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女神救済 世界は彼女を忘れない  作者: 舞
第一章 私の生きる意味
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9/22

第二話裏視点

<宿屋の娘 ミア>


その日は朝から雪だった。

昼を過ぎると、酷い吹雪になってきた。


窓の外は真っ白で、街道なんてもう見えない。


私は窓の外を眺めながら小さく息を吐いた。

こんな日に外を歩く人なんていない。


そう思っていた。


「ミア」

母さんに呼ばれる。


「薪を持ってきておくれ」

「はーい」

私は暖炉の横へ薪を積んだ。


外は寒い。

客も少ない。

退屈な一日になりそうだった。


その時、扉を叩く音が聞こえた。

「誰だ」

父さんが声を上げる。


私は思わず振り返った。

こんな吹雪の中を歩いてきた人がいる。

大丈夫だろうか。


「あの、旅人です」

柔らかい声だった。

「フィリアといいます」


父が扉を開ける。


吹雪が一気に入り込んできた。

その向こうに、一人の少女が立っていた。

私と同じくらいの歳だろうか。

少し痩せているようにも見える。


頭にも肩にも雪が積もっていた。

疲れているはずなのに、寒いはずなのに、不思議と慌てた様子はなかった。


「吹雪で道に迷いました」

彼女が頭を下げて言う。

「一晩だけ泊めていただけませんか」


それが、私とフィリアの最初の出会いだった。


フィリアは、父さんが言うには手持ちが少ないらしい。

父さんはいつも通り宿泊代の話をした。


私は少し呆れていた。

こんな吹雪の日くらい、無賃で泊めてあげればいいのにと思ったからだ。


だいたい、この宿へ来た時点で追い返すつもりなんてないのだ。

それくらい知っている。


結局、フィリアは宿で働くことになった。


そして、驚くほど仕事ができなかった。


初日に皿洗いをしながら、皿を割る。

二日目に掃除をしながら、バケツの水をこぼす。

三日目には雪かきをしながら、雪へ埋まる。

さすがに笑ってしまった。


それなのに、本人は大真面目なのだ。

「すみません……」

本気で落ち込んでいる。

だから余計に面白い。


接客もひどかった。

「姉ちゃん! エール!」

と言われて、スープを持っていった。


あの時の店内の空気は忘れられない。

旅人たちは笑うし、父さんは頭を抱えるし。

本人だけが状況を理解していなかった。


それでも、誰も怒らなかった。

なんだか放っておけない人だったから。


五日目。

私は洗濯物を畳みながら聞いた。

「旅って楽しい?」

フィリアは少し考えた。

「楽しいこともあります」


寂しいかも聞いてみた。

そして少しして。

「寂しいこともあります」

とも言った。


その顔を見て。

私は少しだけ気になった。


旅の話をしない。

家族の話をしない。

過去の話もしない。

それなのに。

嘘をついているようには見えない。


だから聞いてみた。


「帰る場所はないの?」


フィリアは少し考えた。

それから困ったように笑った。

「よく、わかりません」

その言葉が妙に頭へ残った。

分からないなんてあるのだろうか。


私は帰る場所を知っている。


この宿だ。

父さんと母さんがいて、大きな暖炉があって、帰れば安心できる場所。


でも、フィリアにはそれがないらしかった。


寂しそうだと思った。


その日の夜、皆で暖炉を囲んだ。


旅人たちが酒を飲む。

父さんが笑う。

母さんが怒る。

ルドルフお爺ちゃんが同じ話をする。

フィリアも笑っていた。

嬉しそうだった。


でも、どこか遠くへ行ってしまいそうだった。


だから私は、吹雪が終わらなければいいのにと思った。


そうしたら、もう少しだけ話ができたから。


六日目。

煙突が詰まった。

宿中で大騒ぎになった。

父さんは屋根へ登る。

旅人たちは梯子を支える。

母さんはお湯を沸かす。

私はランタンを持つ。

フィリアは道具を渡していた。


不思議だった。

誰か一人が何かをしているんじゃない。

みんなで宿を守っているみたいだった。


やがて煙突が直って、歓声が上がる。

その中でフィリアが笑っていた。

本当に嬉しそうだった。

まるで、昔からこの宿の家族だったみたいに。



そして七日目。

吹雪は終わった。

彼女が出ていく日となった。

荷物をまとめたフィリアは突然言った。


「あの」

皆が振り返る。

「お名前を聞いてもいいですか?」

私は思わず吹き出した。


今さら?

