第5話 あなたのもとには、もう戻りません
――至急会いたい。ララガスタの宿で会おう。
手紙の続きには日付が記され、街の宿が指定されていた。この手紙が届いたのが今日の朝で、手紙に書かれた日付は今日だった。
差出人はルート・フォン・ケッセルハイム。エルナの元婚約者だ。
(彼が――この街に来ているの?)
エルナは急いで窓辺に寄った。外はすっかり寒々しい。山も森も真っ白だ。森の木々のすっかり葉の落ちた枝木だけが、その景色の中で色を保っていた。今も空は白い雲で完全に覆われている。粉雪が降り続いていた。街の煙突のいくつかからは煙が立ち昇っている。この景色のどこかに、ルートがいる。本当に、とエルナは思う。心のどこかで思うところがあるが、それがどんな感情か自分にはわからない。
エルナは彼に会うことにした。考えはない。ただ自分の身体が勝手に動いた、そんな気がする。
時間は昼に設定されていた。外套を着込み、買ってもらったマフラーと手袋をつけて、宿へ向かった。
その宿の二階は上等な部屋だった。余裕のある者が泊まる部屋だ。宿の小僧に案内されて、エルナは二階の一室の前で立ち止まる。小僧は、この部屋です、と言ってその場を後にした。
エルナがノックすると、中から応答があった。扉を開けると、ルートが暖炉前で茶器を片手に立っていた。
(本当に、いた)
エルナは内心驚いた。手紙が嘘だと考えたことはない。だが、ララガスタの冷たい景色と、王都で見ていたルートがどうしても似合わなかった。彼を目の前にした今でも、違和感を感じてしまう。
部屋は広々としていた。扉から左手奥に天蓋つきのベッド、右手に石組みの大きな暖炉が据えられていた。暖炉の上には飾り用の平棚があって、そこには小さな花が何種類かそれぞれ植木鉢としておかれていた。部屋の中央には毛皮の絨毯が敷かれている。
「久しぶりだな」
そういわれても、エルナは部屋の入り口に立ち尽くしたままだ。
「……座れよ」
ルートは部屋の暖炉側に据えられたテーブルを示した。いつもと、同じ表情で、自然にそう言った。ルートは椅子に腰を下ろす。エルナを見ている。
エルナはゆっくりとテーブルに向かい、椅子に座らずにルートを見下ろした。
「何の用?」
「なんだ、怒ってるのか?」
ルートはあっけらかんとそう言い放った。エルナは自分の内側から怒気がこみあがってくるのを感じたが、平静を装った。
「何の、用?」
ルートは肩をすくめてから、胸を大きく開いて椅子の背に両肘を載せて、脚を組んだ。
「おれの騎士団が遠征で足止めを食ってる。輸送の馬車が足りないらしい。だが用意しようにも急ぎのことで数が足りない。でも今すぐ必要なんだ。正直、参ってる」
「……それで?」
「戻ってこい」
エルナは叫んだ。
「ふざけるな!」
ルートは表情を少し崩して、困惑したような顔をしながら頬を掻いた。
「はっきり言わないとわからないか?」
なに、とエルナはルートに言葉をかぶせた。
「おれにはお前が必要だ」
「……」
ルートは言ってやったり、という表情をしている。この浅い言葉が決めてになると思っているのか。それとも、このやり取りは彼なりの駆け引きなのだろうか。
「意味が分からない。わたしはあなたに警告したわ。補給係として、しっかりと引継ぎをした。馬車の不足はわかりきってた。そもそもあなたの遠征計画は食料が絶対的に足りてなかった。休憩地点の設定も不足していたし――」
ルートはエルナの言葉を遮って、エルナを指さしながら言った。
「お前が計画した」
「わたしは」
エルナは叫んだ。
「わたしは……何度もあなたにお願いしたわ。わたしの思うとおりに計画を作ってって、でもあなたが何もかもに口出しして、ケチになって、全部をめちゃくちゃにしてた。それでわたしがいつもいつも、何度も何度もお願いをして、計画を直してた。それを、わたしが、作ったって?」
「そうだ。計画の作成はお前の仕事だっただろ?」
