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女神救済 世界は彼女を忘れない  作者: 舞
第一章 私の生きる意味
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19/22

第五話裏視点1

裏視点も長くなったので分割して初投稿です。

<真面目な役人>

私は書類を読んでいた。

今日も書類。

昨日も書類。

おそらく明日も書類である。

それが仕事だった。


市民管理局主任官。

派手ではない。

感謝もされない。

だが誰かがやらなければならない仕事だった。


「主任官」

若い受付職員の声が聞こえる。

私は顔を上げずに返答する。

「何だ」

「少々、対応が難しい案件が」

小さく息を吐いた。

難しい案件が簡単だったことはない。

「私が行く」

そう答えた。


道中、受付職員—クラリスから、説明を受けた。

おそらく、未成年の娘だろうと。

名前も、出身地も分からず、身分証も持っていないという。

身分を証明してくれる者もいないらしい。



数分後。

窓口に近づくと、一人の少女が座っているのが見えた。

銀髪。

旅人らしい格好。

年齢は十代半ばから後半だろう。

未成年。

彼女の言う通りだった。


私は彼女の対面に座り、聞いてみる。

「氏名は」

少女は答えた。

「分かりません」

手が止まる。

聞き間違いかと思った。

あるいは答えたくない事情があるのかもしれない。

「……氏名は」

「分かりません」

もう一度聞いても返事は一緒だった。

私は少女を見た。

嘘をついているようには見えない。

それ以上に、辛そうだった。



だからといって問題が解決するわけではない。

むしろ厄介だった。



氏名不明。

出身地不明。

身分証なし。

保証人なし。

盗難被害者。

未成年と思われる。

夜間。



あまりにも条件が悪い。

放置してよい案件ではなかった。

「不法入国の疑いがある」

少女は頷いた。

怒ると思った。

泣くと思った。

あるいは言い訳をすると思った。

しかし。

「そうですか」

それだけだった。

少女を見た。

妙に落ち着いている。

いや、落ち着いているのではない。

それ以上に、どこか危うい。

そう思った。




その夜、少女は留置所へ収容された。

仮に状況を住民へ説明するのなら、また冷酷だと言われるだろう。

だが構わなかった。


氏名不明。

保護責任者なし。

窃盗被害直後。

未成年。

夜間。


そのような人物を外へ放り出す方が無責任だった。

少なくともそう判断した。


翌日、一人の女性が役所へ現れた。

宿屋の女将だった。

帳簿を出す。

宿帳を出す。

勤務記録を出す。

証言を出す。

次から次へと出してくる。

役所は感情では動かない。

だから記録を見る。

確認する。

照合する。

再確認する。

さらに確認する。

そしてようやく結論へ辿り着く。


「身元不明者ではある」

私は言った。

「だが所在不明者ではない」

そこには記録がある。

滞在記録がある。

勤務記録がある。

証言もある。

ならば存在は確認できる。

その結論に迷いはなかった。




拘束は解除した。

だが、問題そのものは残った。

戸籍がない。

身分証もない。

盗難届も受理できない。

制度上できないものはできない。



それだけの話だった。


数日後、別の報告が上がってきた。

例の少女。

宿に泊まれない。

仕事が見つからない。

町の外で生活している。

私は報告書を閉じて、眉間を押さえる。

本当に面倒な案件だった。



何も解決していない。

存在を証明できない者は制度の外へ落ちる。

当然の結果だった。

そして、その当然が。

正しいとも思えなかった。



法規集を開く。

古い規約、さらに古い規約、もっと古い規約。

誰も読まない法令。

誰も確認しない例外条項。

それらを一つずつ確認する。

黙々と、ひたすら、時間だけが過ぎていく。



そして、あるページで手が止まった。

臨時身分証制度。

三百年以上前の特例。

戦時下の救済規定。


条文を読む。

関連法規を探す。

照合する。

さらに確認する。

条件を確認する。

記録を集める。


この規定が廃止されたという記録はどこにもなかった。


宿帳。

証言。

勤務履歴。

滞在記録。

条件は満たしていた。