一週間も一緒にいたのに?

でも、すごくフィリアらしいとも思った。


父さんが名前を教える。

母さんも名乗る。

私も名乗った。


するとフィリアは慌てて手帳を取り出した。


宝物みたいに。

大事そうに。

私たちの名前を書いていた。

その姿が少し嬉しかった。


私たちのことを覚えておこうとしてくれている。


そんな気がしたから。

やがて本当に別れの時間が来る。

「気を付けて」

私はそう言った。


本当は他にも言いたいことがあった。

また来てとか。

寂しくなるとか。

もう少し話したかったとか。


でも結局、何も言えなかった。

フィリアはきっと困ったように笑う気がしたから。


フィリアは微笑む。

「はい」

いつもの笑顔だった。

そして歩いていく。

雪道の向こうへ。

一度も振り返らずに。


不思議だった。

普通なら少しくらい振り返ると思っていた。

でもフィリアは、ずっと前だけを見て歩いていた。

まるで、立ち止まったらいけないみたいに。

振り返るのが怖いみたいに。


姿が小さくなる。

やがて見えなくなる。


私はしばらくその方向を眺めていた。

「寂しいか?」

いつの間にか父さんが隣に立っていた。

「別に」

そう答える。


父さんは笑った。

「そうか」

絶対信じていない顔だった。

私は空を見上げる。

綺麗な青空だった。

雨なんて降ってきそうもないのに、少しだけ湿っぽく感じた。


また来るだろうか。

分からない。


でも、また来てほしいと思った。

今度はもっと話してみたい。


旅のこと。

家族のこと。

帰る場所のこと。


そんなことを考えながら。


もう姿は見えないのに、私はしばらく雪道の先を見つめていた。



*****************************



<宿屋の夫婦 ガストンとエリーゼ>


フィリアが出て行った、その日の夜。


吹雪はもう止んでいる。


暖炉の火だけが静かに揺れていた。

宿の片付けも終わり。

客たちもそれぞれの部屋へ戻り、ほかにも吹雪が止んで移動した客も多かった。


エリーゼは食器を拭きながら、ふと呟いた。

「行っちゃったねぇ」


ガストンは暖炉へ薪をくべる。

「そうだな」

短い返事だった。

けれども、彼も少し寂しそうだった。


長年連れ添った妻には分かる。

「珍しいね」

「何がだ」

「そんな顔するなんて」


ガストンは眉をひそめた。

「どんな顔だ」

「娘が嫁に行った親みたいな顔」

「馬鹿言え」

即座に否定する。

だがエリーゼは笑った。


図星だったときの反応だ。


しばらく暖炉の音だけが続く。

やがてガストンが口を開いた。

「変な娘だったな」

「うん」

「皿は割るし」「割ったねぇ」

「水もこぼすし」「こぼしたねぇ」

「雪にも埋まる」


エリーゼは吹き出した。

「あれは傑作だった」

思い出しただけで笑ってしまう。


ガストンも少しだけ口元を緩めた。

「なのに」

ぽつりと続ける。

「よく働いた」

エリーゼは頷く。

「そうだね」

文句を言わない。

手を抜かない。

誰かが困っていれば真っ先に動く。

失敗しても、次の日にはまた頑張る。

そんな娘だった。


「妙な子だったよ」エリーゼが言う。

「何か抱えてるみたいなのに、全然話さないし」

「聞かれたくないこともあるだろ」

「そうかもしれないけどねぇ」

少しだけ視線を落とす。

「でも、あの歳で一人旅なんて」

そこから先は言わなかった。


言わなくても伝わる。


心配なのだ。


ガストンも黙っていた。

暖炉がぱちりと音を立てる。


「痩せてたね」

