第三話裏視点
<雪の日の兄妹 兄イヴェール>
吹雪の日だった。
仕事を終えて帰ろうとした頃には、もう空が真っ白だった。
「最悪だな」
父が死んだのも冬だった。
だから嫌いだった。
家に早く帰らないと。
そこにはノエルが一人で待っている。
寒くしていないだろうか。
急がなければならない。
そう思いながら足を早めた。
家へ着いて数刻。
ノエルとの夕食の準備をしていた時。
扉が叩かれた。
ノエルが出ようとする。
「ノエル、少し待ってくれ」
慌てて止めようとした。
誰かも分からない相手だ。
俺が出るつもりだった。
だが一歩遅かった。
ノエルの方が扉に近かった。
吹雪の向こうに立っていたのは、見たことがない一人の少女だった。
旅人らしい。
それも一人。
こんな山奥に。
怪しい。
怪しすぎる。
でも、追い返したら彼女は死ぬ。
それくらいは分かる。
だから俺は言った。
「好きにしろ」
本当は泊めたくなかった。
でも仕方なかった。
それだけだ。
最初の印象は「変な奴」だった。
ノエルとすぐ打ち解けて話し始める。
無駄に礼儀正しい。
なんでも真面目に聞く。
質問も妙だ。
常識もよく分からない。
なんせ、旅人っぽくない。
だから逆に警戒した。
その夜。
ノエルがよく喋り、よく笑った。
最近はあまり笑わなかったのに。
母さんが死んでからは、ずっと。
「旅って楽しい?」
そんなことを聞いていた。
久しぶりに見る顔だった。
俺は少しだけ安心した。
少しだけ。
本当に少しだけ。
翌朝。
俺は仕事へ出た。
仕事しなければ食えない。ノエルに食えさせられない。
ただ、それだけだ。
帰った時、少し違和感があった。
家が少し綺麗だった。
薪も整理されていた。
食器も洗われている。
そして、問題の風呂事件である。
家へ入った瞬間。
フィリアがノエルを抱えて出てきた。
湯気の向こうから。そのままの姿で。
当然、俺の思考は止まる。
「おかえりなさい」
平然としていた。
何も気付いていない。
色々と丸見えだ。
本当に何も。
「お前、なんで……」
聞くしかなかった。
すると。
「ノエルちゃんとお風呂に入っていました」
なんでそのまま出てくるんだ。平然と答えるんだ。
「は?」
そうなるだろ。
普通。
さらにさっきまで寝ていたらしい、ノエルが眠そうな顔をして追撃してくる。
「お兄ちゃんも一緒に入ろう!」
無理だった。
絶対に無理だった。
だから。
「入らねえ」
即答した。
するとあいつ。首を傾げやがった。
「どうしてですか?」
は?
どうしてって。
俺にも説明できない。
ただ無理なんだ。
その後、ノエルから。
「お兄ちゃん照れてる」
と言われた。
違う。
違わないかもしれない。
たぶん違わなかった。
夜。
二人が寝た後。
俺は一人で風呂へ向かった。
久しぶりだった。
髪も洗う。
鏡を見る。
母が死んでからちゃんと見た覚えがない。
ひどい顔だと思った。
俺はずっと、この顔で妹と、ノエルと一緒にいたのか……。
そう思うと、悲しくなってきた。
次の日。
重い身体を引きずりながら、仕事へ行く。
頭も痛い。
今日は咳も出る。
でも行かないといけない。
正直限界だ。
でも俺が休めば。
ノエルが困る。ノエルが食えなくなる。
それだけは嫌だった。
帰り道。
足がふらつく。
寒い。
眠い。
苦しい。
でも家へ帰らなきゃならない。
ノエルが待つ家へ。
ノエルが待っているんだ。
その時だった。
不意に思った。
あいつ。
今日もいるんだろうか。
フィリアのことだった。
変な奴だと思った。
でも、少しだけ。
本当に少しだけ。
家へ帰る理由が増えた気もしていた。
だから、玄関を開けた時。
安心した。
けれど、そこで限界だった。
こいつがいれば、俺が…んでも、ノエルは……。
目が覚める。
暖かかった。
苦しくない。
熱もない。
ぼんやりと誰かを見る。
