↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神救済 世界は彼女を忘れない  作者: 舞
第一章 私の生きる意味
PR
6/22

第一話裏視点

<行商人の妻 ソフィア>

寝具の準備をしていた時だった。ふと手が止まる。

使っていた形跡のある、寝具が一つ多かった。

私は首を傾げた。


なぜだろう。

誰かがいた気がする。


旅の途中。馬車の中。

食事をしながら話をしたような気がする。


けれど、顔が思い出せなかった。

名前も思い出せなかった。


「どうした?」

旦那のアルベルトが尋ねる。

「ねえ」

私は少し迷った。


「私たち、誰かと一緒だったわよね?」

主人も首を傾げる。

「そうだった気がするな」

それ以上は出てこない。


二人とも沈黙した。

不思議だった。

何日も一緒に旅をしたはずなのに何も思い出せない。


「旦那」

近くで荷を整理していたレオンが声を掛けてきた。

「どうした?」

「いや」

レオンは首を傾げる。

「俺も今、それを考えてたんですよ」

私たちは思わず顔を見合わせた。

レオンは続ける。

「旅人の方がいた気がするんです」

「やっぱり?」

思わず声を上げる。

「でも顔が思い出せなくて……」

「俺もです」

レオンは困ったように笑った。

「それに変なんですよ」

そう言って腕を曲げる。

「俺の腕、折れてましたよね」


アルベルトが頷く。

「ああ」

「それが何で治ったんでしたっけ」

誰も答えられなかった。

私も。主人も。レオン自身も。

答えを知らない。


それなのに腕は確かに治っている。

奇妙だった。

本当に奇妙だった。


「優しい子だった気がするのよね」

私がそう呟くと、レオンも静かに頷いた。

「ああ」

少し考えてから。

「親切な娘さんだった気がします」

そう言った。

その瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。

理由は分からなかった。


<農家のお婆さん ハンナ>


「おや?」

朝起きた後、外を見渡し。

ドアを閉めた後、思わず声が出る。


身体が軽かった。

特に腰だ。

いつもなら起き上がるだけで痛む。

立ち上がる時には机へ手をつく。

畑へ出る頃には何度も腰をさする。

それが今日は違った。

驚くほど痛くない。

ハンナはゆっくり腰を伸ばした。

それでも痛みはなかった。

「変なこともあるもんだねえ」

思わず笑った。


朝食の支度をしながら、ふとドアを閉める前のことを思い出そうとする。

何かあった気がした。

誰かと話した気がする。

若い子だったような。違ったような。

そこまで考えて首を傾げる。

思い出せない。

顔も、名前も、声さえ曖昧だ。


昼前。

ゲオルグが町から帰ってきた。

「おお」

開口一番、目を丸くする。

「婆さん、今日は調子が良さそうだな」

「そうかい?」

「腰はどうした」

そう言われて、改めて気付く。

本当に痛くない。

昨日までは確かに痛かった。

ずっと痛かったはずだ。

それなのに、どうしてこうなったのだろう。


「そういえば」

ハンナはふと呟いた。

「昨日、誰か来たような気がするんだよ」

「誰がだ?」

「それが分からないんだよ」

ゲオルグは首を傾げた。

「町の人か?」

「違う気がするねえ」

「なんだそりゃあ」

旅人だった気もする。

若い娘だった気もする。

そして、とても礼儀正しい子だった気もする。

そこまでは思うのだ。

けれど、それ以上が出てこない。


夕方、ハンナは一人で畑へ出ていた。

冬の風は冷たい。

それでも身体は軽かった。

まるで腰が悪くなる前に戻ったみたいだった。

不思議なものだ。

理由は分からない。

思い出せない。

それなのに、なぜか胸の奥だけは温かかった。


「元気でいるといいねえ」

気付けばそう口にしていた。

誰のことかは分からない。

本当に分からない。

けれど、今朝どこかへ向かって歩いていった誰かを見送った気がする。

若くて、優しくて、少しだけ心配になるような子だった。

そんな気がした。


その夜。

布団へ入る前。

ハンナはもう一度だけ呟いた。

「無事だといいねえ」

名前は思い出せない。

顔も思い出せない。

けれど、優しい子だったような気がする。

それだけは、不思議と忘れられなかった。





<春を待つ少女 エマ>

苦しい。

息を吸うたび胸が痛い。

頭も熱い。

身体は重くて、起き上がることもできなかった。

窓の向こうには海が見える。


昔は好きだった。

お父さんが帰ってくる場所だったから。

でも今は違う。

ただ遠くて、少しだけ寂しい。


お母さんが薬を持ってきてくれる。

優しくしてくれる。

けれど、最近のお母さんは少しだけ泣きそうな顔をしていた。

たぶん、私が見ていない時に泣いている。

そんな気がした。

だから私は笑う。

大丈夫だよ、って。

春まで頑張るよ、って。

そう言うようにしていた。


その日。

知らないお姉ちゃんが家に来た。

旅人だと言っていた。