「なるほど」

このために残されていた制度だったのかもしれない。

そう思った。


窓の外では朝日が昇り始めていた。

市民管理局の仕事はまだ終わらない。

いやこれから始まるのだ。

机の上にはまだ処理できていない書類が山積みのままだ。

私は次の書類へ手を伸ばした。

今日は市場への視察がある。それまでに処理できるものを処理しなければ。


その頃、市場では一人の男が刃物を握りしめていた。


市場へ向かう道中も、書類を読んでいた。

歩きながらでも確認できる物は確認する。

後回しにした仕事は増えるだけだった。

視察は嫌いではない。

現場を見なければ分からないこともある。

書類だけで全てが分かるほど世の中は単純ではなかった。

だからこそ。

現場も見る。

記録も見る。

両方必要だった。



市場へ到着すると、人の往来が目に入った。

いつも通り。

問題は無い。

そのはずだった。



一人の男がいた。

見覚えがある。

どこで見たのか。

そう思った瞬間。

男が走った。

速かった。

そして近づいた。


刃物が見えた。

避けきれない。

そう判断した。



衝撃。



胸ではない。

左の脇腹。

だが浅くない。

むしろ深い。


周囲から悲鳴が上がった。

視界が揺れる。

足から力が抜ける。


地面が近い。

石畳が見える。


男が叫んでいた。

何か言っている。

だがよく聞こえなかった。


そこでようやく思い出す。

フォル・ダンフォス。

3年前、融資申請を却下した男だった。


帳簿不備。

保証人不在。

返済能力不足。


審査結果は妥当だった。

今でもそう思う。


だが、納得できなかったのだろう。


血が流れる。

思ったより多い。


兵士達の声。

住民の声。

誰かが叫んでいる。


不思議と恐怖は無かった。

ただ、仕事が終わっていない。

そう思った。


机の上には書類が残っている。

未決裁もある。

調査途中の案件もある。


臨時身分証。


ふと、昨夜の法規集を思い出した。


例の少女の件だった。


申請書類。

証言記録。

宿帳。

勤務記録。


まだ確認が必要だ。


終わっていないのだ。


視界が暗くなる。


その時だった。

誰かが近付いてくる。

兵士ではない。

医者でもない。


銀色の髪が見えた気がした。

見覚えがある。

どこで見たのか。

思い出せない。


誰かが自分へ手を伸ばす。


温かな光だった。


春の風が吹いた。


そこで私の意識は途切れた。


目を開けた時。

最初に見えたのは白い天井だった。

見慣れた診療所の天井。

薬草の匂い。

窓から差し込む朝日。

しばらく考えてから、状況を理解した。


生きている。



「気が付きましたか」

医師が近付いてくる。

体を起こした。

あれだけ、血を流したはずなのに。

ナイフは深く刺さっていたのに、痛みはまるでなかった。

むしろ、刺される前より体調がよく感じた。


「どれくらい経った」


「丸1日です」


思ったより短い。


私はふと天井を見つめた。

運。天命。

そういうものを信じる性格ではなかった。

だが、今回ばかりはそう言うしかない。


「犯人はどうなった?」

「拘束されています」


「そうか」

頷いた。

それ以上は聞かなかった。


「奇跡ですよ」


医師が呟く。

「あと少し深ければ助かりませんでした」


「正直な話」

医師は首を傾げた。

「どうして生きているのか分からないほどです」


妙な言い方だった。

「どういう意味だ」


「傷の治り方がおかしいんです」

医師は困ったような顔をした。


「誰かが応急処置をしたという訳でもない」

「薬でもない」

「全く説明できません」

「王都の『水の魔女』でもここまでできるかどうか……」


私は記憶を頼りにしばらく考えた。

だが思い出せない。


地面。

悲鳴。

血。


そこまでは覚えている。


しかし、その先が無い。


誰かいた気がする。

そんな気もする。

だが顔が思い出せなかった。



「そうか」

結局それだけだった。



翌日、市民管理局へ戻った。


机の上には書類の山が出来ていた。

見慣れた光景だった。


「主任官!」

クラリスの声が聞こえる。

「無理をしないでください!」


「仕事だ」

「だからです!」

珍しく強い口調だった。


聞き流しながら席へ座る。

そして、見覚えのない書類を見つけた。