金色の光。銀色の髪。優しい顔。
どこかで見た顔だった。
でも、思い出せない。
「……あんた」
言葉が出る。
彼女は笑った。
不思議だった。
その笑顔を見ると。
もう大丈夫だと思えた。
「ありがとう」
口から勝手に言葉が出た。
―おやすみなさい。
沈む意識の中、そんな声が聞こえた気がした。
翌朝。
目を覚ます。熱は消えていた。
ノエルも喜んでいた。
それでよかった。
でも、何かおかしい。
誰かがいた気がする。
ここに。
助けられた気がする。
確かに。
暖炉を見る。
椅子を見る。
整った部屋を見る。
思い出せない。
それでも、胸の奥が少しだけ暖かかった。
だから、俺は前を向くことにした。
母の残した日記と。
ノエルと。
春を迎えるために。
忘れてしまった名前よりも、残ってくれた未来の方が。
きっと大事だったのだと思う。
俺は自分が死ねば、ノエルが独りぼっちになってしまうことに気づいた。
もう無茶はできない。
大人は信頼できないが、これとは別だ。
だから村の連中と話しをしに行ったが、そこでなぜか向こうから謝られた。
老人は深く頭を下げた。
「謝って済むことじゃないと分かっとる」
「じゃがな……」
少しだけ声が震える。
「わしたちは、仕事を回してやれば大丈夫じゃと思っとった」
「生活できるようにしてやれば、それで助けになっとると思っとった」
老人は拳を握った。
「じゃが違った」
「クロエは一人で抱え込んどった」
「お前も抱え込んどった」
「それに気付けんかった」
「気付こうともせんかった」
しばらく沈黙が続く。
やがて老人は顔を上げた。
「この村もな」
「若い者は皆、町へ行ってしまう」
「子どもの声も昔より減った」
「じゃからな」
「お前たちは希望なんじゃ」
「クロエが命懸けで守った希望なんじゃ」
老人は自嘲するように笑った。
「わしたちは仕事を与えて、それで助けた気になっとった」
「今思えば、本当に馬鹿じゃった」
「昨日のお前も酷い顔をしとった」
「気付いとったんじゃ」
「じゃが、どう声を掛ければええか分からんかった」
「結局、何も言えんかった」
老人は再び頭を下げる。
「恨んでくれても構わん」
「じゃがな」
「今度こそ、お前たちを一人にはせん」
俺は何も言えなかった。
怒るつもりで来たわけじゃない。
恨みも不思議と湧いてこなかった。
助けを求めるつもりだった。俺が頭を下げるつもりだった。
それなのに、先に謝られてしまった。
母さんを失ってから。
初めて自分たちのことを一緒に背負おうとしてくれる大人に会った気がした。
ただ、一つだけ分かったことがある。
母さんも。
この人達も。
そして俺も。
全員、話が足りなかったんだ。
助けてほしいとは言わなかった。
大丈夫じゃないとは言わなかった。
大丈夫かと言えなかった。
だから誰も気付けなかった。
気付いた時には、もう遅かった。
でも、今ならまだやり直せる。
「爺さん、頭をあげてください」
「自分も……何も言わなかったので、母さんが死んだのは……本当に……」
辛かった。助けてほしかった。
そこで、勝手に涙が出てきた。
声が出ない。
何か言おうとしてもうまく言葉にならなかった。
「もうええ、もうええんじゃ」
大人に抱きしめられた。
けど、全然不快じゃなかった。
昔、父親に抱かれた日のことを思いだした。
「俺は、おれは……」
それから、みんなで話し合った。
これまでのこと。
これからのこと。
ノエルの将来。
そして。
俺自身の将来についても。
春はまだ遠かった。
けれど、あの日の冬ほど寒くはなかった。
理由は分からない。
ただ、またいつか。
誰かと会える気がした。
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<雪の日の兄妹 妹ノエル>
雪の日。
お兄ちゃんはまだ帰ってこない。
外は真っ白。
