第三話「雪の日の兄妹」
ストーリーラインは独自ですが、今回の登場人物とその他一部には明確な元ネタがあって申し訳ないですが初投稿です。たぶん、本家よりは幸せになります。たぶん。
吹雪の宿屋を出てから数日が過ぎていました。
私は山間の街道を歩いています。
街道といっても、人の気配はほとんどありません。
見えるのは、雪。木々。そして白い空。
「静かですね」
そう呟いてみます。
返事はありません。
けれど最近は少し慣れてきました。
私は肩から提げた鞄を軽く押さえます。
中には食料。
火種。
そして手帳。
宿屋を出てから何度か読み返しました。
『吹雪の宿屋』
『宿屋の主人、ガストン』
『宿屋の奥様、エリーゼ』
『宿屋の娘、ミア』
『また来たい』
文字はちゃんと残っています。
読むたびに胸の奥が少しだけ温かくなりました。
顔も、声も、思い出せます。
私は手帳を閉じます。
「春になったら行きたいですね」
小さく微笑みました。
その時でした。
冷たい風が吹き抜けます。
木々が大きく揺れました。
私は思わず空を見上げます。
嫌な予感がしました。
そして、その予感は当たります。
雪でした。
最初は小さな粒、けれどあっという間に勢いを増していきます。
やがて空も山も、周りは全て白く染まりました。
「またですか……」
思わず呟いてしまいます。
また雪でした。
山の天気は変わりやすい、とはどこかで聞いた覚えがあります。
私の前世なのでしょうか?
視界がどんどん悪くなります。
前も後ろも白い。
道も分かりません。
私は足を止めました。
「困りましたね」
宿屋の時と同じです。
周囲を見回します。
宿を探そうにも何も見えません。
村の気配もありません。
街道から外れれば本当に動けなくなるでしょう。
そもそも、まだ山道です。
風が強くなります。
身体の熱が奪われていくようでした。
歩き続けます。
もう少し行けば何かあるかもしれない。
そう思って進みました。
けれど、何もありません。
家もありません。
灯りもありません。
あるのは白い雪だけです。
私は小さく息を吐きました。
「……無理かもしれませんね」
それでも立ち止まる訳にはいきません。
すると、吹雪の向こうに影が見えました。
私は目を細めます。
木ではありません。
岩でもありません。
建物でした。
「家……でしょうか」
少しだけ足が速くなりました。
近付くにつれ形が見えてきます。
小さな家でした。
煙突からは細い煙が上がっています。
日曜夕方夜にやっているアニメ番組のオープニングの最後に出てくるような、小さな家でした。
「……?」
私は首を傾げます。
今、何か変なことを考えませんでしたか。
日曜夕方夜とは何でしょう。
アニメ番組とは何でしょう。
そもそもオープニングとは何でしょうか。
分かりません。よく、覚えていません。
ですが、とても暖かそうな家だと思ったことだけは確かでした。
誰かいる。
私はほっとしました。
そして扉を叩きます。
こんこん。
返事はありません。
もう一度叩きました。
しばらくして、恐る恐る扉が開きます。
顔を出したのは小さな女の子でした。
六歳くらいでしょうか。金色の髪に大きな目。
服は質素ですが、栄養状態は良さそうです。
警戒した顔でこちらを見ています。
「だれ?」
私は軽く頭を下げました。
「旅人です」
女の子はじっと見ています。
「フィリアといいます」
すると奥から別の声が聞こえました。
「ノエル」
少し疲れたような声です。
「誰だ?」
女の子が振り返ります。
「旅人だって」
少しして、包丁を持った年上の少年が姿を見せました。
「ひっ……」
少しびっくりしてしまいした。
「……料理中だ。自分の家だぞ」
そういわれて少し冷静になりました。
彼を少し観察してみます。
十五歳くらいでしょうか。私よりも少しだけ下に見えます。
こちらの子は痩せています。
けれど整った顔立ちでした。
こちらを見る目は鋭く警戒しています。
「何の用だ」
「あの」
私は頭を下げました。
「吹雪で道に迷いました」
少年は黙っています。
「一晩だけ避難させてもらえませんか」
しばらく沈黙が続きました。
私は断られるかもしれないと思いました。
けれど、少年は諦めたように息を吐きます。
「好きにしろ」
そう言って道を開けました。
「ありがとうございます」
私は深く頭を下げました。
家の中は暖かかったです。
大きくはありません。
けれど綺麗に片付いていました。
使い込まれた3つの椅子と机。
古い暖炉。
壁には家族写真。
穏やかな雰囲気の女性と二人の兄妹が写っています。
私は写真を見つめました。
