第四話裏視点
<花畑の老人 オスカー>
今年も春が来る。
そう思った。
妻が、リリーいなくなってから、もう何十回目だろう。
数えるのはやめてしまった。
昔は覚えていたが、今はどうでもいい。
春は勝手に来る。
覚えていても、忘れていても。
何も変わらない。
今日も花畑へ向かう。
そろそろ、動くのも億劫になってきたが、それでも花の世話をしなければならない。
「おはよう」
誰もいない花畑へ声をかける。
いつから始めたのかも覚えていない。
たぶん、リリーが死んでからだ。
リリーは、花は愛情を注げば綺麗に咲くと、教えてくれた。
理論も、根拠もないのだが、それでも彼女がいなくなってから毎日続けている。
彼女のいなくなった当初は、微調整がわからず、一部の区画を全部枯らしてしまったこともある。
ここ10年は、そんなこともないのだが。
彼女の育てていた花畑に少しでも近づいたと思っている。
花を見る。
今年もいい。
よく咲いている。
あと少しだ。
あと少しで満開になる。
それを見られるかどうかは分からない。
まあ、それでもいい。
春は来た。
それだけで十分だった。
その時。
銀の髪が見えた。
旅人だった。
珍しい。
こんな村に旅人など滅多に来ない。
まして若い女の子など。
人懐っこい子だった。
花を見ている。
目が輝いていた。
リリーみたいだな。
そう思った。
もちろん顔ではない。
性格でもない。
ただ、何かを綺麗だと本当に思っている時の目だ。
彼女もそうだった。
その日、少し話をした。
不思議な子だった。
花の話を真面目に聞く。
退屈そうにしない。
笑う。
驚く。
考える。
歳を取ると分かる。
話を聞いてくれる人間は貴重だ。
だから少し嬉しかった。
次の日、また来た。
その次の日も来た。
さらに次の日も来た。
気付けば毎日来ていた。
花の話をする。
昔の話をする。
リリーの話をする。
懐かしかった。
最近は死期の近い自分に尻込んで、話す相手もいなかったからだ。
夜、家へ帰る。
ベッドへ横になると咳が出る。
止まらない。
医者の顔を思い出す。
二か月以上は難しいでしょう。
そう言われた。
それが二か月前と10日前だ、もう自分が死ぬべき時から10日も過ぎてしまった。
頑張った方だろう。
満開までは届かなかったか。
そう思った。
けれど、不思議と悔しくはない。
春は来る。
花は咲く。
それに、最後に面白い旅人とも会えた。
旅人が来たのはちょうど10日前だった、彼女が自分に生きる気力をくれたように感じる。
悪くない人生だった。そんな風に思っていた。
翌日、今日はもう動けそうになかった。
どうやらもう終わりらしい。
そう思っていると、家に旅人が来た。
顔を見た瞬間に分かった。
気付いている。
自分が長くないことに。
もう、今日がヤマだろうと、それも感づいているだろう。
隠す気も、気力もなかった。
「奥様と花畑の話を、詳しく聞かせてください」
驚いた。
そうか、聞きたいのか。
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
だから全部話した。
リリーの話。
花の話。
失敗の話。
喧嘩の話。
話した。
ずっと。
ずっと。
話した。
気付けば夕方だった。
旅人は笑っていた。
いい子だな。
そう思った。
帰る時、花畑を見る。
あと少し。
本当にあと少しだ。
明日か、明後日か。
「今年も綺麗でしょう」
旅人は頷いた。
「はい」
嬉しかった。
それだけで十分だった。
その夜、眠れなかった。
天井を見ながら思い出す。
若い頃。
リリー。
花畑。
旅人。
久しぶりに楽しかった。
だから。
ありがとうな。
そう思った。
朝。
目を覚ます。
窓の外が明るい。
風の音がする。
春だ。春が来たんだ。
花は全部咲いただろうか。
もう少しも起き上がれそうもない。
見に行けないのが少しだけ残念だった。
本当に、少しだけだ。
