第五話裏視点1
裏視点も長くなったので分割して初投稿です。
<真面目な役人>
私は書類を読んでいた。
今日も書類。
昨日も書類。
おそらく明日も書類である。
それが仕事だった。
市民管理局主任官。
派手ではない。
感謝もされない。
だが誰かがやらなければならない仕事だった。
「主任官」
若い受付職員の声が聞こえる。
私は顔を上げずに返答する。
「何だ」
「少々、対応が難しい案件が」
小さく息を吐いた。
難しい案件が簡単だったことはない。
「私が行く」
そう答えた。
道中、受付職員—クラリスから、説明を受けた。
おそらく、未成年の娘だろうと。
名前も、出身地も分からず、身分証も持っていないという。
身分を証明してくれる者もいないらしい。
数分後。
窓口に近づくと、一人の少女が座っているのが見えた。
銀髪。
旅人らしい格好。
年齢は十代半ばから後半だろう。
未成年。
彼女の言う通りだった。
私は彼女の対面に座り、聞いてみる。
「氏名は」
少女は答えた。
「分かりません」
手が止まる。
聞き間違いかと思った。
あるいは答えたくない事情があるのかもしれない。
「……氏名は」
「分かりません」
もう一度聞いても返事は一緒だった。
私は少女を見た。
嘘をついているようには見えない。
それ以上に、辛そうだった。
だからといって問題が解決するわけではない。
むしろ厄介だった。
氏名不明。
出身地不明。
身分証なし。
保証人なし。
盗難被害者。
未成年と思われる。
夜間。
あまりにも条件が悪い。
放置してよい案件ではなかった。
「不法入国の疑いがある」
少女は頷いた。
怒ると思った。
泣くと思った。
あるいは言い訳をすると思った。
しかし。
「そうですか」
それだけだった。
少女を見た。
妙に落ち着いている。
いや、落ち着いているのではない。
それ以上に、どこか危うい。
そう思った。
その夜、少女は留置所へ収容された。
仮に状況を住民へ説明するのなら、また冷酷だと言われるだろう。
だが構わなかった。
氏名不明。
保護責任者なし。
窃盗被害直後。
未成年。
夜間。
そのような人物を外へ放り出す方が無責任だった。
少なくともそう判断した。
翌日、一人の女性が役所へ現れた。
宿屋の女将だった。
帳簿を出す。
宿帳を出す。
勤務記録を出す。
証言を出す。
次から次へと出してくる。
役所は感情では動かない。
だから記録を見る。
確認する。
照合する。
再確認する。
さらに確認する。
そしてようやく結論へ辿り着く。
「身元不明者ではある」
私は言った。
「だが所在不明者ではない」
そこには記録がある。
滞在記録がある。
勤務記録がある。
証言もある。
ならば存在は確認できる。
その結論に迷いはなかった。
拘束は解除した。
だが、問題そのものは残った。
戸籍がない。
身分証もない。
盗難届も受理できない。
制度上できないものはできない。
それだけの話だった。
数日後、別の報告が上がってきた。
例の少女。
宿に泊まれない。
仕事が見つからない。
町の外で生活している。
私は報告書を閉じて、眉間を押さえる。
本当に面倒な案件だった。
何も解決していない。
存在を証明できない者は制度の外へ落ちる。
当然の結果だった。
そして、その当然が。
正しいとも思えなかった。
法規集を開く。
古い規約、さらに古い規約、もっと古い規約。
誰も読まない法令。
誰も確認しない例外条項。
それらを一つずつ確認する。
黙々と、ひたすら、時間だけが過ぎていく。
そして、あるページで手が止まった。
臨時身分証制度。
三百年以上前の特例。
戦時下の救済規定。
条文を読む。
関連法規を探す。
照合する。
さらに確認する。
条件を確認する。
記録を集める。
この規定が廃止されたという記録はどこにもなかった。
宿帳。
証言。
勤務履歴。
滞在記録。
条件は満たしていた。
「なるほど」
このために残されていた制度だったのかもしれない。
そう思った。
窓の外では朝日が昇り始めていた。
市民管理局の仕事はまだ終わらない。
