒に居たいです」


 レオンハルトは頷いて、言った。


「これからは……これからも、おれの妻としてここにいてくれ」


「はい」


 レオンハルトが手を差し出すと、エルナはその手を握った。


「エルナ様! 万歳!」


 マルタが列を飛び出し叫んだ。体格のいい彼女は、大粒の涙をこぼしている。堰を切ったように臣下たちがこちらへ左右から出てきて拍手をした。


「閣下! おめでとうございます!」


 みんなが口々にそういった。マルタは、エルナ様、と他の人に負けない声で叫んでくれている。エルナは顔が真っ赤になりそうだったが、満面の笑みで笑って白い歯を見せた。


★


 ――お前を優秀な人間だと思うよ……。お前の仕事が、素晴らしいと思うよ……。だからいてほしいと、思うよ。でもそれだけじゃないんだ。お前が休日に見せる気持ちのいい笑顔、馬鹿みたいなことではしゃぐ姿が、なくなるのが悲しいんだ。一緒にお前と食事をとるときに、お前の一日の話が聞けなくなるのがさみしいんだ。城へ戻ったとき、お前がいなかったら、おれは誰と話せばいい!

 だから、まだここにいておくれ――。


★


 ララガスタに春が来ても雪はしばらく残り続ける。山の頂付近はそもそも万年雪だし、森も草木が生え始めるまでいくらかかかる。


 それでも、街の周囲の小高い丘は、この日すでに緑の芝生が顔をのぞかせていた。まだあちこちに雪の固まりが地表にあるけれど。


 二人は手をつなぎながら丘を歩いた。丘の頂上まで来ると、二人は背後を振り向いた。今まで歩いてきたなだらかな山原が続いていた。道からそれてここまで来るのは大した距離ではない。だがエルナは疲れてしまった。


「疲れたろう?」


 察したように、レオンハルトが言う。うん、とエルナが言うと彼は笑った。


「ああ、そうだと思ったんだ」


「きれいだね」


 エルナが言って、レオンハルトが頷く。


「そうだ……きれいだ。この景色を見せたかった」


 太陽の明るい光が、雪の解け始めたララガスタの街を照らしていた。街の屋根に積もった雪も解け始めていて、屋根本来の色を所々に見せている。あたりは、白一色の雪景色から、明るいまだら模様の景色へと変わろうとしているのだ。


 日の光が雪に反射して眩しい。全てが明るい気がする……。


 同じとき、城内の補給係の執務室で、マルタが予定表を書き込んでいた。次の休日の欄に、エルナとレオンハルトの予定が書きこまれている。

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