正確には、自分が作ったはずなのに覚えがない書類だった。


『臨時身分証制度適用調査』

ページをめくる。


宿帳。

証言記録。

滞在記録。

勤務履歴。

大量の資料。


どれも自分の字だった。


つまり、刺される直前に自分がまとめていた案件らしい。

黙って読み進めた。

そして、最後のページで手が止まる。


フィリア。


その名前に覚えは無かった。

しかし、読み終えた時思った。


「適用できるな」



クラリスが顔を上げる。

「何がですか?」


「臨時身分証だ」

書類を閉じた。

「条件を満たしている」

それだけ言う。

彼女はよく分かっていないようだった。

「そんな制度があったんですか」

「ある」

「初めて知りました」

「私もだ」

クラリスが目を瞬く。


そして机へ向かう。

申請書類を書く。

許可印を押す。

必要な部署へ回す。


いつも通りの仕事だった。


窓の外では春の風が吹いていた。


アーネストは知らない。

その少女が、自分を助けたことを。

フィリアも知らない。

この男が、何日も法規集を読み続けたことを。


だから、二人の間には何も残らない。



感謝も。

恩義も。

思い出も。



ただ、大量の記録と一枚の臨時身分証だけが残った。


数日後、いつも通り書類を処理していた。

机の上には未処理案件が積まれている。

減らない、減ったと思えば増える。

役所とはそういう場所だった。



「主任官」

窓口の方からクラリスが声を掛ける。

「何だ」

「例の件です」

顔を上げた。

例の件という案件は毎日十件以上発生している。

どれだ、そう思った。


「臨時身分証の案件です」


ああ、あれか。


「本人が確認に来ています」

私は小さく頷いた。


「通せ」


数分後、一人の少女が机の前へ立つ。

銀色の髪。

旅装。

どこか見覚えがある気がした。

だが思い出せない。



「あの」

少女が声を掛ける。


「何か」

私は答えた。


少女は臨時身分証を差し出した。



「これを許可してくださったのですか」

書類を見る。

自分の印だった。

「そうらしいな」



少女は首を傾げる。

「どうしてですか?」

書類を整理しながら答えた。


「規約に従ったまでだ」

少女は黙っていた。


話を続ける。

「規約を見直した」

「例外規定があった」

「条件に合致していた」

「だから適用した」

「それだけだ」

本当にそれだけだった。

特別な話ではない。

少なくとも私はそう思ったのだ。


少女はしばらく考えていた。

それから小さく頷く。

「そうですか」


それに釣られて、私も頷く。

「本当に、それだけだ」



沈黙。

やがて少女は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」

私はよくわからない。眉をひそめた。

「礼を言われるようなことではない」


少女が顔を上げる。

「規則通りだ」

それも本音だった。


少女は少しだけ笑った。



「真面目な方なんですね」

返答に困った。

そう言われたことは一度や二度ではない。

だが褒め言葉として言われた記憶は少ない。

「そうか」


結局それだけ答える。


少女は再び頭を下げた。

そして立ち去ろうとして、ふと足を止めた。

「あの」

「何か」

迷ったようにいう。

「あなたのお名前は何ですか」

手が止まる。奇妙な質問だった。

名札は机の上にある。

「なぜそんなことを聞く」

彼女が首を傾げながら返事をした。

「なんとなくです」

なんとなく、か。

私は呆れながらも、机の端を指さした。

「そこに書いてある」


少女は視線を向ける。


『アーネスト』


小さな名札。


「アーネストさん」

それからもう一度。

静かに頭を下げる。

「ありがとうございました」



私は何度目かもわからない、ため息を吐いた。

「だから、礼を言われるようなことではない」

「規則通りだ」

何度目かもわからないやり取りを行う。


少女は小さく笑う。

「そうですね」



そして部屋を出て行った。


私は再び書類へ目を落とす。

未処理案件は山ほどある。

次の書類。

その次の書類。

さらにその次。

仕事は終わらない。

だから気付かなかった。


窓口を出た少女が手帳を開き。


『真面目な役人 アーネスト』


そう書いていたことを。


まあ、もし知っていたとしても。