これだと、花は咲いているだろう。それだけでよかった。
不意にリリーを思い出す。
若い頃の顔だ。
花を抱えて笑っている。
まったく。
君は変わらないな。
オスカーは小さく笑った。
「リリー」
窓の外を見る。
もう見えない花畑へ。
「春が来たぞ」
それが最後だった。
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<村長 エドガー>
今朝のことだった。
村の若い衆が慌てて家へ飛び込んできた。
言われなくても分かった。
顔を見れば分かる。
長い付き合いだ。
その顔を見た瞬間。
ああ、とうとうか。
そう思った。
オスカーの家へと向かう。
春の風が吹いていた。
嫌なほど天気が良かった。
あいつらしい。
春を運んできおった。
本当に、最期まであいつらしい。
扉を開ける。
オスカーは眠っていた。
いや、もう目を覚まさない眠りだった。
穏やかな顔だった。
「馬鹿者が」
思わずそう言った。
返事はない。
当たり前だ。
若い頃を思い出す。
酒を飲んだ。
喧嘩をした。
村長の仕事を押し付け合った。
リリーに怒られた。
また酒を飲んだ。
気付けば五十年以上だ。
長かったな。
そう思った。
そして。
一つだけ安心もしていた。
最近のオスカーは楽しそうだった。
花畑で、あの旅人の娘と話している時だけ。
昔の顔をしていた。
リリーが生きていた頃の顔だった。
だから、最期にあの娘が来てくれて良かった。
本当に良かった。
オスカーは最後まで春を待っていた。
いや、違うな。
あいつはずっと前から言っていた。
春は必ず来ると。
だから怖くなかったのかもしれん。
窓の外を見る。
花畑が見えた。
もうすぐ満開だ。
オスカー。
わしもしばらくは生きるぞ。
だから安心して寝ておれ。
花畑は、村で守ってやる。
親友へ向けた言葉は。
最後まで口には出さなかった。
男二人がそんなことを言ったら気持ち悪いからな。
だが帰る時。
わしは確かに笑っていた。
「本当に春を残していきおったな」
そして、翌日あいつを見送る。
最期の別れだ。
皆、思い出話に花を咲かせておる。
ふと前を見る。
白い髪の旅人が歩いている。
ありがとな。
エドガーは心の中で呟いた。
あいつの最期を、少しだけ明るくしてくれて。
本当にありがとな。
その時だった。
誰かが立ち止まる。
皆が前を見る。
花畑だった。
エドガーは思わず息を呑んだ。
ついに満開となったのだった。
赤。
黄。
白。
桃。
風に揺れる花々。
何十年も見てきた。
毎年見てきた。
それなのに、今日の花畑が一番綺麗に見えた。
思わず涙が零れる。
他の皆も、泣いている。
この光景を、見られんかったな。
そう思った。
けれど同時に、あいつは知っていたのだろうとも思った。
もうすぐ満開になることを。
だからあんな顔をしていたのだ。
だからあんなに穏やかだったのだ。
「私」
少女の声が聞こえる。
「この花畑、守ろうと思う」
エドガーは顔を上げた。
「オスカーおじいちゃんに花の名前を教えてもらったから」
この子の両親は、この花畑で結婚を約束した。
ただ、この子はその話は知らんはずだ。
二人は恥ずかしがってあまり話題にせんもんだから。
しばらく沈黙が流れる。
そして。
「なら俺も手伝う」
「雑草取りくらいできるぞ」
「来年も咲かせないとな」
声が増えていく。
一人。
また一人。
気付けば皆が来年の春の話をしていた。
エドガーは目を閉じる。
あいつの人生はまだ終わっていない。
花が残ったからではない。
想いが残ったからだ。
村に。子ども達に。
そして。
春に。
親友を失って寂しくもある。
けれど、嬉しくもあった。
「本当に春を残していきおったな」
そう呟く。
風が吹いた。
満開の花々が大きく揺れる。
まるで、オスカーが笑っているみたいだった。
あの子もこちらに一礼をし、静かに旅立っていった。
あの子にも祝福があらんことを。




