第3話 わたしのために用意された席
ラーデン公爵家は常に魔物と争ってきた。そうやってこの家は勢力を広げてきたのだ。王国の国境を外へ、外へと広げてきた。それは今でも変わらない。レオンハルトによると、軍は現在、戦地へ赴いているらしい。その一部の帰還はすでに直近で予定されていた。それがエルナのこの地での初仕事だった。
「ああ忙しい、忙しい!」
大柄な女が太い手に沢山の資料を集めながら叫んでいる。
同じ部屋で、エルナは机に向かっていた。机の両脇には紙の山ができていた。
「エルナ様、これが前線から撤退してくる部隊の詳細と、ええと……」
女が言い淀むと、エルナは「そこへ置いておいて」と言った。
「はい、すみません! こうも忙しいのは初めてで」
女はラーデン家の補給主任であるマルタ。歳は三十手前だろうか。恰幅の良い体つきと、柔らかすぎる黒髪が特徴の女だ。
エルナがここへ着いてから三日目だ。国境地帯に出払っている軍の一部がララガスタに戻るのに、二週間もない。急なことになってしまうが、今から計画をきちんと見直さないといけない。
エルナの仕事ぶりが激しいから、補給主任はてんてこまいだ。エルナはまだ何の儀式も上げていないが、すでにレオンハルトの妻ということは知れ渡っている。エルナは公爵夫人として、マルタに指示を出す。前線にある軍と、後方に残っている軍の編成、城にある物資、城下で調達可能な物資、小麦の収穫高と、家の収支――すべてを確認しないと、撤退計画をきちんと作ることができない。マルタはそれに驚いていた。
しかし結局のところ、エルナはマルタの計画を修正するに留まるだろう。マルタの計画はずさんかもしれないが、実際としてあるのだ。今からこれを白紙にして計画を練り直すのは、心許なかった。
それに今回はただの部隊を戻すだけではない。その部隊は敵と交戦し、多くの死傷者をだしているという……。
マルタの計画はこうだ。ラーデン公爵領の端にガルムという町がある。この町は軍の司令部も置かれている。とはいえ小さな町だ。この町に司令部があるのは、前線から一番近い、一応は町といえる場所がここしかないからだ。負傷者を多く含んだ一隊はまずこの町に到着する。そしてここで十分に編成――十分に、とはそのまま意味だ。具体的に何がどうなるかは計画にはなかった――されたあと、街道を進む。ガルムからララガスタまでは丸三日かかるという。
エルナはその街道とやらを見たことがない。だが地図を見る限り、ラーデン北西部は多くの山間部といくらかの平野部からなるが、どこも田舎だ。街道というのも大したものではないだろう。実際、ララガスタから北西に伸びる街道をみたことがあるが、土をならしただけの細い道だった。
エルナは思い切り立ち上がり、後ろの横長の机に向かいなおした。ここは城の一角にある棟の一室だ。エルナはマルタに向かい側に座るように促す。
エルナは地図を広げて、マルタと二人で見る。
「まず、この街道はどんなものなの? わたしが思うに、ただ土をならしただけの細い、場所によっては険しい道だと思うの」
はい、とマルタは言う。
「その認識であっていますよ」
「地図のこの町、この村、あとここも――」
エルナはいくつも地図上の集落を指さした。
「どこも小さいわね?」
「はい。どこもさびれております」
「……まず、最初の案だと、このガルムの町を出てから三日間、馬車は進み続けることになっているわ」
「はい、その通りです。そのための『十分』な食料は積み込む計画ですから」
「……でも、報告書を読むと、この一隊の中にはたくさんの負傷兵がいると思うの。彼らを三日間の強行軍で返すのは酷だわ。負担が大きすぎる」
エルナは地図上の一点を指す。
「この、デルというのは町のことよね?」
はい、とマルタが言った。