少年が言います。
「兄のイヴェールだ」
それから小さな女の子の頭を撫でました。
「こっちはノエル」
「よろしくお願いします」
私が言うと、ノエルは少しだけ嬉しそうに笑いました。
「あの」
少し迷ってから尋ねます。
「こちらの方は……」
写真を見ながら問いかけました。
空気が少しだけ変わりました。
ノエルが俯きます。
イヴェールは写真へ視線を向けました。
しばらくして、小さく答えます。
「母さんは秋に死んだ」
私は言葉を失いました。
イヴェールは淡々と続けます。
「父さんはもっと前に、事故で死んだ」
ノエルは黙ったままでした。
私は慌てて頭を下げます。
「すみません」
「別にいい」
イヴェールはそう言いました。
けれど、その声は少しだけ寂しそうに聞こえました。
その日の夕食は野菜スープと黒パンでした。
ノエルはずっと話しています。
「旅って楽しい?」
「山の外ってどんな感じ?」
「王都って見たことある?」
次から次へと質問が飛んできます。
知っている範囲で私は答えました。
イヴェールはそんな妹と私の様子を時々見ていました。
けれど自分から話しかけてくることはありません。
私のことを信用していないのでしょう。
それでも構いませんでした。
知らない旅人なのですから当然です。
夜。
彼らと並んで布団を敷き、暖炉の前へ横になります。
火は静かに燃えていました。
私は二人を見つめます。
仲の良い兄妹なんですね。
イヴェールに抱えられたノエルが、兄を見上げる目は信頼に満ちています。
イヴェールもまた。
ぶっきらぼうではありますが、ノエルを大切にしていることが伝わってきました。
私はそっと目を閉じます。
秋に、お母さんが亡くなったと言っていました。
もし。
もし、もう少し早くここへ来ていたら。
助けられたのでしょうか。
そんなことを考えてしまいます。
私は小さく首を振りました。
分かりません。
もしかしたら間に合っていたかもしれません。
もしかしたら間に合わなかったかもしれません。
私は神様ではないのです。
起きなかったことは分かりません。
それでも、ノエルがあんなに寂しそうな顔をするのを見てしまうと。
考えずにはいられませんでした。
暖炉の火が揺れます。
私は胸元の手帳に触れました。
今さら変えられないことはあります。
けれども、これから起きることなら、変えられるかもしれません。
そんなことを考えながら、私は静かに目を閉じたのでした。
翌朝、私が起きた時にはイヴェールはもういませんでした。
ノエルが教えてくれます。
「お兄ちゃん仕事なの」
「朝早いんですね」
「いつも」
ノエルは少し寂しそうに笑いました。
「帰ってくるのが遅いけど」
それからいつも通りだと言うように肩をすくめます。
私は少しだけ気になりました。
私はノエルと一緒に家の手伝いをしました。
雪かき。
薪運び。
皿洗い。
宿屋で覚えたことが役立ちます。
ノエルは嬉しそうでした。
一人でやるより楽しいからでしょう。
作業が一段落した頃。
私はノエルを見ました。
髪は油でベトベトしており、埃もついています。
服にも煤が付いており……少し臭います。
私は首を傾げます。
「ノエルちゃん」
「なに?」
「最近お風呂へ入りましたか?」
ノエルは考えます。
「……おぼえてない」
少し胸が痛くなりました。
私は浴室を覗きます。
幸い、設備は残っていました。
お湯も沸かせそうです。
「お風呂に入りましょう」
ノエルは目を輝かせました。
「いいの!?」
「はい」
それからしばらくして、浴室には湯気が満ちていました。
「わあ……」
ノエルが嬉しそうな声を上げます。
「熱くないですか?」
「へいき!」
元気な返事が返ってきました。
私は苦笑します。
頭も洗います。
体も洗います。
やがて、綺麗になったノエルと一緒に湯船へ浸かります。
「きもちいい……」
幸せそうな顔でした。
私は少しだけ安心します。
ちゃんとご飯を食べて、ちゃんと温まって、ちゃんと眠る。
それだけでも大事なことだと思ったのです。
しばらくして、ノエルが湯船の中でふわふわと近付いてきました。
「どうしましたか?」
すると、ノエルは私へ抱き着きました。
突然のことだったので驚きます。
温かく、小さな身体でした。
そして、ノエルはぽつりと呟いたのです。
「……お母さん」
私は固まりました。
ノエルはもう半分眠りそうでした。
ノエルが湯船の中に沈まないように、そっと抱えてあげます。
きっと無意識だったのでしょう。
それでも、その一言に私は何も言えませんでした。
ただ、小さな背中へそっと手を回しました。