私はきっと、それでも書類へ判を押し続けていただろう。


*********************************


<没落者 フォル>


俺はいつものように石段に座っていた。


市場の端、人通りは多い。

それでも誰も自分を見ない。

見ようともしない。


それが気楽だった。

酒瓶を傾ける。

安酒だった。

味は分からない。

とうの昔に分からなくなっていた。




昔は違っていた。

フォル・ダンフォス。

それが自分の名前だった。

貴族だった。

屋敷もあった。

家名もあった。

未来もあった。


全部無くなった。




20を過ぎたころ、国に不正がバレ、家は取り潰された。

全てを捨てて国を出た。


妻と結婚した。

息子も生まれた。

工房を作った。

必死に働いた。

どうにか生活も軌道に乗った。


そこで欲を出した。


工房を大きくしたかった。

職人を増やしたかった。

もっと稼ぎたかった。


そのための融資だった。


だが却下された。

アーネスト・ストリックランド。

あの男だった。


帳簿不備。

保証人不在。

返済能力不足。


不融資決定書にはそう書かれていた。

何度読んでも納得できなかった。


あいつは何も見ていない。

何も分かっていない。

書類しか見ていない。


そう思った。


融資を見込んで導入した機材のリース代金が払えなくなった。

ほかの所から借りた金も回らなくなっていった。

工房は潰れた。

借金が残った。

妻と息子も出て行った。


気が付けば。

窃盗。

詐欺。

日雇い。

逃亡。

そんな人生だった。


全部あいつのせいだ。

そう思うことにした。

その方が楽だった。

その日。

手帳を盗んだ。


市場ですれ違った銀髪の娘だった。

大事そうに抱えていて、最初は金目の物の情報でも書かれているのだと思った。


だが違った。

中身を開く。

日記帳のようだった。


『吹雪の宿屋』

『また会える気がする』

『花畑の老人』

内容も抽象的で意味が分からない。


売れる物ではなかった。

その場で捨ててもよかった。

だが、なぜか持ち歩いていた。


自分でも理由は分からない。


翌日、銀髪の娘の友人だと名乗る女が来た。


俺にも必要のないものだったので、適当に返してやった。

逆上して殴ってくるかと思ったら、そうでもないらしい。

甘ちゃんめ……。


俺はひとつ噂を聞いた。次の週末、市場にあいつが視察に来るらしい。

好都合だ、俺は町をうろつき、肉屋から肉切り包丁を盗んできた。


そして数日後、予想通り。

市場で、あの男を見つけた。



アーネスト。


いつも通り歩いていた。


何も失っていないような顔だった。

そう見えた。


立ち上がる。


なぜだ。

なぜ自分だけ。

なぜ全部失った。


なぜあいつは。

頭の中で言葉が渦を巻く。

気付けば走っていた。

刃物を握る。

叫んだ。

何を叫んだかは覚えていない。




ただ、刺した。

確かに刺した。

あいつの左脇。

すぐに多くの血が流れた。

あいつが倒れる。


終わったと思った。

これで全部終わったと思った。


兵士達がすぐに飛び掛かってきた。

地面へ押さえ付けられる。

抵抗はしなかった。


もう終わりだった。

死刑だろう。

当然だ。

役人を殺したのだから。


そしてフォルは連行された。




後のことは知らない。



あの役人が生き残ったことも。

あの娘が助けたことも。

何も知らない。



ただ、判決の時。

あいつが生きていることを知った。

俺は殺人ではなく傷害で判決を受けた。



その後、監獄に視察に来ていたらしい。

再びアーネストと会った。


やはり生きていた。

死んでいなかった。


前会った時と同じ、いつも通りだった。

「なぜ俺は死罪じゃない」

役人であるお前が望めば、俺は死刑になったはずなのに。

言外に意図を滲ませながら、俺は聞いた。


あいつはしばらく黙った。

それから答える。

「規則に従った判決だ」

その言葉を聞いた瞬間俺は笑ってしまった。


ああ。

何も変わっていない。


若い頃も。

工房の時も。

今も。


何も変わっていない。


「本当に変わらねぇな」


あいつは答えなかった。


そして、その沈黙が。

何よりもあの男らしかった。

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