聖なる拳
◆◆◆
遠くの丘に魔物の群れが見えた。
今まで魔物の群れとはまるで違う、見るものを圧倒する重圧を持った大群。
ただでさえ凄まじい生命力を持つ魔物の一体一体が鎧を身に纏い、相対している人間の軍隊をみるみる内に飲み込んでいく。
『見つけた』
そして、その魔物の群れの中に、一際巨大で底冷えするようなおぞましいオーラを放つ人型に近い姿を持つ魔物を発見。あれが、魔王だ。
「私が見せられた映像のものとは大分違うようだが……」
『多分、あれが本気になった姿なんだと思います』
腕や足による凪払いや、口からの光線。一見すると雑に見える動きの一つ一つに、格下だろうと一切の油断すら見せない強者たる気迫を感じる。明らかに他のどんな強力な魔物と比べても一線を画す強さは、それだけで魔王だと断定出来る理由になった。
『………行きましょう。これが最後です』
「わかった。最後まで、見届けさせてくれ」
覚悟は、出来た。
タイタニスが走る。
一歩、また一歩と踏み出す度に地表がめくれあがり、大地が吠えているかのような地響きが鳴る。
戦いの最中、突如として現れた巨大なゴーレムに魔王軍も人間の軍も驚愕の視線を集中させた。
『はあぁぁぁっ!………だァッ!』
大きく飛び上がり、魔王軍めがけて拳を振り下ろす。
それだけで大地に巨大なクレーターが出来、数えきれない程の魔物が粉々に弾け飛んだ。
「武聖ぃぃ………もしやとは思っていたが、やはり生きていたか!」
一際巨大な魔物が戦いの手を止め、ゆっくりと此方を向く。奴の言葉には明確な敵意と怒りが滲み出ていた。
『魔王………僕はお前を殺しに来た』
「クククク、貴様ら人間は揃いも揃って『殺す』『殺す』とそればかりだ。自分達の利益になるならば、あらゆる資源を食い潰し、同族で殺しあう。実に短絡的で、自己中心的だとは思わないか? 愚かな人間という種は絶滅し、我々魔物こそがこの世を支配するべきなのだ。違うか?」
『思わない。今まで僕は何千、何万ものお前達に殺された人々の死体を見てきた。そしてそのどれもが酷く損傷したものだった。中には明らかに弄ばれたような痕や、陵辱されたような痕があるものすらあった。………人間が同じことをしないとは、僕は断言出来ない。だけど、今は人々の良心を信じて、未来の為にお前を倒さなきゃならないんだ』
「お仲間に裏切られ、その上殺されかけたお前がそれを言うのか? カカッ、とんだお人好しだなぁお前は! 力に溺れ、自身を無敵の存在だと思い込んだ愚かな勇者は、お前を『一行の恥さらしの雑魚』だと愚弄していたぞ? お前を裏切った女も、あんな恥さらし捨てて当然だと声高に叫んでいた。英雄に選ばれた者ですらこの有り様だと言うのに、それでも自分達が正しいとでも?」
きっと奴が言っている事は本当なのだろう。あれだけ酷い別れかたをした後だから、それぐらいの事なんて言われて当然だ。
だが、
『僕は、裏切られてない』
「………………は?」
『確かに、彼等は僕を疎ましく思い、最後は殺そうとした。だけど原因を作ったのは全て僕だ。期待とは裏腹に弱いままで、命がけの戦いの中で足を引っ張り続け、身近な人々を殺された復讐に囚われて彼等への負担を見てみぬ振りを続けていた。一番愚か者だったのは僕自身なんだ。僕は当然の報いを受け、そして経緯はどうあれ彼等は最後の最後まで人々の為に戦い続けた。彼等こそ、本物の英雄なんだ!』
「くくっ、何かと思えばとっくに壊れていたと言うことか。良かろう! 心優しき王である私が、壊れた貴様に『死』という慈悲をくれてやる。覚悟するがいい!」
魔王がそう叫んだ瞬間、タイタニスめがけて大量の魔物が襲い掛かってくる。最早人間の軍隊など彼等の眼中には無い。彼等にとって真っ先に排除すべき脅威が現れたのだから。
「っ、来るぞハルト!」
『わかってます!』
体内の魔力をタイタニスを通して魔法に変換し、タイタニスの周囲を囲むように炎の環を作り出す。そしてまだ生き残っている人々に当たらないよう威力を調整し、一気に解き放った。
炎の環は魔物達を装備していた鎧ごと焼き尽くし、一瞬で丘を焦土に変える。その時、魔王が僅かに笑ったのが見えた。
「弱くなったな、タイタニス」
『………!?』
「今のは手を抜いたようだが、それでもこの程度とは。破壊の頂点などと大層な肩書きだが、その本質は絆とやらが力だったか? やはり勇者達が揃っていた方が強くはなるといった感じか。ククク、先にしっかりと止めを刺しておいて正解だった」