変な人だと思った。

お医者さんでもない。

神官様でもない。

なのに私の話を聞いてくれる。

春の話も、お父さんの話も、お土産の話も。

変な置物の話まで聞いてくれた。


不思議だった。

今日初めて会ったはずなのに、ずっと前から知っている人みたいだった。

優しい声だった。

安心する声だった。


「春になったら何をしたいですか?」

そう聞かれて、私はすぐに答えた。

お父さんのお土産を見ること。お父さんと会うこと。

それが楽しみだったから。

春まで頑張る理由だったから。


お姉ちゃんは笑ってくれた。

私の話を、子どもっぽいって笑わなかった。

嬉しかった。


それから、お姉ちゃんが私の手を握った。

冷たかった手が少し温かくなる。

不思議だった。

春の日向にいるみたいだった。

気持ちが良かった。

とても眠かった。


「大丈夫ですよ」

お姉ちゃんがそう言った。

優しい声だった。

そして光が生まれる。

春の日差しみたいな光だった。

ぼんやりする意識の中で。

私はその光を見ていた。


その時だった。

思わず小さく呟く。

「……女神様?」

光の向こうにいるお姉ちゃんが、少しだけ遠く見えた。

春の陽だまりみたいに温かくて。

怖くなくて、ただ優しくて。

まるで絵本に出てくる女神様みたいだと思った。

だから、気付けばそう呼んでいた。


目を開ける。

苦しくなかった。

胸が痛くない。

息ができる。

大きく吸える。

何度吸っても苦しくならない。


「お母さん!」

思わず呼ぶ。

お母さんが泣いていた。

私も泣いた。

嬉しかったから。

本当に、それだけだった。


しばらくして。

目の前にいるお姉ちゃんを見た。

優しそうなお姉ちゃん。

きっと私を助けてくれた人。

そう思った。


「ありがとうございました」

そう言うと、お姉ちゃんは嬉しそうに笑った。

私も嬉しかった。


「お姉ちゃんのお名前は?」

聞いてみる。

「フィリアです」

そう答えてくれた。

―――—お姉ちゃん。

私はその名前を口にする。

なんだか温かい気持ちになった。


けれど、次の瞬間だった。

「あれ……?」

変だった。

今、聞いたばかりなのに。

名前が思い出せない。


私は困ってしまった。

目の前にいるのに、名前が分からない。

忘れたくないのに、思い出せない。


「あの……」

お姉ちゃんを見る。

優しい人だった。

きっと。

とても大切な人だった。

そんな気がする。

でも、名前だけがどうしても出てこない。

お姉ちゃんは微笑みながら、少し頭を下げた。

それから、何も言わずに出て行った。


その日の夜。

眠る前、私は窓の外の海を見ていた。

不思議と心が軽い。

春が来る。

お父さんも帰ってくる。

きっと大丈夫だ。

そんな気がした。


理由は分からない。

けれど。

誰かがそう言ってくれた気がした。

優しい声だった気がする。


その人の顔は思い出せない。

名前も思い出せない。

それでも。

胸の奥に残った温かさだけは、消えなかった。




春が来た。

長かった冬が終わる。

港にはたくさんの人が集まっていた。

海の向こうに船影が見えたからだ。

私は桟橋を走った。

お母さんが後ろで何か言っている。

でも止まれなかった。

だって。

あの船を待っていたのだから。

ずっと。

ずっと。


船が港へ入る。

帆が下ろされる。

乗組員たちが次々と降りてくる。

そして。

一人の男の人がこちらを見た。

少し日に焼けた顔。

見慣れた笑顔。

大きな荷物。


「エマ!」

その声を聞いた瞬間。

私は走り出していた。

_

「お父さん!」

思い切り抱きつく。

絶対に離さないように。


「大きくなったなあ」

お父さんが笑う。

私は首を振った。

伝えたいことがたくさんある。

冬の話。

病気の話。

お母さんの話。

全部。


「帰ってきた」

そう言うと。

お父さんは困ったように笑った。

「約束しただろ」


その時だった。

後ろで小さく嗚咽が聞こえた。

振り返る。

お母さんだった。


泣いていた。

必死に堪えていたみたいに。

今まで我慢していたものが全部あふれたみたいに。


お父さんも黙る。

そして。

何も言わずにお母さんの肩を抱いた。


「……おかえり」

お母さんは泣きながらそう言った。


春の風が吹いていた。

長かった冬が終わったのだと。

私はその時、初めてそう思った。


ふと胸の奥が温かくなる。

春の日差しみたいな。

優しい温もり。


誰かに言われた気がした。


きっと春は来ます。


そんな言葉を。


思い出そうとして。

私は首を傾げる。

誰だっただろう。

思い出せない。

顔も、名前も、分からない。


けれど。

私は空を見上げて笑った。

お父さんは帰ってきた。

お母さんも笑っている。

約束はちゃんと守られたのだ。


だからきっと。

あの時の優しい人も。

どこかで元気にしている。

そんな気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。