「そうだな」

「服も随分くたびれてた」

「そうだな」

「家族はいるのかね」

「さあな」

ガストンは首を振った。


本当に分からなかった。

あの娘は何も語らない。

けれど、嘘をついているようにも見えなかった。


しばらくしてガストンが口を開く。

「金の使い方も危なっかしかった」

エリーゼが顔を上げる。

「そうかい?」

「ああ」


暖炉の火を見つめながら続ける。

「財布を出した時な」

「うん」

「ありったけ、財布の中全部置きやがった」

エリーゼは少し驚く。

「あの子らしいねぇ」

「らしいで済む話じゃねえ」

ガストンは鼻を鳴らした。


「吹雪が何日続くか分からねえのに、後先考えてねえ」

「旅慣れてないんだろうね」

「それだけじゃねえな」

ガストンは少し考える。


「たぶん、あいつは金を使うこと自体に慣れてねえ」

「そうかもしれないね」

エリーゼは苦笑した。


欲しい物を買う子には見えなかった。

流行のかわいらしい服よりも、きれいな髪飾りよりも、誰かのために使いそうな子だった。

「だから働かせた」

ガストンが言う。


「施して終わりじゃ意味がねえ」

エリーゼは少し笑った。

「優しいねぇ」

「うるせえ」


しばらく暖炉の火を眺めていたエリーゼが、ふと思い出したように言った。

「そういえば」

「あ?」

「お給金、多かったね」

ガストンの動きが少しだけ止まる。


「そんなことねえ」

「嘘お言い」

エリーゼは笑った。

「一週間分にしちゃ、だいぶ多かったじゃないか」

ガストンは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「旅人には金がいる」

「餞別かい?」

返事はない。

暖炉へ薪を放り込む音だけが響く。

「相場も知らなさそうだったしねぇ」

エリーゼが呟く。


「あの子」

「ああ」

「喜んでたね」

ガストンは少しだけ笑った。

「宿屋って儲かるんですね、だとよ」

エリーゼは吹き出した。

「あの子らしいねぇ」


「それにしても帰る場所も分からないなんてねぇ」

エリーゼが小さく呟いた。

それが一番気になっていた。


ミアから聞いた言葉だ。

家族の話より、旅の話より、その言葉が。

「よく、わかりません」

そう答えた時のフィリアは、どこか本当に分からないそうだった。


ガストンは暖炉を見つめ、そして言った。

「帰る場所がなくても」

エリーゼが顔を上げる。

「また来ればいい」

それだけだった。


不器用な男らしい言葉だった。


エリーゼは少し笑う。

「あら」

「……なんだ」

「やっぱり気に入ってたんじゃないかい」

ガストンは返事をしなかった。

代わりに薪を一本放り込む。

図星だった。


「やっぱりあの子、うちの子にしてあげられなかったのかしら」

エリーゼが何度目か分からない言葉を口にする。

ガストンは苦笑した。

「馬鹿言え」

「本気だよ」

「そうか」

「そうだよ」

しばらく沈黙が落ちる。


暖炉の火だけが揺れていた。


やがてガストンが小さく笑う。

「まあ」

「うん?」

「また来たら飯くらい食わせてやる」

エリーゼも笑った。

「あんたらしいね」


窓の外には雪景色が広がっていた。

もうフィリアの姿は見えない。

けれども、二人とも同じことを考えていた。


あの子に、幸せがあらんことを。

そして、いつの日かまたこの宿の扉を叩く日が来るかもしれないと。


そう願わずにはいられなかった。

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