風の音が怖かった。
でも、お兄ちゃんが帰ってくるから大丈夫。
そう思って待っていた。
お兄ちゃんが帰ってきた。
ごはんを作るっていって。
その時。
こんこん。
とびらがなった。
だれか来たのかな。
私はとびらを開ける。
すると。
知らないお姉ちゃんが立っていた。
白い髪のお姉ちゃん。
なんだかさむそう。
「だれ?」
そう聞いたら。
「旅人です」
と答えた。
よく分からなかった。
でもわるい人じゃなさそうだった。
お兄ちゃんはすこしこわい顔をしていた。
でも追い返さなかった。
私は少しほっとした。
だって。お姉ちゃんは寒そうだったから。
その日の夜。
私はお姉ちゃんといっぱいおはなししました。
旅のおはなし。
山のそとのおはなし。
王とのおはなし。
しらないことばかりでした。
おねえちゃんは王とはあんまり知らないっていってたけど。
たのしかった。
ひさしぶりだった。
おかあさんがいなくなってから。
家の中は静かだったから。
次の日。
お兄ちゃんはしごとへ行った。
私はお姉ちゃんと一緒におうちのおしごとをした。
雪かき。
まき運び。
お皿あらい。
楽しかった。
一人じゃなかったから。
それから。
おふろに入った。
ひさしぶりだった。
あったかかった。
すごくきもちよかった。
お姉ちゃんが髪をあらってくれた。
優しかった。
頭をなでてくれた。
なんだかねむくなった。
その後のことはよくおぼえていない。
けれど。とても安心した気がする。
お兄ちゃんが帰ってきた。
お姉ちゃんもいる。
私はうれしかった。
おとうさんとおかあさんがいるみたい。
だから言った。
「お兄ちゃんも一緒に入ろう!」
でもお兄ちゃんはいやだと言った。
へんなの。
次の日。
おねえちゃんと一緒に家のそうじをしたあと。
お兄ちゃんが帰ってきた。
でも。
変だった。
顔があおかった。
苦しそうだった。
私はこわくなった。
すごくこわかった。
おかあさんの時も。
こんなかんじだった気がしたから。
「お兄ちゃん」
呼んでもへんじがない。
「お兄ちゃん」
へんじがない。
いやだった。
こわかった。
一人になりたくない。
夜。
私はずっとお兄ちゃんの手をにぎっていた。
冷たかった。
「お兄ちゃんがいなくなるのはいやだよ……」
そう言った。
たぶん泣いていた。
「ノエルちゃん」
お姉ちゃんが声をかけてくれた。
「なに?」
お姉ちゃんはやさしく笑いかけてくれながら、聞いてきた。
「お名前をもう一度、教えてください」
そういいながら、お姉ちゃんは私の涙をやさしくふいてくれた。
ノエルはノエルだよ?
さっきも名前を呼んでくれたのに。
よくわからないけど
「私、ノエル」と答えました。
お姉ちゃんは、たぶん私の名前を本に書いていました。
そしてお兄ちゃんに声をかけました。
「イヴェールさん」
お姉ちゃんは、お兄ちゃんの名前も本に書いていました。
一文字ずつ。
とても大事そうに。
そして。
それから。
よく覚えていない。
でも。
お母さんのような、温かい光が見えた気がする。
次の日。
お兄ちゃんは元気になっていた。
私はとび起きた。
「お兄ちゃん!」
すごくうれしかった。
本当に良かった。
でも。
何かわすれている気がする。
だれかいた。
そんな気がする。
思い出せない。
だんろを見る。
いすを見る。
きれいになった部屋を見る。
なんだかさびしかった。
それから。
つくえにお母さんの日記を見つけた。
お兄ちゃんと一緒に読んだ。
いっぱい泣いた。
春になった。
お兄ちゃんは前よりわらうようになった。
私もわらった。
村の人も本当はやさしかった。
でも時々。
思うことがあるの。
白い髪のだれか。
いたような気がするの。
思い出せない。
名前もわからない。
それでも。
思い出そうとすると。
なぜだか少しだけ。
胸があたたかくなるの。