いやこれから始まるのだ。
机の上にはまだ処理できていない書類が山積みのままだ。
私は次の書類へ手を伸ばした。
今日は市場への視察がある。それまでに処理できるものを処理しなければ。
その頃、市場では一人の男が刃物を握りしめていた。
市場へ向かう道中も、書類を読んでいた。
歩きながらでも確認できる物は確認する。
後回しにした仕事は増えるだけだった。
視察は嫌いではない。
現場を見なければ分からないこともある。
書類だけで全てが分かるほど世の中は単純ではなかった。
だからこそ。
現場も見る。
記録も見る。
両方必要だった。
市場へ到着すると、人の往来が目に入った。
いつも通り。
問題は無い。
そのはずだった。
一人の男がいた。
見覚えがある。
どこで見たのか。
そう思った瞬間。
男が走った。
速かった。
そして近づいた。
刃物が見えた。
避けきれない。
そう判断した。
衝撃。
胸ではない。
左の脇腹。
だが浅くない。
むしろ深い。
周囲から悲鳴が上がった。
視界が揺れる。
足から力が抜ける。
地面が近い。
石畳が見える。
男が叫んでいた。
何か言っている。
だがよく聞こえなかった。
そこでようやく思い出す。
フォル・ダンフォス。
3年前、融資申請を却下した男だった。
帳簿不備。
保証人不在。
返済能力不足。
審査結果は妥当だった。
今でもそう思う。
だが、納得できなかったのだろう。
血が流れる。
思ったより多い。
兵士達の声。
住民の声。
誰かが叫んでいる。
不思議と恐怖は無かった。
ただ、仕事が終わっていない。
そう思った。
机の上には書類が残っている。
未決裁もある。
調査途中の案件もある。
臨時身分証。
ふと、昨夜の法規集を思い出した。
例の少女の件だった。
申請書類。
証言記録。
宿帳。
勤務記録。
まだ確認が必要だ。
終わっていないのだ。
視界が暗くなる。
その時だった。
誰かが近付いてくる。
兵士ではない。
医者でもない。
銀色の髪が見えた気がした。
見覚えがある。
どこで見たのか。
思い出せない。
誰かが自分へ手を伸ばす。
温かな光だった。
春の風が吹いた。
そこで私の意識は途切れた。
目を開けた時。
最初に見えたのは白い天井だった。
見慣れた診療所の天井。
薬草の匂い。
窓から差し込む朝日。
しばらく考えてから、状況を理解した。
生きている。
「気が付きましたか」
医師が近付いてくる。
体を起こした。
あれだけ、血を流したはずなのに。
ナイフは深く刺さっていたのに、痛みはまるでなかった。
むしろ、刺される前より体調がよく感じた。
「どれくらい経った」
「丸1日です」
思ったより短い。
私はふと天井を見つめた。
運。天命。
そういうものを信じる性格ではなかった。
だが、今回ばかりはそう言うしかない。
「犯人はどうなった?」
「拘束されています」
「そうか」
頷いた。
それ以上は聞かなかった。
「奇跡ですよ」
医師が呟く。
「あと少し深ければ助かりませんでした」
「正直な話」
医師は首を傾げた。
「どうして生きているのか分からないほどです」
妙な言い方だった。
「どういう意味だ」
「傷の治り方がおかしいんです」
医師は困ったような顔をした。
「誰かが応急処置をしたという訳でもない」
「薬でもない」
「全く説明できません」
「王都の『水の魔女』でもここまでできるかどうか……」
私は記憶を頼りにしばらく考えた。
だが思い出せない。
地面。
悲鳴。
血。
そこまでは覚えている。
しかし、その先が無い。
誰かいた気がする。
そんな気もする。
だが顔が思い出せなかった。
「そうか」
結局それだけだった。
翌日、市民管理局へ戻った。
机の上には書類の山が出来ていた。
見慣れた光景だった。
「主任官!」
クラリスの声が聞こえる。
「無理をしないでください!」
「仕事だ」
「だからです!」
珍しく強い口調だった。
聞き流しながら席へ座る。
そして、見覚えのない書類を見つけた。
正確には、自分が作ったはずなのに覚えがない書類だった。
『臨時身分証制度適用調査』
