第三十六話 黒い光
「くそが。コイツら。」
五島は置いていたナイフの所まで這いずり、口を使って器用にロープを切っていた。
俺たちは全く起きる気配がない。
10分ほど格闘しただろうか。
ようやくロープを切り、解く。
「油断して昼寝とは舐められたもんだ。あの世で後悔しろ。」
ナイフを持って俺達の方へ歩く。
しかし、五島の視線を奪った者が居る。
その男はまるで建設現場の重機の様な腕を持つ、猛獣と言うには、恐ろしさが足りない。そんな男だ。
先輩が立っていた。
先輩は全裸の五島と、爆睡をしている俺達を2度見、いや、3度見して苦笑いした。
「どんな喧嘩したらこうなるんだよ…。」
俺達は寝ていて記憶がないので仕方ないが、きっと起きていたら、
「ごもっともです。」
そう言って返す言葉も無かっただろう。
「アンタ加藤の所の…。」
先輩は全裸にナイフを持つ五島を見て噴き出した。
「ブハッ!!なんだよその格好!ガハハハハ!お、おま、お前、アレじゃねえか!ゴメンデテールチン(人)じゃねぇか!ガハハハハ!!」
「ネアンデタール人って言うらしいぜ。」
「あぁ?そうか?ガハハ!」
尚も笑い続ける先輩に対し、五島は額に青筋を立てて飛びかかった。
「アンタは70点も無さそうだなぁ!」
そう叫び、ナイフを先輩に突き立てた。
バチィン!!
先輩の拳が五島の顔面にめり込む。
そのまま一回転半して、後頭部から地面に叩きつけられた。
「あぁ〜。すまんすまん。つい面白くてな。それで?お前は点数すら付いて無さそうだけどな。」
そう言って見下ろした先輩の目には、
顎が砕け、上と下の歯が前から5列ほど折れ、白目を剥きながら吐血し気絶する五島が写っていた。
「おい、コイツはバラせ(殺せ)。」
舎弟は、先輩にハンカチを差し出して返事した。
「承知しました。」
先輩はハンカチで拳の血を拭き、俺達の方へ歩いてくる。
俺達の顔を見て、もう一度小さく笑ってから、
両肩に1人ずつ俺と後輩を抱えて、車の方へと歩き出した。
「お前らの勝ちだ。」
決して聞こえない最大級の賞賛を最後に、俺達の戦いは終わった。
目が覚めた時、俺達は先輩の事務所のソファの上だった。
「ん?あ?あれ?」
「おう。目ぇ覚めたか。」
「どわぁ!」
寝起き1発目に先輩の顔は心臓に悪い。
「びっくりしたぁ!」
俺はずれ落ちたソファへともう一度腰掛けた。
横を見る。後輩がイビキをかいて寝ていた。先輩は、藤沢康介に土地の名義変更をさせていて、
舎弟の姿はなく、若い衆が何人か事務所の掃除を始めていた。
「終わったんすか?」
俺はそう、先輩に訊ねる。
「あぁ、お前らの出番は終わりだ。」
「そうすか。………五島はどこいきましたか?」
俺は最後寝てしまったので、五島の行方を知らない。
「お前、そんな事より、病院戻った方が良いんじゃねぇのか?もう11時だぞ?」
「え?は!?えぇ!!?」
慌てて時間を確認する。
時刻は10時54分。病院からの不在着信は10件を超えていた!
「おい!起きろ!おい!」
俺は後輩をビンタで起こす。
「ごあっ!いっで!」
後輩は起きて俺を見た。
「病院戻るぞ!婦長がブチギレだ!」
「マジか。そりゃやべぇな。」
そうして俺達、先輩に挨拶をして事務所を飛び出た。
すぐ目の前のタクシーを捕まえて病院へ急ぐ。
結局、五島の事や、加藤の事、事件がどう収まったのか聞きそびれてしまったが、きっと先輩は教えてくれないだろう。そんな気がする。
病院に戻った俺達は、婦長に1時間ほど説教をされながら新たにできた傷の手当てをしてもらう。
(治安の為に戦ったんだから許してくれよ。)
そう言いたくなる気持ちを抑え、病室に戻る。
入院は2日伸びた。
退院してからすぐに先輩と会う事になった。
今回は俺とサシで会う。
あのゴミ処理場の裏手の埠頭に先輩は既に居て、タバコを吸って待っていた。
「お疲れ様です。どうしましたか?」
俺は駆け寄った。
「とりあえず、退院おめでとう。」
「なんか企んでます?そんなガラじゃないでしょう?」
そう言って怪訝そうか顔を向けた。
そうすると先輩は胸ポケットから、分厚い封筒を出す。
「え?なんすか?またなんか依頼ですか?」
「口止め料だ。俺と親父からのな。」
今回の事件に関して、一般人の俺が介入してしまった事で、組織の情報などが流出する危険性を感じ取った先輩の親分は、口止め料を渡し、黙ってもらおうと言う事らしい。
「またなんか依頼かと思いましたよ。了解しました。どうせ受け取らないとそっちの方が面倒くさくなるんでしょう?」
そうして俺はカバンに分厚い封筒をしまった。
「お前に依頼なんかださねぇよ。不良探偵。」
先輩はタバコの煙を吐き出して言った。
「何言ってるんですですか。同じ修羅場を潜り抜けた仲じゃないですか。」
そう声をかけた瞬間に、先輩は真顔になる。
「お前。こっち側に来るつもりか?」
「え?いや、まぁ元々グレーな商売なんでどっちかと言うとそっち側じゃないですかね?俺。」
明らかに調子に乗っている俺に先輩は言った。
「日の下歩ける人間が俺らと同じ?」
そう言った瞬間に空気が変わる。ビリビリと肌を刺す様な圧がかかる。
俺は恐怖で、口を開けてパクパクとするのが精一杯だった。
先輩の目はハイライトが外れて、まるで夜に光を吸収する為に瞳孔を開く、猛禽類や爬虫類の様な真っ黒な目をしている。
「この世界はな、太陽も暗いんだ。黒い光に照らされて、影と闇の見分けがつかなくなった俺たちとお前らが同じだと?」
その瞬間、
俺と先輩を残して辺りは闇に包まれた。
平衡感覚が無くなり、まるで無重力の中にいる様な感じだ。汗が顎から額へ昇る。背中に冷や汗をかく。
俺は腰を抜かした。
それを合図に世界は元に戻った。
(な、な、なんだ………?幻…… 覚…?)
ようやく口が聞ける様になって口に出した言葉は情け無く、意味が分からない台詞になった。
「あ、あんた……幻術でも使えるのか………?」
そう言って見上げた先輩は逆光で顔が見えない。
先輩は表情の見えないまま俺の前から歩いて立ち去った。
後ろ姿を見送ることしか出来ずに、
それでいて、改めて先輩が敵でも味方でもない事に恐怖を覚えた。
先輩が居なくなって5分ほどしてからようやく緊張が解け始め、なんとかタバコに火をつける。
(黒い光………か……。)
思い出して背筋にゾクっと悪寒を覚える。
俺はタバコを携帯灰皿に押し込んで埠頭から離れた。
俺の見える太陽がまだ明るいうちに。