急接近し、両腕の鋭い爪を振り下ろしてくる魔王。咄嗟にタイタニスの両腕を上げてその腕をつかみ、組み合う形になる。そのまま腕を掴む力を強めるとミシミシと骨が軋むような音が聴こえてきて、更に力を込めると魔王の右腕からは骨が折れたような鈍い音が響いた。
「ぅぐ………とは言え、我を殺し得る力である事もまた事実。ふくくっ、面白くなってきたではないか」
『こっちは、全然っ、面白くないけど……っ!』
「それ、ハァッ!」
『ぐ、かはっ!?』
ふっと魔王の腕から急に力が抜け、バランスを崩したタイタニスの胴体めがけて回し蹴りが叩き込まれる。初めてまともに食らった一撃に痛みが全身を駆け巡った。
予想外の強烈な一撃にタイタニスの巨体は吹っ飛ばされ、周りの魔物や兵士を巻き込みながら転がっていく。
「は、ハルト!」
『大、丈夫、ですっっ』
「そんな筈……こんなダメージを受ける事なんて、初めて――」
『まだ、来ます! 兵士の皆さんは、一度撤退を!』
追い討ちとばかりに魔王の口から光線が放たれる。確実に先ほどの蹴りよりも強力な攻撃。回し蹴りを一撃受けただけでこの有り様だと言うのに、光線なんてまともに受ければどうなるか。
『両腕、熱線、充填………発射!』
倒れた体勢のまま両腕に魔力を集中させて、熱線の元となる炎を腕の周りに生成する。渦巻く炎は見えない力に圧縮され、そして解放と同時に凄まじい勢いで飛び出し、光線を迎え撃った。二本の熱線と一本の光線は拮抗し、凄まじい爆発を起こして周囲の全てを吹き飛ばす。
『はぁっ、はぁっ、次ィ!』
「カカッ! 半端者の癖にやるではないか!」
即座に立ち上がり、体勢を立て直すと同時に魔王の蹴りがタイタニスの頭部めがけてとんでくる。咄嗟に体勢を低くしてそれを回避し、右腕で魔王の首を掴んで左腕を魔王の腹部に向けた。
『左腕熱線充填………発射!』
「ぬ、うぼぁ、がぁっ!」
咄嗟の判断だったために魔力が足りず、先程よりも威力はいくらか落ちたが、それでも熱線は魔王の腹部を貫いてぽっかりと黒く焦げた穴を作った。痛みに呻く隙を突き、次こそ止めとばかりに心臓が存在する胸部めがけて再び熱線を放とうとする、が。
「小癪な……!」
『うぐ、ぐぅ、何て力、だ』
「ぬがぁぁっ!」
左腕を掴まれ、捻り上げられる。今まで無敵を誇ってきたタイタニスの身体がミシミシと悲鳴を上げ、その痛みが動かしている自分にそのまま伝わってくる。
『っ、らぁっ! だぁッ!』
「ぶ、ぐっ!」
振りほどくために右腕の熱線の充填を緊急停止させ、魔王の頭を何度も殴る。右腕を掴ませる隙すら与えずに殴り続ける内に段々と左腕を掴んでいた手は弛んでいき、彼はそのままタイタニスの腕を破壊する事無く、此方を振りほどくと僅かに距離をとった。
「ハァ、貴様は……こいつで屠ってやる」
『何で、お前がそれを!』
魔王の掌から一振の剣が突き出てきた。
その剣は魔王の身体に合わせてその大きさを変え、建物よりも巨大な金属の塊となる。
「あ、あれ………勇者殿の……」
『何で、聖剣が……』
勇者アレクが使っていた聖剣は赤黒く染まり、見るも無惨な姿となっていた。柄まわりの美しい装飾は見る影も無く、奇妙なツタや触手のようなものが絡み付いて粘性のある液体を垂れ流している。
「聖なる武具とて切っ掛けを与えてやれば簡単に裏返る。常にお前達人間に正義があるなどという傲慢を、こいつで教えてやろう」
聖剣だったものを振りかぶり、隆起する筋肉。
タイタニスがあれほどの大きさの聖剣による攻撃を受けて耐えていられるかわからない。タイタニスと聖剣が同格の武器であるならば、相応のダメージを受ける事は必至。
武器を持った魔王に、無手のタイタニス。
絶体絶命のこの状況に、ふと懐かしさを感じた。
『………昔と同じだ』
「は、ハルト……?」
張り詰めた空気の中、迫り来る剣を前に昔の自分を思い出す。
一人だけ、あらゆる魔物を相手に常に素手で戦い続けた日々。例え相手が鋭い角や爪を持っていようと、剣や槍などの武器を持っていようと、恐れず懐に飛び込み、死と隣り合わせの戦いを繰り返していたあの日々を。
タイタニスは再び駆け出した。
振り下ろされた剣を紙一重で回避し、肩を掴みながら鳩尾に一撃と顔面に一撃加える。そして少しばかり跳ね上がった身体を背負い、投げ飛ばす。
「くっ、ふっ!」
だがそう簡単に魔王がやられる筈もなく、空中で体勢を立て直した彼は着地すると同時に剣を横凪に振るって攻撃をしてくる。だが此方もある程度その流れは予測していたので、余裕を持って回避。
『炎環、解放』
無手対武器。だがあの時と全てが同じ訳ではない。今はタイタニスのおかげで魔法が使える。威力は雑魚を蹴散らす程度のものだが、強い相手に効かない程弱い訳ではない。
「ぬうっ!」