ページをめくる。
宿帳。
証言記録。
滞在記録。
勤務履歴。
大量の資料。
どれも自分の字だった。
つまり、刺される直前に自分がまとめていた案件らしい。
黙って読み進めた。
そして、最後のページで手が止まる。
フィリア。
その名前に覚えは無かった。
しかし、読み終えた時思った。
「適用できるな」
クラリスが顔を上げる。
「何がですか?」
「臨時身分証だ」
書類を閉じた。
「条件を満たしている」
それだけ言う。
彼女はよく分かっていないようだった。
「そんな制度があったんですか」
「ある」
「初めて知りました」
「私もだ」
クラリスが目を瞬く。
そして机へ向かう。
申請書類を書く。
許可印を押す。
必要な部署へ回す。
いつも通りの仕事だった。
窓の外では春の風が吹いていた。
アーネストは知らない。
その少女が、自分を助けたことを。
フィリアも知らない。
この男が、何日も法規集を読み続けたことを。
だから、二人の間には何も残らない。
感謝も。
恩義も。
思い出も。
ただ、大量の記録と一枚の臨時身分証だけが残った。
数日後、いつも通り書類を処理していた。
机の上には未処理案件が積まれている。
減らない、減ったと思えば増える。
役所とはそういう場所だった。
「主任官」
窓口の方からクラリスが声を掛ける。
「何だ」
「例の件です」
顔を上げた。
例の件という案件は毎日十件以上発生している。
どれだ、そう思った。
「臨時身分証の案件です」
ああ、あれか。
「本人が確認に来ています」
私は小さく頷いた。
「通せ」
数分後、一人の少女が机の前へ立つ。
銀色の髪。
旅装。
どこか見覚えがある気がした。
だが思い出せない。
「あの」
少女が声を掛ける。
「何か」
私は答えた。
少女は臨時身分証を差し出した。
「これを許可してくださったのですか」
書類を見る。
自分の印だった。
「そうらしいな」
少女は首を傾げる。
「どうしてですか?」
書類を整理しながら答えた。
「規約に従ったまでだ」
少女は黙っていた。
話を続ける。
「規約を見直した」
「例外規定があった」
「条件に合致していた」
「だから適用した」
「それだけだ」
本当にそれだけだった。
特別な話ではない。
少なくとも私はそう思ったのだ。
少女はしばらく考えていた。
それから小さく頷く。
「そうですか」
それに釣られて、私も頷く。
「本当に、それだけだ」
沈黙。
やがて少女は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
私はよくわからない。眉をひそめた。
「礼を言われるようなことではない」
少女が顔を上げる。
「規則通りだ」
それも本音だった。
少女は少しだけ笑った。
「真面目な方なんですね」
返答に困った。
そう言われたことは一度や二度ではない。
だが褒め言葉として言われた記憶は少ない。
「そうか」
結局それだけ答える。
少女は再び頭を下げた。
そして立ち去ろうとして、ふと足を止めた。
「あの」
「何か」
迷ったようにいう。
「あなたのお名前は何ですか」
手が止まる。奇妙な質問だった。
名札は机の上にある。
「なぜそんなことを聞く」
彼女が首を傾げながら返事をした。
「なんとなくです」
なんとなく、か。
私は呆れながらも、机の端を指さした。
「そこに書いてある」
少女は視線を向ける。
『アーネスト』
小さな名札。
「アーネストさん」
それからもう一度。
静かに頭を下げる。
「ありがとうございました」
私は何度目かもわからない、ため息を吐いた。
「だから、礼を言われるようなことではない」
「規則通りだ」
何度目かもわからないやり取りを行う。
少女は小さく笑う。
「そうですね」
そして部屋を出て行った。
私は再び書類へ目を落とす。
未処理案件は山ほどある。
次の書類。
その次の書類。
さらにその次。
仕事は終わらない。
だから気付かなかった。
窓口を出た少女が手帳を開き。
『真面目な役人 アーネスト』
そう書いていたことを。
まあ、もし知っていたとしても。