「ここを起点に考えましょう。ここはちょうど、ガルムとララガスタとの間にあります。ガルムからこの町までの間に村がいくつかあります。まず、二日かけて村へ村へと進むように指示しましょう。夜はこの村の宿場を借ります。三日目に、このデルという町で休ませます。同じようにして、この町からララガスタの間に二日置き、途中に二つの村で休息させます」
はあ、と感嘆のような声をマルタは上げる。特に、とエルナは叫んだ。
「負傷兵に、決して夜に野宿をさせてはいけません! ――まずは集落へ人をやって、宿を借りる手配です」
「しかしそうなれば、食料が必要です。村には食料の余裕分はないと思います。もうすぐ冬なので……。ガルムの町から割く余裕も……」
エルナは立ち上がり、背後の先ほどの机から紙を一枚とってくる。今回マルタが立てた計画のうち、城に集めた物資が書いてある。それを机に置いた。
「予定を変更します。これを各地の拠点となる集落へ先んじて搬送します!」
マルタはひどく驚いた顔をした。
★
「ああ、うまい!」
一人の兵卒が酒杯を大きく口の中に傾けながら、叫んだ。
エルナはその光景を見ながら表情を崩したが、同時に少し、酒ではなく水を飲むべきだと思った。ともかく、この兵士は喜んでいる。
ララガスタの街の一角、兵舎が最後の拠点だ。建物は二階建てで、一階は土間で大きく開けていた。そこにテーブルが置かれ、食事が置かれている。二階には負傷者たちが運ばれていて、それぞれのベッドに寝かせられている。一階ではまだ元気なもの、立てるものが宴を開いていた。兵卒に混じって、騎士たちの姿もある。彼らも撤退に同行したものたちだ。今は身分の分け隔てなくみんなが楽しんでいる。
「やっと無事に帰れた! つらいこともあったが……無事に――」
「泣くことはない。歌わなきゃ」
エルナの周りで兵士たちがそう言い合うのを聞いて、エルナは感激を隠せない。
エルナは給仕を手伝うことにした。ドレスの袖をまくり、酒の入った壺を持ち上げようとしたとき、レオンハルトが背後から声をかけた。
「お前はこっちだ。功労者め」
笑い含みの声に、エルナははっとする。でも、と言いかけたエルナの手を、レオンハルトがひいた。
一階の端、素朴な円卓が置かれていた。女中が一人横に立っている。だから、ここが公爵の席だとわかる。机には椅子が二つ、並べられていた。食事も二人分が置かれていた。
「あの――」
「何をきょとんとしている。おれとお前の分に決まっているだろう」
エルナは戸惑っている。レオンハルトがその様子を見て苦笑いするから、エルナは仕方なく席についた。
(だれかがわたしのために……用意してくれたんだわ)
自分は用意する側だと思っていたから、それが、無性にうれしいやら恥ずかしいやら。
だけど無性に……。
「今はただ喜べ。喜んでほしい」
エルナはレオンハルトを見た。そして思い切り笑む。
今は無性に、うれしい。
「この一週間と少しの間、お前の仕事ぶりを間近で見てきた……。まず、ありがとう。そして、すべてお前のおかげだ」
言って、レオンハルトは酒杯をエルナに掲げる。エルナはそれに応じた。乾杯、と二人は言い合った。
「わたしだけのおかげではありません。マルタをはじめ、たくさんの人がこの撤退に協力してくれました」
「――そうだな」
レオンハルトは頷く。
「竜騎士たちは空から一隊に随行しました。城からは何人も、馬車を連れ村々へ行き、物資の搬送をしてくれました。兵士たちも事前の計画が変更されて戸惑ったでしょう。わたしはみんなを慌てさせてしまいました」
「だが、上手くいった」
「はい! だから、今はとてもうれしいです」
机にはそれぞれに銀の皿が並べられている。スープと、肉が出されている。
「うまいか?」
「はい」
「特にこのスープがいい」
「ええ、同感です」
スープは薄味だった。兵士たちが今食べているものと中身は変わらないのだ。
「……あの村の不味いスープに比べたら、絶品だ」
最初の旅、二人で食事を共にした宿を思い出し、エルナは笑ってしまった。酒のせいもあるだろう。
「ええ、全く!」