ノエルは安心したように目を閉じています。
まるで、本当に母親へ甘えている子どもみたいでした。
胸が少し痛みます。
秋に亡くなったと言っていました。
本当はまだ、寂しいに決まっています。
我慢しているだけで。
平気なふりをしているだけで。
私はノエルの髪をそっと撫でました。
「私はお母さんではありませんよ」
小さくそう呟きます。
けれど。
ノエルはもう聞いていませんでした。
安心したように眠っていたからです。
私はその寝顔を見つめます。
また、考えてしまいます。
もし、秋にここへ来ていたら。
あのお母さんは助かったのでしょうか。
考えても分からないことでした。
それでも、胸の痛みだけは消えてくれなかったのです。
しばらくして、玄関の戸が開く音がしました。
イヴェールが帰ってきたのです。
私はノエルを抱きかかえて、浴室から顔を出しました。
「おかえりなさい」
イヴェールは目を丸くします。
「お前、なんで……」
「ノエルちゃんとお風呂に入っていました」
「は?」
ノエルも起きてきました。
「お兄ちゃんも一緒に入ろう!」
イヴェールが固まりました。
「入らねえ」
即答でした。
私は首を傾げます。
「どうしてですか?」
「どうしてって……」
イヴェールは言葉に詰まります。
「別にいいだろ」
「ですが、かなり汚れていますよ?」
「ほっとけ」
ノエルが笑いました。
「お兄ちゃん照れてる」
「照れてねえ」
「照れてる」
「照れてねえ!」
しばらく言い争いが続きます。
私はそれを見ながら思わず笑ってしまいました。
やっぱり、仲の良い兄妹なのだと思ったのです。
ちなみに。
イヴェールは私とノエルが出た後、しばらくして浴室へ向かいました。
翌朝には髪も少し整っていました。
たぶん、ちゃんと入ったのでしょう。
……それにしても結構長く入っていたような気がしましたが。
二日目。
今日はノエルと一緒に掃除をしました。
掃除をしている途中、私は棚の奥に古い本を見つけました。
違いました。
本ではありませんでした。
革張りの手帳、日記でした。
申し訳ないと思いながら元へ戻そうとします。
その時、ぱらりとページが開きました。
女性の文字でした。
母親の日記でしょうか。
そこには。
二人の子どものこと。
生活のこと。
将来の心配。
体の不調。
そんなことが書かれていました。
私は慌てて閉じます。
読むつもりはありませんでした。
けれど最後のページだけが目に入ってしまったのです。
そこにはこう書かれていました。
もしもの時は、裏の樫の木の下を掘りなさい。
少しだけ残してあります。
あなたたちのためのお金です。
私はしばらくその日記を見つめます。
埃の被り具合から、おそらく数か月、母親が亡くなってから開かれてなさそうです。
そして何も言わず元の場所へ戻しました。
戻ってきたらイヴェールに話そう。これが本当なら生活も楽になるかも。
そう考えながら、掃除を続けました。
その日の夕方。
外は静かでした。
昨日までの吹雪が嘘みたいです。
窓の向こうには白い雪原が広がっていました。
明日の朝、ここを立とう。その前に日記について話そう。
私は暖炉の前でノエルと一緒に座りながらそんなことを考えていました。
「お兄ちゃん、まだかな」
ノエルが呟きます。
「いつも遅いんですか?」
「うん」
ノエルは頷きました。
「最近は暗くなってから帰ってくることが多いの」
小さな声でした。
少しだけ不安そうにも聞こえます。
私は暖炉へ薪を足しました。
ぱちり。
火が弾けます。
それからしばらくして、扉が開く音がしました。
ノエルが立ち上がります。
「お兄ちゃん!」
イヴェールが帰ってきました。
けれど、様子がおかしい。
顔色が悪い。足取りも重い。
私は思わず立ち上がりました。
「大丈夫ですか?」
イヴェールは答えません。
そのまま数歩歩き。
突然膝をつきました。
「お兄ちゃん?」
ノエルが駆け寄ります。
イヴェールは苦しそうに肩で息をしていました。
額に触れると、かなり熱い。
「熱があります」
私が言うと、ノエルの顔が真っ青になりました。
「……お兄ちゃん」
返事はありません。
意識が朦朧としているようでした。何とか帰ってきたのでしょう。
私は急いで布団と毛布を持っていきます。
額に冷たい布と、暖炉の火を焚いて温めました。
それでも熱は下がりません。
夜になる頃には咳も酷くなっていました。
ノエルは兄の手を握っています。
離れようとしません。
「お兄ちゃん、大丈夫かな……」
私は何も言えませんでした。
私は医者ではないのです。
できることも、知識も限られています。