私はきっと、それでも書類へ判を押し続けていただろう。
*********************************
<没落者 フォル>
俺はいつものように石段に座っていた。
市場の端、人通りは多い。
それでも誰も自分を見ない。
見ようともしない。
それが気楽だった。
酒瓶を傾ける。
安酒だった。
味は分からない。
とうの昔に分からなくなっていた。
昔は違っていた。
フォル・ダンフォス。
それが自分の名前だった。
貴族だった。
屋敷もあった。
家名もあった。
未来もあった。
全部無くなった。
20を過ぎたころ、国に不正がバレ、家は取り潰された。
全てを捨てて国を出た。
妻と結婚した。
息子も生まれた。
工房を作った。
必死に働いた。
どうにか生活も軌道に乗った。
そこで欲を出した。
工房を大きくしたかった。
職人を増やしたかった。
もっと稼ぎたかった。
そのための融資だった。
だが却下された。
アーネスト・ストリックランド。
あの男だった。
帳簿不備。
保証人不在。
返済能力不足。
不融資決定書にはそう書かれていた。
何度読んでも納得できなかった。
あいつは何も見ていない。
何も分かっていない。
書類しか見ていない。
そう思った。
融資を見込んで導入した機材のリース代金が払えなくなった。
ほかの所から借りた金も回らなくなっていった。
工房は潰れた。
借金が残った。
妻と息子も出て行った。
気が付けば。
窃盗。
詐欺。
日雇い。
逃亡。
そんな人生だった。
全部あいつのせいだ。
そう思うことにした。
その方が楽だった。
その日。
手帳を盗んだ。
市場ですれ違った銀髪の娘だった。
大事そうに抱えていて、最初は金目の物の情報でも書かれているのだと思った。
だが違った。
中身を開く。
日記帳のようだった。
『吹雪の宿屋』
『また会える気がする』
『花畑の老人』
内容も抽象的で意味が分からない。
売れる物ではなかった。
その場で捨ててもよかった。
だが、なぜか持ち歩いていた。
自分でも理由は分からない。
翌日、銀髪の娘の友人だと名乗る女が来た。
俺にも必要のないものだったので、適当に返してやった。
逆上して殴ってくるかと思ったら、そうでもないらしい。
甘ちゃんめ……。
俺はひとつ噂を聞いた。次の週末、市場にあいつが視察に来るらしい。
好都合だ、俺は町をうろつき、肉屋から肉切り包丁を盗んできた。
そして数日後、予想通り。
市場で、あの男を見つけた。
アーネスト。
いつも通り歩いていた。
何も失っていないような顔だった。
そう見えた。
立ち上がる。
なぜだ。
なぜ自分だけ。
なぜ全部失った。
なぜあいつは。
頭の中で言葉が渦を巻く。
気付けば走っていた。
刃物を握る。
叫んだ。
何を叫んだかは覚えていない。
ただ、刺した。
確かに刺した。
あいつの左脇。
すぐに多くの血が流れた。
あいつが倒れる。
終わったと思った。
これで全部終わったと思った。
兵士達がすぐに飛び掛かってきた。
地面へ押さえ付けられる。
抵抗はしなかった。
もう終わりだった。
死刑だろう。
当然だ。
役人を殺したのだから。
そしてフォルは連行された。
後のことは知らない。
あの役人が生き残ったことも。
あの娘が助けたことも。
何も知らない。
ただ、判決の時。
あいつが生きていることを知った。
俺は殺人ではなく傷害で判決を受けた。
その後、監獄に視察に来ていたらしい。
再びアーネストと会った。
やはり生きていた。
死んでいなかった。
前会った時と同じ、いつも通りだった。
「なぜ俺は死罪じゃない」
役人であるお前が望めば、俺は死刑になったはずなのに。
言外に意図を滲ませながら、俺は聞いた。
あいつはしばらく黙った。
それから答える。
「規則に従った判決だ」
その言葉を聞いた瞬間俺は笑ってしまった。
ああ。
何も変わっていない。
若い頃も。
工房の時も。
今も。
何も変わっていない。
「本当に変わらねぇな」
あいつは答えなかった。
そして、その沈黙が。
何よりもあの男らしかった。