「わたしの裁量で計画が作られたことがあった? いつもあなたの顔色ばかり窺って計画を作っていたわ。そうじゃないと、あなたが何も認めてくれないから……」
「そうだ。でも、お前の責任だろう? いくらおれがこうしろと言っても、最後に決めたのはお前なんだ。違うか?」
エルナは怒りで身体が竦みあがるようだった。
「違う!」
「違わないんだ。おれは確かにお前にいろいろ口を出したのかもしれないよ。でも、お前はそれを押し切って、お前なりの計画を立てればよかったんだ」
「そんなことを、あなたが許したことがあるの!?」
「だから――」
もういい、とエルナは叫ぶ。
「あなたと話すことなんて何もないわ」
エルナが踵を返そうとしたら、ルートは叫んだ。
「おい!」
エルナはびくついた。振り向くと、ルートが大きな態度でエルナを見ていた。
「おれの騎士団が今も凍えながら、お前を待ってるんだぞ。お前、あいつらを見捨てるのかよ」
エルナは息が荒い。ルートをにらみつけながら叫ぶ。
「ふざけるな!」
エルナが走って扉まで行き、それを開けようとしたら、背後から叫ばれた。
「あの公爵もお前を便利使いしてるだけだ! わかってるだろ? 都合がいいんだよ、お前は!」
エルナは扉を閉めて廊下に出て、走った。
★
大通りをいくらか走ったところで、エルナは息切れした。涙がぽたぽたと流れている。涙のしずくが地面の雪の上に落ちていく。もう、涙では下の石組みが見えないくらい雪が積もっていた。そういう、季節なのだ。
レオンハルトは、わたしを便利な奴だと考えているのだろうか。――それは、そうだろう。だからわたしをここへ呼んだのだ。契約結婚という面倒までして、わたしをここで働かせているのは、わたしが使えるからだ。
エルナは俯きながら大通りを歩く。レオンハルトのことを考えている。
ララガスタへ来て初めての日の夜、彼は自分に上着をかけてくれた。自分はそれが嬉しかった。もう幾度も共にした食事の時間、彼は自分の趣味を聞き出そうとしてくれている気がする。そう思う度、自分は照れてしまう。
エルナは首元の温もりが、レオンハルトの贈り物のせいだとわかっている。彼にとってこの程度の贈り物は、大したことがないのだろう。それでも、自分を気遣ってくれた。
エルナも、レオンハルトのことを気遣いたい、と思う――。
夕刻、レオンハルトが城内の居館に戻ってきた、とエルナは思う。レオンハルトの居室はエルナと同じ一階にあるが、その反対側だった。
エルナは時刻で彼の帰宅を見計らった。彼の部屋まで行くと、案の定、部屋の中からノックに応答する声が聞こえた。
エルナが入ると、ちょうど彼はマントを脱いで椅子に掛けていた。
「どうした?」
エルナが何も言わずにずっと立っていると、レオンハルトは不思議そうに片眉を上げた。
エルナは足音を鳴らしながら彼の前に立つ。自分が緊張しているのがわかる。自分が何を言おうとしているのかはわからない。まだ頭の中で整理がついていない。
エルナは一呼吸ついてから、思いのまま口を開けることにした。両手は握りこぶしを作っている。
「わたしは、契約が終わってもここで暮らしたいんです」
レオンハルトはエルナに向き合った。眼を、ゆっくりと瞬かせる。
「そうか……おれは……」
「わたしはあなたのことをもっと知りたい! あなたの好きなもの、嫌いなものをもっとしりたい。あなたが将来に成したいこと、あなたが過去に失敗したこと、もっと知りたいわ! でも、それをするには、この雪が解けるまでじゃ時間が足りなさすぎるの!」
レオンハルトが真剣な眼でエルナを見る。彼が口を開きかけたその時、部屋の扉が勢いよく叩かれた。エルナは振り返る。
「誰だ!」
レオンハルトが叫ぶと、兵士が顔を出した。
「公爵様! 大変です! 軍の一隊が、北の街道沿いに取り残されています! 雪崩で道がふさがりました」
「なんだと!」