夜が更けていきました。
イヴェールは更に苦しそうにうなされ続けます。
ノエルは眠りません。
必死に兄の名前を呼び続けていました。
「お兄ちゃん……」
返事はありません。
「お兄ちゃん……」
小さな声です。
震えていました。
やがて。
「やだよ……」
ノエルが俯きます。
「お兄ちゃんがいなくなるのは嫌だよ……」
暖炉の火が揺れています。
その光が二人を照らしていました。
私は手帳に触れます。
薄い革表紙。
何度も開いたものです。
農場の老夫婦。
春を待つ少女。
吹雪の宿屋。
そして、目の前には兄妹がいる。
ノエルの手を見た時、私の覚悟はもう決まっていました。
兄を失うには、あまりにも小さな手でした。
私は立ち上がります。
「ノエルちゃん」
少女が顔を上げました。
涙で濡れています。
「なに?」
私は微笑みながら、ノエルに尋ねました。
「お名前をもう一度、教えてください」
泣きはらした目を拭ってあげます。
ノエルは首を傾げます。
それでも答えました。
「私、ノエル」
私は手帳を開きます。
静かに書きました。
『雪の日の兄妹』
『妹 ノエル』
そして、ベッドへ近づきます。
苦しそうに眠る少年を見ました。
「イヴェールさん」
返事はありません。
けれど名前だけは残します。
『兄 イヴェール』
インクが紙へ染み込みました。
私はゆっくり目を閉じます。
そして、願います。
たった一つだけ、どうか。
そして目を開けて最後に手帳に書きます。
『幸せにおなりなさい』
兄妹が春を迎えられますように。
淡い光が溢れました。
暖炉より柔らかく。
雪より静かに。
光はイヴェールを包み込みます。
やがて、熱が引いていく。
苦しそうだった呼吸が落ち着く。
青白かった顔へ少しずつ血色が戻っていきました。
ノエルは息を呑みます。
「お兄ちゃん……?」
しばらくして、イヴェールの瞼がわずかに開きました。
ぼんやりと天井を見つめています。
そして、私へ視線を向けました。
「……あんた」
掠れた声でした。
私は微笑みます。
イヴェールもまた微かに笑いました。
「ありがとう……」
それが最後でした。
私も微笑んで、小さく首を振ります。
「おやすみなさい」
その夜、二人が眠ったあと。
私は静かに家を出ました。
雪道は冷たかったです。
けれど吹雪はありませんでした。
手帳を抱きしめながら。
私は歩き続けます。
二人の幸せを願って。
翌朝、イヴェールは目を覚ましました。
熱は下がっています。
身体も軽い。
ノエルが飛び起きました。
「お兄ちゃん!」
「……うるさい」
そう言いながらも。
イヴェールは笑っています。
久しぶりでした。
ノエルは泣きそうな顔になりました。
「よかった」
イヴェールは妹の頭を撫でます。
その時。
ふと違和感を覚えました。
妙に綺麗になった部屋の中。誰かが座っていたような椅子。まだ温かい暖炉。
「なあ」
イヴェールが言います。
「なんか忘れてないか」
ノエルは首を傾げました。
「何を?」
分からない。
けれど、誰かがいた気がする。
大切な誰かだった気もする。
思い出せない。
そして机の上の一冊の本を見直しました。
「母さんの……日記?」
ノエルが手に取ります。
開くと、そこには兄妹たちが愛されていた証拠がたくさんありました。
「母さん……」
「お兄ちゃん、なんて書いてるの?」
イヴェールはノエルにもわかりやすく、教えてあげました。
二人は泣きながら、少しずつページをめくりました。
そして、最後のページ。
イヴェールは目を見開きました。
そこに書かれていたのは隠し遺産のことでした。
裏の樫の木。
埋められたお金。
母の最後の願い。
その冬、兄妹は無事に生き延びました。
春も迎えました。
それでも、何か大切なことを忘れている気は最後まで消えませんでした。
二人は未来へ向かって、歩き始めました。
一人の旅人もまた、遠く離れた街道を歩いていました。
私は手帳を開きます。
『雪の日の兄妹』
『兄 ――』
『妹 ――』
『幸せにおなりなさい』
文字だけが残っています。
私はしばらく見つめました。
「どんな人たちだったのでしょう」
何も思い出せません。
けれど、そのページを見るたびに、胸の奥だけが少し温かくなるのでした。
そして。
一つ前のページに戻り、私は苦笑しました。 少しだけ寂しくなります。
「やはり、一回使うと、忘れてしまうのですね」
『吹雪の宿屋』
『宿屋の主人、―—』
『宿屋の奥様、―—』
『宿屋の娘、―—』
『また来たい』
文字をなぞりながら、そっと呟きます。
声は、風に乗って消えていきました。




