第二十一話 負けイベント
静寂が続く廃墟。
俺は未だ動けずにいた。
突然、胸ポケットにある携帯が震え出した。
驚いて声を出しそうになったが、何とか抑えて確認する。
後輩だ。
「もしもし!どうした?」
俺はなるべく声を抑えて応えた。
「マズい。逃げろ。すぐにだ!」
普段冷静な後輩が、明らかに狼狽えている様子を感じて、全身の毛が逆立つ。
心臓が早鳴りし、脂汗が全身から吹き出した。
バサァ!
上空から音がして、上を見る。
「バカヤロウ!走れ!」
そう携帯から聞こえた気がした。
俺の目に映った景色は、立体駐車場の2階から、俺の頭上に向かって飛び出した人影だった。
呆気に取られているうちにその人影は俺の前に
ズドン!と着地した。
「テメェ…こんな所で何してやがる…」
暗闇の中でギラギラと光る目に恐怖で固まる。
厚い筋肉のシルエットが、ジャケットを貫通し、改めてその大きさと威圧感を目の当たりにした俺は、完全に腰を抜かした。
「マジかよ…」
目の前に立ちはだかる大男は見慣れた顔をしている。
「答えろよ。名探偵。」
額に青筋を走らせた先輩は、俺が今まで見た中でおそらく1番ブチギレていた。
完全に言い訳の通用しない状況で先輩と対立する事になったのだ。
「あ、い、や、いや、あのあのあの、あの…ですね…」
口に出した瞬間に、先輩の拳が目の前にある事に気付いた!
人間は命の危険を感じると、世界がスローモーションになるという事を昔聞いたが、それを体験する事になった。
バカン!
ギリギリ腕のガードが間に合ったが、おそらく骨にヒビは入っただろう。
激痛が走り、俺は後ろのフェンスまでぶっ飛ばされた。4メートルは空中に居た気がする。
(バケモノかよ!?)
ビリビリと電気が走った様な感覚が腕に残る。
口が渇く。胃が冷たくなる。手足が無くなったかと思うほどに軽く、頼りない。
脳が(走れ!逃げろ!)と警告しているのが細胞レベルで分かる。
しかし、拳骨を喰らったおかげなのか、俺は冷静だった。
(腕は痛むが、動かないわけじゃない!それに、ここで逃げたら不利になるのは明らかっ!先輩を出し抜くしか無い!)
乾いた口でヒューヒューと呼吸をしながらも、頭は思考を捉えていた。
先輩はまるで散歩をする様な歩法で距離をじわじわと詰めてくる。
「探偵ごっこに飽きて、金に目が眩んだか?」
「違う!俺は仕事で探偵を選んだ訳じゃない!生き方として探偵という道を選んだんだ!説明させてくれ!先輩!」
「お前が生きているうちは聞いてやるよ!」
そう言って先輩は俺にダッシュで詰め寄り、突然小さくなった!
(違う!蹴りだ!)
未だ世界はスローに流れる。おかげで先輩の蹴りの軌道が見えた!
喉元に飛び込んでくる右足をガードしようとしたが、両腕に電気が走る!
「痛っ!」
やはり負傷した様だ。すかさず俺は距離を取り、思いっきり上体を晒して躱した。
その時、先輩の軸足が少しズレた!革靴だから、踏ん張りが効かなかったのだろう。
俺はそれを見逃さなかった。いや、見逃せなかった!蹴りは空を切り、先輩の足元へと戻っていく。そのタイミングに合わせて距離を詰める。
俺が向かってくる事に気づいた先輩は、すぐに応戦して拳を繰り出した!
(だと思ったよ!)
体制的にも、俺が距離を詰めた事によって先輩の攻め方は限定される。最適解はストレートだろう。
「アンタの喧嘩!どれだけ見てきたと思ってんだ!」
叫びながら右拳の内側へ体を捻り躱し、左手で手首、右手を下から脇と肘の間に回し、腰を先輩の身体はつけながら、体勢を沈めた!
一本背負いだ。
コレなら、攻撃の力を利用できる事と、先輩の体格に比べて小さい俺は内側へ入りやすい。
身体を折りながら、腰で掬う!
止まった。
「……マジ……?」
まるで、地面に根っこでも生えているかと思ったぐらいだ。
先輩は、右腕一本で、俺の投げに耐えた。
瞬間、俺の左脇腹に衝撃が走る!
俺は転がり、胃液を吐いた。殴られたのだ。
(呼吸が出来ないっ!息を吐けない!吸えない!)
パニックになりながらも、転がり距離を取る。
まずは呼吸の回復を優先に考える。
片膝で屈みながら肋を押さえて、見上げた瞬間に俺の頭上から人影が飛んだ!
そいつは飛び後ろ回し蹴りを放ち、先輩を少し遠ざけた。
後輩だ。
「生きてるか!?」
そう聞いた後輩は直後に先輩からラリアットをくらい、俺の横へとぶっ飛ばされた。
「マジかよこの人!?」
さすがの後輩も驚いている。
「惜しいなお前。俺とやるには軽すぎる。」
そう言って首を回しながら先輩は平然と歩いてくる。
「2人で仕掛けるぞ。」
そう言って俺は立ち上がり、後輩と左右に分かれて両挟みで仕掛けた。
俺は膝に向かって蹴りを出し、
後輩は、顎に向かってストレート一閃!
先輩は俺の蹴りを跨ぐ様に体を捻り、後輩へカウンターを決めてぶっ飛ばし、攻撃が股を抜けた俺は体勢を崩した。直後、顔面に蹴りをくらい、2秒ほど記憶が飛んだ。すぐにハッとして戻ったが、その様子さえ先輩は楽しんでいる様に見える。
「馬鹿どもが。コンビネーションってのは同時に仕掛ける事が肝になる。お前らは実力差が開き過ぎだ。同時の瞬間に誤差があるんだよ。」
こんな状況だと言うのに、まるで師匠の様な事を言うこの人に勝てる気がしない。
「この場合はお前が合わせなくちゃな。」
そう言って、怯んでいる後輩にボディーブローを打ち込んだ。
「ゲハァッ!」
後輩はのたうち回る。
俺は覚悟を決めた。
両手を上げて立ち上がる。
「何のつもりだぁ?降参したところで、生かすと思うなよ?」
「降参とかじゃないです。聞いてください。」
頭に血が昇り切ったこの人に、言葉が通用するかどうかは分からない。
冗談じゃなく、本当に殺される可能性もある気がするが、俺たちだって遊びでこんな事している訳じゃない。
腹は括った。後は運命に身を任せる事にする。
少しの静寂が唯一の休息になった。
しかし、この後、約束されていない未来に飛び込む俺に休息は訪れない事を、
本能で理解している中年不良探偵は、修羅の道を歩み始めたばかりである。