巻き上がる爆炎を受け、片腕で頭を庇う魔王。やはり魔王とて弱点は人と変わらないと言うことだろうか。だが狙うのは頭では無い。
「き、さまっ!」
『右腕、熱線充填………発射!』
殆んど倒れ込むような形で魔王に組み付き、片腕を胸部に突きつける。そしてゼロ距離から熱線を発射した。
「ぶごっ………ゴボッ!」
突き抜ける炎の槍。
肉片がボトボトと辺りに散らばり、空いた穴から決壊したダムのように血が吹き出す。魔王が胸に空いた穴を手で押さえるが、血は一向に止まらず、その足元に鮮やかな血の海を作っていった。
「ぎざ、ま………お、のれ……」
限界が訪れたのだろう。ぐらりと魔王の巨体が傾き、その手から剣を取り落とす。そして、そのまま仰向けに倒れて動かなくなった。タイタニス並みの巨体が倒れた事で大地は小刻みに振動し、土煙がもくもくと巻き上がる。
「倒した………」
『…………はぁ、はぁ』
ふと、辺りを見渡す。
激しい戦いによって丘はすっかり荒れ果て、残った魔物も散り散りになって逃げていくか、一匹でいた所を複数の兵士に襲われて殺されている。
『………終わった。どうですか、クシナダ姫。見えていますか』
タイタニスを使った戦いでこれ程までに疲弊する事も、身体に痛みを感じることも初めてだった。魔力も今の短時間でかなり消費したのだろう。身体から何かがすっかり抜けて無くなってしまったような感覚もある。
朦朧とする意識の中で僕は、タイタニスの中にいる彼女が戦いの最後を見ることが出来たか聞いた。
「ああ、ハルト。最後まで見えたよ」
『それなら、良かった』
「大丈夫か? ハルト、意識をしっかり……っ!ハルト避けろ!」
『え?』
彼女が叫び声を上げる。
気付いた時にはもう遅く、タイタニスの胸部に赤黒く染まった聖剣が突き刺さっていた。
『が、ぷっ………ご』
「は、ハハ………油断するから、悪い、の、だ」
痛い。
苦しい。
呼吸が出来ない。
急激に全身から力が抜けていく。
タイタニスに剣を突き刺した張本人である魔王は、その言葉を最後に倒れ伏し、今度こそ完全に動かなくなった。
「どういう事だ……何で、何でハルトの身体から血が流れてる!?」
『まず………これ、死………』
「待て、死ぬな! 今治すからな!」
どうも僕の身体の方にも異常が起きたらしい。身体の中から彼女が癒しの魔法を唱える声が聞こえてくる。
今までタイタニスがろくな傷を負うことが無かったから気付かなかったが、タイタニスへのダメージが動かしている本人の身体にも直接伝わってくるとは思わなかった。これだけの力を行使できるのだから、相応のデメリットがあって当然といえばその通りなのだけど、その可能性に全く気付かなかった僕も馬鹿だ。
『………』
「何で、傷が塞がらな……あ、あ、ハルト? ハルト?」
『……』
「ハルト! 返事をしてくれ! ハルト!」
声が、出せない。
力も入らない。
魔法を使おうにも、魔力が足りていない。
それに、胸に剣は突き刺さったまま。
「ハルト! 起きろ! ハルト!」
『く………し……………ひ、め』
「そうだ、私だ、だから死なないでくれハルト!」
『ご……め………』
「謝るな! そなたは何も悪くない。だから、頼む……!」
おそらく、このままじゃ僕はもう助からない。
こんな時、何て言えば彼女の心を楽に出来るだろうか。彼女には『これから』があるのに、何を言えば彼女の心に黒いものを残さずに済むだろうか。
働かない頭で必死に考え、そして。
『………だい、じょ………ぶ』
「~~~~~~~~ッッ!」
次の瞬間、何かが身体の中に流れ込み、全身を満たすような感覚があった。胸を貫いていた鈍い痛みが消えていく。薄れていた全身の感覚が元に戻っていき、しかし見えていた景色は急激に色を失って溶けていった。
続いて身体が縮こまっていくような感覚に襲われ、人間大の大きさにまでなった瞬間、自分の唇がほのかに暖かく、濡れたような感覚がある事に気付いて目を見開いた。
「これ、は………? クシナダ、姫?」
タイタニスの機械腕で拘束された身体。着ていた服は血でべっとりと赤く染まっている。
そして前を見ると、顔を真っ赤に染めて、涙で顔中ぐしゃぐしゃにしたクシナダ姫が立っていた。
「ヤツは……タイタニスの本質は絆だと言った」
「え? あ………」
「それに、人から人に魔力を移すにはこういう事が必要だとも聞いていたから」
「………」
「だ、だから…………私では、駄目かと思ったの、だが」
そう言って顔を赤くしたまま顔を背ける彼女。
僕は身体からタイタニスの機械腕を外して拘束を解くと、僕の命の恩人となった彼女をめいっぱい抱き締めた。




